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43. 裏切

 

「エスタの、姉……? 私が?」


 戸惑った少女は、隣に立つアーレンデュラを見上げる。その表情は、彼女が知る限りいつも余裕の表情でいる姿と比べると、いつになく真剣な様子だっただろう。アレン自身も、表情を取り繕う余裕は今の一瞬で失せてしまった自覚はあった。


 実際、アーレンデュラがこの場での話は止せと言っても、否定の言葉を一切口にしていない。否、下手に否定することが出来なかった。突けば齟齬の出る上辺の言葉は、目の前の見知らぬ女が言った言葉が、より真実だと告げる結果にしかならないと、気がついてしまったせいだ。

 否定しようがしまいが、結局この女の思惑通りなのだと認めざるを得なくて、臍を噛む思いでアレンは口を引き結ぶ。

「あの、一体、どういう事なの?」

「アム!」

 だから思わず、背中に庇おうとするアーレンデュラの腕から身を乗り出して、少女は尋ねていた。尋ねてしまっていた。何が真実なのか、知らずにはいられなかった。


 それを咎めるように、アレンが女から目を離した一瞬の事だった。アレンの意識が反れた一瞬を、好機と見た女は音もなく動いていた。

「っ……!」

 アレンが腹への鋭い痛みを認知したと同時に、女のプラチナブロンドがふわりと舞っているのが見えた。

 結った紐は(べに)と同じ赤なのか。そんな事に気が付いてしまう事に、疑問さえ浮かぶ。何故そんなものが目線を下げたら見えるのか、と。


「ぁっ、かはっ……!」


 刹那、掬い上げる様に、アーレンデュラの身長のわりに軽い身体は浮いた。視界が回る。

 次の時にアレンが感じたのは、背中から落ちた衝撃だった。遅れて、東屋の天井が見えていた。ひゅっと喉が鳴ったのは、肺から空気が逃げた音だろうか。身体が反射的に空気を求めて吸い込むが、まるで肺が縮こまってしまったかのように息が出来ない。

 投げまれた東屋の床では、勢いに巻き上げられた地図が舞った。


 ごほりと(むせ)て、漸く微かに呼吸が戻る。空を掴もうとした腕に力すら入らなくて、アーレンデュラにはどうにか腹を守ろうと身体を丸めようとするのが精いっぱいだった。

「あ、アレン……?」

 何が起きたのか理解が追い付いていないのは、少女ですら同じだった。ただ一瞬、風がふわりと過ったのちに、目の前にあった筈の高身長が消えたのだ。

 目で追えなかったものが過ぎていった事で起きた風に誘われて、そちらに目を向け、息を呑む。


 大丈夫かと声をかけるよりも先に、柔らかい声色が彼女の気を引いた。

「ああ、なんと。なんて気の毒な事でしょう。彼の院長殿と言い、その者と言い、貴女の真実を隠していたのですね」

「え?」

 そしてアレンの代わりに目の前に現れた姿を、少女はポカンとした様子で見上げる。憂いを帯びた表情は、決して少女を責めている訳ではないのに、こちらを申し訳ない気持ちにさせるには十分だった。

「先生、も……?」

「ええ。まずは貴女様をこのような目に合せた狼藉者たちに、制裁を与えねばなりませんね」

「あっ……ま、待って!」

 少女に向ける笑みを消して、転がされたアーレンデュラを女が見据えた事でアムは慌てた。アレンの元へ踏み出そうとしたその腕にしがみついて、引き留めていた。

「どんな理由があって貴方たちが対立しているのか、今の私には解らないけれども、アレンは私の大切な人に違いないわ! だから、これ以上酷い事しないであげて。ね、お願い」

 お話、聞かせてくれるんでしょう、と。少女がすこし困った様子で首を傾げると、女は固まったようだった。

「乱暴な事はおやめになって? 私は貴女のお話、ちゃんと聞きたいもの。先生が隠していたってお話も、聞かせて欲しいの。アレンは動けないわ、もういいでしょう?」

 まさか少女がそれほどまでに引き留めてくるとは思っていなかったのだろう。冷ややかな眼差しを未だに向けていた女は、暫し沈黙したのちに、にっこりと笑みを深めた。

「畏まりました、姫君。貴女様のお心遣い溢れるお言葉に免じて、あの者に()()()()()誓って手を出しませんわ」

 すぐに背筋を正して(こうべ)を垂れると、女は目線を合わせて跪いた。

「では我らが姫君、わたくしに触れるご許可を頂けますか?」

「え?」

「貴女の真実をお伝えするにしても、ここはあまりにも貴女に相応しくありません。有体に言えば小汚いです。お話する為に落ち着いた場所にお連れするまでの間、貴女様に触れる許可を頂けますか?」

