58. 懐旧
本日から完結まで毎日更新します。
最後までお付き合い頂けますと幸いです。
こうこうと風の音は吹き荒ぶ。音とは裏腹に、飛空艇は微かに揺れる程度だった。
並大抵の技術では、吹雪ている山路を行くことすら困難だろう。それを踏まえると、飛空艇の持ち主の技量は流石だと言わざるをえなかった。特に今は一人、相方がいない状況だ。同じく飛空艇の操舵技術に長けた白姫がそばにいるとはいえ、その技量は称賛に値すると、決して本人たちに言うことはない感想を抱いていた。
そういえばレイシェルも操舵技術に長けていた。白姫に技術を叩き込んだのは彼女なのだろうとふと思う。翼の操舵といえば、知識だけは豊富なアズネロに、一人で乗れるまで仕込むのは存外苦労したもんだと、流れのように苦笑した。
仲間の存在が助けになっているシュテルを見たせいだろうか。急にどうしてか、懐かしさを思う。
「ねぇワーレット」
「うん? ……あ」
不意にかかった声に何気なく返事をしてから、ハッとした様子でアルフェリオは顔を上げた。懐古に意識が引っ張られていたせいもあるだろうか。
完全に油断していた、と。アルフェリオは自分に驚いた。同じ空間の中で睨みを利かせているルーザがいるにも関わらず、直前まで第三者が増えた事に気が付かないほど、どうやら自分はシュテルに気を許してしまっているようだと笑わずにはいられなかった。
振り返ると、どこか得意げに笑うセリオスがわざとらしく肩を竦めた。
「やっぱりね。確認しておきたかったんだよね」
セリオスは広場を横切って、書類を広げる姿のそばに寄ると、一人掛けのソファの背によりかかった。ユーイもルーザも素知らぬ顔で控えているのを良いことに、セリオスはにこりと笑った。
「あんたによろしくって言伝だよ。僕は十分幸せだってさ」
「……ホント君ってやつは、優しい世界で育ったんだねぇ」
今のは完全に油断してたなあと、アルフェリオは苦笑してぼやいた。
「親方のスパルタが優しいのかどうかは、正直わからないけどね」
セリオスが少しばかり眉をひそめていると、アルフェリオはさも可笑しそうにくすくすと笑った。
「確かに、アズネロはさぞ厳しかっただろうねぇ」
あれに似なくてよかったよと喉の奥で笑っていると、セリオスはしばらくこちらを眺めていた。そんな視線に間もなく気がついて、「どうかしたー?」 と、何も気にしてないかのようにゆったりと尋ねたが、難しい表情で首を傾げられるばかりで、すぐに返答はなかった。
ややあってから、セリオスは口火を切った。
「ねえ、なんでそんなに沢山の名前を使い分けてるの?」
「なんでって」
ふとそんな疑問を投げかけられて、アルフェリオは言葉を探していることを隠そうとして、目を細めた。
「そうすると都合がいいから、かなー」
「都合がいい?」
「そーそ。役割にね、名前をつけるのと一緒。今何していたっけ、ってね。あとは使い分けていると、段々人の認識が曖昧になってくるからね。便利なんだよねぇ」
「ふうん?」
別人として振る舞っているほうが便利なことが多いからね。そんな風に言われても、セリオスは首を傾げるしかできなかったらしい。よくわからない、と言いたそうな表情から、考えている事を容易に察してしまう。きっと、『ボス』と『アルフェリオ』と『ワーレット』を使い分けてるところを見て、それ以上何も言えなかったのだろう。
この話題を掘り下げても仕方がないと感じたのだろう。じゃあさ、と切り出したセリオスは、どこかわくわくした目をしていた。
「ぼくはどんなだった?」
ああ、と。思わず笑ってしまう。
「あっはは。そうだねぇ。ナイはどちらかというと、周りはバカばっかって、見下してる節があったかなぁ?」
可愛げのないくそガキだったと笑われて、セリオスは「そんなこと言われても」 とぼやきながら肩を竦めた。
そうだなあ、と。自身の知る姿とは似ても似つかない目の前の姿に、アルフェリオはふっと笑った。
「それでも、大人の庇護が必要なのは理解していたんだろうね」
「ふうん? 子供らしく甘えてたってこと?」
「都合の良い時だけ、ね。だから可愛げがないんだって」
「あはは」
わかる気がすると表情が語っていた。
もしかしたら、セリオスの中にはまだ『彼』がいるのかもしれない。うっすらと覚えている残影が不服そうにしているのが、アルフェリオの目にも浮かぶ気がした。
同時に、伝言を残すくらいには心配されているのか。そんな風に思うと、無性におかしかった。
沈黙も束の間、ここぞとばかりにセリオスは尋ねた。
「じゃあさ、なんでエスタ達は『姫』なの? 王族ではないんでしょ?」
「また随分急な質問だねえ」
「そうかな? だってさ、ずっと気になってたんだ」
少し考えた風に言葉を切って、セリオスは真っ直ぐにこちらを見据えていた。
「自分のことを被験体〇〇って呼ばれてたって、あの子が言っていた。片やエスタは姫でしょう? 失敗したから扱いを良くしようってだけなのかもって思ったけど、本当の王様がいるのも、あんたとエスタの名前が違うのも、なんだか不思議だなって」
