48. 青街
青い箱を並べたり積んだりしたような通りが続く。通りに面した飲食店は、テイクアウトも多く出していた。雪化粧した辺境の街は、その寒々しい見た目とは裏腹に、往来は買い物客で賑わっている。
道中あれほど吹雪いていたにも関わらず、驚くほど晴れ渡っていた。時折吹く風は冷たいものの、柔らかな日差しがぽかぽかと暖かい。
市場の活気が、寒さに負けていないせいもあるだろう。
「あとは不凍燃料かな」
両手いっぱいに食料を詰めた紙袋を抱えたルーザは、崩れないように持ち直した。重たそうにする素振りは微塵もないが、前が見にくくなるほど抱えた荷物に、流石のエスタも申し訳なくなってくる。
「ルーザさん大丈夫? 私も少し持てるわ」
「これくらい全然平気だよ、ありがとう」
「……せめて燃料を買う前に一回戻りましょうか」
帽子越しに見上げたエスタがどれだけ協力を申し出ても、ルーザが譲ることはないだろう。容易に察してしまって、手ぶらで隣を歩く事がただ、いたたまれなかった。
「はは、そうだね。でもほら、イムは買い物を楽しめばいいよ。お、あそこのいちごの飴がけ美味しそう。イムちょっと、ポケットに巾着あるからそこから買ってくれない?」
「出直してからでもいいと思うけど……」
これで甘味屋や屋台に寄り道するのは合計四軒目だとは、エスタも言えなかった。
「ルーザさんって結構買い食いするのね」
思わずそんなことを告げると、上機嫌な声が返ってくる。
「まあ、そのために買い出し引き受けてるからね」
「言われてみればそうだわ。甘いもの好きなの?」
「そうだね。リオが全然そういうの食べなくて飛空艇にストックしてないから、街に来るとつい、ね」
そういうところは気が付かないんだよね、とルーザは珍しくぼやく。
「そ、そう。解った、買ってくるわ」
ルーザがリシュリオの事で、これほどはっきり迷惑そうにするのも珍しい。その珍しさに少し動揺してしまいながら、ルーザのポケットの巾着からコインを抜いたエスタは、またルーザのポケットへとそれを返した。
「ありがとう。イムの分と二本頼むよ」
「流石にもうお腹いっぱいよ……」
気を利かせてくれてうれしいけど、とエスタも苦笑した。ここに来るまでに、袋売りのクッキーにクリームたっぷりのデコレーションされたカップケーキ、間に胡椒の効いた串焼きを挟んで口の中の甘みをリセットしたものの、最後に暖かくて濃厚なチョコレートドリンクをしっかりと飲んでいるのに、まだ入るのかと驚かされる。
「ははっ。それじゃあ分けようか。ほら、つやつやで美味しそうだし、一つくらい食べなよ。残りをもらうからさ」
「……一つなら、もらおうかしら」
思いがけない提案に満更でもなさそうに答えると、ルーザも上機嫌にふふと笑っていた。
一足先に向かうエスタの後を追って、ルーザもそちらへ向かった時だった。
「おっと」
「っと……わり」
すれ違いざま、紙袋の陰になって死角になっていた姿に、ルーザは一瞬足を止めた。そこにあった帽子をかぶった自分の胸ほどの背丈の姿に、おやと思う。
そんな声につられて、エスタはルーザとぶつかった姿を振り返った。その手に握られていた先ほどエスタも触っていた巾着に「あっ!」 と声が出た。
途端、少年が走りたした。
「ちょっとあんた、待ちなさい!」
「あ、イム……」
「大丈夫、待ってて! 捕まえてくる!」
引き留めようとしたルーザに、エスタは肩越しに一瞬見やって答えるとすぐに先を見据えた。
「へっ! 女になんて捕まるかよのろま!」
人混みの間をすり抜けて逃げていく姿に、エスタはむっと口元を引き締めた。
「なめんじゃ、ないわよ!」
そばにあった欄干に足をかけて、飛び上がる。人を避けるのも面倒だと、そのまま近くの屋根に飛び乗った。軒並みが揃う街ならではといえばいいのだろうか。その方がずっと走りやすいと言わんばかりに、エスタは風のように駆け抜けた。
スリの少年も、流石に度肝を抜かれたのだろう。「はあ?!」 と声を上げて逃げる姿は、慌てた様子で細い路地へと駆け込んだ。
「あー……どうしよ」
ぽつりと残されたルーザは、手荷物をちらりと見て、屋台を伺った。
