54. 迎朝
イル・クレスタの夜は、一晩中粉雪を伴う風が強く吹いていた。昨晩見せられたエスタの握っていた図面が目に焼き付いていたせいもあるだろう。図面と一口に言っても編み物と手紙によって秘匿されたそれを読み解こうと、自然と考えてしまう。
何となく落ち着かない夜を過ごしたせいか、眠りが浅い。セリオスはこうこうとした風の唸り声に、眠ることを諦めた。
飛空艇内は静まり返り、恐らく各々が部屋で過ごしているのだと当たりをつける。何気なく窓の外を見やって、飛空艇の集翼所の一角に、見覚えのある大きな飛空艇を見つけてあっと声を漏らした。
何だかいよいよ落ち着かなくて、身支度を整え、温かい飲み物でも飲もうかと厨房へと向かった。
「あれ、早いねセリ。おはよう」
すでに厨房に明かりが灯っていて驚いていると、コーヒーを手に例の新聞に目を通している姿があった。
「おはよう。ルーザこそ」
お湯残ってる? と尋ねて、コーヒーで良ければ残っているよとポットを差し出されたので、それをありがたく頂くことにした。朝食代わりにビスケットを差し出されて、一緒に頬張る。
「セリはこれもう読んだ?」
「うん、昨日の内に見せてもらったよ。なんというか……現実味がなくて、逆にちょっと面白かった」
「あはは! それもそうかも」
頼もしいねと笑うルーザに、セリオスは不思議そうに首を傾げた。
「ルーザは理不尽だって怒ったり、色んな人からねらわれるのを怖がったりしないの?」
「んー、そうだね」
なんでと素直に尋ねられて、愉快そうに笑った。
「セリってばほんと物怖じしないで聞くね。そうだね、僕としては今更だから、かな」
「あー……マレスティナでも、平気で名前を一人歩きさせてるくらいだもんね」
「そうそ。そういうこと。案外ね、堂々としてたら普通の人はわからないものだよ。寄ってくるのはそういう生業の人だから、こちらも遠慮なく対応出来るし」
「ホントかなあ、そういうもん?」
「そういうもん。よっぽど心配なら、身につけるものを少し変えて印象を変えれば済む話さ」
女物とかね、と軽く言われて「そうなのか」 と納得したような、し難いような曖昧さに、セリオスは首をただ傾げた。そんな様子をルーザがおかしそうに笑うので、まあいいかと開き直る。
その時だった。不意に控え目に扉が叩かれる音がして、ルーザは椅子から身体を起こした。
「どうやらお客さんみたいだね」
「もう追っ手が来たのかな……」
「はは、セリは心配性だな。明日って言ってたろ。大丈夫、僕が出るよ」
「ぼ、僕も行く!」
颯爽と広場に向かう背中を、セリオスは慌てて追いかけた。自分が居たところで何が出来るという訳では無いが、ルーザ一人に任せきりにしてしまうのは嫌だった。
小窓からちらりと外を伺って、ああと納得した様子ですぐにルーザは扉を開けていた。足元を、冷たい空気が流れてくる。
扉を開いたそこにあった見たことある姿に、セリオスも「あっ」 と声を上げていた。思わず物陰に隠れてしまったセリオスを、ルーザは横目で見ながら目の前の姿に向き直った。
「どうも。君はアルフェリオのとこの……」
付きの者の名前を何と言ったか。何度か顔を合わせているはずなのに、そういえば覚えてないなと言わんばかりの表情に、すかさずロングコートの女は静々と軽く頭を下げた。
「ユーイと申します。早朝に申し訳ありません。お迎えのご案内に参りました」
「それなんだけど。僕らはゼルべジャンにただ囲われる気はない。でもアルフェリオの言い分も理解できる。一度話し合いをしたいのだけど、そういう場を設けてもらえない?」
「承知の上です。そちらとのこれまでの経緯を考慮すれば、当然の事かと。会話の場は設けさせて頂くよう話は通しますが、アルフェリオ様は多忙のため、移動しながら場を設けることを提案されるでしょう。いずれにせよ、飛空艇を収容、あるいは牽引させていただきますが、いかがでしょうか」
