36. 不服
「フロリウスさん、少しだけお話させて頂けますか」
宿に戻ると言い残して飛空挺を後にしようとしたアズネロを、リシュリオは飛空挺の出入り口で引き留めた。途中までついて来ていたルーザは、リシュリオの表情に気がついて、セリオスやエスタの様子を見に奥へと戻っていく。
「……いいだろう」
振り返ったアズネロは、逡巡したのちに低く唸った。人に聞かれたくないからと、操縦室の方に招く。
「お時間頂いてしまいすみません。どうしても、セリの事で確認しておきたくて」
「だろうな」
解り切っていた事だと言わんばかりのアズネロに頷きつつ、リシュリオは作業台の向こうに回り込み、空いている席を勧めた。着席を辞して入り口の壁に寄りかかったアズネロは、それでと切り出す。
「何が聞きたい」
「まず、謝罪させて下さい。先程は自分が浅はかでした。貴方が特に気を配って、一番神経質になっている事だろうに、言い知らしめるような事をしてしまいすみません。よく考えなくても解る事でした」
まるで表情を変えないアズネロは、暫しそんなリシュリオをじっと伺っていた。やがて、疲れた様子で溜め息をつく。
「いいや、謝ってもらう必要はないさ。こちらこそ大人げなかったからな」
わずかに首を傾げて、それにと続ける。
「あの馬鹿が寝起きで頭回ってねえのに、嘘をついてまであの場の空気をどうにかしようとしたんだ。あんたの事を信用して、それでいて大事にしてるって事くらい、嫌でも解る」
「え、嘘……?」
まさかそんな事を言われると思ってもみなくて、リシュリオは目を見開いた。親方の男は、ただ当たり前の事を言うように表情を変えずに肩を竦めた。
「何を見たって聞いた時、視線を反らしている事を隠していたつもりになっていたからな。折角誤魔化したのに、俺が適当にあしらったから不満そうだっただろ。多分、あいつは何かしらに気がついている」
それだけで見透かすのは、流石と言うべきだろうか。思ってもいなかった返答に、リシュリオはしばし呆気に取られた。
「……それってやっぱり、セリ自身が帝国の実験に関わっていた事についてですかね」
「さあな。ただ、知人の事を話題にしてもよく解らない顔をしていたから、当時の事を全て思い出した訳じゃねえな。何か本当に一部分を知ったってところだろ」
「その知人の方は、以前なら解る方なんですか」
「そうだな。顔見知りには違いないが、セリオスには他人の話だ」
散々世話になっていて解らないって知ったら、あいつも思うところはありそうだな。誰かを思い出して唇の端をつり上げたアズネロは、いっそそれは見ものだと笑っていた。
やがて、こちらに感情の読めない視線が向けられる。
「それで、俺に何が聞きたいって?」
促されて、リシュリオも佇まいを改めた。
「あ、ええと。帝国に関わっていたんだって話を、セリ自身と話して良いかについて、ですね。気にされていましたし。下手に話すと、思い出したくないものを思い出させてしまう事になるのかな、と。でも今後の事を話し合うなら、いずれ話題に上がってしまう事であると思うんです」
「ああ……」
わずかに遠くに目線をやったのは、先程の様子を思い浮かべているのだろう。アズネロは悩ましそうに眉間を揉むと、小さく息をついていた。
「……俺としては、お嬢さんの持ってる黒姫の設計図をとっとと貰って、お嬢さんもろともセリオスを連れて、あんたらに今回の件から手を一切引いてもらうのが、一番手っ取り早いんだけどな」
「設計図の話は……俺も聞きましたが、今のところ彼女が誰かに譲ろうとした所も、俺自身も見せた事もないですね」
「だろうな。お嬢さんにとっちゃ本当に最後の切り札だ。ただ与える影響が大きすぎて、易々と出せないのは仕方ない話だ」
だからこそ、何処ぞの小国の機関ではなく、こちらに渡して欲しいものだが。そうぼやいたアズネロに、自然と院長の老婆の顔が思い浮かんだ。
「フロリウスさんは帝国の……その、噂か何か聞いてないですか? 浮空島が地上に落とされるって話は以前に聞きましたけど、未だに眉唾に思えて仕方ないんです」
「ああ……」
そうだなと唸った次の言葉を、リシュリオは大人しく待った。
「噂は恐らく事実だろうし、多分原理はこうだろうなって見当もつかなくもない」
「本当ですか?」
