45. 空虚
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ーーーーとある場所の、とある城。
曇天は低く、大きな窓に映る街並みは煙る。夜になれば空はより一層暗く低く立ち込める事だろう。
工業区画では黒煙が登り、煙突までもを焼く炎は空気までも焦がしているかのようだ。遠くからも見えるほど煙突の上で揺らめく陽炎に、溶鉱炉の熱を知れる。
熱気とは裏腹に、街並みはさび付き人気も薄い。店の並ぶ中心街ですら活気はなく、息をひそめているかのようだ。恐らく誰もが工業区画に駆り出されているのだろう。
時折空を行き来する飛空挺からも、まるで隠れているかのようだ。
「オーランド様」
いつの間に背後に居た姿に呼ばれて、書斎机の前に座る男は窓の外からゆるりと視線を戻した。
男の返答を待たず、恭しく腰を折った赤髪の小姓の青年は告げる。
「宰相閣下よりお預かりいたしました、言付けをお伝え申しあげます。黒姫様ご帰国につき、お出迎えの祝賀にお顔をお出しください」
オーランドと呼ばれた男の漆黒の瞳がゆるりと青年を捉えたのを確認して、小姓の彼ーーーーリンデは安心させるように笑みを浮かべた。
「祝辞も不要で、ただその場にいればよろしいそうです」
良かったですねと告げられて男はわずかに目を伏せると、了承の意を込めて頷いた。
どこか憂いを帯びたオーランドの様子に、リンデは気遣わしそうに唇を引き結ぶ。何か言おうとして口を開きかけ、何も言えないまま肩を落とす。第二王子付きの証である、蝶にも見える小さな花を模した耳飾りが揺れた。
リンデは気を取り直すように、お辞儀した際に解けた赤髪を耳にかけて笑顔をつくり、至って明るい声で尋ねた。
「到着の知らせがあるまで、待機していて良いそうです。こちらでお待ちになられますか?」
デスクの上の書類の数々に目を向けて、お手伝いさせてくださいと申し出ると、オーランドにはただ首を振られた。わずかに視線をそらされて、小姓の青年は直ぐに意を得る。
「承知しました。こちらに」
颯爽と部屋を横切り、主人の為に、隣室に続く部屋の扉を開く。
衣装部屋を兼ねたその小部屋に踏み入れながら、オーランドは自ら羽織を脱いだ。リンデはそれを受け取ると、正礼装を入れ代わりに渡そうとした。だがオーランドはそれを受け取る事なく、華美な装飾の少ない礼服を手にしていた。
「オーランド様……」
意味するところは、正統後継者として出るのではなく、臣下の一人として祝賀に参加するという事か。長らく主人の声を聞いていないリンデは、込み上げるものを飲み下して肩を落とした。
「……承知しました。御髪を整えますので、あちらにお掛けください」
化粧台の前に主人を案内し、祝賀に合せて整えるべく頭髪に触れる。以前に比べて随分と輝きを失ってしまった鈍色の髪が、リンデには非常に残念に思わずには居られなかった。
それでも顎の位置で切りそろえられた髪を丁寧に櫛毛づき、せめてもの華をと一筋編み込む。そんなリンデの様子を、オーランドは感情の伺えない目で鏡を見ていた。
「そういえば、弟君からお手紙が届いていましたよ。受け取りになられなかったと私の方でお預かりしておりますが、後ほどお持ちしてよろしいですか?」
何気なく尋ねたリンデは、手元から視線を上げてハッとした。鏡に映る無表情に見つめられて、気まずそうに視線を彷徨わせる。またやってしまったと、思わずにはいられなかった。
「……出過ぎた事を申しました。誠に申し訳ありません」
リンデが手を止め深く頭を下げると、オーランドも視線を反らしていた。
差出人を理解した上で受け取る事を拒否したのであろう事は、リンデも元々容易に知れていた。自分からであればもしかしたら主人の意思を確認できるのではないかという考えが、如何に浅はかだったかと悔いる。
ふう、と、声に出さず肩を落としたオーランドは、もう気にしてないと微かに首を振った。それを見て、リンデもほっと肩の力を抜いた。
咎められる分にはいい。それで主人の気が晴れるならば、いくらでも咎は引き受けられるだけの覚悟がリンデにはあった。だが、沢山の物を進んで手放している主人に自分の事まで拒絶されることが、何よりも恐ろしかった。
どうか、せめて。この気の毒な主人の心労が少しでも軽くなりますように。これ以上の厄災が起こりませんように。
リンデは祈りを込めて自らの務めを全うしつつ、手紙の差出人と中身の対応に目を瞑った。




