67. 対峙
久方ぶりに見た城は、妙に暗く感じた。遠くの工業区から立ち上る黒煙は、日が落ちて一層黒い。
単に月の光が弱いせいもあるかもしれない。随分と都合がいい夜だとアルフェリオはぼんやりと思った。
のんびりとした歩調で正面門に向かうと、衛兵に止められる。
「リーステン・ネブロディアエル・アルフェリオ。ただ今帰還したから、開けて欲しいな」
へらりと笑うと衛兵たちは戸惑った様子で互いに見合わせていた。
「マーガス兄様から通すように言われてるだろ?」
「申し使っておりますが……」
まさか正面から徒歩で来るとは思っていなかった。そんな表情にくすりと笑う。
「生憎、処刑の為だけに連れてくる部下がいなくてねぇ」
信用ないなら、君たちの上司を呼んでよ。こうしている時間がもったいないと告げれば、まもなく城までの道は開かれた。
懐かしいような、感慨深いような。これが見納めになるかもしれないと思うと、成すべきことへの決意が新たに固まった。
城の正面門が開かれると同時に、エントランスの煌びやかなシャンデリアの光に目を細めた。記憶と変わらない。アルフェリオが苦手な光だった。
直後に、武装した近衛兵達に囲まれる。
「出迎えありがとう? マーガス兄様」
広いエントランスの両サイドには、半螺旋を描く階段がある。その登った先に、十数年来に見た姿にアルフェリオは余裕を持ってにこりと笑った。
「あなたの無精の弟リーステン、ただ今戻りました」
「ふん。逃げなかった事は褒めてやる」
「マーガス兄様から褒めてもらえるなんてうれしいなぁ。人生で初めてかも?」
思わずふふと笑みをこぼすと、相手の表情がわずかに不快に動いたのを見逃さなかった。憎々しいと言わんばかりの舌打ちが返ってくる。分厚い絨毯に足音を消しながら階段を降りてくる姿は、ただ目的の方へと目線を向けたまま、わずかにこちらに目をくれた。
「衛兵、そいつを連れてこい。すぐに審問を始める」
「わあ! 驚いた。審問までしてくれるんです? てっきり、その場で首を切られるものだと思っていたよ」
「口を慎め、反逆者」
「あっはは! おしゃべりがゴメンねえ、兄様? 粗野な暮らしに慣れてしまって、すっかりここの作法を忘れてしまったもんで」
おどけてみたものの、相手から望んだ反応は得られない。ただ扱いに困ったような様子を見せる憲兵たちを見まわしてから、踵を返した背中に「ああそうだ」 と、気負った様子もなくアルフェリオは続けた。
「お土産がご所望だったよね? 黒姫の図面はどうしようか」
尋ねたものの、反応はない。ただ「早く来い」 と促されて、アルフェリオも笑みを消した。
「ねえ、マーガス兄様。僕のアルとアズネロは無事なの」
「貴様に応える筋合いはない。何をしている、そいつを引きずってこい」
取り付く島もない様子に、大げさにアルフェリオは溜め息をついた。
「わかったわかった、大人しくついていくよ。僕には足があるからねえ」
「無駄口を叩くな。黙らないと今すぐにでもその舌を切り落としてくれる」
「おっかないなぁ……」
押し込まれた部屋は、謁見まで控室として使われる小さな部屋だ。非公式的に話を済ませるつもりなのだと、容易に想像がついた。
両腕を衛兵に取られて跪かされたアルフェリオは、ただされるがままに従った。その際に懐を漁られ、あっさりと奪われたレース編みのストールに、この地の王はふんと鼻で笑った。
「わざわざご苦労なことだ」
「それをシュテルから奪えば、僕の影とアズネロの命を助けるって話だったよねぇ?」
「戯言を。逆賊との口約束を守る義理があると思ったか?」
「マーガス兄様の辣腕は兄様を過激な人に見せるけれど、嘘を違える人ではない事くらい知ってるよ?」
露骨に眉をひそめた姿に、アルフェリオはただ笑顔を向ける。
その内心では、戦々恐々としていた。一歩でも恐れを見せたらあっという間に自分が追い詰められる。下手をすればこの場で首を切られる気迫に、流石だと思わずにはいられなかった。
何故、これほどまでの強攻策に出たのか。そんな疑問をぶつけたくとも、疑問のままに口を開けば、恐らくそのまま話にもならずに、この臨んだ場は流れてしまうことだろう。
「〇〇はどうした」
「流石に死ぬ気で抵抗する子を連れてくるのは無理だって、兄様だって解ってた事でしょう?」
舌打ちが聞こえたのは気のせいではない。使えないとぼやかれても、肩をわずかに竦めることしか出来なかった。
その時だ。
「大変申し訳ありません! 大至急、ご報告いたします!」
勢いのまま転がり込んできた姿は、直ぐ様膝をついて礼をとった。
「……何事だ」