「牽引を。収容されては、こちらの対抗手段を奪われるようなものだ」
「存じ上げております。承知の上の提案でございますので、悪しからずご容赦ください」
「わかった」
「今から早速、牽引の準備を開始してもよろしいですか」
「気が早いね。ああ……十五分待ってもらおうかな。立ち会いたいからリオを起こしてくる。戻るまで君は外で待ってて」
「承知いたしました」
ユーイは丁寧なお辞儀をすると、失礼しますとあっさりと引き下がった。その様がなんだか意外で、セリオスはまじまじとその背中を見送ってしまう。
「思ったより普通だ……」
「主の行動が異常なんだろうね。いつもは後ろに控えているだけだし。リオ起こしてくる。セリは危ないから、エスタに声かけてやって」
「危ない……? リシュリオが?」
「多分徹夜してそのまま寝落ちしてるだろうから、死ぬほど機嫌悪いよ。寝ぼけてるくせに急所狙いで蹴ってくるし」
「え、やだ」
だから徹夜しないでって言ってるんだけどね、と。ぼやく姿にセリオスは首を傾げた。
「夜間飛行の時はどうしてるの? 前にやってくれてたよね」
「それがなんでか、夜間飛行だけは平気なんだよ。でも航路考えてた時に限界まで頭脳労働して、そのまま寝落ちした時はだめだったね。気力が空っぽになるのか知らないけど」
「……え、ほんとに脳筋空バカじゃん」
「僕もそう思う。本人に言ってやって」
「言ったあとが怖いからやだよ」
「あはは」
見に来たらいいよ、と。面白半分に言いながら奥へ向かうルーザの背中を追った。
ルーザが扉を叩いている横を抜けて、セリオスもエスタの部屋の戸を叩いた。
「エスタ起きてる? 身支度してほしいんだけど」
「大丈夫よ、もう起きてる」
すぐに返答があったかと思うと、扉が開けられた。「セリオスが早いなんて驚きね」 なんて憎まれ口を叩かれて、ひょいと肩を竦めた。
もうすでに着替えまですっかり終えている姿は、セリオスの反応にくすりと笑みをこぼして、手にしていたキャスケットをくるくると回していた。
「おはよ」
「おはよう、普通にそれでよくない?」
「はいはい、悪かったわね」
どうやら今日は気持ちが落ち着いているらしい。自分だけで抱えなくて良くなったことで、肩の荷物が一つ降りたからということもあるかもしれない。その事実にほっとする。
「リオ入るよ!」
その横で、どっと船体が揺れるほど強く扉を叩いたルーザが、声を張っていて驚かされた。二人が思わず互いに見合わせている間に、ルーザは部屋の中へと乗り込んでいた。
直後に、「うるせぇ!」 というリシュリオの唸るような声と、共に、枕が廊下に投げられた。なだめるようなルーザの声に、セリオスたちも部屋の前に駆けつけた。
「わ……」
部屋の中の散らかり具合は、アーレンデュラの小屋と似ていた。
据え付けの壁の棚には、航空日誌や天候、測量に関する本が所狭しと並んでいる。床には書きかけの地図と図面が散乱し、足の踏み場もほとんどない。狭いデスクには昨日エスタから借りたスカーフと書類、書きかけのノートが広がったままになっており、遅くまでリシュリオがそれを読み解こうとしていたのは簡単に伺えた。
ほとんど同じ間取りの部屋なのに、こうまで広さの印象が変わるのかと驚かされる。
「ほらリオ、それくらいで起きないと、あとが恥ずかしいよ……っと。危ないな」
ルーザは顔面に飛んできた蹴りを捕まえると、そのまま引きずった。
「寝落ちする時は、靴くらい脱いどけって、いつも言ってるだろう?」
そのままぽいっとリシュリオをベットから落とすと、「あで……!」 と肺から絞り出たような断末魔が上がっていた。思わず、セリオスとエスタは息を殺して凝視してしまっていた。
