71. 飛雲
よく晴れた空気に、からりとした風が吹き抜ける。綿のような真っ白な雲がぽつりぽつりと浮かび、抜けるような青さが広がっている。
二翼飛行機を下から支えて機体を軽くしていた反重力装置を停止させ、ほっと息をついたセリオスは身体を起こした。
「終わった?」
ひょっこりと顔をのぞかせたエスタに、セリオスはぐったりとした様子で頷いた。
「やっと終わったあ……」
ずっと屈んでいたせいで、背中が痛い。ぐっと伸びをしたセリオスは、急に立ち上がったせいでくらりと目眩を感じて苦笑した。
ジャッキアップしていた二翼飛行機の下から這い出ると、エスタは嬉しそうにペダルを回して羽の開き具合を確かめていた。
「いい感じね」
ペダルが軽くなったわと嬉しそうに笑みを浮かべた後、そわそわとした様子でその笑みをそのままセリオスに向けた。
「ね、試し乗りしてきていいかしら」
「好きにしなよ。いってらっしゃい」
整備に使っていた機材を取り外し、ひらひらと手を振って見送る。
反重力装置を嬉しそうに早速起動したエスタは、コテージの広い庭から助走をつけて、間もなく突風と共に飛び立っていた。
「ほらセリ、手紙届いてるよ」
入れ代わりで外から戻ってきたルーザは、いくつかの書類と新聞を抱えていた。差し出された封筒は、妙に分厚い。
「ありがとルーザ。……それ、今日の新聞?」
「いいや、明日の新聞。さっきアルフェリオの付き人さんが、頼まれたって届けに来たよ」
「へえ、そうなんだ」
相槌を打ったセリオスは工具を片付けながらも、ルーザの手元を見上げて見出しに苦笑した。
「『真実の裏側?』ね。随分また仰々しい見出しだね」
「大袈裟な煽り文はみんな好物だからだろうね」
物好きが多いったらと呆れたように肩を竦めたルーザに、「違いないや」 とセリオスもかねがね同意した。そうといいつつ、自分もその煽り文に乗せられてしまったところに身の覚えしかないので、余計なことは言うまいと新聞から目をそらした。
ははと笑ったのも束の間、渡された手紙の差し出し人を見て、思わず眉を顰めてしまった。
「……げ、またアジェイから来てる。エスタの説得を僕にさせようとするのやめてくれないかな……。自分が来ればいいのに」
「はは、すっかり仲良しでいいじゃない」
「良いわけないよ……。手紙で院長が回復傾向にあるって教えてくれるのはいいんだけどさ。エスタはエスタで、今度こそホントの自由を楽しめるって聞かないし、アジェイはアジェイでエスタを誑かしてずるいってうるさいし……」
ぼやいたところでルーザは仕方ないねとただ笑って受け流すばかりだった。我関せずなのだろう。手近なソファに座り込み、ゆったりと新聞を広げていた。
「そういえばリシュリオは一緒じゃなかったの?」
話を変えるようにセリオスが尋ねると、ページをめくりながらルーザは肩を竦めていた。
「リオはまだ打ち合わせているよ。ここぞとばかりに操舵室への要望詰め込んでるから、当分は帰ってこないと思うよ」
設計担当者に追い出されるまで戻らないかもね。
そんな風に苦笑交じりに言われては、セリオスも苦笑を返すしかなかった。
帝国をひっくり返すほどの浮空島墜落の騒ぎは、間もなく静まった。エスタが二翼飛行機で島まで乗りつけ、セリオスが自ら装置を停止させてまわった甲斐があったと言えなくない。途中、四翼飛行機をアルフェリオより借り受けたリシュリオたちが合流した事で、人手が増えたのも大きいだろう。
動かないように固定された荷重力装置は、どれも正確に作動していた。間違いなくアーレンデュラが鳥に指示を出して、セリオスの依頼した通りに手配してくれたお陰と言える。
重力の発生装置を作成しきった事については、リシュリオには大層驚かれた。一方で、騒ぎが沈静化した途端にしこたま怒られたのは言うまでもなかった。
「勝手は二度としないっつってたな?」
「……言った。ホントにごめん」
「ごめんなんて言葉で許されると思ったか?」
そんな謝罪はいらないと、素気なく告げられた事も堪えた。
「死ぬほど心配した」
「うん……ごめん」
「……無事で良かった」
「……来てくれて、ありがと」
「おう」
だがそれ以上に怒られなかったことが、何よりもセリオスの罪悪感を抉った。
リシュリオとルーザの乗った四翼飛行機に乗せられていた無線に連絡があったのは、それから間もなくのことだった。後処理は、帝国側で円満に恙無く執り行われると約束された事で、あの場はお開きになった。
ルーザが開く新聞の背中を、セリオスは何気なく見やる。
幾分かばかり、帝国に近くなった浮空島について、何故か世間は触れることが無かった。それよりも、アレイットに続いて帝国を襲った鳥の話と、ゼルべジャンが解体された話、それからそれらを仕切っていたとされる第三王子の処刑が執り行われた話で、一面は丸く収められていた。
驚くことに、新聞は第一王子について言及する気配がなかった。あれほどの強行策と武力をもってして進めていたにも関わらず、音沙汰は一切ない。ただ新聞記事は、先代皇帝の悪事について白日の元に晒し、二人の姫と過去の技術実験、その実験の被害者の存在についても明らかにしていた。
全てを精算した第二王子が来月戴冠を行うとし、シュテルの無実を訴えて締めくくられていた。
「アルフェリオ、結局処刑されたんだ」
ぽつとこぼすと、ルーザの新聞をめくる音が重なった。
「書類上は、そうみたいだね」
「城で馬車馬みたいに働いてるのかな?」
「多分ね。僕らに迷惑かけた分くらいは働いてくれるよ、きっと」
「父さんも道連れ食らってんだろうなぁ……」
結局会えずじまいだとぼやいたセリオスは、それも仕方ないかと肩を竦めた。
一度だけアズネロから届いた手紙には、無事であるという知らせとセリオスに対する小言、それからアルフェリオや帝国技術者の質を問う文句が記されていた。当面会えない旨と、好きなように生きろとあったので、元気そうなのは間違いない。
「しばらく帝国側は大変だろうから、仕方ないね」
「そうだよね」
あまりにも文句が多かった文面を思い出してセリオスはくすくすと笑っていたら、コテージの敷地の外から身を乗り出していたリシュリオの姿に気がついた。
「リシュリオお帰り! 早かったね」
「早いもんか。セリ、今手空いてるか? エンジンの相談なんだけど、意見欲しくてさ。ちょっと来てくれよ!」
セリオスが何気なくルーザを見やると、ほらねと言わんばかりに肩を竦めていた。飛空艇が完成するまでは、当面この生活は続きそうだ。
「わかった、すぐ行く!」
見上げた先には、エスタが旋回した二翼飛行機が、真っ青な空の中に自由な白雲を引いていた。
FIN.
◯あとがき
ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました。
一度書くことが出来なくなったにも関わらず、お待ち頂いた皆様、読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
挫折したり苦しかったりと、悩むことが多い作品でしたが、最後まで形にできたことをとても嬉しく思います。
いいね、感想、評価等、些細なリアクションでも頂けると、作者は大変喜びます。
誤字脱字の修正は随時行いますが、至らない点ありましたらご指摘頂けると幸いです。
また次の作品でお会い出来たらと思います。それでは。




