50. 横暴
部屋に招いた姿は、得意げなニックスの肩に手を乗せると、深く深く溜め息をこぼしていた。
「こんなとこまで乗り込んでくるのお前くらいだよ、ニックス……。頼むから、次は勝手に人を連れてこないでくれな? ここ一応、新聞社の核だからな?」
「うん、わかった」
「ホントかよー」
やっぱ中庭に人置いてもらうか……。がっくりと肩を落とした姿は、いささか気の毒に見えてくるほどだった。
それほど狭い部屋ではないのに、非常にせせこましかった。その部屋が、どこぞの飛空艇の内部と同じ造りになっていることなんて、リシュリオは知る由もない。
天井まである本棚が二面を占め、圧迫感を増している。残りの一面には広々とボードがかけられ、これでもかとメモと写真が張り巡らされている。その中に自分とルーザの写真を見かけて、あれかとリシュリオは密かに納得した。自然と目が留まったのは、赤いピンで留められていたからだろう。
建物続きの奥へと続く扉は開けられたままになっている。部屋の中央に据えられた応接テーブルは辛うじて利用できそうであるが、その奥にあるデスクは書類と機械に埋もれてしまっている。
足元もほとんど踏み場がない。動線が限られており、平置きされたままの書類と古新聞と本とで、歩くだけで非常に危うい。
「落ち着かないと思うけど、楽にしてて」
応接テーブルを示したあと、思い出したようにその男は手を打った。
「そうだニックス、奥に行って誰かに飲み物もらってきてくれないか?」
お客様のおもてなし、前に教えただろ。手を合わせながらお願いすると、「うん! わかった!」 と張り切った声が返ってくる。
「ついでに茶菓子か、軽食か何かつまめるものも頼むな。腹減ったわ」
「ええ? アルフェリオってば、またご飯抜いてたの? しょうがないな、聞いてくる!」
頼まれたことが余程嬉しいのだろう。ぱっと目を輝かせたかと思うと、書類の山を器用に抜けて建物続きの奥へと駆けていった。
「さてと」
ニックスを体よく追い払ったのだろうと、すぐに気がついた。
「ええと……アルフェリオ? で、いいのか?」
「あー、そうだな。あんたからしたら紛らわしいだろ。アルでいい。世界新聞は知ってるか? それの責任者をやってるよ」
よろしくと素っ気なく言われたかと思うと、ぽりぽりと頬をかいた。その姿は、ところどころの所作がまさによく知る当人にあまりにも似ていて、誰と話しているのか一瞬混乱するほどだ。
また、世界新聞と言われてリシュリオも驚いた。
遠くの国の情勢までも素早くまとめ上げ、国境関係なく伝える世界新聞はリシュリオもよく利用する。ゴシップが少なく、正しい情報だけを扱おうとする姿勢が好ましく思っている。
それがアルフェリオに関係していたのかと思うと、少しばかり意外だった。
「そうだな、困ったなあ。とりあえず、特に何も『あんた自身』に対する指示は聞いてねぇし……」
腕を組んでうーんと首を傾げた姿は、物に埋もれたデスクを見やると顎をさすった。
「うん、ちょっと今のうちに、当人に電話してもいいか?」
「ええと……どうぞ」
どういう状況だと問いたいが、目の前の男もまた、どうしたらいいかわからないらしい。適当に座っていてと、応接テーブルを示すと、電話にしてはやけに大掛かりな、通信機と呼ぶほうがふさわしそうな機械を操作した。恐らく既存の電話を改造しているのだろう。興味はあるものの、なんだあれはとリシュリオは気持ちが引いていた。
「ああ、もしもし旦那か? 今いいか?」
間もなく、アルと名乗った男は世間話のような調子で話した。
「あんたのお気に入りの客人が今ここに来てるんだけど、どうしたらいい? ……ちげーよ、どうしてかニックスが連れてきちまったんだよ」
盛大な溜め息とともにアルが吐き出すと、楽しそうな声が漏れ聞こえた。やがて、こちらに目を向けて、「わかった。代わればいいんだな」 と返すと同時に、電話に繋がっていた機械を操作した。
「盗聴妨害は五分が限界だ。好きに話してくれて構わないが、なるべく手短に頼む」
「あ、ああ」
誰の盗聴かと尋ねる間もなく受話器を渡されて、戸惑いながらもリシュリオはそれを取った。
「もしもーーーー」
『やっほー、リシュリオさん。せっかく秘密基地まで来てくれたのに不在でごめんねー? 追ってきてくれたんでしょ?』
開口一番、軽い調子で返ってきた言葉に、相手が間違いなく自分のよく知る男なのだと理解した。
「追われている自覚あるなら、アズネロ親方を解放しろよ」
『あはは、それは無理だよー。やってもらわないといけないことあるし。ホントは君とゆっくり話したいとこだけど、あんま時間ないから先に用件伝えちゃうね? シュテルはゼルべジャンで囲う事にしたから、ちょっとそこで待っててねー』
「は?」
