56. 集結
強張っていた表情は、緊張を誤魔化すように深く息を吐いた。
「お初にお目にかかります。リーステン様」
何と切り出したものか迷った末のエスタの言葉に、言われた当人は珍しく嫌そうな顔をした。
「その呼び方やりにくいからやめよー? ただのアルフェリオだって。君もいちいち白姫様なんて呼ばれたくないだろー?」
「それは、そうね……。貴方とこうして話ができる日が来ると思っていなかったわ、アルフェリオさん。その、レイから聞かされていた話と何もかもが異なっていたから、貴方がこうして帝国のためにずっと動いていると知らなかったの」
「ああ、やっぱ君に色々吹き込んだのは、レイシェルで間違いないんだねぇ」
「吹き込んだなんてそんな! 彼女はずっと、貴方のことを気にかけている様子だったわ」
思わず訴えるように反論していたが、「そう」 と至って冷めた反応しかなかった。微塵も興味がないのだと言わんばかりのアルフェリオに、エスタも気圧されてしまったようだった。
空気を変えるように、ひょいと肩を竦められた。
「それで、君は賛同してくれるの?」
「……私が帝国から逃げられるようにって、最初に手を貸してくれたのは他でもないレイよ。そのレイが、『リーステンは実は不器用な奴だから、多少のことは多目に見てやって。目的に向けて必死なのは確かだから』って言ってたのよ」
「え?」
思いがけない事を言われたと言わんばかりに目を開いたアルフェリオを、エスタは真っ直ぐに見据えた。
「だから私は、今までの貴方の所業については目を瞑るわ。私が信じた仲間たちが貴方を信じているのだから、私も貴方を信じる。図面は、貴方に託すわ」
「…………そう」
はっきりとしたエスタの応えに、アルフェリオは初めて自分から視線を反らせた。「そうなのか」 と、再度ぽつりと呟いた言葉は、誰に聞かせるものでもない、ただの独り言だろう。
エスタが自分の気持ちを言い切れた事に安堵している横で、セリオスは部屋に踏み込むと真っ直ぐにテーブルへと向かった。
「セリ?」
何となく違和感を覚えたリシュリオが声をかけるが、それを無視して、アルフェリオの元へと歩み寄る。
どこか考え込んでいた様子のアルフェリオも、少し遅れてセリオスに気が付き首を傾げた。
「どうかしたセリオーーーー」
刹那、セリオスはその頬に向けて拳を振り上げた。パシッと軽い音を立てたのは、反射的にアルフェリオが受け止めたせいもある。
「あ、残念」
パッと手を開いてそれ以上何もする気がないと主張したセリオスは、至っていつもの調子で笑った。
「これは、アズネロをこき使った分。なんてね?」
「っ……」
誰からのものなのかなんて、説明するまでもなくてアルフェリオは一瞬呆然としていた。直後に、くつくつと肩を震わせた。ついでに、隣を胡乱に見た。
「ちょっと、ユーイ。いま君、微塵も守る素振り見せなかったね」
「申し訳ありません。大した脅威と感じなかったため、不要と感じたので見逃してました」
しれっと正面を見据えたまま優雅にお茶を楽しんでいたユーイは、すかさず背筋を正した。そんな姿にセリオスもやりたいようにさせてくれた事に関してお礼を述べる。
「ユーイさんありがと。僕はね、アルフェリオ。あんたに対して怒ってたよ」
直後、ぱんっと今度は平手打ちの音が響いた。流石のアルフェリオも、二度目は油断していたのだろう。驚いた様子でセリオスを見上げた。
「これは、僕からノルトの分」
にこりと笑ったかと思うと、「あーあ、人を殴ったってバレたら親方に殺されそー」 と、踵を返して距離を取っていた。
「あんたが色んなものを抱えて、色んなものを大切にしようと動いてくれて、僕はありがたいとは思うよ。でもさ、『舐めんなよ』って感じだよね」
「そうは言っても」
「あんたが一人でやりきれることなら、もっと早くそうしてよ。そしたら親方を巻き込まなくてよかっただろ。出来ないんだったら、もっと早くにちゃんと人を頼っていれば、こんなふうにならなかったってことだろ」
