8. 目的
セリオスとリシュリオを乗せた二翼飛行機は、高度を上げて雲を抜けた。途端に辺りは明るくなり、眩いばかりの月明かりに目を細める。
「すごい……」
本当にいつも見ている月と同じものだろうか。普段煙る空に浮かんでいるそれは、こんなにも冴え冴えとしていない。
そして何よりも、いつもは一等星が見える程度の空には、砕いた硝子を散りばめたような星々が数億と輝いていた。
「見惚れるよな。地上から見る空よりずっと賑やかでさ」
言葉もなく、ただ頷いたセリオスに、リシュリオは上機嫌に笑った。
「ずっと地上に居たら、こんな空を知らないでいるんだろうな」
「うん。……思いきって良かった」
「気に入って貰えて嬉しいよ」
今にも鼻唄の一つでも歌い出しそうな程、リシュリオは嬉しそうだった。時折風が不規則に吹いても、慣れた手付きで二翼飛行機を操り、大きく揺れる様子すらもない。
二翼飛行機は世界のどこかにいると言われている、人を乗せた鵬と呼ばれた幻鳥を模したとされる。その背に乗った人はきっと、こんなわくわくした気持ちなのではないかと思わずにはいられない。
高揚した頬に、夜風が心地よい。
「お、見えたな」
やがて彼らの正面には、丸々と太った鳥のようなシルエットが見てとれた。
「あれが俺らの飛空挺さ」
「大きいね」
「ははっ、ありがとう。けど残念ながら、あれで小さい方さ」
小さいと言われてセリオスは目を見張る。聞くと、定員十名程度では最小の部類なのだとリシュリオは言う。
「セリは飛空挺を見るのは初めてか?」
「うん。エンジンとか、備品とか、部分的に扱うことはあったけどね。ここらで飛空挺の造挺はどこの工房でやるにも狭すぎて。他の工房も確か整備くらいは請け負ってたけど、一から造ってるのは西の方のアンバラって街が有名な筈だよ」
「ははっ、やっぱあそこは別格だよな。ウチの飛行挺もそこにお世話になった事あるよ」
「いいなあ、一度でいいから行ってみたいや」
「まあ、その内連れてってやるよ」
用もない奴が見学行くと嫌な顔されっからと言われては、セリオスも必要以上に無理は言えない。
「さ、飛行挺に降りるぞ。少し揺れるからしっかり掴まってな」
「うん」
リシュリオは言うや否や速度を上げた。
前を穏やかに飛ぶ飛行挺に追いつくと、操舵室から見えるように先頭へと回り込んだ。大きく手を振ると、操舵室にガラス越しに見えた姿が同じように手を上げて答えていた。すぐに、下方を示される。
二人を乗せた二翼の速度がふっと緩む。風に流されるままに飛空挺の脇をすり抜けた。すると、飛空挺の底が外れたかのように、後方に回り込むとハッチが大きく開けられていた。明かりのつけられたそこから、見計らったかのように金具のついた太いワイヤーがゆっくりと垂らされる。
「セリ、ちょっと身体起こしてくれるか? 揺れるけど、じっとしててくれ」
「え?! あ、うん」
セリオスが頷くよりも前に、リシュリオはベルトを外していた。セリオスが身体を起こすと、向こうも動きやすそうだった。
速度と操縦桿、足と片手で器用に調節しながら、リシュリオは風に煽られていた金具を掴んでいた。固定に不自由しないように、高度を上げるのも忘れない。
リシュリオはそれを二翼飛行機の座席付近に通して外れないように固定した。同時に、エンジンを手早く切り、反重力装置の出力を小さくしていた。
推進力を失ったせいだろうか。自ら飛んでいた時とは違い、ぐんと牽引されている感覚があった。それでも落ちる気配がないのは、翼がきちんと風を捕えていることと、反重力装置のおかげだろう。
リシュリオがワイヤーを手繰るようにしつつ高度を上げると、ワイヤーも同じように巻き上げられる。間もなく飛空挺に収容されると言うところで、今度は翼を固定していたロックを緩めていた。
