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7. 蒼穹

 

 一つ、二つ、三つと。どれほどその場に縫い止められていただろうか。セリオスがほっと息をついたタイミングで、リシュリオはその背を押して先に行こうと促した。

 リシュリオは荷車を引き、その側にしがみつくようにセリオスも歩く。未だ緊張感が抜けていないのは明らかだ。

 街の外れに差し掛かり、建物が途切れて来る頃になるまで、互いに無言を貫いた。


「悪いな、怖い思いさせて」


 沈黙を破ったのは、リシュリオに他ならない。溜め息混じりに告げられて、セリオスは弾かれたようにその表情を振り返った。

「……ううん。大丈夫、ちょっとびっくりしただけだよ」

 怪我もないし、と呟くと、そうかと端的に返って来る。

「それに、これからもっとこんな事が日常茶飯事になるでしょう?」

「まあ、な」

「だからそれ程気にしてない。ただ、ちょっと、心配で」

「どれが?」

「ノルト――――同期の事……。思い過ごしならいいんだけど」

「……そうだな」

 不安に俯くセリオスとは対象的に、リシュリオはただ真っ直ぐに先を見据える。

「セリオスには悪いけど、あいつの言葉の真偽を確かめる術も、今俺らに出来る事もない。そのためには、それこそあいつらの飛行艇に忍び込むくらいしないといけないからな。流石にそうするには時間がない。なら、今やる事は二翼飛行機(こいつ)を飛ばす事だけだよ」

「うん……そうだね」

 気を引き締めた様子でセリオスは背筋を正した。

「大丈夫だ。命までは少なくとも取られないさ」

「はは、それで大丈夫って、あんまり言いたくないなあ……」

 複雑な気持ちで苦笑していると、それもそうだと肩を竦められた。

「……ううん、考えても仕方ないね。多分、ノルトはノルトで上手くやってるって信じておくよ」

「それがいい。さ、この辺で大丈夫だろう」

 ぶつかる心配のある建物がなくなった所で、リシュリオは荷車を止めた。自分の背丈よりも大きさのある二翼飛行艇(カイト)の胴を危なげなく担いで、そっと地に置く。

 セリオスもそれに習って、二翼飛行機(カイト)の籠に乗り込むと畳んだ翼を広げるペダルを慎重に回した。ゆっくりと、二翼と呼ばれる由縁(ゆえん)の翼が広がり、大きな鳥が羽ばたくような恰好へとなっていく。

「セリ、明かりはあるか?」

「ちょっと待って」

 弱い月明かりでおおよそまで運んでいたリシュリオに促されて、セリオスはボディバックを漁った。すぐに簡易の磁鉄鉱ライトを見つけて、手元を照らす。

「ペダルを回しきったら、必ず一度、両翼が完全に伸ばせているか確認しな。三つ折りの蝶番のところなんて特にな」

 リシュリオは手招きすると、翼を照らした。

「少し体重を掛けてみて、特別動かなければそれでいい。確認が取れてから、しっかりロックをかける。忘れたら墜落する可能性あるからな、気を付けろ?」

 墜落……と、あり得る事故を想像してぞっとする。

 リシュリオに冗談めいて笑う様子はない。

二翼飛行機(カイト)はぎりぎり二人乗れるっつても、本来は一人乗りだからな。誰か任せにしないで、乗る時は毎回自分自身で確認するよう癖つける事をお勧めするよ」

「うん、気を付ける」

「それからエンジンを動かす前に、二翼飛行機(カイト)の両翼が操縦桿できちんと動くかも確認しな。エンジンかけなくても、左右に操縦桿を振れば可動域がある。それに合わせて翼の軸が動いていれば大丈夫だ」

 ついでと二翼飛行機(カイト)の後方を指し示す。

「理想としては、反重力装置の動作に問題ないかも見たいところだけど、今回はいい。さっき取り付けた後に確認した」

「解った」

 昼間に整備もしたから大丈夫と告げたリシュリオに、セリオスも深く頷いた。

二翼飛行機(カイト)の主な動力は、基本的に半重力装置が担うけれども、揚力も推力も、ついでに反重力装置が働く以上に高度を出す場合は、全部エンジンが主だ。ちゃんと連動していないとバランスが取れないから、もしまた新しく翼を扱う事があったら一番気を配った方がいい」

「了解。まあ……暫くはリシュリオの点検を見て習いたいかな」

「俺としては、それはそれで大歓迎だな」

「ありがとう」

 嬉しそうにはにかむセリオスを脇目に見つつ、リシュリオは首にかけていたゴーグルを目元に添えた。

「さて、長ったらしい説明悪かったな。そろそろ行こうか。先に乗るから、俺の前に座れ。乗ったら安全ベルトを忘れるなよ」

「うん!」

 ゴーグルはあるか? と尋ねるリシュリオに、セリオスも上着の前を首元まできちっと閉じて、習ってつけた。

 先に乗り込んだリシュリオの足の間に、セリオスも座り込む。二人乗るとやはり、狭い。

「うーん、座席のクッションはもう少しあってもいいな」

 ゆるく足を延ばして納まったリシュリオとは違い、セリオスの足にはペダルが触れた。

「乗ったらまず、前のカバーを頭より高くなっているかの確認な。風よけでもあるし、空気抵抗を減らすためでもあるから」

「解った」

「それから当分飛ぶとき、お前は呼吸の補助マスクを必ず着用しな。舐めてたら酸欠で気絶して下手したら死ぬから。その内一人乗りするなら尚更な」

「う、うん。気を付ける」

 どこか脅しのような低い声に頭の上で告げられて、流石のセリオスもごくりと喉を鳴らしていた。座席の脇に用意していた、配管付きのそのマスクを口元に当てて、頭の後ろできっちりと縛る。