工程ってものは、複雑なものほど一人で出来ないものだと思うけど? そんな風に挑戦的に言われて、はじめは呆然としていたアルフェリオも、ぷっと噴き出していた。
「あっはは! そうだね。君の言う通りだよ、セリオス」
まさか君にそんな風に言われる日が来るとはねぇ、と。しみじみと告げられた様子からは、平手打ちを気にした様子も無かった。
セリオスはなるべく静かに尋ねた。
「ノルトは今どこで何してんだよ」
「ああ……彼はね、さっきも言った通りナシェア君が連れて行ってしまったからね。今ごろ帝国の技術者たちと、主体的にせっせと黒姫の研究図面の残りを紐解いている頃だと思うよ」
「そう」
それもまた仕方ないか、と。セリオスの言葉を聞いてアルフェリオもただ肩を竦めた。
「なら僕からももう異論はないよ。元々あんたに協力するのは反対してないし。言いたいこと言わせてもらいたかっただけ」
「それならよかった」
どこかホッとした様子を見せたのは恐らく気のせいではない。アルフェリオは気を取り直すように手を叩くと、いつもの軽薄そうな笑みを浮かべた。
「じゃあさぁ、別件ちょっと頼まれてほしいんだよね~」
「……お前まだその言い方するのか?」
あきれて突っ込んだリシュリオに、言われた当人は肩を竦めた。
「ごめんねー? ずっとそうしてたからさ、これに慣れてしまって。今さらだよ」
「あっそ」
「そんなことより、悪天候の飛行ってリシュリオさんたちは得意でしょ? ちょっと帝国を迂回する山路で、レンディアナって街の方に行ってほしいんだよね。山さえ抜けてくれれば四翼飛行機で勝手に飛んでいくからさ」
言われたリシュリオは怪訝に眉をひそめた。
「レンディアナ? ユーテスクから一番近い街じゃないか。帝国の監視の目も厳しいんじゃないか?」
「そうだね。でもアズネロが今そこで潜伏しているんだ」
「親方が?」
「そう。面倒なのは分かるんだけど、帝国に見つかる前にアズネロを拾わないといけないからね。ユーテスクにアズネロが出入りしてる時に、壊したはずの扉が直されてたらしいからさ。もしかしたらとっくに実験してた事がバレてたのかもしれないけど」
「あ……」
そういえば直した覚えがあるな、と。セリオスは思わず声を上げていた。自然と集まった視線に、「そこに私たちがファーロを迎えに行ったことがあるわ」 と、エスタが代弁した。
「ああ、それでか。帝国技術者のレベルくらいなら直せないだろうと思ってたから、アズネロが珍しく焦っていて驚いたよ」
だから調整を間違えてうっかり島ごと破壊してしまったんだってさ。あっけらかんと言われて、セリオスとエスタは気まずそうに見合わせた。
ああ、あの時かとぼやいたリシュリオは、組んだ足を解くと深く息を吐いて頭をかいた。
「わーったよ。行ってやるよ。いいけど、ここらの地形くらい提供してくれるんだよな?」
流石に何もなしに山路を飛ぶのはきついぞ、と。不服を申し立てたら、それは大丈夫だよーと軽い返答と共に持ち込んだ鞄を見やった。
「あれ、開けてもいい?」
「ああ」
リシュリオの返答を聞いてアルフェリオが立とうとした瞬間、既にユーイがそれを取りに向かっていた。
「ユーイ、ここでまで世話焼かなくていいから、肩の力抜いてよ」
「いいえ、ただの通常業務です。シュテルの前では既に隠す必要がないのですから、よろしいでしょう?」
有無を言わせないと言わんばかりにきっぱりと言い張った姿に、真面目が過ぎるとアルフェリオだけが苦笑した。
「この地図は君たちが持ってていいよ」
鞄の中からすぐに目的のものを見つけたアルフェリオは、躊躇う事なく紙の束を差し出した。
「ゼルべジャンの活動範囲の地図。複写だけどねえ」
本物はアルが持ってってるから、複写でごめんね。そんな言葉を聞き流しながら、リシュリオはそれを開いた。
今までのアルフェリオであれば想像つかなかったが、地形や高低差を示す等高線まで緻密に描かれたその地図は、リシュリオのもの以上に記録されている事が簡単にわかるほどだ。
