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懐古 旋転・下


 リシュリオがはっとして飛び起きた時はもう、遠くの空が白み始めていた。

「いっ……!」

 硬い地面に寝ていたせいで、身体が痛い。

「ああリシュリオ。やっと起きたか」

 近くで他の大人たちと焚き火を囲って互いに報告していたソリドは、そんなリシュリオに苦笑した。

「火は?!」

「もう消したよ。よくもまあそんなとこで寝こけられるよ」

 大物になるわ、お前。そう笑われて、流石にかあっと頬が熱くなったのがわかった。

「う、うるさいな! ちょっと休憩したら火の気が残ってないか見に行こうと思ってたんだよ!」

「おうおう。数人見回りに残って、皆そろそろ引き上げようって話だったから、お前もそうしな」

「ああ……」 もうその段階なのかと思うと、途中で力尽きた自分が情けなかった。

「救助は、できたのか?」

 ハッとして尋ねるが、気まずそうな表情が返ってきただけだった。

「……日が昇ったら、みんなで弔う予定だ」

「そう……か」

 それが、答えだった。



 大人たちが引き上げた瓦礫の中。リシュリオはなるべく丁寧に見て回った。くすぶっているならば水をかけ、せめて再燃だけはしないようにと気を配った。


 不意に妙に焦げた匂いが鼻について、あたりを伺った。もしやまだどこかで煙がくすぶっているのだろうか。だとしたらそちらも消火しておいたほうがいいだろうと思い、懸命にその根源を探した。

 その匂いを辿っていくと、瓦礫の物陰に人影を見つけた。灰色がかった青緑色の頭髪は煤ですっかり薄汚れ、うずくまっているのは老人かと一瞬見間違う。

「お前は?」

「……この船の持ち主に雇われてた、傭兵だよ」

 端的に返ってきた言葉に、リシュリオは思わずよかった! と破顔した。ソリドは全然いない風に言っていたが、ちゃんといるじゃないかと思ったせいもある。懸命な活動の実感が湧いて、少しばかり嬉しくなっていたせいもある。

「生き残りがいたんだな! ここは危ないから離れたほうがいい。知らない人ばっかで休まらないかもしれないけど、皆が休憩してるとこに案内するからさ」

「そうだろうね」

 そうだと言いつつ、相手が動く様子はない。返ってきた声は少々かすれていたものの、はっきりとした物言いで存外若く、自分と同世代だと確信した。

 その者の膝元にある遺体が、焦げた臭いのもとだと察すると同時に、思わず「そいつは……」 と呟いてしまっていた。

「……友人。だったもの」

「そうか」

 怪我を負ったその腕に抱いていたのは、小柄ながらも人の形をしていた。鳥の羽が焼けたようなものが散っており、彼が瓦礫の中からその姿を助け出す時に散ったものだと容易に察した。

「助けられなかった」

「……よければ一緒に弔うよ」

「あの中に一緒にするのは、可哀想」

「じゃあ尚更だ。大切なやつだったんだろ」

「大切……そうだね。唯一の話し相手だったかも」

「そっか」

 多くの言葉は不要だった。


 せっかくだから見晴らしのいいところに弔ってやろう。とっておきを教えてやるよ。そう提案したリシュリオは、持ってきたボロ毛布にその遺体を包むと、二人で町外れの丘陵に来た。

「ここはあんま人が来ない、秘密の場所なんだ」

 内緒なと傭兵の少年に告げると、そうと端的に返ってくる。

 浮遊島の中でも数少ない低木の森を抜けると、不意に視界は開けた。丘陵の頂上はひときわ標高が高いから、木が育ちにくいんだとリシュリオは教えてやった。

「時期になると小さい花が沢山咲くんだ。町が見下ろせて景色もいいし、妹もお気に入りでさ。ここならそいつもきっと、寂しくないと思うぜ」

「……ああ」

 黙々と二人で掘ると、まもなく大きくない姿がすっぽりと入るだけの穴があいた。そこに横たえた焼けた身体を覆うように、静かに土をかけてやった。

 やすらかに、と。呟いたのは誰だろうか。黙祷を捧げ終わるまで、静かな時間は流れていた。


 やがて傭兵の少年も気が済んだのだろう。顔を上げた横顔を伺いながら、リシュリオは尋ねた。

「俺はリシュリオっていうんだ。お前は?」

「……テオドルーザ」

「へえ、強そうな名前だな。同い年くらいだろうに、もう仕事やってるなんてすごいな」

 へへと笑いかけてから、聞かれてなくとも俺はさと続けた。

「いずれこの島一番の飛行艇乗りになりたいんだ。今はまだ自分の飛空艇もないけど、いつか絶対空に出る」

 力強く宣言すると、初めてこちらに目を向けられた。

「……こんな風に墜落するかもしれないよ」

「縁起でもない事言うなよなぁ! 俺の飛空艇は墜落しないの!」

「……ふふ。なにそれ」

 初めてこぼした微笑みは弱々しかったが、日の出に照らされた表情はそれでもどこかすっきりとしたように見えた。


 朝日を見て不意にあっと思い出した。墜落現場に駆けつけてからそのまま消火活動に参加していたから、そういえばすっかりシェナンの事を忘れていた。

「なあテオドルーザ、悪い。また後でお前に会いに来ていいか?」

「……好きにしなよ。当分、行くところ無いし」

「わりい! 妹が多分心配してるんだ。後で紹介するよ」

 本当はこのまま招待して、保護した彼の今後を相談できる誰かに面通しをしてやりたかった。だが置いてきた上に見知らぬ誰かを連れて帰るのは流石にシェナンに対して気が引けて、すぐ戻るからと駆け出した。