「ただ、あまりにも現実的じゃねぇ」
話すべきなのか、悩んだのだろう。自然と視線を反らしていたアズネロは、不意にリシュリオを捉えた。
「浮空島は、如何にして空に浮かんでいると思う?」
「え?」
思いがけない質問に、リシュリオは戸惑ってしまった。
だが、返答を待たれていると理解すると、僅かに首を傾げながら口を開いた。
「そうですね……以前どこか空賊仲間か誰かから聞いた話では、磁場が影響してるのではって聞きましたが」
「そうだな、そう考えられてる。ただ、一概にも磁場が影響しているとは言えないのが現状だ。島の規模や高度、あるいは陸地や海に浮かぶ因果関係は、今のところはっきり解っていない」
それに磁力か何かで島が浮くなら、飛空挺や反重力装置に影響を与えない説明がつかない、と。アズネロはぼやいた。
「ただそれらを一切無視をして、島を浮かべている条件そのものに干渉出来るとしたら。それは紛れもない脅威だろうな」
「そう……ですね」
リシュリオが言葉を失っていると、不意にアズネロは口元だけでふっと笑っていた。
「あいつに過去の話をしていいかだったな。別に構いやしないさ。その話をあいつが拒否したり、拒絶反応を起こさない限りな。俺のやり方はあんたとは違う」
「そうですけど。あれだけ反対された後だと、なおさら気になるじゃないですか」
「あんたは一体どうしたいんだよ。俺に肯定されて安心したいだけだろ、それ」
言い渋ったリシュリオは、目先の男についに呆れた顔をされてしまった。
「……あいつが余計な過去を思い出すかもしれないって、あくまで可能性だろ。そもそも思い出したいかどうかなんて、俺らが勝手に決めつけるもんでもねえしな。それに、俺はあいつから危険を遠ざける事しか出来ないが、あいつが信用しているあんたたちなら、もしかしたら寄り添ってやれるかもしれない」
何があいつの為になるかは、あいつ自身の価値で決めるだろ。そうぼやいたアズネロは、笑顔こそは無いが先程とは別人のように落ち着いた顔つきをしていた。それが本来の彼なのだろうと今になって知る。
「どちらにせよ、こちらがやる事に変化はないし、あんたはあんたで思うように動けばいい」
「何というか……ここまで言っている事が一転されると、かえって不安になりますね」
リシュリオは思わず苦笑しつつ零すが、当事者は気にした様子もなく肩を竦めただけだった。
「生憎、一つの物事や感情、考え方に長々と捕らわれている程の暇はねえんだよ。これでも研究者だからな、よりそちらがいいと納得したらそうするさ。話は終わりでいいか」
「あ、はい……。出口は広場の方です」
切り上げられて、少しばかり寂しさがリシュリオにはあった。
それが何か考えながら、広場へと向かうアズネロの背中を追いながら見ていた。そして扉を開けようというところで、リシュリオは自然と口を開いていた。
「――――今度また時間がある時に、機械でもいじりながらお話する機会を頂けませんか」
「あ?」
どういう事だと振り返った姿は怪訝そうで、リシュリオもまた自分の言葉に驚いていた。それもすぐに、ああ納得して苦笑した。
「憧れていたんです、貴方に。技師として、工房の親方として、貴方の技術が純粋に見てみたいんです」
生憎今はそれどころではないから。残念そうに告げると、アズネロは初めてふっと眉を落として苦笑していた。
「……ああ。また今度な。その時は点検でも改造でも、何でも付き合ってやるよ」
「光栄です」
果たしてその約束が果たされる日は近いのだろうか。好きな事を好きなように、心置きなく出来る日を願って、リシュリオはその背中を見送った。
扉の向こうは静かな街並みが広がるばかりで、標高の高い為か月が随分と大きく明るく感じた。
扉が閉じた音がしても、リシュリオはその場から動けずにいた。まだ、心臓が早鐘を打っているような気がしてならない。
珍しく怖いと感じたことへ驚きと、会ってみたいと願っていた人物に会えた興奮とで、自分でも妙に高揚した気分なのは自覚があった。状況は決して何か大きく変わった訳ではないのに、話せてよかったと嬉しさが勝る。
「リオ」
余韻を噛み締めていると、静かに呼ぶ声に吊られて振り返った。部屋の中を弱く照らす明かりの中に、他でもないルーザがいた。
「フロリウスさん、帰ったんだね」
