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6. 朧月

 

 セリオスが工房に戻ると、買い物にと共に出ていた筈のリシュリオが既に戻っていた。

「お帰り。悪い、勝手に道具借りてるよ」

「ただいま、リシュリオ。別に構わないよ」

 仕事早いねとセリオスが苦笑すると、待ちきれなくてと笑われる。

「それに市場で見かけた姿が気になってな。ちょっと今、ルーザに調べてもらいつつ、急ぎたかったんだ」

「何かあったの?」

 言い回しに引っ掛かりを感じて尋ねると、リシュリオは悩ましそうに片目をつむり、くるりと工具を回していた。

「何かあったっつーか、もしかしたら起こるかもしれないっつーか。可能性だから、今の時点では一応、ルーザに頼んで確認してるとこさ」

 何にも無きゃいいんだけどな、と。そうぼやいたリシュリオは、回していた工具を掴むと作業台を示した。

「はっきりしてから伝えるよ。それよりも、今はそっち」

「これ?」

 そこには小さな紙袋が置かれていた。中身を確認すると、独特な薬臭さとともに、何包みかの生薬が確認出来た。

「セリの最低限の常備薬。必ず携帯して、気分悪くなったらすぐに飲みな」

「あっ?! ありがとう! そうだ、お代……!」

「いらねえよ。必要物資の金に関しては俺が持つ。それ以外で好きに使う分は自前な。追加報酬は基本的に、必要経費差っ引いて人数等分。覚えときな」

「う、うん……解った。ありがとう」

 ボディバックのポケットにそれらを押し込むと、いよいよなのだなと実感にわくわくする。

「で、事後報告で悪いんだけど、取り急ぎ反重力装置は取り付けてしまったんだ。後でいくらでも時間取れるから、詳しく見てくれよ。で、エンジンもあと少しかな」

「え、ごめん!」

 作業がほとんど終わってしまう程に、ゆっくりしてしまっていたか。そんな焦りに、セリオスは慌てて駆け寄った。

「いや、謝ってもらう必要はないさ。さっきも言っただろ? 気になる事があるって。それによっては急ぎ出たいから、移動手段の確保をしたかったんだ」

「そ、そっか……」

 一緒にやりたかったのに残念だと、解りやすく残念がるセリオスに、リシュリオは苦く笑った。

「悪かったって。俺の飛空艇に乗ってからいくらでも付き合うから、今は勘弁してくれ。上のお嬢さんにはさっき着替えをよこしたから、そろそろ降りて来るんじゃないかな。まあ、心配ないさ」

 そこまで言われては、大人しく従わない訳にもいかない。自分よりも見分の広いリシュリオが急ぎと言うからには、未知の領域で何かが起きているのだろう。それでもセリオスが落ち着かない気持ちでいると、苦笑された。

「ルーザが戻ればすぐわかる。それまで、これを仕上げようぜ?」

「うん、解った」

 エンジンの取り扱いならば、セリオスにとっても馴染み深い。

 率先して作業に勤しんでいると、間もなく二階に続く階段に座ってつまらなそうにこちらを見下ろす姿があった。その姿が、何もない宙を見上げて深く溜め息をついていた事に、セリオスは気が付かなかった。



 どれほどそうして時間は過ぎていただろうか。 

「お待たせ。少し手間取った」

「お帰りルーザ。どうだった?」

 裏手の扉から聞こえた声に、リシュリオは真っ先に顔を上げた。

「リオの言った通りだった。町外れの市場にアルフェリオを見かけたよ」

「やっぱりそうか」

 ふうと息をついたルーザは、近くの壁に億劫そうに寄りかかった。面倒だなとぼやくリシュリオに、セリオスは首を傾げるばかりだ。

「その人が何だって言うの?」

「ああ。セリが知らないのも無理はないか。……まあ、お嬢は流石に知っているんじゃねえかな」

 リシュリオの問いかけに、手すりから身を乗り出した姿が食ってかかった。

「ちょっとリーダーさん? 変な呼び方しないでくれる? そんな人知らないわ」

 リシュリオたちと同じようなシャツにジャケット、動きやすそうなパンツ姿の少女は不服そうに食ってかかった。

 そこで漸く、少女がそこに居たのだとセリオスが認識したのは余談である。

 リシュリオは苦笑した。

「名乗りもしないんだから文句言うなって。ゼルベジャン――――もしくは空の自治隊って言えば、流石に聞いた事あるんじゃないか?」

「っ……!」

 その一言に、少女は息を呑んでいた。つい先程聞いたばかりの名前に、セリオスもまじまじと伺ってしまう。

「あんたを追ってたって破落戸(ごろつき)から、きっと話が伝わっちまったんだろうな。正直言うと、お嬢の状況だけはかなり厳しい。ここの街に居ないって、あいつらが完全に諦めるまでこの街で隠れ続けて粘るか、奴らが包囲体制整える前にさっさと出るか。この工房がまだ活動しているって割れるのも、時間の問題だと思ったんだ」

