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41. 面詰

 

 ――――某所。

 その部屋は、部屋と言うよりも物置と言う方が相応しい気がした。


 壁二面を占領した本棚があるにも関わらず、書籍は棚に収まりきっていない。本棚の隙間も埋め尽くし、床のあちらこちらに乱雑に積み上げられている。大きな揺れでもあればたちまち、この部屋は書籍の雪崩に沈むだろう。


 棚のない壁一面には、地図と沢山の貼り紙がされている。あまりにも重ねられているせいで、元の壁を拝むことは難しいだろう。

 ミミズがのたくったような少し癖のある殴り書きは、見慣れない者にとってはとても読めたものではない。


 作業の為のデスクにも、漏れなく書籍は積み上げられている。最早ただの物置台としか機能していなさそうだ。

 唯一、応接用のテーブル回りだけがどうにか片付けられており、そうでなければアズネロも座って部屋の主を待つことが叶わなかっただろう。


 やがて、静かに扉は叩かれた。すぐに、返事も待たずに扉は開けられる。

「やあ参った参ったぁ。お待たせ、アズネロ」

「よお、ワーレット」

 アズネロは座ったまま顔を向けた。

 足音もなく駆け込んで来たその男はまだまだ若く見える。実年齢よりずっと若く見えるその男は、十三年前を知るアズネロから見ても、記憶とほとんど変化を感じられない。


 挨拶もそこそこに、ワーレットと呼ばれた男はジャケットを適当に脱ぎ捨てた。空いてる一人がけのソファに投げつけると、わざとらしく溜め息を突いていた。

「まーったく、やる事は山積みだっていうのに、帝国の馬鹿の要請ははね除けないといけないし、下っぱのごろつきはあしらわないといけないし。面倒ばっかでうんざりするよ」

「お前は相変わらずだな、ワーレット。それとも第三皇子って敬った方がいいか?」

 アズネロが唇の端を吊り上げて笑うと、苦い顔をして肩を竦められた。

「イヤだねぇ、勘弁してよ。敬おうなんて思ってもないくせに。今ここにいるのは、君のかつての研究仲間で()()ただのワーレット、それでいいでしょー?」

「違いねぇ」

 男を真似してアズネロが肩を竦めていると、狭い部屋を横切った姿は、対面にどっかりと腰掛け足を組んだ。テーブルの上に無造作に置いてあった縁の厚い眼鏡をかけると、途端に表情を解りにくくした。

 年齢を更にあやふやにさせるその姿こそ、アズネロの知るワーレットそのものだった。


 そんな姿が唇の端を吊り上げて、肩を竦めた。

「ま、どいつもこいつも構うだけ無駄の、しょうもないクソばっかだけどね。ただアルフェリオって便()()()()を使えば、大概の事はどうにかなるから楽なものさ」

「はは、お前がそれ言うのよ。使うだなんて」

「当たり前だろー? それがどんなものかだなんてね、関係ないよ? 使えるものはなんだって使うとも」

「道理でお前からの迎えを待ってるってだけなのに、馬鹿弟子が必死になるわけだ。お前の隠れ蓑(・・・)は方々に喧嘩売りすぎなんだよ」

 溜め息混じりに肩を竦めたアズネロを、ワーレットは笑い飛ばした。

「あっはは! 違いない。まあ仕方ないさ、僕だもの。あれぐらいの悪党であってくれた方が、僕に目が向かないからさ。有り難いよね。それに、帝国のお偉いさん達でさえも、“トチ狂って引きこもったまま目立たない僕”には興味ないもの。顔さえバレてなければ何だって出来るのは、便利なものだよね」

