46. 追跡
「悪い、遅くなった」
「リシュリオ、ルーザ!」
慌てて振り返ったセリオスとエスタの様子に、リシュリオも即座に異変に気がついたようだった。
「……何があった?」
「実はーーーー」
セリオスからエスタが受け取った手紙のことを告げると、二人が言葉を失ったのはわずかな間だった。
「迷ってる暇はねぇな」
「そうだね。僕は出立を伝えてくるよ」
「ルーザ頼んだ。エスタも準備してくれ」
「え……ええ」
未だ不安そうにする姿にリシュリオは、安心させるように「それに」 と笑いかけた。
「大丈夫だ、心配すんな。万一追いつけなかったとしても、最悪あいつが拠点にしてる街に乗り込めばいい」
「ははっ、あの街に気軽に乗り込もうだなんて言うの、リオくらいだけどね……。でも、確かにそれには賛成かな」
ルーザも飛空艇から出ていく間際に苦笑しながらも、気負った様子もなく同意した。
「ありがとう……」
さあ行こうと背中を押す仲間たちに、顔色を悪くしていたエスタは漸く目元を拭って呟くと、泣いている場合ではないと顔を上げた。
* * *
その街は、最北の天然要塞と呼ばれている。竜の息吹と名高い強風が吹き抜ける、嶮山の栄え街イル・クレスタ。山に囲まれ、流氷に閉ざされたわずかな平地に広がる、大きな物流の街である。
決して穏やかな土地柄とは言い難いその地が栄えているのは、北方大陸に抜ける最後の補給地点であるためという理由が大きいだろう。あるいは、どこぞの奇人が避暑にと、当時細々と生活していた人々ごと買い上げて、利便性を求めて気がつけば中継地として発展させてできた街だという。
ーーーーという、あくまで噂である。
そしてシュテルの飛行艇は……。
「やべー……、予備燃料も凍ってるわ。加熱でいけるかな?」
「多分、湯煎なら大丈夫じゃないかな。直火は流石にやめときなよ。それか山を下るくらいなら二翼飛行機で牽引出来るかどうかってとこだろうね。……この天気じゃ、当分厳しいだろうけど」
「だよなぁ……。まあ、仕方ない、一旦部屋に戻ろう。さすがに寒い」
「そう?」
「お前の耐寒性能、いつもながらおかしーわ」
詰まる所、絶賛、遭難していた。
正規と呼ばれる山岳の間を抜ける飛行路を、あえて避けて飛んだ結果だった。
ファーロに手紙を持たせて放ち、クコルを飛び立った一行は、ゼルべジャンが北北東に抜けていくのを確かに捉えていた。
生憎、中型にして最大クラスの飛空艇のエンジンを積んでいると聞くゼルべジャンの飛行艇は、シュテルの小さな飛空艇で追いかけることは案の定叶わなかった。改造した未調整のターボを今こそ使う時だと、暴走気味のリシュリオを、ルーザが殴って止めたのは余談だ。
一行が追跡の方角を定める頃には、追跡対象はすっかり雲の彼方に行く方を眩ませてしまっていた。
幸いだったのは、その頃にはエスタもセリオスも、当面のショックから少しは回復していた事だろうか。あるいは目の前の自然の脅威に、それどころでなくなったからかもしれない。
「リシュリオーっ、操舵室の窓の霜は取ったよ!」
「ああ、助かった! 中で暖まってくれ」
「うん!」
セリオスは上から声をかけて命綱をたどってタラップに戻ると、漸くほっと一息ついた。慣れない高所作業ということもあって、足を滑らせないかひやひやしていてのもある。
「おつかれさま」
展望デッキの入り口でセリオスの命綱のリールを巻き取っていたエスタも、落ち着いた様子で声をかけた。
「すごい汗よ。タオルは下のフロアに用意してるから使って」
「思ったより体制がきつかったんだよ……。タオルよりシャワーもらおうかなぁ」
「どうせ今はそんな熱いお湯出ないし、余計身体冷えるからやめときなさいよ。すぐ蒸しタオルにしてあげるから、兎に角今は汗を拭いて、先にストーブに当たったほうがいいわ」
「ん……わかった。そうする」
寒いとぼやきながら部屋に駆け込んだセリオスを、仕方なさそうに見送った。確かにこの天気では仕方がないかとエスタも肩を落とした。墜落しなかっただけ上等だろう。
自然と操舵室に集まった一行は、各々が定位置に座った。ルーザが持ってきたホットワインを口にすると、生姜の香りと蜂蜜の甘さに、舌先まで冷えていたかのような感覚に痺れる。