帝国一帯はもちろんのこと、マレスティナ周辺に至ってもリシュリオの測量とほぼ一致している事が一目で解った。まだ訪れた事のない地についての記載も多く、これほどの物をあっさり渡すとはと思わず眉をひそめてしまう。空を統治するというかつての言葉の本気度合いが伺えた。
「……随分と気前がいいな」
思わずそんな言葉が口をつくと、アルフェリオは肩を竦めた。
「これで君たちから少しでも信頼を買えるなら、安いもんだよねー?」
「まあ、そうか」
そうとしか言えなかった。
地図を広げながらルーザに目を向けると、すでに一緒に覗き込んでいた。
「高低差を考えるなら、西回りのルートになるかな」
「やっぱお前もそう思うか」
「東側の連山は流石にきつくない?」
「一応行けなくはねぇけど……不凍燃料をもう少し買い込んどかないと、多分途中がキツいな。お前らの飛空艇はこの山脈行けるのか?」
「うーん、エンジンや反重力装置の出力的には、多分行けるんじゃないかなー」
どう思う? と隣に話を振ると、ユーイは少し考えたように視線を流した。
「出力の問題ではなく、技術的な問題で我々の飛空艇では困難かと思います」
「一応あれでも選りすぐりなんだけどなあ」
「選りすぐりだろうが、他人と協力出来ない無法者が多いのですから当然かと」
「あははっ、耳が痛いねー」
ユーイの厳しい評価にアルフェリオはけたけたと笑ってから、リシュリオを伺った。
「不凍燃料が必要なら、蓄えを持ってくるよー? この件に関して、出資を惜しむつもりないからね」
「そりゃどーも」
「ではすぐお持ちします」
「え、待ってユーイ」
リシュリオが適当に相槌を打つや否や、ユーイは一礼すると颯爽と飛空艇を出ていった。引き止めるために腕を掴もうとしたアルフェリオの行動は虚しく、気まずそうに伸ばした手を引っ込めた。
「……うちのがせっかちでごめんねぇ」
「焦らせるようなこと散々してたんだろ。どーせ出発したら時間はあるんだ。揉められても面倒だし、ちゃんと話し合っておいてくれ」
「そうだねえ、そうさせてもらうよ」
苦く笑ったアルフェリオは、ふと目線を落とすと肩を落としていた。「ありがとう」 という囁きは、側に居たリシュリオとセリオスだけが聞いていた。
「さってと、のんびりもしてられねぇか」
気を取り直すように膝を軽く叩いて立ち上がったリシュリオは、大きく伸びをしてから一息ついた。
「エスタ、操舵室に戻って出立の準備をしていてくれ」
「ええ」
後でついでに出立を伝えてくるかと、ひとりごちる。
「セリは」
話を振られて、「あ、忘れてた」 とセリオスは遮った。
「ねえリシュリオさ、燃焼室のパイプって壊した? 普通蒸気も使ってるから、飛空艇の燃料は凍る心配ないはずなのに、変だと思ったんだ。この飛空艇、あんま煙も出てないみたいだし」
「あー……まあ、ちょっとな。燃焼室の規模をどうにか小さくしようとして、一度俺が壊してるからな……。あんまりまともに機能してないってのが、正直なところだよ」
「だから変なパイプと、破断したパイプがそのままになってたのか……」
よくこれ放っておいて大丈夫だったね、と呆れるセリオスに、リシュリオも苦笑した。
「定期的な総点検を他所に頼んでるけど、言われた事無いから大丈夫だろ」
「危ない事平然としてるねー……」
流石にそれはどうかと思うよ、と。遠い目をしたセリオスに「次の点検の時は必ず見てもらう事にするよ」 と返すと溜め息しか出なかった。
「そうして。不具合起きてからじゃ遅いしさ。点検する側も、それで事故られると困るもの。燃料が凍る心配も減るはずだし」
とりあえず、出発ぎりぎりまで直すよ。行ってくる。セリオスにそうきっぱりと言われては、リシュリオも拒否できなかった。
ちらとルーザを見やると、ひょいと肩を竦めていた。
「僕はここに残ればいいんだろ?」
「わりぃ、頼むわ」
考えていた通りの返答にリシュリオが頷くと、それに気がついたアルフェリオは少しばかり申し訳なさそうに笑った。
「手間かけさせてごめんねぇ。それとも縛られようか?」
「あんたの従者がそれに納得するならな」
「あー、うーん、そうだよねー」
ダメかも、と他人事のようだった。