「ああ。……さっきは悪い。すごい助かったよ」
「構わないよ。けど、物怖じしないリオにしては珍しいじゃないか。……まあ、随分と殺伐としてたから、気持ちは解らなくないけど」
「ああ。正直言うと、複数に囲まれた時よりも身の危険を感じたよ」
思わず苦笑したものの、そのきっかけを思い出して自然と笑みは消えた。
「何か気になる事でもあった?」
その変化に聡く気が付いたルーザは、代わりに苦笑していた。
「セリの事でしょう?」
「……お前どこから聞いてたんだよ」
「ほぼほぼ全部? ここに置いておけないってアズネロさんが言ったあたりかな? 戻ったら知らない人がいたんだよ。そりゃ警戒して、様子見くらいするよ」
「先生の長話は?」
「ある訳ないさ」
しれっとして肩を竦めたルーザに、リシュリオは呆れながらも苦笑をこぼした。
ほんと助かるという呟きは、それでと先を促されて受け流されてしまった。
「今は帝国からも気にされていないところでしょう? 僕たちも含めて、これからどうしていくべきかってところかなって思ったんだけど、違った?」
「いや、その通りだ」
「リオはどう考えているの?」
「俺は……」
言葉にしようとして、わずかに躊躇った。
「正直言うと、解らない。マレスティナの為にも、浮空島が落とされる技術が生み出されちゃ困る。だからこそエスタに手を貸したいし、恐ろしい実験を止めてくれるなら、アズネロ親方が動いているっていう、帝国の頭のすげ替えも賛同できる」
ただ、と。迷った様子のリシュリオを、ルーザは待った。
「ただ?」
「他に何か出来ないものなのかなって、思ってな」
「エスタを匿って連れ回しているだけで、既に帝国にとっては迷惑してるから十分だと思うけどね」
気にし過ぎじゃない? と。くすりと笑われて、リシュリオも数度、瞬きした。
「はは、そうかもな」
「そうだよ。色んな事に気がついて気配り出来るのはリオの強みだけどね。それでリオが迷子になるなら、周りなんて見るべきじゃないよ」
「お前には敵わないよなあ」
「そんな事ないさ。お互い様なのは、リオがよく知っているでしょう?」
「そりゃどーも」
ルーザにあっけらかんと言われ、滞っていた想いを取り除かれたような気がした。リシュリオは一つ大きく伸びをすると、やがてふっと気を抜いた。
「んじゃ、まあ。俺らは俺らで、いつも通りに戻ろうか」
「そうだね。ついでくらいにエスタにも話は聞いてあげた方がいいと思うよ。さっきの事でかなり気に病んでいたから」
「そうだな。セリの事も、多分一番ショックが大きいだろうし」
先程の様子を思い出したのだろう。苦笑していたルーザに、リシュリオも同感だった。
「今は部屋に?」
「多分ね。解散した直後に物言いたそうにセリを見ていたから、もしかしたらセリの方かも」
「解った」
様子によっては明日にするかと呟きつつ、リシュリオは奥へと向かった。
* * *
「この場は解散しよう。休んでから、考えよう」
きっぱりと言い切ってその場を仕切ったルーザの言葉に、セリオスは内心ほっとした。
一同が部屋からいなくなって漸く、人知れず溜め息をついた。
エスタの視線には気がついていたものの、相手をするほどの元気もなくて、そのままベットにぼふりと倒れ込んだ。
思うのは、僅かに残った感覚について。あるいは自身の育て親の様子について。
それらを考えようとして――――すぐに思考を放棄した。
「何?」
扉からそっと、こちらを覗く姿を見つけてしまったせいが大きい。一度部屋を出たエスタは、結局戻って来たのだった。
「……休みたいところ、ごめんなさい。少しいいかしら」
「入れば?」
寝転がったまま置きっぱなしになっていた椅子を示すと、おずおずといった様子のエスタが椅子に腰かけた。そのしおらしい様子が、セリオスには違和感しかなかった。
「その、具合はどう? 少しはよくなったかしら」
言葉尻にいつもの勢いはなく、やはり恐る恐るといった具合だ。
「お蔭さまで。少し熱っぽいけど、薬が効いてるからか調子いいくらいだよ」
「よかった」
ほっと胸をなで下ろしたのも束の間、エスタは居心地が悪そうにそわそわとしていた。
セリオスには特にかける言葉も思いつかなくて、看病ありがとうと言うに留めた。大したことしたわけじゃないからと言われ、自然と会話もそこで途切れる。