「まあ、いっか。おじさん、いちご飴三つお願いします。二つは持ち帰り用に包んでね」
荷物を抱えなおして器用にポケットから直接コインを取り出すと、のんびりと買い物しだした。
やがて、何があったんだと振り返っている人たちをたどりながら、ゆっくりとあとを追いかけるのだった。
* * *
「くそ、しつっこいサル女だな!! 離せよ!」
「無駄口叩くなんて随分余裕なことね! 離すわけないでしょ。この泥棒! このお金は返してもらうわ」
ばんばんと床を手で叩く姿がじたばたするたびに、エスタは上着で縛り上げた足を強く引っ張った。そのたびに、うっすらと雪の積もった道を少年は顔を引きずられていた。随分そうして暴れているのだろう。赤茶の髪は雪に濡れ、そばかすの浮いた頬と鼻先はすっかり赤くなってしまっている。
「おあいにくさまだったわね、私これでも、足と体術には自信あるのよ」
複数人に囲まれさえしなければ子供相手くらいならね、と。エスタは心のなかで密かに思う。
「くそっなにすんだよ、このブス! 引きずんなバカ!」
「なんですって? 私がブスなら、あんたは脳足りんの短足チビね! お可哀想~」
「可哀想ってなんだよ、チビって言うな! これから伸びるんだ!!」
ぎゃーぎゃーと騒ぐ声は、表通りから一つ入ったその道によく響く。その声を聞きつけたのだろう。ゆったりとした足音が、二人の耳に届いた。
「イム、怪我してない?」
「ルーザさん、よくここがわかったわね」
「はは、君たち騒ぎ過ぎだよ」
食料品の紙袋とは別に、油紙に包まれた飴がけを手にしたルーザがのんびりと二人のもとにやってきた。
「通りの向こうから君たちの声聞こえたから、すぐわかったよ」
「遅いから荷物置いてきているのかと思ったのに、違ったのね」
「うん。飴がけ買ってた」
はい、イムの分。そう言いながら包まれたいちごの飴がけを渡されて、今なのかと本日何度目かエスタは戸惑った。
「え、あ……ええ。ありがとう」
恐らくルーザに捕まえる気はないのだろう。エスタは受け取るために、押さえつけていた姿を解放した。
「どういたしまして。ほら、君もいる?」
「っ……!」
油紙に包まれたいちごの飴がけを差し出されて、はいつくばっていた少年は顔を真っ赤にしていた。庭である街中でのスリに余程自信があっただろうに、あっさり捕まった上に施しまで受けようとしている事実が余程悔しいのだろう。
足に絡みついていた上着を引っ剥がして投げ捨て、勢いで立ち上がると、やぶれかぶれにそれをひったくっていた。ルーザに吹き出されるのも構わずに、即座に距離をとって逃げ出した。
「くそっ! 覚えてろよおまえら! アルフェリオに言いつけてやる!!」
去り際に真っ赤な顔が怒りのままに振り返ったかと思うと、こちらを指さしてそんな捨てゼリフを叫んでいた。
「……あいつ、本当にゼルべジャンの仲間だったのかしら」
わずかに眉をひそめながらエスタが零す横で、ルーザは苦笑した。
「どうだろう? それにしてはって感じだから、多分、虎の威でも借ってるんじゃないかな」
「なんだ。とんだ腰抜けね」
エスタはふんと大袈裟に鼻を反らすと、放り出された上着を拾って埃を叩いた。雪で湿ってしまったのが不満なのだろう。ムッとした様子で唇を引き結んだ。
「そうだルーザさん、これ」
ハッと思い出して取り返した巾着をエスタが差し出すと、「忘れてた」 とルーザは笑った。
「取り返してくれてありがとう」
「これくらい大したことないわ」
差し出したお土産と交換に巾着を受け取ったルーザは、それを手のひらでもて遊び、「でも」 と切り出した。
「次はイムが追いかけなくていいからね。今回は相手が一人だったからまだ良かったけど、相手が複数人だったら困るだろ?」
「う……そうね。そこに関しては迂闊だったわ」
反省するわ、と漏らしたエスタはしょんぼりと肩を落とした。
「大丈夫、ホントに取り返さないといけないものなら、僕も全力で取り戻しに行くからさ」
今回は君の安全もあるし、いくばくかの小銭程度だから、別にいいかなって思っちゃってたんだ。そんな風に言われては、エスタもそれ以上は納得せざるをえなかった。