「まあ……そのダサい眼鏡と引き籠りに隠して、お偉いさんたちがろくにお前の顔知らないからってなあ……それでも洒落にならない冗談やめろよ」

「事実だって。きっと宰相あたりも、まだ僕が城の図書室の地下にでも籠ってると思ってるだろうね」

「そんなもんか」

 嫌みっぽく嗤って見せた姿は、ひらりと手を振るとアズネロにつと視線を止めた。何か飲む? と、今さら気がついた様子で訊ねられて、親方の男は苦笑していいやと首を振る。

「ユーイの奴……。迎えに行くのがイヤだからって、当て付けに手を抜いてくれたなぁ」

「別に構わないさ」

 何気なくかつての同僚を眺めていたアズネロは、ふと記憶と変わってない姿に疑問が口を突いていた。

「にしてもお前、変わらねぇな。ちゃ()()()年食ってるのか?」

 思いがけない質問に、ワーレットも呆れた。

「何を言うのかと思えば、当たり前だろう? ナイの構想にあった不老不死でもあるまいし。ただ、やりたいことやる為には、老け込んでる暇が一分だってない。ただそれだけの事さ。年は君とほとんど変わらないのは知っているだろ。君が老け込んだのは、子育てしたからじゃない?」

「なんだよ子育てって」

「子育ては子育てだよ」

 饒舌に語るワーレットは、ひょいとおどけて肩を竦めた。

「ま、強いて言うなら僕の場合腕っぷしも持っとかないと、ごろつき共に舐められるから、多少鍛えてるってくらいに過ぎないよ」

 そのせいじゃない? ととぼけてみせたワーレットに、アズネロは唇の端で笑った。

「へえ。ま、その変わってない筈の顔みても、()()()は気づかないんだろうもんな?」

「はあ、ナイが僕を忘れているからって何? どーせ君の事だ、それで僕の事をからかいたかったんだろうけどね。むしろ忘れてくれて好都合だよ」

「好都合?」

「そーそー。僕としては君を死ぬほどこき使う代わりに、もう彼を巻き込むつもりは基本的に無いからね。まあタイミングにもよるけどさ。ただ君が父親やって、大事に大事にしてたのならば、ナイに報いるにも十分だろ」

「あー、そうだな」

 不満そうにとんとんと組んだ腕を叩く目の前の姿に、アズネロもそれ以上からかうことはしなかった。変にへそを曲げられても、後が面倒だと付き合いの長さでイヤと言うほど知っているせいだ。


 降参だとアズネロが軽く両手を上げると、相手も追求するつもりはないらしい。ワーレットはソファからわずかに身を乗り出して、それよりも、と組んだ足をほどいた。

「僕としてはアズネロ、君がナイをここまで真剣に匿っていた事に驚いたよ」

 言われた意味を計りかねて、親方の男は片眉を吊り上げた。どういう事だと表情で尋ねたアズネロに、ワーレットは意外そうにする。

「だってほら、昔から君はそれほどナイに肩入れするつもり無かったじゃない。子供は嫌いだって」

「……ああ」

「ナイの記憶が無いなら、尚更扱いにくかったんじゃない?」

「まあ、否定はしない」

「そこ否定しないんだ? まーでも、ナイだったからこそかな? って、勝手に納得もしたけどね。彼に記憶がないなら、あくまで()()()()として接すればいいんだものね。ナイと違って感情豊かそうだったし、僕ら帝国の仕打ちを払拭出来たって点では、少し荷は軽くなったかな」

「お前がそう感じたなら、きっとそうなんだろうな」

 なんて事無い様子で肩を竦めたアズネロに、ワーレットは僅かに眉を寄せた。

「え、いや自覚ないのー? お父さん?」

「やめろ。お前に言われるのだけは気色悪い」

「あっはは! 辛辣だなぁ」

 くすくすと楽しそうに笑ったのは、先程からかってきた意趣返しだろう。苦い表情のアズネロを見て、男は笑みを収めた。

「けどさ、匿うことで君だって贖罪したかったって感じ?」

「そうかもな。けど、そうじゃないかもな。馬鹿弟子と過ごした日は、それはそれで新鮮だった」

「ふうん」

 興味が有るのか無いのか、ワーレットは考えるように視線を反らした。やがてひょいと肩を竦める。

「ま、実験と技術躍進にしか興味の無かったアズネロから、まさかそんな事聞けるようになったってだけでも凄い事だよね。時間の経過も、セリオスの存在も」

「は? どういう意味だ」

「言ったまんまさ」

 アズネロがじろりと睨み付けると、いたずらっぽくにやりと笑われた。相手に撤回の意志がまるで無い以上、張り合うだけ時間の無駄だと諦めていた。

 かと思うと、不意に目の前の笑みがふてくされた。

「っていうかさぁ。確かに君はナイを変えたって点では功労者だけど、少しくらい僕にも感謝してくれてもいいんだよ?」

「はあ? 急に何についてだよ」

「この十三年の間、色々と隠匿し続けたのもそうだけどさあ、それよりも直近の話! 君が帝国の要請を突っぱねて、しかも白姫と逃げ出した時の事だよ。焦った宰相様から、ゼルベジャンに要請が来ないとでも思った?」