「現在、上空より鳥の大軍によって襲撃を受けており、各自対応に追われております! あまりにもその数が多く、また、意思を持ったかのように種類の異なる鳥たちが襲い来ており、城内にもかなりの数が侵入、現場が混乱しております。恐らく人為的なものかと推測されるのですが。どうかご指示を頂けませんか?!」
「鳥だと……?」
怪訝に表情を歪めたマーガスは、ちらりと反逆者の弟に目をくれた。目ざとくその視線に気が付いたアルフェリオは、挑戦的に小首を傾げてくすりと笑った。
「そういえば、物好きな逃がし屋さんが、僕の泥船の出航を気にかけてくれてたね」
「チッ。余計なことを。衛兵、こいつを地下牢へぶち込んでおけ。明日死刑を執行する。残りの者はついてこい。城内の害獣を駆逐する。第一隊は城内の警備を強化せよ。賊が紛れ込んでいるかもしれないからな」
苛立たし気なマーガスは、即座に壁に控えていた侍従にも二、三を告げると、神経質そうに踵を鳴らしながら部屋を後にした。
「……まあ、予想通りか」
指示された衛兵に促されて席を立つと、アルフェリオは大人しく先導に従った。さて次手はどうしたものかと目を伏せ、衛兵の背中を追いながら試案を巡らせる。
その時だった。
再び騒がしくなった扉向こうに、アルフェリオ顔を上げた。「お待ちください」 という言葉と共に、扉は強く開けられた。
「エスタを、返してよ!」
飛び込んできた姿に、アルフェリオも目を見開く。まさかこの場に彼女も来るとは微塵も思っていなかった。
「……黒姫?」
「一体どうして、そんなひどい事が出来るっていうの?! あなたみたいな勝手な人がいるから、エスタが、みんながこんなにも苦しい思いをするんじゃない!」
今にも飛び込んで掴みかかってこようとしたその姿は、同じく久方ぶりに見たオーランドの腕に抱かれて抑えられていた。
「放してください、オーランド様。この方だけは、許せない……! この方のせいで、エスタは、エスタは……!」
心底憎いと言わんばかりに睨まれて、「……ああ、なるほどねえ」 と合点がいった。思わずふふと笑ってしまうと、先ほど兄や憲兵に黙れと言われた言葉も忘れて、アルフェリオはその姿を見据えた。
「ねえ、黒姫様。貴女が何を言われたのか大体予想はつくけども、少し愚直すぎると思うなあ?」
口の利き方に気をつけろと、衛兵から横っ面を殴られる。ガツっという音と共に、口の中を切った。誰かの息を呑む音が、妙にはっきりと聞こえた。
目の前の仕打ちにひるんだ様子を見せた黒姫を思ったのだろうか。オーランド付きの小姓が衛兵たちを制止させていた。
ちょうどいいやと、アルフェリオは悪人顔さながらにくつりと笑う。
「事実はもっと複雑だけど、貴女がこの場にいることをよしとしている限り、知れるはずの事実すらも、知ることが出来ないよ」
「……何が言いたいというの」
「白姫エスタをその手にかける者がいるとしたら、それは僕じゃない。彼女は僕と志が同じだもの、手にかける理由がない」
アルフェリオは衛兵に取り押さえられて膝をつきながら、どういうことだと表情豊かに目を泳がせた姿に言い聞かせる。
「ねえ、思考を止めてはいけないよ、黒姫様? 君の図面は確かに、君の意図とは大きく異なる使われ方をしてしまった。僕も非常に残念に思うよ。忘れたくなった気持ちも解る。けどねえ、だからと言って、すべてを放棄して忘れてしまった君に、僕を止める権利はない」
「そんな……」
「ねえ、黒姫様? 被検体○○は、君よりはるかに幼かったけれども、彼は己の生み出したものには常に自信を持っていた。そしていざという時の責任の取り方も知っていた。……ちょっとばかり過激な方法だったけども。けどねえ、君はどう? どうして記憶を落としてしまったんだい? 君はエスタが、どんな思いでこの国から逃げ出したのか、知らないだろう? どんな思いで君が作った図面を持って、逃がし屋に君を託したんだろうね?」
「やめてよ」
「少なくとも白姫は、いつだって君のための最善を選ぼうとしていた。君が穏やかに過ごせるように、ただその為だけに自分の平穏を投げうって逃げ続けていた」
「そんなこと……」
「ねえ、君は一体いつまで現実逃避を続けるのかな」
「ち、ちがうわ……!」
「一体いつまで、かわいそうな黒姫様でいるつもりかな」
「やめて!!」
「君がエスタをこの国に売ったんだ。その事実から目を背けて、僕が、あるいはシュテルがエスタを殺しただなんて、言いがかりはよろしくないなあ?」
「……私が、エスタを追い詰めたとでも言うの」
「そうだよ」
「そんな!」
びくりと身体を強張らせた黒姫をかばうように前に出た姿を、アルフェリオはただ細めた目をさらに細めた。