 あんただって俺らを危険に巻き込むのは不本意なんだろ? と。投げかけた言葉は視線を反らされただけで、否定も肯定もされない。


「あの、リシュリオ。話割ってごめんね」


 先程見かけた姿を思い浮かべながら、セリオスは眉を寄せて訪ねた。

「さっき同期の工房を訪れた時に、多分その人達? を、見かけたけども……そんなにマズい相手なの?」

「マズいっつーか、少なくとも俺らとも反りが合わないって言えばいい、かな。自治隊っつってもやってることは略奪行為が多いし。金と利益の為なら何でもする、手段を選ばないところがあるから尚更な」

 自治隊なんて名乗るのやめちまえばいいのにな。リシュリオは苦く続けて肩を竦める。

「奴らがここらにいるって事は、少なくともお嬢が単機で空を飛べば間違いなく見つかるし、間違いなく逃げ切れないだろうな。かなり相手が悪い」

「……そんなの、解ってるわよ。でも私は、絶対に捕まる訳にはいかないの」

「ま、今お嬢に捕まってもらうと俺らもただじゃ済まないしな。そこはしっかり協力するから心配いらないさ」

 そこでなんだけど、とリシュリオは続けた。

「まず確認だけど、セリは二翼飛行機(カイト)の操縦経験はあるか?」

「……反重力装置も操縦も、僕は知識だけだよ」

「いや、十分だ。ルーザ、お前の二輪車(レベラル)はまだ裏通りだよな」

「そうだね。誰かさんみたいに植木に突っ込まれてなければ」

「ははっ、それはもう勘弁してくれって」

 ルーザの茶化した言葉に苦笑したリシュリオは、改める様に柏手を打った。

「んじゃ、早速シュテルの出立と行きますか。ルーザはお嬢と。俺はセリと。各々、日暮れ後に北の一等星に集合だ。セリ、気合入れて行くぞ」

「うん……!」

 始まりの予感に、どきりと強く心臓が高鳴った気がした。




 * * *




 夜の帳が下りつつある、黄昏時。良く晴れた日の空は薄靄の向こうで赤紫に溶かされて、東の空から濃紺を増している。


 地上から見上げる夜空はどこか霞んでおり、決して見通しがいいとは言い難い。月明かりも、恐らく雲の向こうでは煌々と照らしている事だろう。生憎地上では、街灯ほど明るくはない。

 宵闇に追い立てられているかのように、裏通りから人気は段々薄れていく。もう数刻もしないうちに、街は夜の静けさに包まれることだろう。


 久方ぶりに大きく開けた工房の作業門は、なんとも億劫そうに軋みながら開口した。

 二翼飛行機(カイト)の翼の骨組みをたたんだまま乗せた荷車が出たのを確認して、小柄な姿は忙しなく戸締りをしていた。先を行く荷車は、大して重さも感じていないように、ゆったりと先を行く。

 追いついた姿に、荷車を引いていたリシュリオは笑った。

「忘れ物ないか?」

「大丈夫」

 どことなく緊張感のある声で、セリオスは頷いた。


 辺りは妙にしんとしている。元々工房が大通りから少し離れているせいだろう。表通りの微かな賑わいは遠い。通りの近くを流れる、用水路の水の音が聞こえるくらいだ。

 どこからともなく漂う良い香りに、街は既に一日の終わりと夕食時に向けているのだと実感する。誰というまでもなく、腹の虫が小さく訴えた。

「食事済ませてしまった方が良かったかな」

 ぽつと呟いたセリオスの言葉に、くくくと上機嫌に隣は喉を鳴らしていた。

「飯なんて、あとでいくらでも食わしてやるよ。今食べると酔った時悲惨だぞ。つってもきっと、初フライトにハイになって忘れそうだけどな」

「そんなもの?」

「そんなもん。まー、俺の場合は、昔のこと過ぎて覚えてないけどな」

「ええ? 適当だなあ」

「いいんだよ。どうせ毎回空を飛ぶ度にわくわくしてるんだ。何回目かなんて関係ない。気温も気候も、場所も時間も飛ぶ条件も。全てが同じ空ってのは二度とねえんだ。一回一回が新鮮で、気まぐれで、唯一無二。だから飛ぶのはやめられない」