「さって、どうしたもんかねー」
一息にカップの半分ほどを胃に流し込んだリシュリオは、測量機をざっと見回して溜め息をついた。地図を広げ、多分現在地はここだろうと睨む。
目的の街までは山脈を越えなくてはいけなく、燃料が凍りついてしまった今、飛空艇の推力は期待できない。頼りにできるのは反重力装置の浮力で出来ることは下山くらいかと、地図をコックピットの上に放りだして、組んだ腕の肘を叩いた。
「今回は焦って判断を間違えたよ。悪いな」
「まあ、たまにあることだし気にしてないよ。幸い、飛空艇に破損はないしね。時間は掛かるだろうけど、燃料は溶かせば使えるわけだし、どうにかなるさ」
「せめて不凍燃料さえあればなあ……。備えときゃ良かった」
楽観的に答えたルーザはそれかと続けた。
「僕はまだ動けるし、徒歩で牽引しようか?」
「山脈越えるまでってか? バカ言え。流石に吹雪いたらお前でも飛ばされるだろ」
「まあ……それはそうだね」
「大体、それやるくらいなら一度下山して、あいつに見つかるの覚悟で正面突破した方がマシだ」
「わかったわかった。ごめんって」
冗談だからとルーザは笑った。
「動かせるだけの燃料が溶けるまで、しばし休息だな」
リシュリオは何気なく窓の外を見ると、そんな彼らに応えるように、吹雪いていた雲は途切れて久方ぶりに青空がちらりと見えた。もう少しの辛抱だろうと、再び測量機一帯に目を向けて、先程よりも安定してきているのを確かめた。
「……間に合うかな」
思わずぽつりとセリオスが零すと、リシュリオも苦笑した。
「仮にあいつらがイル・クレスタから内陸に向かったとしても、この気流じゃ同じく身動き取れないよ」
だから天然要塞なんだよ、と説明されて、それもそうかと頷いた。
自然と会話が途切れる。風が強いのか、どこからともなく唸るような音が、室内に妙に大きく聞こえた。
「なんか、懐かしいね」
何気なく窓の外に目をくれていたルーザは、不意にくすりと笑みをこぼした。
「何が?」
不思議そうに首を傾げたリシュリオに、ルーザはくすくすと笑った。
「リオと二人で初めて飛んだ時、こんな風に立往生したことあったよね」
「ああ……あったな。お前が商船付き護衛で、マレスティナに来た直後の、な」
「来たっていうか、あれは墜落だけどね」
「マジであれは洒落にならねー事故だったなあ。住人に被害がなかったのが幸いだったけどよ」
当時の光景を思い出したのか、リシュリオは足を組んで座席に身体を預けると吹き出した。
「ぷ……こいつさ、今となってはこんなだけど。知り合った昔なんて人の話ぜんっぜん聞かなくてさ。火災で墜落現場はあぶねぇっつってるのに、そこから離れようとしなくてさ」
「話を聞かないのは君もだろ、リオ。それにあの頃は雇い主に死なれて、どうしたらいいか分かんなかったんだ」
「雇い主?」
思わず尋ねたセリオスに、「傭兵として雇われてたんだ」 とルーザは補足した。
「あんなクソみたいな雇い主、混乱に乗じて死んでくれて良かったって未だに思うけどな。傭兵って言うけど、あんなん完全に奴隷だろ。給金すらもらってねぇんだから」
「そういうものだと思ってたからなあ」
「何度も言うけど、そういうもので済ませるなっつの。自分の意志すら無かった状況なんだぞ? 笑えねぇよ」
「あはは! 僕としてはそれで今こうしていられるんだから、結果オーライだけどね」
そうだろ、と。なんてこと無いかのように言われては、リシュリオもそれ以上咎められなかった。仕方がないと言わんばかりに、ふんと鼻を鳴らす。
そんな彼らの様子に、セリオスも首を傾げた。
「昔ってそれ、数年前の話じゃないんだよね?」
「あー何年経った……? もうそろそろ二十年くらいか?」
「十八年かな」
「そんなもんか」
時間が過ぎるのは早いなと、年寄りじみてこぼしたリシュリオに、ルーザも同意する。
「あの時はそう、リオが勝手にレメディスの二翼飛行機を持ち出したせいで、大騒ぎだったね」
「一緒に乗ったんだから、お前も同罪だかんな」
「そもそも君が誘ったんだろ」