「セリ、ゆっくり翼のハンドル回してくれ」
「解った」
風を受けた翼のハンドルは硬い。それでもゆっくりながらしっかりと回すと、少しずつその姿は小さくなった。翼がすっかり畳まれる頃には、二人を乗せた二翼飛行機は飛空挺に収容された。
反重力装置を動かしたまま、ブレーキだけをしっかりかけたリシュリオは、不安定に浮かんでいるそこから外へと乗り出した。
ネックウォーマーとゴーグルをさっさと引き下ろす。
「もうちょっとそこで待ってな」
どうするつもりだろうかとセリオスが見守る中、リシュリオはワイヤーを引っ張り、二翼飛行機を奥まで牽引した。二翼飛行機の先頭に改めて留置用の金具を繋いで、未だぽかりと口を開けていたハッチの開閉を行う。吹き込んできていた風も、閉じるにつれて止んだ。
セリオスの元に戻って来たかと思うと、今度こそ反重力装置を停止させた。牽引の為に座席に回していた金具も外し、丁寧に定位置へと戻していく。
「もうベルト外していいぞ」
「はあい……あれ?」
リシュリオに言われてから、漸くセリオスはほっと肩をなで下ろした。呼吸を助けるマスクを外すと、心ばかり息のしにくさを感じた。まだどきどきしているのは、空気が薄いせいだろうか。
ベルトを外して立ち上がろうとすると、なんだかまだ足元がふわふわしているような気がして、上手く立ち上がれない。
「はは! 悪い悪い、慣れないとそうだよな。ほら、手を貸しな」
「ごめん、ありがと」
つい苦笑が零れていた。気にすんなと言わんばかりに手を取られて、おぼつかないリシュリオの足取りを支えてくれた。
「セリ、今は無理に動こうとしなくていいから。ゆっくりついて来な。立ちくらみしそうならすぐに言えよ? お前が思っているよりも、ここは空気薄いから」
「う、うん……」
「ま、中はもう少しマシだから安心しな」
こっちだとゆっくり手招きされてそれに従う。
リシュリオに言われた通り、どことなく身体がぐらついているような気がして、不安に握った手に力が入った。扉を一つ、二つと隔てて内側に入って行くと、それまで胸の辺りが無理に広がろうとしていた感覚が緩んだ気がした。
「結構……大変だね」
「んー、まあな。慣れればどうって事ないけど……後で水やるから一応、薬も飲んどきな。お前の手、ちょっと熱っぽいや。頭痛はあるか?」
「頭痛は、そんなに。身体は少し重いかも? くらいだから、薬飲むほどじゃないよ」
「ああ、まあ今はな。我慢しても酷くなる一方でしんどいだけだから、遠慮なく飲みな。どうせ少し様子見たところで、すぐに慣れるもんじゃねえしな」
「う……解った」
なあに、気にすんなってと。今度こそ当たり前の様に笑われる。
「さ、こっちだ」
颯爽と梯子を上り、広場を抜け、案内されたのは先程外から見た操舵室だった。壁際の座席で窓の外を伺っていた少女も、入室者たちを振り返る。
「ルーザ、戻った」
「ああ、二人ともお帰り」
「そっちは何事もなく出れたみたいで良かった」
リシュリオは未だ慣れない様子で大人しくしているセリオスを座らせながら、操縦桿を握るルーザを振り返った。リシュリオの言葉に、ルーザは後ろに解るように肩を竦めた。
「やっぱり何かあったんだね。遅いからそうかなって」
「予想通りさ。アルフェリオに絡まれた。四翼飛行機の持ち主……お嬢を探してるってさ」
「え」
リシュリオの言葉に、少女は解りやすく反応した。
戻って来た二人を改めてじろじろと見てくる様に、見ての通りケガはないよとリシュリオが告げて笑う。
「それにしても解んねえよな。あいつがお嬢を捕まえるメリットなんてあるのか?」
「そんなのあいつらの事だ。帝国に雇われたんじゃないかな。それか噂を聞きつけて高く売りつける、とか?」
正面を見据えたままのルーザは小首を傾げた。その言葉に、黙っている少女でもない。