 慣れない言葉に、(かしず)かれた少女は戸惑う。

「その、アレンは……」

 転がされたアーレンデュラをちらちらと気にしていると、女はくすりと笑った。

「手加減してありますので、あの者は大事ありません。少々のあいだ囀れない程度ですので、貴女様がご心配するまでもありませんよ」

「それなら、ええと、いいのだけど……」

 それなら心配いらないのかもしれない、と。少女は不思議と納得すると、目の前の女の真っ直ぐ視線に恐る恐る頷いた。

 アム、ダメだと。苦悶に絞り出した声は届かない。

「では、失礼いたします」

「ぇ……きゃ?!」

 それを確認するや否や、女は少女の両膝の後ろと背中に手を回すと、横抱きにして立ち上がった。全くふらつく様子もなく、参りましょうと囁かれて、アムは思わず、すぐ先でうずくまりながらも懸命に身体を起こそうとしている姿を見る。そして、思い出した様に女を見上げた。

「あの、夕餉(ゆうげ)の支度までに戻って来られるかしら? 今日、私、当番だから……」

「ふふ、そのようなご心配は無用と思いますが。ええ、貴女が()()()願われるのでしたら、掛け合ってみましょう」

「ええ、お願いよ」

「承知」

「アレン、この方のお話を聞いたら戻って来るわ。あなたのお話も、後で聞かせてもらうからね!」

 振り返った表情には、まるで今後がないとは思っていないのだろう。アムの言葉に、悶絶していたアーレンデュラは緩く首を振ったものの、少女が気が付いた様子はない。


 去り際の女の表情を、アーレンデュラは見た。勝ち誇ったような、弧を描いた赤い紅に彩られた口元がやけに目に焼き付いていた。

 くそ、と、小さく毒づく。


 ずぐりずぐりと脈打つ痛みに脂汗は滲み、何度となく浅く肩で息をしなければ呼吸もままならない。あれで手加減していたなんて、一体何の冗談だと文句を言わずにはいられなかった。

 下手に声を出せば、それすらも痛みとなって意識を奪いそうだ。アムが止めなければ、本気で殺すつもりで潰しにかかってきていた事だろう。首筋に浮かんだ脂汗が不快でも、拭ってる余裕もない。

「……は」

 吐いた息に、悔しさもない。職業軍人として鍛えている者に、勝てる訳がないと諦めに似た心境だった。


 少女の元来の好奇心の強さにしても、すんなりとついていってしまった事も想定外だった。否、その様に信じさせる事が出来ないだろうと、女の手腕を見くびっていた。あるいは、アム自身も疑問に思う時があったのならば、その両方か。

 何にしても、得体の知れない相手に、過小評価していた自分の認識の甘さにぞっとする。


 同時に悔しくも思う。自身の絶対的な領域である、情報戦に負けたのだ。昨日の今日であの者たちが自分に気が付かれないように、手を回したとは到底思えなかった。

 まさか、と。

 ふと過った考えに、眉を(ひそ)める。本来そんな事は疑いたくもない考えだが、そうでもない限り、自分が情報操作において負けたのだと考えられなかった。

「……院長、は……無事なのか……?」

 ぽつと出たのはそんな言葉。よもや、現時点でアムの身の危険そのものは感じていない。必要以上に、彼女を肉体的に痛めつける事はしないだろうと、流石に解りきっている。

 ただ、してやられたという、抜かったという後悔だけだ。


 そして一番の気になる点に、アーレンデュラは歯を食い縛った。先程の考え通りならば、あまり時間が無いような気がしてならなかった。

「っ……確かめないと……」

 鞭打って、膝に力を入れる。それだけで、手酷く殴られた腹と打ち付けられた背中に痛みが増した。汗が顎を伝う。思いの外、身体を起こすだけに労力が必要だった。


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