53. 潜入
その場所は、街の中でも唯一明かりが落ちない場所だという。
イル・クレスタのその象徴的な建造物は、岩肌を直接くり抜いて建てられている。そのお陰で吹きすさぶ雪風にも耐えうる上に、要塞のような役割を果たしていた。実態は、内部の空洞の大半を占める活版印刷機と新聞のストックが山のように積まれているのだ。
アリの巣のように張り巡らされた小部屋では、記者たちが寝泊まりし、あるいは記事をまとめたりと忙しくしている。昼夜関係なく働く彼らにとって、人の出入りがあるのはいつものことなのだろう。ここまで潜り込んで、誰かに警戒されている様子も気が付かれて騒がれる様子もなくて拍子抜けしていた。
室内はあまりにも雑然としていて、お陰で潜む物陰は多い。記事の在庫の中には明後日のものが一角に積まれていて、流石に虚偽ではないのだろうと、ルーザはそっと溜め息をついた。
正直、ルーザにとって指名手配は、大して気にするほどでもなかった。
幼い頃を思い出すと、何かに、誰かに追われていた記憶しかない。リシュリオに会うよりも前、傭兵時代は言われもなく石を投げられるような事も多かった。仕事を請け負い、金銭の支払いを要求したところ、何故か泥棒と扱われることも多かった。
世間とはそういうものであり、強くなければ奪われる。賞金をかけられたからとて、敵対し障害物となるもの全て薙ぎ払えばそれで問題ないだろうとしか考えていない。
けれど、リシュリオはそうはいかないだろう。敵対した相手がよく知った相手であれば、彼はきっと躊躇うし、セリオスやエスタが絡めば無意味に登降するかもしれない。
「……これ、今ここで焼き払えばよくない?」
いっそばら撒かれる前にそれもいいかもしれないなと、思わず口をついて出た言葉に、「ごほん!」 と紙の山の向こうから咳払いが聞こえて少しばかり驚いた。かなり気を配って辺りを伺っていたと言うのに、気配がまるでしなかった。
ルーザが警戒を引き上げていると、相手は溜め息をこぼしていた。
「そこにいるのはテオドルーザ・ランベルハルトだろ」
物陰からこちらにゆったりと現した姿に、目を細めて一瞬身構える。すぐにでも相手を制圧してしまおうかと思ったが、見えた姿に「おや」 と少しばかり驚いた。
「アルフェリオ……ではないね」
そういえばリシュリオが、よく似た影武者と会ったと言っていたか。仇敵とも言える男に非常に酷似した姿が、そこにはあった。身のこなしや歩き方、まとう雰囲気は確かにアルフェリオに間違う。真っ直ぐに視線が合って、敵意はそこになかった。それに習って、ルーザも警戒しつつも肩の力は抜いた。
「その顔はもう俺のこと知ってんだろ。アルでいい。リシュリオ・アデレードと接触した以上、あんたも来ると思ってたんだ。生憎ここにいる所員達はただの一般人でね。あんたみたいなのが出入りすると、俺も流石にわかるんだ」
「影武者なのは伊達じゃないって事かな」
「戦闘のプロであるあんたにそう思ってもらえるなら、それはそれで嬉しいね」
アルは腕を組んでそばの紙の束に腰掛けると、「人払いはしてあるから、少し話させてもらおうか」 と切り出した。
「君と話すことなんて無いよ」
素っ気なく告げると、大袈裟に肩を竦められた。
「おいおい、こちらとら機密中の機密の場所に潜入されている事が大問題なんだ。それを不問にするって言うんだから、おしゃべりくらい付き合ってくれてもいいだろ?」
「必要ないさ。どうせ明日には、皆で話しに来る」
「それは行幸。けど、それとは別件さ。お互いのメリットのために、な」
真面目くさった顔をするアルフェリオによく似た顔は、嘘や騙し討ちを画策している様子はない。周りの気配を伺っても、人の気配は遠く、ここの場所が人払いされているのは間違いなさそうだった。
「…………用件は」
「リシュリオ・アデレードには、あんたらに後ろ暗いものはないって伝えたが、リシュリオ・アデレードに出会う前のあんたは違うだろう? テオドルーザ・ランベルハルト」
「何が言いたい?」
話を促すと、目の前の男は足を組んでひらりと手を返した。
「傭兵として各地を放蕩していたあんたが関わった商船は、そのほとんどが不慮な事故を起こしている。違うか?」
「そんな事もあったかな? いかんせん昔のことで覚えてないよ」 ゆるく首を振ったルーザは、じっと相手を見据えた。「回りくどいね。本題は何?」
「ゼルべジャンは、あんたたちシュテルを傷つけない。この街にいる間の安全を全力で保障する。あんたが戦わなくて済むように手を回すから、あんたにはこの地で暴れるのはやめてもらう。死人の山が出そうだからな」
「はあ……わかったわかった。僕の両手がどうしようもなく血濡れであることは認めるよ」
そういうことかと言い分を理解した途端、ルーザは会話が面倒くさくなってしまった。ただ言われっぱなしは、知ると怒りだす者がいるので溜め息をこぼして続けた。
「でも訂正もしておこう。当時のそれは、仕事として『そういう命令だった』から、言われた通りに遂行した。それだけさ」
「そのプロ意識についてとやかく言うつもりはない。だが少々倫理観に欠けるあんたが、旦那に刃を向けることがないように、ちょっと取引したいだけだ。リシュリオ・アデレードの猛犬サン?」
「はは。君たちゼルべジャンに倫理観について問われるとはね。それに、その呼ばれ方は好きではないな」
「そうかい? 激情家と猛犬なんてお似合いだと思ったけどな」