「冗談じゃないわ。私は売り物なんかじゃない」
「解ってるよ。ルーザ、揶揄ってやるなって。だからこうして、君に手を貸して街から連れ出しただろう?」
「……そうね」
一つ、少女は自分を落ち着かせるように肩で息をついた。やがて、真っすぐにリシュリオたちを見据える。
「改めて、お礼を言うわ。街から出る手助けをしてくれてありがとう」
頭を垂れて、丁寧に礼を取られて、しおらしい様子に驚かない者はいなかった。
リシュリオが苦笑交じりに答えた。
「礼には及ばないさ。君のお蔭で有望な同士に出会えたわけだしな。ついでにこれで、少しは信じて打ち解けようって心境になったりしないかな」
「それとこれとは別。いくらでも想像してくれて構わないけど、私の事は知らずにいてくれた方がいいもの」
「頑なだな。ここなら盗み聞きされる心配もなければ、君を追っ手に売るようなことをする奴もいないのに。知っていた方が協力出来る事も多いと思わない?」
「それでも、よ。逃走のリスクを最大限減らしたいの」
「そうか」
目を反らす事無く言われ、今度こそリシュリオは肩を竦めた。
「ま、そうまで言うなら仕方ない……けど、あれほど連れ出そうとしていたセリにも、それは該当するのかな」
「私が無理言ったから来たのならまだしも、自分から行くって言った人の事を引き合いにされても困るわ」
「はは、結果論ならね。でもさ、君は彼の親方が誰か解ったから、ああして熱心に連れ出そうとしたんだろう? その理由くらい教えてやっても良くない? 彼自身に関わる事なんだろう?」
リシュリオが煽るように告げると、少女は目に見えて苦い表情をした。
「ずるいわ、リーダーさん」
「お褒めに預かり光栄だな。仲間の安全の為なら、どんな事でも手を打ちたい性分でね。何なら、こうしようか。脱出を手伝う事に関して特に条件設けなかったけど、君の行きたいところに何も聞かずに向かう運賃代わりでどう?」
「断ったら?」
「まあ、適当な大きい街にでも下そうか。理由は解らなくても、アズネロ親方の弟子であるセリが狙われる可能性があるなら、早めに火の粉は払っておきたいし?」
「……はあ、卑怯だわ」
「空賊だからな。卑怯も必要なら厭わないさ」
むうと微かに膨れて唇を尖らせたのは、恐らく無意識だろう。恨めしそうに少女はリシュリオを上目で睨むと、やがて諦めたように大袈裟なくらいに溜め息を零していた。
「はあ……話せばいいんでしょ、話せば。本当にずるいんだから」
「ははは、ありがとう?」
人の気苦労も知らないで、と、彼女のぼやきはリシュリオに苦笑されただけだった。
少女はちらとリシュリオを見た後、セリオスを真っ直ぐ捉えた。
「……工房を放り出した親方さん、盟約の為にって姿を消したんでしょう? その相手は他でもない、帝国の人間相手……それも中枢よ」
端的に告げると、先が読めないセリオスに代わってリシュリオが腕を組んだ。
「やっぱり、帝国が出てくるのか」
「ええ。盟約を自ら果たさなければ、親方さんだけでなく、人質代わりに可愛がってる弟子の人達も、きっと強制的に帝国に連れていかれていた筈だわ」
「え……?」
どういう事が理解が出来ず、セリオスはぽかんとするばかりだ。
「怒号と手が出るってあんたは言っていたけど、あんたが少なくとも大事で可愛がられていたって事でしょう? 私が聞いたアズネロ親方は、とても有能で熱心な人で有る反面、見込みのない人や使えないと判断した人にはとても冷酷だから、ばっさりと切り捨てた相手は二度と見向きもしないって聞いていたわ」
「それは……」
確かにそうだ、と。流石のセリオスも口には出来なかった。心当たりがあったせいで、思わず閉口する。
「親方の盟約の内容って一体……?」
セリオスが恐る恐る尋ねると、少女は同じく黙った。一度目を瞑ると、言葉を固めたかのように表情を引き締めた。