『あ、断ってもいいけども、君たちの拠点には戻らないほうがいいかなぁ。流石にあそこ出入りしている人たちみんなと敵対するのは、リシュリオさんの性格的にもしんどいだろーし。あとでアルから明後日の世界新聞をもらうといいよ。それを踏まえて考えてみて?』
まあ考えるって言っても囲うことは決まってるから、君の気持ちの問題だけど。と、矢継ぎ早に告げ、からから笑っていた。
「……囲うってどういう意味だ」
『言葉のままだよー。これでも遅らせてもらったんだけど、ちょっと厳しくなっちゃうから、一応ごめんねぇ。でもまあ、そっちに行ってくれて、逆に助かっちゃったかも』
「いや待て……」
『明日にはつくからさ、アルに宿泊の部屋でも用意してもらって、ゆっくりしておいて。それじゃあねー』
「え、ちょ、おい待て!」
訪ねてもまともな返答もなく、一方的に言いたいことを告げたかと思うと、すでに先に通話は切られていた。会話時間は五分もかからなかったのは、言うまでもない。
ちらと目の前の男を伺うと、「旦那が一方的なのはいつものことだから」 と、フォローになっていない言葉を口にする。ひょいと肩を竦めた様子はやはりアルフェリオの仕草に似てるが、諦めたような表情は似つかない。
怒涛の嵐に、思わず頭を抱えた。
「……ええと、とりあえず……明後日の世界新聞をあんたからもらえって言われたけど、どういう意味なんだ」
「ああ、それね。確かに今のあんたたちには、必要なものだな」
ちょっとそっちで待てと場所を代わるように言われ、リシュリオがデスクから離れると、アルは鍵のかかった引き出しから口を閉じた封筒を取り出した。その封を躊躇いなく開けると、新聞を一部取り出し渡してきた。
「後で読むといい。帝国があんたらに懸賞金をかけたんだ」
「は?」
渡されたものも不審だったが、投げられた言葉にリシュリオも一瞬思考が止まった。
「驚くのも無理はない。白姫の誘拐に始まり、機密を盗んだとしてスパイ容疑、流石にこじつけすぎだと思うが、昨日起きた浮空島ユーテスクの崩落までも、あんたらシュテルの仕業だってタレコミがあってね」
「浮空島の崩壊? 待てよ、何の話かわからない」
「まあ……そうだろうな。そこは同情するけど、実情、少々世間の不安を煽るには丁度いいネタが揃いすぎてるっていうか……。天下の世界新聞が、一国の主張を鵜呑みにして世間に出すわけにはいかないからって、速報出すのを少し遅らせてたんだ。けど、アレイットの件も加わって、そうもいかなくなった」
「アレイット……? え? また何かあったのか?」
黒姫の話かとリシュリオが首を傾げていたら、真面目くさった表情がきっぱりと告げた。
「陥落したよ。アレイットの中枢である協会は、帝国の援助を得て賊を追い返したって美談付きだ」
「いや、なんだよそれ。少なくともそれについては聞いてた話と違う。アレイットは帝国が襲ったって」
「そうだろうな。けど、あんたたちが出入りしたのは事実だろ?」
「まあ……」
「うまいこと、あんたらシュテルは仕立て上げられてんだ」
顎をさすったアルはどこから説明したものか、と首を傾げた。
「……いや、とりあえずそれを見てもらったほうが早いな。考える時間も落ち着く時間も必要だろうし。その新聞は、明後日には世間に出回る。なるべく紙面でも言及は避けてっけど、こっちも圧力かけられててね。旦那の立場上、跳ね除けすぎるわけにもいかない。意図しか感じないくらい、やけに全部詳しく書かされてっから悪く思わないでくれ。それはあんたらの飛空艇に持ってっても構わないが、廃棄は明後日以降で頼む」
一息に言い切ると、視線を流して首を回しながら「俺の意見としては」 と続けた。
「旦那があんたらを囲うって言ったっつー事は、少なくとも旦那は、帝国にあんたらを渡したくないんだろう。この街は旦那の影響力がかなり強いから、あんたたちも比較的安全に過ごせるし、一日猶予もある。よく考えるといいよ」
「安全って……」
アルフェリオの庇護下での安全という言葉に違和感があり、戸惑いしかない。リシュリオが言葉を失ってると、アルはひらりと手を振った。
「俺は旦那の意見に賛成だよ。旦那が気に掛けるってことは有益な存在なんだろうし、あんたもあんたの相棒にも、噂はさておき、後ろ暗いもの自体は調べた限り事実がない。何より、ニックスに怪我させないでくれたからな。信じたいってのもある」
現実から逃げるように手元の新聞に目を落とすと、日付は確かに本日のものではない。そして目を引く一面に、思わず眉を顰めていた。
「ああ、そうそ。マレスティナには間違いなく戻らないほうがいい。いの一番に帝国の見せしめにされたくなければ、な。ただでさえ、今の時点でも危ういし」
「どういうことだ……?」