悪気はないのだと主張するアルに、ルーザはいらついた様子で大袈裟に肩を竦めて了承した。
「取引の内容はそれだけ?」
「脱線したな。おしゃべりが悪いね。あんたは竜駆族の事を調べていると聞いた」
「へえ?」
何を言い出すんだと挑戦的に唇の端で笑うが、相手は意に介した様子はない。
「そうピリつくなって。あんたの一族が『竜を狩る存在』だと名前を捻じ曲げられたのは、諸国が一族を脅威とみなしたからに他ならない。だからこそ、消されたんだ」
「脅威、ね。何がそんなに脅威なのか、僕にはさっぱり理解出来ないな」
「あんたからしてみたら、な。世界には幻獣と呼ばれる生き物が、どこかに隠れ住んでいるのは知っているな。例えばアレイットを襲った鵬。二翼飛行機の原型になったとされるその鳥の鉤爪は、鉄をも簡単に切り裂き、あまりの大きさに人をも食うとされている。でも、そんな化け物を従えられる特別な人間が、この世の中には何故かいるんだ。そいつが脅威に思われても仕方ない」
ルーザが口を挟むよりも前に、アルは謳うように続けた。
「例えば竜。嵐と共に天を駆け抜け、雷と共に空を焼く。その躰は、人の手では傷つける事すら困難な鱗を持つという。飛空艇で空を飛んでるあんたなら、嵐を自在に連れて来る存在が脅威になることくらい、簡単に想像できるだろ」
ルーザが片眉をつり上げて聞いていると、ふと視線がそらされた。
「人が空を飛び始めた歴史はまだ浅い。その分未知の発見が容易いところだが、世界地図ですら統一されずに空白が多いのが現状さ」
「それで?」
「……せっかちだな。その最たる脅威である竜を、あんたの系譜は従えて飛び回っていたんだ。なのに国には属そうとしない。だからあんたら竜駆族は竜と引き離されて、そして見殺しにされた。……まあ、血族しか仲間と見なせない系譜だったらしいから、国に属さないのは仕方ないと言えば仕方ないだろうがな」
呆れた様子でアルは肩を竦めると、おもむろに筒状に丸めた地図を投げやった。
「行く行かないは自由にしたらいい。生き延びた竜駆族の隠れ里があるらしい」
サラリと告げて投げ渡されたそれに、ルーザは怪訝に思って片眉を吊り上げた。
「随分と気前がいいね」
「それくらいしてでも、この地で死人を出したくないって汲んでくれないかね?」
「なるほどね。いいよ」
あっさりと同意したルーザは、「けど確約はしない」 と表情を変えなかった。
「万が一仲間に危害が及ぶならば、僕に慈悲はないよ。最優先はほかでもない仲間の命さ。でもそれはリオだって同じだろうね」
「……そうなる前に、あんたらの間に入って盾にでもなってやるさ」
「期待しとく」
他には? と促すと、相手はじっとこちらを見つめた後にいやと視線を反らした。こちらは野良猫か何かと、思わずにはいられない。
「無いならお暇させてもらうよ。どうやら僕らに、選択の余地は無いようだし」
「明日、建設的な討論が出来ることを願ってるよ」
「それには同意するけど、それなら君の主人も諌めてもらわないと。話にならないのは困るからね」
「はは、釘はさしとくよ」
あまり効果無いかもしれないが、という言葉は聞かなかった事にした。
立ち去ろうとして、ふとルーザは足を止めた。
「ああ、そうだ。君のとこの電話、借りてもいい?」
せっかくこの建物の主がいるのであれば、借りない手はないと思った。
「構わないが……どこに連絡するつもりだ? あまり不自然な通話は避けてほしいもんだが」
「話さなければいいんだろ」
不思議そうにアルは首を傾げてから、こっちだと手招きする。
「そんな堂々と部外者連れ歩いていいんだ?」
「勝手に侵入したくせによく言う。この時間はそもそも人が少ないし、いてもどーせ意見してくる奴なんていない」
暗黙の了承だから。端的に告げられて、ああそうと適当に頷いた。
先立って案内されて、相手の身長の低さに気がつく。確かアルフェリオは自分の目線ほどだったような気がするが、先行く姿は頭一つ小さい。そんなどうでもいいことに気がついて、なんだか気持ちが萎えた。
「ここのを好きに使えよ」
示された個室には、通信機に機械が繋がれていた。リシュリオがアルフェリオと会話した時に利用したものと同じものであるかどうかなんて、ルーザの知る由もない。
「五分程度なら盗聴妨害出来るから……」
「話さないからいいんだって」
妨害を入れようとしてくれるのを断って、ルーザは迷いなくアドレスを打つと、音のしない受話器を静かに聞いていた。ぶつっと繋がったような音を聞きながら、ゆったりと続けて番号を打った。
ややあって『もしもし』と初老の男性の声が聞こえてきたのを確認してから、ルーザは無言でその通話を切った。
「貸してくれてありがとう。流石、いい機械置いてるだけあって繋がるのが早い」
「もういいのか?」
「お陰様で。あとはもう、明日の対話次第かな」
今の時間なら、どこか酒場くらいは空いているだろうか。そんな事をすでにのんびりと考えていたら、じっとこちらを伺っていた姿に気がつくのが遅れた。
「何?」
「……あんたは」
言いかけて、また黙る。「なんなの」 とルーザがぼやくと、非常に言いにくそうに視線を流していた。
「あんたが竜駆族を探しているのは、ホントに身内を探しているからなのか? ……て、思っただけだ」
「なにそれ」
小馬鹿にして鼻で笑うと、もうここには用がないと踵を返した。
影武者の男は、それ以上を引き止めることはしてこなかった。