「ねえオーランド兄様。僕の手紙を、一度くらい読んでくれていた?」
次の相手はそちらかと、アルフェリオは目標を定めて笑った。
「兄様はあの日のせいで言葉を失い、人との交流を絶ち、すっかり人が変わってしまったって聞いていた」
アルフェリオは反応が無いのを良いことに、畳み掛けるように続けた。
「僕自身、ちょうどあのタイミングで城を出てしまったからねえ。兄様の様子を見られなかったから、人づての情報を信じるしかなかった。けど、久しぶりに会って確信したよ。声をなくしたのも、気力を失ったのも、全部嘘だってね」
そうでしょう? と首を傾げてくすくす笑う。相手は至って落ち着いた様子で片眉をつり上げ、こちらの言葉を持っていた。
「兄様が口を閉ざしたのは、それが一番都合がよかったからだ。父上の負債を兄上が引き継ぎ、その払拭のための活動による逆賊の汚名は僕が負った。そして貴方だけが王位継承権を持っている。すごいねえ。あなたは何もせず、全く動かずして、間もなく玉座につこうとしている」
一つ息をついてから、アルフェリオははっきりと告げた。
「今の今まであなたが沈黙し続けたのは、父上さえも手にかけてしまうマーガス兄様の過激さに慎重になったから、そうだろう? 暗殺されては元も子もないもの」
ふ、と息を吐いた男は、戸惑いこちらを見上げる姿から手を離すと、懐から出した手帳に素早く書き付けた。破り取ったメモを従者に渡し、衛兵もろとも下がらせる。
はじめは指示に従う事を躊躇った様子の従者は、オーランドの視線にひるんだ様子を見せてから、慌てて人払いと共にその場を後にした。
もう一言書き付けて、そちらは黒姫の手に、手帳ごと握らせた。
「オーランド様……?」
「もう、隠す必要もない」
穏やかな表情でありながら、有無を言わせない気迫があった。
「少し弟と話しをしたくてね、離席を願えるかい。リンデに部屋まで送らせる」
「え、あ……はいっ」
ちらとオーランドを見上げた少女は、不安そうな表情を隠そうとして隠しきれていなかった。逃げるように目を伏せて、小走りに部屋を出た。
マーガスの衛兵達まで素直に外に出たことに、アルフェリオは怪訝に思いながらもじっと待った。
「さて」
改まった様子で向き直った男は、少しばかり廊下の様子を伺ってから口火を切った。
「お前の手紙のことだったか、リーステン。読んだのは一度きり、お前が最初に私の様子を伺う手紙をよこした時だけだ」
「そう。やっぱりね」
アルフェリオは肩を竦めると、「いつもあんなに一生懸命、兄様への愛を綴ったのに、届いていなかったのは残念だなあ」 とぼやいたが、柔らかく微笑まれただけだった。そんな様子を見て、やれやれと首を振った。
「応えるまでもなく、僕が兄様の障害にはならないってわかったからでしょう?」
「そうさ。立場で言うならば、兄さんもお前も障害ではない。私は王位を継ぎたいんだ。優秀な兄弟二人が継承権を放棄してくれて助かった」
けどと続けた言葉はの続きは、アルフェリオにも簡単に想像がついた。
「マーガス兄様はすべてをひっくり返して空を統治し、地盤を固めるつもりだもの。それは困るんでしょ」
代弁してやれば、ただ微笑まれる。扉の前からゆったりとした歩調でオーランドは離れると、後ろで手を組んでいた。
「お前が素直に投降したのは、お前の影とフロリウスのためだろう?」
先ほどの問いにもう答える気はないのだろう。不意に告げられた言葉に、アルフェリオはただ口を閉ざした。その沈黙を肯定と取ったオーランドは、唇の端でまた笑う。
「お前が逆賊として兄さんの邪魔をしてくれるなら、私がお前の前に立ちふさがる理由はない。地下牢に二人ともいる。助けに行きたければ行くがいい」
「随分と気前が良いね?」
「ただ、私も自分の足元は固めたくてね。お前を捉えるよう、あと五分ほどで衛兵たちが戻ってくる。大人しくつかまってくれるな?」
「まったく、計算高いというか抜け目がないというか、ずるいというか。マーガス兄様が気の毒というか。オーランド兄様はうま味だけをすくい上げるのが、本当に上手なんだから」
困ったものだと肩を竦めたアルフェリオは、まあでもと続けた。
「二人を探す手間が省けたから、兄様と話せてよかったよ。僕は進ませてもらうよ?」
「それは何より。健闘を祈ろう」
「ふふ、そりゃどうもー。またね?」
にこりと笑い返してやると、アルフェリオはこの部屋にもう一つある扉から、蹴破る勢いで飛び出した。
目指すのは、地下牢だ。ここからたどり着くには随分かかりそうだと思いながらも、行動しない選択肢はなかった。