まだこれ以上があるのかと伺うと、ひょいと肩を竦められた。
「読めばわかる、といいたいとこだが、今はハッキリ言ってやる。マレスティナは、このままいくと島そのものが消される」
「え?」
「最悪の計画が動き出しちまったんだよ。もうあとには引けない。自由な空は奪われて、帝国が世界を取りに来るぞ」
突きつけられた言葉が一瞬理解できなくて、リシュリオは絶句した。気の毒そうな表情を浮かべたアルは、あくまで事実なのだと示すように淡々と意見を述べた。
「敵対するも旦那を嫌うも、あんたの好きにすればいい。けど、本当に大切なものを、嫌悪だけで見間違えないでほしいものだ。建設的で合理的な判断を期待してる」
「これを、無条件で信じろと……?」
やっとの思いで声を絞り出すと、なんてこと無いと肩をすくめられた。
「旦那も言ってただろ。あんたの判断は自由だけど、信じてもらうしかない。それよりどうするかを考えるべきなのでは? その新聞は間違いなく本物で、明後日には世界にばらまかれる」
「はは……これじゃまるで脅迫だな」
「あんたからしてみればな。否定はしない。でも何度でも言おう。同情はするけど、別にまだ打つ手はあるんだ。迷ってる場合じゃないと思うが?」
しばし沈黙すると、リシュリオは投げられた言葉を噛み砕こうと努力した。そんな様子にお構いなく、腕を組んだ姿は畳み掛ける。
「あんたはあんたの大切なモノを守りたいんだろ。手段を選べる状況ではないぞ」
「はあ……やれやれ。めちゃめちゃけしかけてくるな……。何だかんだ言って、あんたはあいつの味方なんだな、アル」
「何を言ってんだ、当たり前だろ? 見てわかると思うが、俺は旦那の影武者だからな。全面的に旦那の味方でしかないし、基本的な考え方が酷似してて当然さ。俺の意見は、旦那の意見と思ってもらって構わないさ」
回りくどいやり方だと思うけどな、と、皮肉っぽく唇の端で笑ったのはアルフェリオに向けているのだと解った。
「そもそもその影武者を表で使わずに、こんな辺鄙なとこで別の仕事させて、自分がせっせと表で動いている旦那の頭がおかしいんだ。じゃあ俺が、旦那の為にお節介焼いて好きにさせてもらっていても、仕事自体をこなしてればなんも問題ない」
なんと応えたものかとリシュリオが迷っていると、目の前の表情は真面目くさった顔をした。
「あんたらは旦那と敵対関係のつもりなんだろうが、旦那自身は微塵もそのつもりないだろうな。あの人はあの人で色んなモノを背負っててね。そのくせ人を頼ろうとしないんだ。そんな旦那が一目置いてるあんたらシュテルが協力してくれたら、きっと旦那も心強いはずさ」
「敵対関係じゃないって、アルフェリオが言っているのか?」
「聞いてりゃわかる。あんたがかなり旦那のお気に入りってこともな」
「知るかよそんなの……」
そう返すのが精一杯で、新聞を握る手に自然と力がこもってしまっていた。
「……仲間と話してきたい。この場を辞していいかな」
「構わないさ。旦那が到着したら迎えを出すが、それより前に腹づもりが決まったら、それはそれでここにまた来てくれれば良い。ただ間違っても、帝国に捕まりに行くようなことはしないでくれ」
「善処する」
お互いのためにな、と。アルに至って真剣な様子で告げられて、流石のリシュリオも溜め息で返すのが精一杯だった。
* * *
「アルフェリオ、お待たせ! お菓子とご飯もらってきた!」
バスケットを抱えて嬉しそうに部屋に戻ってきたニックスは、もう一つあると思っていた姿がなくて、きょろきょろと伺った。
「ありがとう、ニックス。君が連れてきた客人を探しているのであれば、もう彼は飛空艇に帰ったよ」
「え! あいつの分もわざわざ頼んだのに……」
「どうしても外せない、急ぎの用が出来てしまったんだ。ごめんねって言ってたよ。代わりではないけど、一緒に食べようか。お菓子は君が全部食べていいよ」
「やったあ!」
ニックスが残念そうにしたのも束の間、部屋の主はふうと肩を竦めた。今だけ思うのは、先程までいた客人の事だ。
気の毒にとは思うものの、影武者の男の心はさほど動かない。最終的に記事の内容を確認する男は、その心が動かされないが故に、世界新聞の公平性が保たれていると言えばそうである。今回のことも、アルフェリオから急ぎ相談されなければ、本日どころか昨日にはとっくにこの情報はばら撒かれていたことだろう。
それでも。
「アルフェリオ、よかったら一緒にこれ食べないか! いちごの飴がけ!」
「ああ、一つもらおうかな」
懐かれるのも悪くないと思いながら、己の役割をただ全うしようと思うのだった。
お読み頂きありがとうございます。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。