沈黙は降りるものの、エスタは席を立とうとはしない。話しにくそうにしつつも、会話の糸口を探すように口を開いては閉じるので、セリオスは溜め息をこっそりこぼした。
「親方が脅したみたいでごめん。本気で誰かを殺そうとは思っていない……とは、思うから、多分、一応安心して」
「それは……!」
恐らくその事ではないだろうと解っていながら謝罪すると、案の定顔を上げたエスタと視線が合った。
「そうじゃなくて、その、セリオス。貴方も帝国に使われていた身だったなんて、ショックじゃないの?」
「ショックって言われても……」
言いつのられてセリオスは怪訝に眉を寄せた。
「何の話なのか、よく解んないんだけど」
「もしかして、覚えている訳じゃないの……?」
覚えていると言われても、と。微妙な表情のままセリオスは口元をへの字にゆがめた。
釈然としないセリオスに、エスタは失敗したと言わんばかりの顔をしていた。
「その……ごめんなさい。そうよね、覚えていないならその方が幸せに違いないわ。そうよ。ここに居るのは、ちょっと融通の利かない、機械いじりが好きなだけのセリオスだもの」
「ああ、そういう」
セリオスは面倒くさそうに身体を起こすと、どう話したものか迷って髪をかき上げた。
「そうだよ、僕はセリオスでしかないんだよ。それこそさ、記憶にないような昔は、どっかその辺で何かしていたのかもしれないよ。けど、僕が僕と認識している限りとしては、昔に親方に拾われて、親方に育てられて、今はリシュリオとルーザと、それからエスタと空賊の一員をやってるセリオスに過ぎないんだよ」
覚えもないことで、勝手に同情される筋合いなくない? そう尋ねると、エスタはハッとしたような顔をしていた。
「僕の利用価値なんて、今でいえば『親方の一番弟子の僕』として以外に、使い道なんてものはないんだよ。幼少の事なんて記憶にないんだから」
解る? と尋ねると、また血の気の引いた表情が恐る恐る頷いていた。
「じゃあ……その。実験施設に居た時のことを思い出した訳じゃないのね」
「だから覚えてないって。覚えていないような昔の事なんて、そんなに興味もないし。例え覚えていたとしてもさあ、エスタ。何が不幸だ幸せだって、君に決めてもらう必要は、まるで無いんだけど」
きっぱりと告げると、ハッとした様子のエスタはまた罰が悪そうに顔を歪めた。そうでしょう? と念を押して尋ねると、ゆっくりと頷かれる。
「エスタはさあ、何でもかんでも勝手に抱え込みすぎじゃない? 君が思っているほど、みんな何も考えていない訳でも、何もできない訳でもないよ。僕を含めてね」
「それは……そうだけど」
「信じて任せていられない?」
「そんな事は……!」
「今まで一人でやって来た事を、誰かに任せる不安があるのは解るよ。工房で、僕もそれでよく親方に怒られたから」
工房では役割分担して間違いの無いようにするのが基本だったから、と。当たり前のことだと肩を竦めたら、今度こそエスタは苦く笑った。
「じゃあ、本当に、セリオスは気に病んだりしてないのね」
「そう言ってるだろう? 別に、気にして心配してくれるのは有り難いよ。でもさ、抱え込んでまで心配される覚えはない、ってだけ。エスタだって、僕に何から何まで心配されるような事されるの嫌だろう?」
「むしろ気味が悪いわ」
「普通に失礼だな。まあでも、そう言う事だよ」
「……そうね」
ふふ、と。眉を落として笑ったエスタは、先と比べて随分と気負った様子がなかった。
「変な事言って悪かったわ」
「ホントにね」
「もう! 少しくらい優しくしてくれてもいいじゃない!」
「僕的には、病み上がりなのに十分優しくしたと思うけど?」
「……そうだったわ。ごめんなさい」
「しおらしすぎて調子狂うなあ」
「あんたが病人じゃなかったら、ひっぱたいてやりたいわ」
「こっわ。うわ、怖ぁ」
怖いから僕はもう寝るよ。上掛けを引っ張り上げてベットに潜り込むふりをすれば、エスタもそれ以上凄もうとはしなかった。くすくすと笑った様子は、いつもの調子に随分と近い。
「そうね、長居してしまったわ。ゆっくり休んで」
ベット脇の明かりを消したエスタは、席を立った。
「それから、ありがと」
部屋を出る直前に振り返ったかと思うと、そんな小さな声がセリオスの耳に届いた。