「ああ……そうだねぇ」
流石というべきなのか。そんな風にひとりごちる。観察力は生まれつきなのか、それともアズネロと過ごしたおかげか。何とない居心地の悪さを隠そうとして、アルフェリオはいつもの笑みを浮かべながら「うーん」 と唸った。
「一応、血縁になるから、かなぁ」
「一応?」
視界の端でユーイが表情を変えないまま心配そうに伺っている事に気がついて、問題ないと僅かに目配せした。ふふと無意識に笑ってしまう。
「帝国に、メルエッタって家名は存在していないんだよねぇ。彼女たちは君と違って、とある人の遺伝子から複製された存在なんだ」
「遺伝子から、複製?」
「そう。君は乳離れするころに囲われて育てられているけど、彼女たちは最初から『そういう目的でつくられた』って話さ」
なにそれ、と。ぼやかれたのは意味を理解できなかったのだろう。それも無理もないとして、アルフェリオはつづけた。
「フリーディア・ネブロディアエル・メルエッタ。皇帝の亡くなった妃だよ」
「それって」
無意識に、顔の下半分を手にしていた書類で隠していた。細めた視界の中でじっと相手を伺っていたが、言葉を失ったセリオスに「皇后が亡くなったのは二十年も前の話さ」 と、つまらなそうに添えてただ肩を竦めた。
「二十年?! ……僕、生まれてすらいない……」
「そりゃね。まーそう考えると、その頃から『あの人』はおかしかったんだろうねぇ」
あの人って、とわずかに首を傾げてから、すぐに誰のことを言っているのか思い至ったのだろう。そんなひどい話があるのかと、人ごとのように憤慨した様子のセリオスがおかしかった。
だからだろうか。上手く言葉にできない安心感に、アルフェリオは気がつくとソファに身体を預けていた。
「ああほんとに、やっとここまできたんだねぇ」
膝に添えられたユーイの手のひらが、無性に温かく感じる。感慨深さに思わず目を閉じたら、そのまま沈み込むように、ふっと意識をなくした。
* * *
「アルフェリオ?」
ソファにふんぞり返ったかと思うと反応がなくなった姿に、セリオスは怪訝に思いながら声をかけた。その膝に手を添えていたユーイは、そっと音を立てずに立ち上がると、手荷物から羽織を出していた。
「どうやら眠られたようです」
「え、今?! ここで?!」
セリオスは驚いてユーイと、それからついいままで喋っていた姿を見やって、ぴくりとも動かない姿に戸惑いを隠せなかった。
それには同じ空間にいて、ずっと沈黙を貫いていたルーザも口を挟まずには居られなかったらしい。
「随分とまあ不用心な王子様なことだね」
「普段はありえないのですが」
決していつもではないのだと、ユーイは表情からも強く否定していた。
「恐らく、シュテルの皆様への信頼とセリオス様の様子に安心なされたのでしょうね。普段から眠る時間をほとんど取らずに動き続けてますので、疲れも出たのでしょう」
そんな風に言われては、急な予定に大慌てで一晩中取り組んでいた、どこぞのリーダーと姿が重なる。セリオスが何気なく振り返ると、どうやらルーザも同じことを感じたらしい。ひょいと肩を竦めていた。
言われてその表情をセリオスがまじまじと伺うと、確かにその目元のくまを隠している化粧に気が付いた。取り繕う笑顔の仮面をうっかり落としてしまった姿に、そういえばこうして相手の顔をよく見るのは初めてかもしれないと気が付かされる。
「帝国と戦う事って、ここまでしてまでの事なの?」
ふとセリオスがこぼすと、そうですねと静かな返答が返ってくる。
「関係ないと言われればそれまでの話ではありますが、あなたにも関係のあるお話です。セリオスさん」
「ぼく?」
ぱちぱちと目をしたたたいてから、もしかしてと視線を流して首を傾げた。
「帝国にいたから?」
「そうですね」
「ごめんだけど、僕にはそのころの記憶がないんだ」
わざとらしくひょいと肩を竦めて見せたら、真面目腐った顔がじっとこちらを見据えていた。
「では少し、思い出話として私の話を聞いていただけますか」
「それってアルフェリオのため?」
「そうですね。そして、アズネロさんのためにも」
「親方の?」
殺し文句のような言葉だと、セリオスは唇をへの字に曲げた。そんなことを言われては聞かないわけにはいかない。ふてくされたセリオスの様子に、ユーイは視線を落として少しばかり申し訳なさそうにしていた。
「元より、幼いあなたを国の頭脳として利用することに反対していたアルフェリオ様は、自ら技術開発研究所の責任者に名乗り出ておりました」
「反対だったの?」
意外だとこぼせば、当然の反応だと静かに返される。
「あれでいて、情には厚い方なのですよ」
真面目腐った表情でお付きの者に言われても、のらりくらりへらへらと笑っている姿しか思い出せなかったセリオスは、「そうなんだ……?」 と、あいまいに頷く事しかできなかった。