さあ帰ろうと促されて、二人は連れ立って表通りに出ていった。
「それにしてもイムは足が早いね。びっくりしたよ」
話題を変えるようにルーザは笑った。それにつられてエスタも苦笑混じりながらも笑みを返した。
「それはまあ、子ども相手くらいならね」
「はは! 確かに。べリジンではガラの悪そうな男たちを撒くのに苦戦して、リオの二輪車吹っ飛ばしてたもんね。派手に突っ込んでた割に、直後にセリ引っ張って走り出すから元気だなあって思ってたよ」
「う……それはもう忘れて」
その……悪い事したなって今でも思ってるわよ。そんな風に気まずそうに告げれば、からからと笑われた。
「あれはあれで愉快だったなあ」
「あの時は追手だった人たちを相手してくれてありがとう。その、大変だったでしょう?」
「構わないよ。身体動かしたかったら、相手がいるのは丁度良かった」
「二人にはお世話になりっぱなしね。よかったら今度は私にご馳走させて欲しいわ」
「気にしなくていいのに。でもじゃあ、その時はご馳走になろうかな」
「ええ!」
一体何なら喜んでもらえるだろうかと、基本的にお世話が好きなエスタはそれぞれの嗜好に思いを馳せた。
「えーと……ところで」 ふとエスタは声を落とすと、なるべく身体をルーザに寄せて囁いた。「なんか、逃げた割には普通についてきてるんだけど。隠れてるつもりかしら」
「ははっ、放っておきなよ。本人はきっと必死だろうからさ」
後方から付かず離れず付いてくる足音に、ルーザもくすくすと笑みをこぼす。
エスタは気に食わないと言わんばかりにふうと嘆息して、ちらりと振り返った。とうにこちらが気がついていることは解っているだろうに、それでも慌てて物陰に身を隠す、そんな無駄な努力に深い溜め息が出てくる。
「飛空艇までついてこられてもイヤよね」
うーんと考える素振りを見せるルーザは、本当に気にならないのだろう。ついてくるだけで何かしてくるわけでもないし、なんてのんびりと告げる。
一方エスタは、そうはいかなかった。
「ルーザさん。やっぱり私は、ゼルべジャンを許せないわ。彼らがいなければ、セリオスは親方さんと今も合流出来ていたはずだもの」
「……うん、そうだね」
若いなあと笑うルーザの声を聞き流して、後ろを睨んだ。
「まだなにかご用かしら、短足おちびさん?」
はっきりと告げられて、目が合った姿がムッとしていた。
「オレはチビでも短足でもねぇ!」
「じゃあ何よ。さっきアルフェリオに言ってやるってほざいてたけど、あれは嘘? それともあんたを人質にしたら、その人に会えるって事かしら」
「な、なんだよ! そんな脅しが効くと思ってんのか!」
「脅しかどうか、確かめてみる? 女の子に殴られたって泣きついて来なさいよ。だとしたら、ださいわね」
完全にケンカをふっかけたエスタが煽れば煽るほど、少年はきゃんきゃんと噛みつき止まる様子がない。
しばらくそれを眺めていたルーザも、往来の視線に気がついて空を見上げた。うーんと少し悩んでから、買った袋の中身を漁った。
「はいはい、ふたりともストップ。こんな往来で喧嘩しないよ」
そんな声と共に間に入ったルーザは、いい加減にして戻るよと促した。
割った姿に「けど!」 と両サイドが同時に異を唱えるが、同時にぼっ! と、二人の目の前で何か薄緑色のものが破裂した。あまりに聞き慣れない音に驚いて二人が見上げると、ルーザが手にしていたがキャベツが握りつぶされて、一部なんとも無残な姿になっていた。みずみずしい葉物の、青い匂いが香る。
上から見下ろしにこりと笑われて、低身長の二つはただ震えた。
「うん、何か言ったかな? よく聞こえなくてごめんね。ほら、あんま遅くなるとリオが心配するから、一回帰ろうか」
「え、ええ……。ごめんなさい」
「気にしなくていいよ。それから君も、来たければ来ればいいよ。言いたいこと、あるんだろう?」
「え、あ。はい……つぶさないで」
暖かかった気がした気温は、一瞬だけ氷点下のようだった。怪力バケモノだ……と呟いたスリの少年に、エスタだけでなく、一連を目撃した通りにいた人間も、概ね同意だった。
余談∶『落としそうになったキャベツを掴んでうっかり素手で粉砕』は、知人の実話。