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63. 迎撃

 

 人気がはけた操舵室で、通知音とエンジンの音が妙に響く。


「……リシュリオさんたちは、怖くないの?」


 ポツリとこぼしたエスタに、リシュリオは首を傾げた。

「怖くないわけじゃないさ。けどな、引けないんだよ」

「それはそうなんだけど……。だって、ここで戦ったら死ぬかもしれないし……逃げることだって出来るでしょ。リシュリオさんたちの操縦技術なら、性能面で相手が勝ってたとしても、天候や気流を使って逃げれると思うの」

「そうだな、自信あるよ。でもさ、向こうは空そのものを殺しにかかってきているわけだろ。そういう奴らに臆して逃げ出しちまったら、二度とこの自由な空を飛べないかもしれない。その恐怖に比べたら、逃げてばかりもいられねぇよ」

 正面を見据えたままきっぱりと言い切ったリシュリオの横顔を、エスタはしばし呆然と見た。やがてこみ上げたおかしさが堪えられなくて、くすりと笑ってしまっていた。

「……空バカね」

「はは、エスタにも理解できないか」

「ううん」

 首を振ったエスタを、リシュリオは意外そうにちらりと目を向けた。ふふと笑みをこぼしたエスタは、勝ち気そうな表情で上機嫌に言い切った。

「私も、空バカみたいだわ。二度と空を飛べないのはイヤだもの。それに今逃げたら、アジェイにも二度と会えない。それなら絶対に、今は逃げる時じゃないわ」

「ああ、そうだな。……じゃあ、いくぞ。二人を届けたら、可能な限り離脱する。無理なら攪乱だ」

「ええ。解っているわ」

 ただまっすぐに、正面を見据えた。


 * * *


 急速に高度を上げた飛空艇は、雪風に紛れた。例え天気が穏やかだったとしても、天上に輝く太陽を背に、目視を拒んでいただろう。

 本来水平に飛ぶことを前提としている飛空艇は、垂直方向の移動に向いていない。だがそれも通常であればの話であり、飛空艇を小回りの利く二翼飛行機(カイト)のように日頃から扱うリシュリオにとっては、変わらないものだった。



 互いの無事を祈った時間は、まるでずいぶん前のことのようだ。

 ほとんど自由落下のような角度で、飛空艇は天井からその目標へと落ちてゆく。相手からしたら、エンジンの唸りは聞こえてくるのに、どこから聞こえているのか分からないことだろう。実際、ルーザの目に見えていた見張り兵も、頭上をみあげることはしなかった。


 すれ違うよりも少し先に宙を飛ぶ。一緒に行くと聞かない女は、仕方なしに飛ぶタイミングだけ腕を引いた。

「なっ……!」

「さて、と。久々にやるかな」

 普段より動きやすくかつ目立たない黒衣に身を包み、黒い防刃手袋に包んだ手をついた。音もなく軽やかに天板へと着地したルーザは、驚きながらも無線を手にした見張りと即座に距離を詰めた。

 止まれだのなんだの騒いでいた気がするが、知ったことではない。躊躇いなくその顎を蹴り上げ、その勢いのまま足を強く横に薙ぐ事で、相手の首の骨を無理やりへし折った。

 ドサッという、平時で聞く機会の少ない音を聞きつけたのだろう。飛空艇内へと続く通路で、「なんだ?」 という声が聞こえてきた。後続を待つこと無く、ルーザは通路を駆け抜ける。

 こちらを覗き込む影が見えたので、視線を避けて、相手が通路に踏み込むより先に欄干に飛び乗った。


「おい、何があった?」


 様子を見に来た敵兵の男は、その先にあるはずの見張りに立つ仲間の姿が無いことを不審に思ったのだろう。どうしたんだ、と室内で取り回すには少しばかり不便になりそうな銃剣を手に抱え、慌てた様子で通路の外へと来てくれた。ルーザは即座に側頭部に回し蹴りを叩き込んで、騒がれる前に欄干の外へと蹴り落とした。

 男にとって幸いといえばいいのだろうか。意識を落とした男は、雪風の向こうへ音もなく落ちていった。反動で取り残された銃剣が、からからと通路をすべって持ち主のあとを追ったのをただ眺めた。


