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47.浮弾


 山の間を抜ける気流は常に一方というわけではない。時折低い唸りを伴って揺れるのは、山肌の下降流に強く引っ張られるからだとリシュリオはぼやいた。

「雲の上まで行けたら良かったんだけどな」

「仕方ないさ。目立たないようにって、自分で決めたんだろ」

「まあな」

「君が不満なのは、単に気流で遊べないからだろ?」

「こんだけ気流がしっかりしてたら、エンジン切って風に乗っても面白いんだけどな。目的が違うから」

「リオに節操があったことに驚きだよ」

「うっせえなルーザ」

 くすくすと笑った隣に、リシュリオは半眼した。


 リシュリオが珍しく神経質になっているのも無理はない。

 あたりは弱い吹雪に見通しは悪くないものの、雪の積もった真っ白な岩肌は気を抜くと距離感を誤って接触しそうなほどだ。音響測量機のデータに注視しながら、風の通り道に習って慎重に進んでいた。

 不規則な風にまた、わずかに揺れる。


「そういや」


 不意に思い出して、リシュリオは隣にちらりと目を向けた。

「この雪山のどこかに、竜穴の地って呼ばれている温泉が有名な場所があるらしいぜ」

「こんな雪の中に?」

「ああ。そこに竜が住んでいたらしいって話らしいけど、お前の出身このあたりかもな」

「ああ、なるほどね。そうかも」

 ルーザがあっさりと頷くと、湿度のこもった目を向けられてああと思わず苦笑した。

「え、なに? エスタに昔話したのイヤだった?」

 ごめんごめん、いいのかと思った。と、少しばかり眉を寄せて苦笑したルーザに、リシュリオは深く溜め息をついて座席に体重を預けた。

「いや、別に構わねぇよ。さっきセリにも普通に聞かれたしな。けど、わざわざエスタのささやかな憧れまで壊さなくてもよかっただろうにって、思っただけだよ」

「ああ、リオの親父さんのことでか」

 気が利かなくてごめんと、苦笑したまま肩をすくめたルーザにリシュリオはがっくりと項垂れた。

「お前のその悪気のない破壊願望っていうのかねぇ、時々すげー厄介だよな」

「あはは、ごめんごめん。気をつけるよ」

「気をつけられていたら、いい年してそんなことしてねぇよ」

「いつの間にかこんなに時間経ってるね。僕もびっくりだよ」

「ほんとにな。いつの間にかマニエストの影響受けてこんな腹黒になるなんて、当時のリシュリオ少年も思ってなかっただろうなあ」

「ええ?」

 なにそれ、と。吹き出したルーザに、やれやれ仕方がないとリシュリオは大袈裟に肩をすくめた。


「そろそろか」


 地図と測量計器を見比べたのち、身体を起こすと手にしていた地図を後ろの作業台へと放りやった。おもむろに、室内用の無線を取る。

「セリ、そろそろ戻ってこい」

『わかった』

 ざーざーと雑音としてセリオスの声に重なって聞こえた音は、恐らくエンジンの音だろう。まだそこにいたのかと、わかっていてもリシュリオは思わず笑ってしまった。

「エスタ、そっちの様子はどうだ?」

『あまりよく見えないけど、さっき一時方向に少しだけ手すりみたいなのを見かけたわ。多分、山をぐるっと反時計に迂回した道だと思う』

「わかった、ありがとう。エスタもこっち戻ってきてくれ」

『ええ』

 展望から周囲の変化がないか見てもらっていたエスタからの返答に、おおよそ予想通りだと頷く。


 背後の扉が開いた音がしたかと思うと、ルーザがそれぞれに声をかけているのを聞いていた。すぐに着席とベルトを促しているのを聞き流しながら、今の高度と方位をもう一度確認して、リシュリオは腕をぐっと伸ばした。

「……っし、やるか」

 周りの音はとても静かで、そう独り言ちる。否、今だって飛空艇は揺れているし、後ろでエスタとセリオスがやれエンジンがどうとか、見晴らしがどうという会話をしているが、あまり耳に入ってこなかった。


 補助運転の出力を下げると、途端にハンドルに添えていた手に重さが伝わる。風の重みがそのまま手元にあるかのようだ。

 自動操縦から主導を取り上げると、そのタイミングを待っていたかのように風に煽られがくりと揺れる。後ろで「うわっ」 とセリオスの声が上がったのは、胃が浮いた感覚に驚いたからだろう。

 スロットルをじわりと引き上げ、船内に響くエンジンの音が大きくなったのを感じる。先ほどエンジンをセリオスに点検してもらっているおかげで、裂傷を気にしなくていいというのは有り難い。一度凍りついた燃料がきちんと溶けているかどうかは確認済みだ。


 窓の外の景色を睨む。前と比べて随分と風が和らいでいる。舞い上がる雪煙は落ち着いて来て、まるで歓迎して道を開いているかのようだ。

 自然と口角が上がった。だからだろうか、つい興が乗って手が動いてた。


 補助操縦の電源を切ると、完全に飛空艇の操縦を握った。流れる風は粉雪が教えてくれる。

 手動操作の時だけ使うペダルをじわりと踏み込むと、半重力装置の出力を上げた。途端に座席に押しつけられるような圧迫感と、身体が浮き上がる感覚に気持ちが一緒に浮上した。