「そりゃ、ほっとけなかったからな。お前は目の前で何が起きててもロクに反応しないし、俺は俺で同世代の子供なんてほとんどいなかったから仲良くなりたかったし」
「それもそうだね」
和やかな空気に混ざるように、エスタも身を乗り出した。
「ねぇ、レメディスってもしかして、雲切のレメディスのことかしら」
「あー。そういやあいつ、そんな肩書もあったな」
「知ってるの?」 と尋ねたセリオスに、エスタは首肯した。
「武勇伝をいくつか聞いたことあるわ。レメディス、オルファ、セセリア、イルーシャ、ディンデレオ。五人組の、飛空艇と『翼』の名手で、飛行艇乗りの多くが憧れるって。中でも雲切って肩書も、レメディスが飛ぶとあまりの速さに雨雲も切り裂いて逃げ出すからって聞いたわ」
「優秀な乗り手であるのは否定しねーよ。でも、……はは! あのいい加減なおっさんたちが如何にもかっこよく語られてるのを聞くのって、なんか面白いけどな」
「リオそれ、本人らが聞いたら吊るされるよ?」
「違いないや!」
ぷっと吹き出したかと思うと、リシュリオはホットワインを一息に飲み干した。
「よっし。そんじゃ俺はちょっとエンジンの整備をしてくるわ。燃料はもう少し溶けるのに時間かかるだろうし、皆はくつろいでてくれよ」
「あ、それなら僕も行く!」
セリオスも慌ててカップを煽ると、出ていく背中についていった。
「リオ、一時間後に声かけるからね」
「頼んだー」
ルーザが夢中になるなよと釘を差すように声を掛けると、背中越しにひらひらと手を振って応えていた。セリオスのばたばたと言う音が遠退いたかと思うと、広場の奥で機関室の扉が開閉された音が妙に響いて聞こえて微かに船体が揺れた。
そんな背中に、ルーザだけが仕方なさそうに肩をすくめた。
「……慌てちゃって。きらきらした目で言われて、気まずかったんだろうな」
「え?」
ぽつりと言われた言葉が聞き取れなくて、エスタは聞き返した。だが、にこと微笑まれたかと思うと、「エスタはどこでその五人を知ったの?」 と逆に聞かれてそれ以上は聞けなかった。
「え、ええ。セセリアの航空手記だったかしら。各地の地形や気候の勉強をしてた時に、多分紛れ込んでたんでしょうね。それまで専門書ばかりを読んでいたから手記なんて珍しくて、ついつい夢中で読んでしまっていたわ」
「そっか」
あまりにも意味ありげな反応だったので、エスタもつい恐る恐るその表情を伺った。
「……もしかして私、何か気に障ることを言ってしまったかしら」
「そんなことないよ。ただリオにとっては多分、彼らは師匠でもあるし、同時に超えるべき人達であるだろうなって思ってね」
「そう……。前に、妹さんのことでお世話になった空賊の人達がいるって話してたわ。だからてっきり、その恩人で憧れなのかとばっかり」
「ああ、それ聞いてたのか。恩人には違いないと思うけど……なら、いいか。話にあったディンデレオだけど、リシュリオの親父さんだよ」
「えっ」
思い出すのは、ろくでもないクソだと語った、あの時のリシュリオの表情だ。思わず席を立って追いかけようとしたところを、ルーザに止められる。
「大丈夫、リオがそれをエスタに話したってことは、知ってもらって構わないって事だから。別に謝りに行く必要ないよ」
「でも」 と、口ごもって目を伏せたエスタに、ルーザは苦笑した。
「うん、悪いことしたなって感じてるなら、その分、些細なことでもリオのことを信じてあげてよ。酷い話を聞かされたんだろ? だからって訳じゃないと思うけど、あれでもさ、君も守るために必死なんだ」
「それは……ええ。わかってるわ。そうじゃなかったら、アジェイの事があったのに、こんなに落ち着いていられなかったと思うわ。私自身、もっと引きずるかと思っていたんだけども……。こんなに早く次に行動出来る日が来るなんて思ってなくて、すごく驚いてる」
「はは、それもそうだよね」
それなら良かったよ、と。嬉しそうに笑ったルーザに、エスタは真面目くさって告げた。
「リシュリオさんはもちろん、ルーザさんのおかげでもあると思うわ」
「そっか。そう思ってもらえるって、嬉しいものだね」