 飛空艇内では、シュテルの飛空艇が捕捉されたらしい。にわかに騒がしくなり、戦闘態勢の号令やら主砲の準備やら、駆け回る兵士たちの音にルーザは唇を引き結んだ。

「始まりましたね」

 遅れて駆けつけたユーイの手には、飛空艇内の指示を吐き出す無線機が握られていた。恐らく最初に殺した男から奪ったのだろう。

「手はず通り、私は退避の足の確保と飛空艇を狙う砲撃手の撃破を開始します」

「変に反撃されても面倒だから、全員トドメはきちんとさしておいてよ」

「心配無用です。同郷の者とて容赦はしません」

「あ、そう」

 おざなりに返事をしながら、さてここから操舵室を目指すなら屋内と屋外に行くのはどちらがいいだろうかと、わずかに悩む。

「この飛空艇に乗り合わせの兵士のレベルって、どの程度なのかな。トップ潰したら大人しくなる?」

「いえ、これでも精鋭でしょうから、生かしても無意味かと」

「手応えなかったから雑魚かと思ってた。こんな狭いところで銃剣使うのもナンセンスだし。なら、まあ。皆殺しも仕方ないね」

 あっさりと結論を出すと、話し声を聞きつけてルーザは通路の先にある角に身を寄せた。戻ってこない男を不審に思ったのだろう。別の二人組が、この忙しい時に何をしているんだとぼやきながらやってきた。

 そろそろ侵入者に気がついてもおかしくないか。面倒だと思いつつも、曲がってきた瞬間を狙ってその足元に転がり込んだ。足元で動く黒い影に相手が驚き足を止めた一瞬の隙を突き、手をついて体勢を整えながら一人目の顎を鋭く蹴り抜いた。

 目の前の姿に反射的に動いたもう一人は、がら空きのルーザの脇腹に膝蹴りを叩き込もうとした。だが途端に、タンっと空気が抜けたような音の後に、後ろにのけぞっていた。

 ルーザがあれと体勢を整え男を伺うと、額にあいた風穴からだくだくと血を流して絶命していた。振り返り、きちりと銃剣を構えていたユーイと目が合う。


「おい、今の音はなんだ?!」

「備えろ、シュテル側の襲撃かもしれん!」


 先の男たちがやってきた方から、にわかにバタバタと騒がしい足音が複数、こちらに向かってくる。

「ばれたみたいなんだけど」

「時間の問題かと思ったので、派手にやろうかなと思いまして」

「……はは、それもそうか」

 ルーザは腰のベルトに隠していたコンバットナイフを抜き逆手に持つと、足音の方へと向き直る。影が接敵を教えてくれたので、通路の天井を這う配管を掴んで、ぐんと身体を振子のように振った。

 駆けつけた男達の頭上を跳び、ルーザに気がついた最後尾の男の首に腕を回して即座に掻き切った。掴んでこようとする腕を適当に振り払い、相手の仲間の背中へと蹴り飛ばす。ごほと空気に溺れる声の向こう側で、タンタンタンと軽い音が響き、先陣の二人が足元から崩れていた。


 確かに腕は立つようだと、ルーザは人知れず感心する。これなら任せてしまって問題ないかと判断すると、残りの兵士をそのままに、操舵室に向けて駆け出した。

 ユーイも目的を心得ているのだろう。無線機の音に耳を傾けながら、見送ること無く、自らもまた残りの二人を淡々と始末すると、行動を開始していた。



 一体どれだけの兵を、ただの空賊のために連れてきたのか。

 道すがら補給や連絡に右往左往している兵は、全員首を切っていった。リシュリオの操縦を追っているのだろう。時折大きく飛空艇は揺れていた。


 時には飛空艇内のパイプに相手の頭をねじ込み、時には掴んだ頭で窓をぶち破って外に突き出した。

 飛空艇内の異常を知らせるアラームが鳴り響く。ここまで騒ぎを起こせばもう、隠密行動の意味もない。相手も遠距離から一丸となってやってきた。


 蝶番を壊して引っ剥がした扉を盾に、切りつけられた銃剣を避け、壁を蹴り、天井を掴んで、向けられる銃口を反らした。流れるように少ない動作で、次から次へとやってくる相手の急所をえぐっていった。


