懐古 旋転・上
――――これは、過去の話である。
その日は月明かりもない、雲の上を飛んでもとても暗い夜だった。比較的穏やかな気候を誇るマレスティナにしては珍しく、嵐の前触れのような空だ。
飛空挺乗りに言わせれば、風竜が嵐を伴ってふらりと回遊に来た、そんな天気だった。
嫌な天気だと顔をしかめたガラクタ屋の店主であるソリドは、伸ばしっぱなしの顎髭をぞりぞりと揉んだ。
白んで灰色混じりのそれは、目付きの悪さも相まって犯罪者に見間違えられる風貌だ。だが凶悪な容姿とは裏腹に、彼は面倒見の良い男だ。面倒だと思いながらも、重たい腰を上げる。
ゴミのように積み上げられたその場所は、飛空挺の残骸ばかりだ。中には飛空挺の面影すらもなく、ただの鉄屑としか言い様の無いものも多い。
「おいリオ坊! 居るんだろ、リシュリオ!」
いつもであれば、それは自分から絶妙に見えない位置に潜んでいる。本人は隠れているつもりになっている悪ガキの名を呼ぶと、何かが物陰で慌てたのが解った。やれやれと思いながらそちらに向かうと、案の定の姿があった。
「おい、リオ坊!」
「っ……! な、なんだよソリド! 別に勝手に解体なんてしてないし!」
物陰を覗き込んだ途端、露骨にびくりと身体を強張らせた少年は、背中に工具を咄嗟に隠していた。彼の後ろには、分解されかけのエンジンが見えており、ソリドはただ呆れた様子で僅かに肩を竦めていた。
「……ああ、何も言ってねぇよ。それより、お前今日はもう帰れ。雲行きが怪しい。嵐が来るかもしれねぇ」
「え?」
驚いて慌ててガラクタの影から出てきた少年は、一帯の空模様に初めて気がついた様子であっと声を漏らしていた。それほどまでに熱中していたのかと、ソリドはただ苦く笑う。
「お前いつか空に出るんだろが。他の事やりながらちゃんと空と風もみてやらないと、とてもじゃないが飛行艇乗り目指せねぇぞ」
「な、う、うるさいな。ちょっと今日は、その、ちょっと気がつけなかったっつーか……なんというか……」
どもりつつ、後手に隠した拳ほどの大きさのパーツをちらちらと見やる姿に、ソリドは『ははあ』と思わず笑う。
「なんだ。反重力装置の核に目が眩んでいたのか」
ぎくりと身体を強張らせたのは気の所為ではない。「ち、違うっつの!」 と、ぷいっとそっぽを向きながらも、背中に隠したものを必死に隠そうとしているのがありありと伺えた。
「じゃあその手のもの、見せてみろよ」
「これは……その……」
しどろもどろになった姿を、ソリドは尋問したい訳では無い。
「あぁあぁいいから、それはお前にやるって。いいから帰りな。シェナンが心配するだろ」
「うっ…………解った」
はよ行けと、しっしと手で追い出すソリドに恨めしげな目を向けながらも、その手に抱えた反重力装置の残骸はしっかりと握りしめていた。
家の扉を開けると、その音を聞きつけた姿が振り返っていた。
「お兄ちゃんおかえり!」
飛びついてきた二つほど幼い姿を抱きとめて、その頭をぽんぽんと撫でる。
「ただいま、シェナン。悪い、遅くなった」
「いつもの事だから気にしてないよーだっ」
ぷっくりと頬を膨らませた姿に、リシュリオも流石に申し訳なくなって狼狽えた。
「う……悪かったって」
明日はもう少し早く帰るからと、頭を撫でてやると、途端ご機嫌そうににぱと笑った。
「えっへへ、お兄ちゃん、約束よ? 飛行艇のパーツ今日も集まった?」
「ああ、あったよ」 仕方ないなと思いつつも、こればかりは少し得意げになってしまった。「驚くなよ? なんと今日は! 反重力装置のパーツを分けてもらったんだ!」
「えーーーっ! すごいすごい!!」
お兄ちゃんならあっという間に飛行艇作れちゃうね、と。自分のことのように喜ぶ姿に、リシュリオも自然と笑顔を向けた。
シェナンはリシュリオと同じ夜空のような濃紺の瞳を輝かせたかと思うと、得意げに胸を張った。
「わたしも今日がんばってご飯つくったんだよ! 偉いでしょ」
「ああ。いつもありがとうな」
「えっへへ」
「今日は何を作ったんだ?」
「肉団子とお野菜のスープ! セレナおばさんがお野菜を切って火を起こすの手伝ってくれたの」
「そっか、ちゃんとお礼言えたか? 俺からも後でお礼言っておくよ」
「うん! ちゃんと言った!」
「シェナンは偉いな。さ、温かい内に食べようかな」
「うん! パンも出すね」
嬉しそうに手を引くシェナンをいなしながら、リシュリオは用意されたスープを盛り分けた。玄関を入ってすぐあるダイニングで多くの時間を過ごす二人にとって、この時間は一層特別だった。
食事を平らげ、リシュリオは片付けをした。その間に、シェナンには寝る準備をすっかり済まさせる。それからダイニングの隣の小さな寝室にシェナンを寝かしつけてからが、リシュリオにとっては本当の自分の時間だ。
ダイニングと寝室以外に唯一ある半地下の倉庫は、二翼飛行機が余裕で入るだけのスペースがある。リシュリオにとってそこが自分の城で、大切な工房だった。
ソリドのがらくたの山から見つけた古いオイルランプに火を灯し、その光源で集めたがらくたを分解した。