「ま、そう固くなんなって」

「リシュリオの分は用意できてないんだけど……大丈夫?」

「ああ、俺はこれで十分だ」

 リシュリオはゴーグル同様に首元に落としていたネックウォーマーを引き上げると、口元から鼻まですっぽりと覆っていた。怪しいねとぼやいたセリオスは、頭を軽く叩かれたのは言うまでもない。

「さ、手始めだ。操縦桿に軽く手を添えて、脇のブレーキレバーをゆっくり外しな。変に動いた時以外には握り込まなくていい。それから仮ブレーキのペダルをしっかり踏み込んだまま、反重力装置を始動させるんだ」

「エンジンは?」

「まだだ。操縦に慣れてない時は反重力装置が起動してから、すぐにエンジンはつけない方がいい。もしかしたら、抵抗が弱くて仮ブレーキだけじゃ止められない時もあるから」

 神妙に頷いたセリオスは、言われた通りに行った。不意に少しだけ胃の辺りだけが置いていかれたような感覚と、ボートにでも乗り込んだかのような不安定さにひやりとする。

「……よし。今、機体が地面からわずかに離れた感覚は解るか? 反重力装置は起動するだけで、必ず少し浮かんで、その時にバランス崩しやすくなる。だから慣れない内は、ちゃんとブレーキをかけておけ」

「うん」

「まあ、その内全部同時に出来るようになる」

「頑張る」

 工程を忘れてしまわないように、もそもそと呟き目線で確認する頭を、リシュリオは微笑ましく眺めていた。

「じゃ、次にエンジン。反重力装置で賄える高度の時は、一つ目のギアだけで十分だ。今日はブレーキを踏んだままやってもらうけど、反重力装置とエンジンを駆動しただけで進む感覚が解るようになったら、別に踏まなくてもいい」

「解った」

 エンジンがかかると同時に、二翼(カイト)は小さく唸りを上げた。

「モーターの回転音が少し変わったのが解るか?」

「う……ん? 少し音が大きくなった?」

「それが解れば今は十分。これでもう、あとは仮ブレーキを外すだけでこいつは進むし、簡単に飛ぶことも出来る」

「これだけ……?」

「そ、これだけ。飛行技術云々はさておき、手軽だろ?」

「うん……びっくりするくらい簡単」

「ま、簡単な分、感覚が物言うから、よーく覚えろよ?」

「うん……!」

 自然と弾むセリオスの声に、リシュリオはそれまで真面目腐っていた様子が嘘みたいにくすりと笑った。

「操縦桿から手は離さなくていいから、力抜け。今日は俺が操縦するから、セリは見てな」

 ペダルも変われと言われて、セリオスは足を縮める。踏んでいたブレーキが離された事で、滑るようにゆるやかに二翼飛行機(カイト)は動き出した。

「この二翼飛行機(カイト)は後ろに反重力装置を積んでいる関係で、地上では機体が前に傾きやすい。下が引きずらないように、機体は少し上向きに気を使ってくれ」

「わ、解った」

 セリオスの手の上側で操縦桿を握るリシュリオは、ゆっくりと手前に倒した。ふわと、胃の辺りの浮遊感が強くなる。

 恐らくリシュリオが加速ペダルをじわりと踏み込んだのだろう。モーターの回転が更に上がった音がした。


「行くぞ。しっかり口閉じて、よく見てな」


 話はそれっきりだった。

 緩やかだった二翼飛行機(カイト)の速度は上がり、それに伴いリシュリオは操縦桿を手前に倒した。脇のスロットを引くと高度はぐんぐんと上がり、身体を押さえつけるような重みにセリオスは息を呑んだ。

 背中の駆動音よりも、前方のエンジンの音が強くなる。リシュリオはもう一つギアを切り換えた。


 僅かに出ている肌が風にくすぐられ、誘われるように先を見る。

「わ…………!」

 精一杯乗り出すように、左右に首を向けると、黒々とした街並みがどんどんと眼下に落ちていく。ぽつぽつとある街の灯りは天井に広がる星空よりも明るくて、どちらの空に吸い込まれているのか解らない程だ。


 街の輪郭を作るように橙赤色の星々は輝いて、そこから先は虚空のような闇が広がる。吸い込まれそうな暗闇は、そこに本当に大地が広がっているのか解らない程だ。


 天井を見上げると、うっすらかかった雲か何かで煙るものの、こちらが空だと導くように、月と一等星が輝いている。なんと広い空だろうか。

 露出した肌に刺さるような風の冷たさに、思わず身震いした。だが、きっとこれは寒さだけではない。

 心音が、やけに強い。抑えようのない高揚感に、セリオスは自然と口元が緩んだ気がした。


 きっと暫く戻れない。そんなセリオスの為か、くるりと旋回させたリシュリオは、街が見下ろせるように傾けた。

「本当にいいんだな?」

 後ろから話しかけられて、セリオスは躊躇いなくはっきり頷く。

「行くよ、リシュリオとルーザと、それからあの子と。他でもない僕自身のためにね。色んなものを見て、色んな事を知りたいから」

「ああ、解った」

 喉の奥でリシュリオが笑ったのがセリオスにも解った。わざわざ振り返って見なくても、彼がご機嫌なのが手に取るように解る。

「行こうぜ。まずはルーザ達と合流だ。北の一等星に向かう」

「うん!」

 二人を乗せた二翼飛行機(カイト)はぐんっと加速して、街の北側にある山超えを目指していった。

 

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