 嬉しそうな声色に、薄暗い路地でもにこにことご機嫌な様子が目に浮かぶ。

「本当に好きなんだね」

「あったりまえだろ。じゃなかったら空賊なんてやってない」

「それもそっか」

 納得すると、からからと笑われる。


 他愛のない会話をしていると、セリオスは不意に背後が気になった。振り返るが、別段何かいつもと景色が変わる訳ではない。ただ夜を迎えた街が、ぽつりぽつりと橙赤色の明かりを灯しているばかりだ。

「気にすんなって」

「うん……」

 その隣で苦笑を漏らしながら小さく告げたリシュリオは、通りの先に目を向けた。

 その時だ。


「っうわ?!」


 暗闇から伸びた腕に、セリオスは攫われるように荷車から引き離された。

「セリ!?」

 リシュリオは慌てて振り返り、荷車の手すりを手放した。セリオスの元に駆けようとして、その間を壁のような大きな姿が割って入る。


 セリオスは自分を捕える姿から逃れようと暴れるも、びくともしなかった。

 細く見える腕とは裏腹に、力強い。男のものと言うよりも、その細さは女性の腕のような気がした。しかし少なくとも、セリオスよりも身長のあるものに抑えられている感覚があった。


 分断されたリシュリオは、自分との間に入った岩のような姿を見上げて、お前かと納得した様子で苦く笑った。


「よお」


 同時に、背後で荷車に軽やかに降り立った姿を振り返る。

「随分な挨拶じゃねえか? アルフェリオ」

「こんばんはァ、リシュリオさん?」

 くすくすと笑った姿は、昼間セリオスが工房で見かけた糸目の男に相違なかった。

「こんな時間にうろうろしてたら、悪い人に攫われちゃうよ?」

「奇遇だな、今俺の目の前に、その()()にぴったりの悪漢が居るな」

「あっはは! 大変! オレが蹴散らしてあげるから、君は隅で大人しくしてていいよ?」

「お前ら以外に誰がいるんだ、くそったれ。そこから降りろ。二翼飛行機(カイト)はてめえが足蹴にしていいもんじゃねえ」

「ああ、君、機械バカだったね……。でも悪漢だなんて、君に言われるのはなんだか心外だなあ」

 ふらりとその姿は荷車から降り立つと、リシュリオの横を抜けて捕らわれたセリオスの元に向かった。

「オレらはただ、尋ね人に該当する姿を見つけたから動いただけー。仕事だよー、仕事」

「尋ね人? それでウチの乗組員に手を出すだなんて、良い度胸してるな?」

「乗組員だなんて笑わせないでよ。この子はそもそも――――」

 顎を掴んで上を向かせたアルフェリオは、途端に怪訝に声を上げていた。

「……あれ? あの工房に居た……」

 思っていた人物でなくて、余程驚いたのだろう。僅かに開いた夜のような漆黒の瞳に射抜かれて、セリオスは息を呑んでいた。

「もしかして、君も関係者なのかなあ」

 ただ、続けられた二言目に身が竦む。彼女を匿っている事に対する不安もあるが、それ以上に、直接自分に関わりのあるような言い方に、嫌な気配がそこにはあった。


「っ……離せよ!」


 後ろ手に拘束されて大して動く事が出来ないものの、顎を掴む手が一層不快でセリオスは精一杯顔を背けた。

「まあ、今はいいかぁ。今日は収穫あったし、あっちが陥落してからでも遅くない、かなあ。ユーイ、離してやって」

 考え込んだ様子でアルフェリオは唇を尖らせる。それもすぐに、目を細めて何を考えているのか解らない笑みをつくった。

 ユーイと呼ばれた女性は、目礼で答えるとセリオスを掴む力を緩めた。


 離されるよりも先にセリオスは腕を振り払い、急いでリシュリオの背へと駆け隠れる。心臓が思い出したようにどきどきして、思わず生唾を飲み込んだ。

 喉が張りついていたのか、飲み込むだけでもむせそうになる。今になって自分がとんでもなく緊張していたのだと思い知った。


 セリオスを離したユーイも、立ち塞がっていた大男も、すでに自らの役割は果たしたと言わんばかりにアルフェリオの後ろに控えていた。

「人違いしてごめんねえ、坊。今度お詫びしたいんだけど、名前教えてー?」