「…………あー」

「僕が対象や情報をねじ曲げておかなかったら、君の後を追ったらしい白姫はとっくにベリジンで捕まっていたんだよ? それは困るんだよ? 解ってる?」

「解ってるよ。悪かったな。まさかお姫さんが、わざわざ俺に再度接触してこようとするなんて、微塵も思わなかったんだよ」

「君ってやつは大概周到なのに、急に迂闊だよね?」

 うんざりした様子で天を仰いだワーレットに、アズネロはああと思い出した様子で唸った。

「そうだ、黒姫の居場所が割れたって言ってたな?」

「そーだよ。しかも僕の所に連行命令出して貰えなかった。それがどういう事か解ってる? あの小さな国の機関はどうなるだろうね? きっと融通の利かないナシェアに、すっかりいいようにされてしまってるよ、今頃」

 やれやれと首を振った姿に、アズネロが眉を寄せた。

「ナシェア……? 確かお前のとこの部下じゃなかったか? そいつ」

「残念。僕らの関係は、あくまで帝国に付随したただの協力者さ。口が上手いから面倒事をよくお願いしたり、暴力沙汰をこちらが引き受けたりしているけどね? あくまで帝国の利になる事でしか協力出来ない、冷めた関係なんだよねえ?」

「そうか」

「そうかって……君ねえ」

 淡々と頷いたアズネロの反応が気に食わないと言わんばかりに、ワーレットは身を乗り出した。

「ナシェアが黒姫を連れ帰ってしまたら、あの計画が進んでしまうかもしれないんだよ?」

「けど、黒姫の設計図は白姫が握っているだろう。慌てるほどか?」

「わあ……驚く程君がセリオスにしか興味ないって事が、よーく解ったよお父さん」

「どういう意味だよ」

「そのまんまだよー?」

 心底呆れたのだろう。何度目か解らない溜め息をワーレットは零して、どっかりとソファの背に身体を預けていた。

「ねえ、解ってるー? 僕は父と宰相そのほかを全部潰しきってしまいたいんだよ?」

「それは知っている。あの臆病風に吹かれた傀儡の第二皇子に実権を握らせたいって話だろ」

「兄さんを悪く言うのは君でも遠慮願うよ、アズネロ。そもそも()()()()()を目の前で見せられたら、仕方ない」

「…………第一皇子の件は、本当に気の毒に思っている」

「そーだよ。実験施設が爆発して、異を唱えた兄さんは問答無用で首を()ねられた。それから僕らが慎重になったのは仕方のないことさ」

「“慎重になっただけ”ならいいけどな。本当に使い道なかったらどうするつもりなのかね、お前は」

「その時は仕方ない。僕が立つ、それだけの話さ」

「どちらにせよ酷い話だ」

 ひょいと肩を竦めると、ワーレットも言う事はないと天井を仰いでいた。出来ればそうなって欲しくないものだけどね、とぼやいたのは、答えを期待したものではない。


 沈黙は、長く続かなかった。

「……ああ、そうだ。すっかり忘れてた。面白くない話有るけど聞く?」

「面白くないならいらねえよ」

 億劫そうに身体を起こしてわざとらしく付いた溜め息は、その場の空気を余計に重くした気がした。だがアズネロが嫌な顔をしてみせても、ワーレットが止まる事はなかった。

「レイシェルとタレビオが何していたか、この間やっと突き止めたんだよねぇ」

「っ……あいつら、生きていたのか」

 思いがけない名前に、流石のアズネロも息を呑んでいた。その表情を見たかった昔なじみは、嫌味っぽく唇の端で笑って肩を竦めた。

「レイシェルはずっと帝国の施設で黒姫付きの世話係やって()みたいだよ。懲りずにね」

「無理やりか?」

「まさか! 今度は失敗しないようにって、すごく意気込んでたって話だよ。白姫がしっちゃかめっちゃかにしてった時は、自分の成果を台無しにされたって半狂乱だったらしいよ」