数秒の沈黙のあと、右手でまぶしそうに顔面を覆ったリシュリオは、のっそりと身体を起こしていた。
「っ……てーな、ルーザ。なんだよ……」
「朝だって。君ってやつは何時までやってたの」
呆れたように腰に手を当てたルーザを鬱陶しそうに見上げた後、リシュリオは盛大にあくびをしていた。
「覚えてねぇよそんなん。……さっき寝た」
「人はそれを完徹っていうんだよ。今日みたいな大事な日に、君が頭回らないと困るんだけど」
「……仕方ねぇだろ。切り札切るには保険もいるだろ」
「ま、言いたいことはわかるよ」
デスクの上のもの見ながら、それの複写をしていたのだろうと想像に容易い。
「でもほら、今ほどリーダーの情けないところは見たくないよね」
「…………十分くれ。目を覚ますから、先に広場に行っててくれ」
「はいはい」
しっしと手を振りながらリシュリオは言葉を絞り出した。ルーザは苦笑しながら部屋を出ると、群がっていた二人を離して扉を閉めた。
「なんだか悪いことしてしまったわ」
もっと早くに渡せばよかったと、申し訳なさそうにするエスタに、ルーザは首を振った。
「いいんだよ。あれはリオがやりたくてやり始めた事だ。わざわざゼルべジャンに出さなくてもいい情報を、出すかもしれないで準備する方がマメなんだ」
僕は必要ないと思うんだけどね、と。大袈裟なくらいにわざとらしく肩を竦めた。
「あ、それで十五分?」
セリオスが思い至った様子で尋ねると、ルーザは笑って頷いた。
「そう。リオは眠り浅いから、叩き起こせば一応わりとすぐ起きるんだけど、徹夜後の眠気にはなかなか弱くてね。五分追加で寝て、五分で準備してくるよ」
それまでのんびりしようか、と続けて、合流した姿を見た。
「エスタはお腹減ってない? 厨房に残りものだけどコーヒーとビスケットあるよ」
「頂くわ。ミルクも一緒にいいかしら」
「どうぞ」
厨房から広場に場所を移して三人がのんびりとしていると、数分後に奥からバタバタと慌てた音が聞こえた。
どかっと一際大きな物が落ちたような音がしたあとに、音の主はよろけながら出てきた。
「わりぃ、遅くなった」
がしがしと頭をかいて寝癖を撫でつけるリシュリオに、「おはよう」 とルーザは苦笑した。
「コーヒーいる?」
「いらね。何がなんだって?」
まだ少し眠たそうにあくびを噛み殺している姿に、ルーザが答えた。
「アルフェリオのとこの迎えが来たよ。移動がてら話し合いの場を設けたいから牽引させろってさ」
「だろうと思った。多分向こうに来いっていうだろうから、セリとイムは飛空艇に残ってくれ。ルーザは操舵室に待機。俺一人で行ってくる」
「危なくない?」
セリオスが驚いて尋ねると、リシュリオは静かに首を振った。
「下手にお前ら人質に取られちゃたまんないからな」
「僕も行こうか?」
「いざという時二人を守れるのはルーザだろ。俺は自衛くらい出来る」
「……まあ、それはいいけど」
気をつけてね、と。仕方がなさそうに視線を流したルーザの肩を、リシュリオは軽く叩いた。
「頼んだ。やばそうだったら俺は置いていって離脱してくれ。後からどうにか合流する」
「はは、縁起でもないこと言わないでほしいな。向こうから望んできた、ただの話し合いだろ?」
「ま、そりゃそーだ」
軽く拳を突き合わせたリシュリオは、さっさと出入り口の戸を開いた。
「牽引の案内したらそのまま行ってくるだろうから、戸締まりよろしーーーー」
言いかけた言葉はそのまま言い切ることは無かった。直後に、「あ、きたきた」 という声と共になだれ込んできた姿に押されて、リシュリオは尻もちをついていた。
「あ、リシュリオさんごめんねー。ちょっと失礼? ここ置かせてもらうね?」
厄介事が荷物を持って、飛空艇に飛び込んできた。