 セリオスを覗き込もうとした姿を、リシュリオが良しとする筈もない。

「は、てめえに教える名前なんてないし、今度もねえよ」

 リシュリオもまた、セリオスの強張りに気が付いたのだろう。もうその視界に入れなくて済むように立ちはだかり、唸るように告げた。

 そんなリシュリオに、アルフェリオはただ苦笑する。

「狭量のリーダーさんなんて、すぐに嫌われちゃうよー、リシュリオさん?」

「軽薄な野郎が中繋ぎだなんて、てめえのボスはさぞかし苦労しているだろうな?」

「ぷ……ははははは! そーかもね?!」

 堪らず腹を抱えて嗤った姿は、わざとらしく目元の涙を拭った。でもボスは空のように心が広いからと(うそぶ)く。

「ねえ、リシュリオさん? シュテルもウチの組織に下らない? これから空の界隈はとっても荒れるよ。どこについておけば安泰かなんて明白。君たちの名でどれほどの関係者が動くと思う? 彼らの為にも、大きい後ろ盾は必要じゃない?」

「お生憎様。どんなに頼まれても、てめえの元だけはありえねえな。必要であれば、俺らが動く」

「お堅いなァ……君と言う人は……」

 やれやれとわざとらしく溜め息を溢した姿は、リシュリオがそう言うのは解りきっていたのだろう。残念だなあと口にするも、その表情から笑みが消えることはない。


「ねぇ、リシュリオさん。君はどこまで知ってるのかなぁ」


 ゆらりと足を踏みかえて、考えるようにアルフェリオは自らの頬に手を添えた。

「何の話だ」

「そんなの、解りきってるでしょうー? 耳の早い君ならとっくに、彼の帝国の噂くらい聞いてるんじゃない?」

「はっ。それがどうしたって言うんだ」

 特に否定する事でもなく、リシュリオは鼻で笑った。

「知ってるみたいで話が早いよ。白姫が盗んだ黒姫の記憶はさぁ、帝国に渡れば脅威になるには違いないよ。けどさ、それに匹敵するかもしれない技術者に、今注目が集まってるんだよね?」

「…………どういうことだ」

「機械バカの君は大ファンだろう? アズネロ・フロリウスの、さ」

 反応したのはリシュリオだけではない。険しい表情を向けた背中で、セリオスまでも息を詰めた。

「流石に行方知らずの当人はどうしようもないけど、技術を引き継ぐ弟子を一人手に入れて(・・・・・)ね。絶賛勧誘中さ」

 おどけた様子で肩を竦めたアルフェリオに、リシュリオは言い捨てた。

「勧誘? それこそ誘拐の間違いじゃねえか」

「酷いなあ。納得するまで話し合って貰う事が、どうして誘拐になるのかなァ」

「話し合い、な。よく言う」

 にへらと言われ、リシュリオはより一層表情を苦くする。

「その話し合いはナシェアがやっているんだろ?」

「すごい、よく解ったねぇ! 彼女はお喋りが得意だから、きっと説得してくれると思うんだ」

「当人の意思をねじ曲げて、本人の意思と思い込ませて頷かせているだけが説得だなんてよく言う」

「ええー? そうかな?」

 説得は説得でしょう? そう細い目を一層細めて笑う様は、悪いと思っている事が一つもないのだろう。

「今度会う時は、その彼も紹介してあげられると思うんだあ。楽しみにしていてね」

 くすくすと心から楽しいと言わんばかりに嗤われて、リシュリオは苛立ちを誤魔化そうとしてはっと息を吐いた。同時に、その背中でシャツの裾を掴まれた事に気が付く。ちらと背後に気を配り、後ろの微かな震えにリシュリオは目が座った。

 話題を変えるように、リシュリオはわざとらしく肩を竦めた。

「んで? 自慢話は終わりか? なら、俺らはお暇させてもらおうか。生憎、こちらは新規二翼飛行機(カイト)の試験飛行に忙しいんだ」

「そーだね、引き留めてごめんねえ?」

「はっ、二度と顔見せるな」

「やだよ、()()()?」

 ばいばい、と、告げた姿をセリオスがリシュリオの背から伺うと、はっきりと目が合った。息を呑んで引っ込んだ姿を笑う声が聞こえたかと思うと、彼らは暗い路地へと去っていった。

 

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