 不規則な動きに翻弄されてくれたおかげか。ルーザは一つも怪我を負う事はなかったが、あまりにも相手の数が多いので、ついには脂にナイフが滑った。ついでに相手の隊服で拭ってみたものの、限度があった。

 ルーザは仕方なしにそれを投擲して、今まさにこちらを撃とうとした銃口にぶつけてやると、ガキンッと鈍い音と共に暴発していた。



 駆け抜けた室内通路には、死屍累々と血臭にむせ返る。

 ふと息をつきたくて、両端が見渡せる通路の壁に寄りかかる。血に濡れ重くなった手袋を捨てて、ポケットから新しいものを取り出した。


 かなりの数を捌いたと思うのに、あいも変わらず飛空艇を砲撃する音は止まない。それほど相手が自分たちを脅威とみなしているのかと、勘ぐらずにはいられなかった。

「……は、面倒だね」

 思わずこぼれた言葉に、自分で苦笑する。面倒だと言葉は出るくせに、どこか楽しいと思ってる自身がどうしようもなかった。

 不意に慣れ親しんだ旋回よりも、よほど優しい旋回に飛空艇が傾く。「おっと」 とわずかに体重を移してバランスを取った。


「いたぞ! 構え!」


 のんびりしていたせいだろう。不意にかかったそんな声に、次から次へと虫みたいにわいて来るなと思わずにはいられなかった。


 それほど広いわけでもない通路に、三人が膝をつき、もう二人がその上で構える。

 なるほど。距離を取って人数で逃げ場なく構えれば、一つくらいは当たるだろうということか。少しばかり戦略を変えた動きに、もしかしてどこからか見ているのだろうかと当たりをつける。

「逃げ場はないぞ!」 という言葉と共に向けられた銃口の数々があっても、ルーザは怯まなかった。

 足元にある遺体を蹴り上げ拾う。即座に重量のあるそれを躊躇いなくそちらに投げつけ、自身は一歩後ろへと転がった。

 遺体一つでは流石に心許なかったので、もう一つ、拾い上げたそれを盾にする。肉に受けた衝撃が手に伝わるので、判断は間違っていなかった。

「バケモンだ……」

 誰かがこぼした言葉に唇の端で薄ら笑ってしまった。容赦ない仕打ちに人の心がないのかとボヤかれたところで、戦地で説教とは片腹痛かった。

「仲間を蜂の巣にしているのは、君たち自身だろうに。人のせいにするのはやめてほしいな?」

 煽るように告げ、落ちていた銃剣を、槍投げの要領で投げつける。本来の用途とは異なる使い方なので、本当であれば飛ぶはずがない。それを隊列を指揮している者に向けて勢い良く投げてやれば、少しの動揺が得られた。

「っ……怯むな、構え!」

 残念ながら、投げつけた銃剣は届くよりも先に、振り回された相手の銃剣にはたき落とされていた。それでもそのわずかな時間を利用して、もう一つ転がっていた銃剣を手にしたルーザは、素早く構えた。一人の顔面に狙いをつけて、躊躇いなく引き金を引き絞る。

 タンッといとも簡単な音がする。その数倍の数、同じ音が返ってくるので、ほとんど同時にその場を跳んで、ルーザは更に後ろに逃れた。

「アギャッ……!」

「ちっ……」

 だが、微かに腕をかすったのか、鋭い熱を瞬間感じた。大した怪我ではない。それでも、傷を受けたことに眉をひそめた。否、むしろ今まで怪我をしなかっただけ上等かと開き直る。

 生憎ルーザの撃った分は狙いが反れて、一人の耳を弾いただけだった。

「……流石に無理か」

 この手の類は扱いが苦手だと諦める。もう一度相手に向けて、手にしたそれを投擲し、更に元来た通路へと駆け込んだ。


 角を曲がると、相手も押せと駆けてくる音がする。仕方がないかとぼやくと、コンバットナイフを左手へと持ち換える。ベルトポーチを漁って、中身のダガーナイフを三本取った。

 

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