「だったらしい?」

「邪魔だったから、ちょっとね」

 何をしたかは聞くな、と。膝上に肘をついて合わせた手で口元を隠したワーレットに、アズネロは閉口した。あまり良い報告は聞けないだろうと解った上で、もう一度口を開く。

「……タレビオは?」

「ああ、彼は新しく黒姫の為に()てた技術開発研究所の責任者やって()よ。君に負い目を感じているのかは解らないけど、二人とも、二人の存在が外に漏れないようにしてた――――って言うか、僕に見つからないようにすごく気を使っているみたいだったよ。接触したら、凄い気まずそうにされた時のあの二人の顔、君にも見て欲しかったなあ」

 そうか、とだけアズネロは頷いた。目の前の男の行動力と残虐性には目を瞑り、かつての仲間は過去にとっくにいなかったのだと一人(しの)ぶ。

 そんな親方の男の内心を知ってか知らずだろうか。

「なんというか、人って変わるもんだねえ。僕らのあの時の仲間はもう居ないんだって思うと、ちょっぴり悲しくなるよ」

 残念そうにぼやいていた男もまた、当時以上に目的の為に手段を選ばなくなったものだと、アズネロは思わずにはいられなかった。

「変わらないものなんて無い。どんなものだってな」

「ま、そーだね。そんなものだよね」

 あーあ、と。仕方がなさそうにしながら伸びをすると、ワーレットは切り替えて身体を起こした。

「さて、過ぎた事よりこれからの事だよ。幸い、セリオスはシュテルが連れてってくれてるし、白姫も帝国に捕まったって情報は入って来てない。なら当分僕が出来る事は、各地をひっかきまわしながら、黒姫の扱いを探る事くらいかな」

 ふむと考えこんだ相手の様子に、アズネロは首を傾げた。こいつが知らないなんて珍しい事もあるもんだと驚く。

「お姫さんならそれこそ、馬鹿弟子と一緒にいたぞ」

「え? あれ、そうなの? それは知らなかった。あー……そしたら尚更、シュテルにはどっか行って帝国に関わらないで欲しいものなんだけどなあ……」

 多分そしたら、黒姫の事を聞きつけたらすぐ動くよねえ、と。面倒くさそうにまた天井を見上げた。

 一人でどうにかしようとする元同僚の姿に、アズネロも呆れて肩を竦めた。

「もういっそ、協力要請でもしてみたらどうだ」

「いやあ、何をどう考えても無理でしょ」

「そうか? そうでも無さそうだったが」

「だってね、彼らとは目的違うもん。頑固者のリシュリオさんの説得はかなり大変そうだし、それに彼らには自分たちの事があるし、他国事なんて関係ないでしょー?」

「関係ない事に違いない。だが白姫に手を貸してる以上、放っておけば関わって来ることだろ。お前が腹を割ってあいつらに一言近づくなって言っておけば、十分理解はあると思うけどな」

「あーうん、まーそうだねえ……」

 歯切れ悪く首をかいたワーレットは、少しばかり恥ずかしそうに苦笑していた。やがてサイドに編み込んだ五色の組紐を、邪魔そうに払い除けた。

「それが出来るとしたら多分、シュテルに――――いや少なくともセリオスに、僕が本当の事を言えるようになったら、かなあ。リシュリオさんをはじめ、若い子たち(・・・・・)をからかうの楽しくて、ついやりすぎちゃったし、僕いっぱい彼らに嘘ついてきたし」

 へらりと笑った頑なな姿に、アズネロは今度こそ呆れて白い眼を向けた。

「自業自得じゃねぇか。好きにしろ」

「そうするー。とりあえず、黒姫の情報を集めに戻るとするよ」

「ああ」

 やれやれと首を振った姿に、ワーレットはただ苦笑した。

 

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