「黒姫の空想を実用化レベルまで実現する、そのための協力よ」
「なんで親方がそんな事を約束したんだよ……!」
「親方さんが帝国の元技師で、従属を外れる代わりに一度だけ協力するとしたから、でしょうね」
ひょいと肩を竦めたかと思うと、仕方がなさそうに溜め息を零していた。
「それに、盟約が要請された時の親方さんの対応が良くなかったわ。多分、残される弟子の人達をどうにかしておきたかったんだと思うんだけど、その為にすぐに応じなかったみたいだもの。ただそれが、彼の首を絞めた」
静かな声が、ここまで来たら話してしまえと告げる。
「親方さんは恐れていたわ。自分の持てる技術の大半を引き継いでいる弟子たちが、帝国に悪用される事を。自分は交渉出来るだけの力や抵抗力があるけれど、何も知らない弟子たちが良いようにされる可能性が何よりも困るって」
「…………まるで話したみたいに言うね」
「話したもの」
苦笑したセリオスに、少女はしれっと告げた。
「話したし、頼まれたの。特に親方さんの一番の弟子である貴方を、帝国から逃がして欲しいって。貴方が一番、教えてもいない事を学んでいたから気がかりだって言っていたわ。ついでに言っておくと、親方さんの脱獄の手助けはしたから、今はどこにいるか解らないわ」
「脱獄? 親方、捕まってたの?」
「そうね。それくらい、盟約を反故にしようとした事は重いのよ」
帝国は特に、自分たちをないがしろにしようとする存在を許さないから。面白くなさそうに告げた少女はどこか腹を立てているようにも見えた。
それには同意するかのように、リシュリオもまた苦笑していた。
セリオスは思わず考え込んで、眉間に皺を寄せた。
「さっきはそんな事、全く言ってくれなかった」
「そんなの、バカ正直に言って貴方信じてくれた?」
呆れたように言われて、信じなかったと思うとは言えない。
「君は……本当に何者なの。なんでそんな事知っているのさ」
「さあ。なんでかしら」
私にも解りかねるわ、と。困った様子もなく堂々と言い放つ少女に、それ以上自分の事を話す様子はない。
そういえばそうだったと気が付くと同時に、セリオスは別の事が気になった。
「……ねえ、僕が工房から外に行くって言わなかったら、君はどうするつもりだったの」
「そうね。どこかに都合のよさそうなところに閉じ込めるか、眠らせて心当たりのある場所に送るつもりだったわ。でも、もっとずっといい人たちに出会ってくれたから、それはやってないでしょ」
「……君、結構おっかないね」
「失礼ね。私はいつだって必要な事しかしてないわ」
どうやら心外だったのだろう。ぷいっとそっぽを向いて、面白くないと頬をわずかに膨らませていた。
すぐに不貞腐れる時間を惜しむように、その視線はリシュリオに向けられる。
「さ、リーダーさん。私の知るその子に関する情報は以上よ。これで満足してくれたかしら」
彼女の話を静観していたリシュリオは、組んでいた腕を解いて苦笑した。
「まあそうだね。君もなかなか難儀してるな。そこまで言ったらいっそ、身の上明かしてしまった方が良くない?」
「同情なんていらないし、私は名乗るつもりは微塵もないわ。それで、私の行きたいところには連れて行ってくれるの?」
用件を済ませて欲しいと言わんばかりの少女に押されて、リシュリオは肩を震わせて今度こそ笑った。ガラス越しに、呆れた様子のルーザと目が合ったせいでもある。
「構わないよ。何処に行きたい?」
尋ねると、少女は端的に告げた。
「浮遊島ユーテスク。帝国の南西にある、廃鉱山で閉鎖された島よ」
「いいよ、見知らぬお嬢さん。報酬分は、俺たちシュテルがきっちり送らせていただくよ。なあルーザ」
「ああ」
どこか楽しそうなリシュリオの呼びかけに、ルーザは指針を確認して舵を切っていた。