 * * *



 すっかり遅くなってしまったと、リシュリオは小脇に抱えたバスケットをひっくり返さないように気をつけながら走った。


 シェナンには心配したと散々文句は言われたが、事情を懸命に話したら仕方がないとわかってくれた。大切な友人までも亡くして一人ぼっちになって困っている同世代がいるという事実に、可哀想だと気落ちしたのも大きいかもしれない。

 特にお腹がへるのは苦しいからと、自分たちですら大切に食べているパンを削ってでも作ったサンドウィッチを、バスケットに詰めて持たせてくれた。


 おせっかいはセレナおばさんに似てきたか。そんなおしゃまに感謝しつつ、リシュリオはテオドルーザを探した。


 丘陵の墓にはもう尋ね人はいなく、もしかしたら瓦礫のどこかで、自分の荷物を探しているのかもしれないと思い直した。島では見かけないくすんだ青緑色を探していたら、座り込んでいる様子を遠目に見つけた。

 その姿に声をかけようとして、側で瓦礫を漁っていた見知らぬ姿に、不意に腕を引かれて驚いた。


「おい止せよ。あいつ、奴隷だぜ?」

「奴隷……? 何だよそれ」


 唐突な言葉に眉をひそめて伺うと、どこか得意げな表情が返ってきて不快だった。

「知らねーの? 主人から与えられるって首輪外してる脱走奴隷って話だ。関わると、お前も仲間かと思われるぜ?」

「……あっそ」

 親しくもない見知らぬ者に言われたところで、リシュリオの気持ちは動かなかった。

 見たことないその少し年上の子供はおそらく、その恵まれた体格からリーダー的な存在なのだろう。そしてリシュリオの町から離れた、よその区画に住む誰かだろう。墜落の噂を聞きつけて、火事場泥棒にでも来たのかとあたりをつける。

 親切で言ってやってんだぞ! と引き止めてくる手が煩わしい。

「だってそれ、本人は違うって言ってんだろ。なら違うでいいじゃねぇか。どーせそもそも、その主人って奴は死んでんだし」

「チッ、どうなっても知らないからな! 仲間にも入れてやらねぇよ!」

「誰だか知らねーけど。俺がお前の仲間になることねぇし。そもそも、なったことも無いだろ」

 じゃあな、と。さっさとその場を離れると、喚く声がしばらく背中を追っていた。くだらないと感じたのは仕方がない。目の前の者の言動と彼のものと比べて、彼の落ち着いた印象の方が信じるに値したからかもしれない。


 町のはずれの墜落現場まで行くと、見かけた場所のまま座っている姿を見つけた。

「なあ。お前、墜落の原因について何か知ってたりするか?」

 特に挨拶をするわけでもなく隣に座って尋ねると、一瞬こちらを伺った目と合う。

「……ほんの余興だって、飼い殺しにしていた翼人(よくじん)の奴隷に、火の輪くぐりをさせていた」

 まさか返ってくると思ってなくて、リシュリオはその表情をじっと見たまま隣に座り込んだ。リシュリオの視線を、話の続きを待っていると解釈したのだろう。溜め息をこぼしてから、ぽつりと続けた。

「けど……そいつはそもそも逃げられないように足の腱も風切羽も切られてて、上手く立つこともできなかったから、ただそのまま転ぶみたいに火に突っ込んでいってた。それでも許されなくて、何度も繰り返している間に火の輪が倒れた。持ち主自慢の酒蔵に燃え移って、火が広がって、大騒ぎしてる内に……煩いから黙らせろって言われた。本当にいいのかって聞いたのに、命令に従えばいいっていうから、言われたとおりに騒いでる奴から全部切った。そしたら……あとは知っての通り」

「そうか……」

 大変だったなと言うのも、お前が原因だったかというのも、大丈夫かと告げるのも何か違う気がして、リシュリオは言葉を詰まらせた。他にも生き残ったやつがわずかにいるみたいだから、そいつらと合流するかと尋ねると、相手はただ緩やかに首を振った。