分解したパーツは使えるものと使えないものにより分けて、見様見真似で同じものを復元する。リシュリオはそうして二翼飛行機の外殻も何もかもをつなぎ合わせて造っていた。
その原動力は一重に、空に出るため。憧れの背中を追うためでもあり、たまにしか帰ってこない父親への意趣返しでもあった。
本日手に入れたものは上等だ。反重力装置は廃材の中でも高価なものであるし、核は特に壊れやすくて、無傷で手に入る事自体珍しい。
思わずそれを手にとっては、手垢をつけるのも勿体ないと作業台に置く。眺めては手に取る事をずっと繰り返してしまっていた。
ほう、と嘆息していたその時だった。緊急を知らせる警報が、夜の町に鳴り響いた。
「なんだ……?!」
思わず窓に駆け寄ると、一瞬日の出かと勘違いするほど空が妙に明るかった。
どこからともなく聞き慣れないエンジンの音が空いっぱいに轟いていた。聞き慣れないのも無理はない。浮遊島に出入りするよりも余程巨大な飛行艇が、火の手と真っ黒な煙を上げながらこちらと吸い寄せられているのが一瞬見えた。
ただ事ではない。そう感じるには十分なくらいには、経験のない光景だった。
慌ててダイニングに続く数段ばかりの階段を登ると、不安そうに寝室からこちらを伺うシェナンの姿があった。
「お、お兄ちゃん……」
「っ……シェナン! お前は布団かぶって隠れてろ! 逃げる準備だけしておけ。セレナおばさんが来たら言う事聞くんだ」
「お兄ちゃんは?!」
「俺はソリドに聞いてくるから!」
「待って、わたしも!」
「いいから! 大人しくしてろ!! すぐ戻るから!!」
待って! と。そんな声をずっと背中に受けていたと思う。しかし構ってもいられなかった。
異変を感じて飛び出してきたのは何もリシュリオだけではない。逃げ出すもの、煙の先を伺うもの、煙の先へ向かう者と、様々な動きに大通りは混乱していた。
直後、ズンと地面が揺れた。空が一瞬爆発したかのように明るくなったのは、先の飛行艇が不時着して燃料に引火したのだろうか。
砂塵を巻き上げた生暖かい風が、遠くから一際強く吹き抜けた。
「っ……!」
思わず、息を呑む。居ても立ってもいられなくて、リシュリオは駆け出した。
目的地にたどり着く前に、店の前で近所の店主たちと話す馴染みの男の姿を見つけた。
「ソリド! ソリド!!」
慌てて呼ぶと、そこにいると思っていなかったのだろう。驚いたソリドに迎えられる。
「わ、リシュリオか? お前シェナンは……」
「家にいるように言ってある! それより、何が起きたんだよ」
「何もって言われても、こっちだってわかんねぇよ。町外れにでっけー飛空艇が落ちたんだ。あの規模じゃ兎に角、消火活動に人手が必要だ。放っておいたら、下手したら町も焼けるからな。お前も手伝え!」
「わかってる!」
大人たちと共に墜落現場にたどり着く頃には、半分に折れた飛空艇の残骸中腹から上がる火の手に、頬が炙られるほどだった。
もっと現場は逃げ出した乗組員でごった返しているかと思いきや、リシュリオが想像していたよりも静かだった。砕けた飛空艇の残骸の下敷きにされた人の姿を見かけた時は、声をかけても反応はない。潰されてしまった時に一息に息絶えたのだろうか。むせ返るほどの血の匂いに、リシュリオは吐き気を催し、慌てたソリドに引き離される始末だった。
思いのほか燃え盛る火の手の勢いが強くて、大人たちの水を運べという怒号もかき消すほどだ。飛行艇が墜落するとこうなるのだろうかと、思い知らされたような気がしてならない。
空の色を変えるほどの黒煙と業火が、全てを焼き尽くしてしまうかのように思えた。
兎に角やれることをやろうと、がむしゃらにバケツで水を運んだ。どこかの工房が持ち出したのだろう。散水機から放水されて、やっと火の手がわずかに弱まるくらいだった。
怯えた様子の従業員らしき姿が中には救助されていた。墜落の衝撃で四肢が潰れてしまったものも少なくない。あるいは頭を打ち付けたようで、助けられた直後には意識があったものの、空気に溺れるようにして亡くなったものも多かった。
「ひでぇな……生き残れた奴いるのか?」
時折、すすだらけになりながら隣で汗を拭っていたソリドがそうぼやいていたような気がするが、すがる思いでリシュリオは水を運び続けた。
どれほどの時間、そうしていただろうか。
もう水の入ったバケツを持ち上げることもままならないくらいへとへとになって、人通りの少ない場所でリシュリオは地面に寝転んだ。
恐らく助かったものがいるのだろう。遠くのほうで何やら言い合っているような声を聞いたような気がした。
ソリドの話では、豪商の遊覧飛空挺だという話だった。ただあまり褒められた商売ではなかったらしい。搭乗していた乗組員は訓練された飛行艇乗りではなく、首輪で繋がれた多種多様な人種だったと言う話だった。
自由の空にそんな不自由があるのか。
夢うつつに聞いていたリシュリオは疲労の中、こんなところで寝るなと言われながらも、一時のまどろみに落ちていった。