 僅かな揺れを伴ったかと思うとが、ぐんと身体が後ろに引かれる。飛空艇が加速して、追い風を捕まえたのだと理解した。

 指先に伝わる重さと振動を受けて、わずかに力を込めたり抜いたりする。ささやかな操作ではあるが、それだけで飛空艇が安定するのが手に取るようにわかった。

 少しばかりぐっと前に飛空艇を倒すと、下方の空気の層は風の流れが違うようで、機体が弾んだ感覚があった。つい面白くなって、何度となく弾ませその度に上下した。


 雪の薄い黒っぽい岩肌が時折見えたかと思うと、一瞬の内に足元を流れていく。今だけは自分が風になったかのような心地にただ、酔いしれた。


 やがて不意に側面を流れていた山肌が途切れ、途端に視界が広がった。

 粉雪はちらちらと舞っているものの、空は驚くほど青い。綿をちぎったような白い雲がはるか天井に浮かび、地面の白さを反射しているかのようだ。

 同時に、空とは違う海の青さを固めたような青い街を見た。

 その中心は、山肌を削って造ったらしい、要塞がひときわ目を引く。


 意外にも、遠目ながらも飛空艇の出入りがちらほらとあり、それらはシュテルがやってきた方角とは反対を目指していた。きっと彼らは島の外へと向かう飛空艇なのだろう。あの飛空艇が向かう先には何があるのだろうと思うだけで、なんだかわくわくした。

 遠目から見た街並みの中には市場も立っているのだろう。往来も人でにぎわっていて、これほど人の行き来がしにくい場所だと言うのに驚かされた。アルフェリオのような無法者が出入りしている街というからには、もっと荒れているものだと思っていたのは否めない。


「リオ」


 一先ず他の飛空艇に習おうか。そう思って進路を急転換させてそちらへ向けようとした時、隣にとんとんと腕を叩かれてハッとした。

「飛ばしすぎ」

「あ、悪い」

「これ、飛空艇だからね?」

 二翼飛行機(カイト)じゃないよ。苦笑しながらそんなことを言われては、リシュリオも力を抜かざるを得なかった。

「久しぶりの新天地が楽しくて忘れてた」

「そんなことだろうとは思ったよ」

 ルーザに後ろを示されて、何気なく振り返る。空に随分慣れたと言っていたセリオスは、酔った様子でぐったりしており、仕方なさそうなエスタに背中をさすられていた。

「悪いセリ、大丈夫か?」

「なんか、胃のあたりがぐるぐるしてる……」

 今にも消え入りそうな声で呟かれて、リシュリオは隣を盗み見た。視線に気がついていたようで、ひょいと肩を竦められて、擁護は期待で来なさそうだ。

「すぐ降りるよ、もう少しだけ耐えてくれるか、セリ?」

「うん……」

 座席で小さくなった姿は、年頃の青年にしては小さく見える。申し訳なく思いながらもくすりと笑ってしまった。

「すぐに静かに降りるよ」


 合図の信号旗を出すと、地上からすぐに返答があった。他の飛空艇と同じように誘導されると、やがて緩やかに地上へと降り立った。

 どこかふわふわとした気持ちは、着陸と共に重力として身体に戻ってきたかのようだった。ふっと肩から力を抜いたと同じ頃。

「うっ……」

 後ろから断末魔飲み込んだようなうめき声が聞こえ、周りを慌てさせた。


 * * *


「大丈夫か?」

「うん……随分落ち着いた」


 青ざめた顔をしていたセリオスは、抱えていた紙袋が空のままで済んだことにホッとした。背中をさする手の暖かさが存外優しく、胃が跳ね回っていたような感覚が漸く静まってきたような気がした。

「ごめん、こんな敵地の真ん中に下ろさせるような事して」

「気にすんなって。それに、拠点として出入りが多いってだけであって、ゼルべジャンが支配してる街って訳じゃないからな」

「そうなの?」

「ああ。とはいえ、あんま目立つことはしないに越したことはないけどな」

「……エスタとルーザ、大丈夫かな」

 何気なく外を見たセリオスは、介抱にお礼を言うと用意されていた水を一息に飲んだ。

「二人でいる分には大丈夫だろ。ルーザなら囲まれてもエスタ一人くらいなら守れるし」

「……それもそうだね」

 ルーザの身のこなしを思い出したセリオスは、思わずふふと笑ってしまった。

「アルフェリオの動向もそうだけど、帝国のことも何か入ってくるといいんだけどなあ」

「待つしかないな」

 ぽんぽんと背中を軽く叩かれたかと思うと、リシュリオは立ち上がって大きく伸びをした。

「さて、二人をただ待ってても退屈だな。なんか食べれそうか?」

「うん、大丈夫」

「じゃあ軽く作るか」

 

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