「多分、話にならないから」

「そうか」

 どうやら告げた当人は、内容をあまり気にしていないらしい。手持ち無沙汰と言わんばかりに、その手にしていたものを手元で小さく上に投げては掴んだ。

「テオドルーザ、それお前の?」

 放り投げては掴んでいたそれは、話には聞いていた、主人が所有を示すために、奴隷に付けさせる事が多い首輪だった。

「うん? ああ……これね。違うよ。さっきの。友達だったやつの」

 全部燃えちゃったけど。そうあっけらかんと告げられて、さっきのやつか、とリシュリオは頭をかいた。

「ふーん。じゃあやっぱ、そこの噂は噂でしかねぇってことか」

「噂?」

「お前があの船の持ち主の奴隷じゃないかって話。他所から来たからってバカが何か言ってるんだろうな、とは思ってたんだ」

「ああ……そんな事」

 告げた途端、何でもないと言わんばかりにテオドルーザは無表情に唇だけで笑った。

「ふっ。いいよ、慣れてるから。他人の評価なんて腹の足しにならないもの、気にしてないし」

「腹の足し?」

「そう。それでお腹が膨れるなら耳を傾けるけど、何の役にも立たない他人の評価ほど、気にする価値もない」

「ふうん?」

「オレはね、自分の価値を高める為に腕を磨いて、その価値を払えるだけの食い扶持を掴んでいた。……今回の事はちょっと予想外だったけどね。あとはまあ、それならそれで、オレは好きにするつもりさ。彼の事は……この首輪の持ち主のことは、ちょっと残念に思ってる」

「そっか……」

 しんみりとした空気で頷いたかと思うと、リシュリオは空気を変えるように手を打った。

「じゃあさ、よかったら俺と組まないか?」

「君と? 今の話聞いてた? 正気?」

「え、うん。テオドルーザは傭兵なんだろ? 今はまだ俺も飛空艇はないけど、もうすぐ形になる。そしたら、俺と組んで、色んな空を見に行かないか? 荒事はお前を頼らせてもらう。そうだ、折角だ。その首輪の持ち主だった奴の故郷に、行ってみるのもいいかもな?」

「ああ…………。まあ……そう、だね。考えておくよ」

 僅かに眉を寄せたテオドルーザは、腕を組んで至って真剣に問いかけた。

「でも君、オレを雇えるだけの金出せるの? 言っておくけど、オレはそれなりに高いよ?」

「あっはは! だよな! わりぃ、今は無理! 俺の飛空艇造るのに精一杯だからな。今すぐは金はない。でも、なあ! そうだ! お前さ、二翼飛行機(カイト)で飛んだことあるか? 二人乗りなら二翼飛行機(カイト)より四翼飛行機(フロート)のが乗りやすいかな? どっちでもいいけど!」

二翼飛行機(カイト)? 無いよそんなの」

「じゃあさ! ちょっと借りてくるから、一度一緒に飛ぼうぜ! きっと楽しいから!」

 それから決めてくれよ、と。屈託なく笑ったリシユリオに、テオドルーザは呆気に取られて固まった。

「いやさ、君……。断られるかも、とか思わないんだ?」

「え? 断るつもりだったのか? 乗ったことないなら良し悪しも解かんねぇのに?」

「は…………」

 リシュリオの釈然としない表情に、テオドルーザも呆気に取られた様子だった。やがて、ふっと肩を震わせる。

「なんだよ、それ。ははっ! お前、空バカ過ぎるよ」

 くすくすと笑われても、何故か悪い気も反抗心もわかなかった。むしろ、笑ってくれてよかったとホッとする。


 よかったら一緒に食べないかと、シェナンが持たせてくれたサンドウィッチを一切れ渡してかじりついた。多分お互いに一切れでは足りないだろうが、一日くらいそんな日があっても構わないと思えた。

 そうして食事をともに取っていたが、ふと気になってリシュリオは尋ねた。

「ちなみに、いくらもらってたんだ?」

「ん?」

「例の雇い主から! 報酬もらってたんだろ? お前を雇うなら、相場感くらい教えてくれないと」

「まだもらってないよ」

「は?」

 聞き間違いだろうかと、目をしたたいた姿に、テオドルーザは首を傾げた。

「この旅が終わったらもらう予定だった。それまでは衣食と寝床の提供のみの約束だったから、今回の報酬はなしってことだね」

「前払いも、全くないのか?」

「前払い……?」

 初めて聞いたと言わんばかりの反応に、リシュリオは戸惑った。

「え、三日くらいの旅行だった?」

「うーん? かれこれ半年近くは乗ってたかも? まあでも、生活に困らない衣食住の環境はもらっていたから、そんなもんかなって」

「半年?! 馬鹿野郎!! お前それ普通に搾取されてるぞ!」

「そうなの?」

「よかったな、一先ず。大丈夫だ、その若さでそんだけ腕っぷしあれば、仕事には間違いなく困んねぇし。必要なら生活周りの環境整えるのに、俺も協力するからさ」

「……そう、か。うん……その。色々、気にしてくれてありがとう」

 初めて言われたお礼に、リシュリオは驚いた。同時に、なんだか長い付き合いになりそうだと妙に確信があった。


 そんな感覚も束の間、隣はまた真顔に戻った。

「……っていうか。その若さって言うけど、オレ多分、君より年上だよ」

「え、ウソ。お前のほうが年下かと思ってた」


 ーーーーそれが、半生以上にわたり空の旅を共にする事になる、相棒とも呼べる存在との出会いだった。

 

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