35. 父子
明度を落とした人工的な灯りが、室内をぼんやりと照らしている。
薬のお陰で熱が随分下がったのだろう。まだ何処とない熱っぽさはあるものの、身体の軽さに寝転がっている方がセリオスにはつらく思えた。
セリオスが身体を起こそうとしたら、すかさず大きな手が腰を支えた。そうして面倒を見られたのは、工房にいた頃から思い出しても、随分と久しい。
面映ゆく思えて視線を反らすと、漸く入り口に居たリシュリオたちの存在に気が付いた。
エスタを庇うようなリシュリオの立ち位置と、何処とない緊張感にあれと思う。まるで猛獣か何かを、目の前にしているかのような顔をしていた。
セリオスはその視線の先にあったアズネロを見上げ、リシュリオやその後ろのエスタを伺った。
まだ熱の残る頭でぼんやりと首を傾げ、やがて自分の体調に気がついて、ああと納得してしまう。
「ええと、セリ。もう起き上がって大丈夫なのか?」
どの様に話を切り出したものかセリオスが迷っていると、先にリシュリオが恐る恐る尋ねた。その様子が、まるで他所の大きな飼い犬を前にして「その犬噛まない?」 と尋ねているように聞こえて、何だか可笑しかった。
「うん。その、心配かけたみたいで、ごめん」
思わず苦笑してしまってから、改めてゆるりと隣を見上げた。
「親方、ごめんなさい。親方自身の事で忙しい時に、僕の為に来てもらってしまって」
素直に告げると、じろりと不機嫌そうな顔が見下ろした。暫しの間見合っていると、やがて疲れた様子で深く溜め息を溢していた。
慣れ親しんだ大きな手が、頭に落ちてくる。
「ああ」
わしわしと、揉みくちゃにする勢いで頭を撫でられて、脳が揺れる。
「全く以て迷惑千万だ」
「ごめんなさい」
病み上がりのセリオスには、それだけでも強かったと言うのに、不意に頭を捕まれた。
「え」
「ほんっっっとうに、てめえは厄介事を持ち込む事だけは一人前だな?」
「ちょ、親か……いだだだだ!」
「少しは、反省、しろ、この馬鹿野郎!」
「痛い! 痛い痛い! 頭が潰れる! 反省してるって言ってるだろ! 痛いってこの怪力親父!」
精一杯手を振り回して離させると、セリオスは頭を振った。思わずむすっとして、頬も膨らんでしまう。
そんな彼らのやりとりに、リシュリオ達だけが呆気に取られて身動きが取れなくなってしまっていた。まるでなんてことの無い日常のようだが、先の今で微笑ましく見るには厳しかった。
「はあー、ただいまー。先生の話が長くってさ」
その時だった。エスタの背後から、ルーザはやれやれと首を振りながらやってきた。
はたと顔を上げたルーザは、部屋の空気感にきょとんとしていた。部屋の中をぐるりと伺い、数度瞬きしてから首を傾げた。
「ええと、どうしたの」
苦笑したルーザは、血の気の引いたエスタを横に見て、そしてリシュリオを伺った。その表情に微かに眉を吊って、一先ず目を覚ましたセリオスに目を留める。
「よかった、セリ。具合はどう?」
「あ、うん。お陰様で良くなったよ」
「それは良かった」
口元を緩めて微笑んだルーザは、その横に立つ姿に目を向けた。
「それで、そちらの方は?」
ルーザに促されて、あっとセリオスが一番に反応した。だがそれを手で遮って、アズネロは低く告げた。
「アズネロ・フロリウス。この馬鹿弟子が世話になってるみたいだな」
「ああ、貴方が」
納得してルーザは頷くと、友好的に笑みを浮かべた。
「ルーザ・ランベルハルトです。先生の話によると、目立った症状はないそうですよ」
休んでいれば大丈夫だろうとの事でした。そう告げたルーザに、アズネロはそれは何よりとただ唸る。
不意にアズネロは大きく溜め息をついた。
「先程の言葉は撤回しよう。不快だったら謝罪する。そう青い顔されていると、こちらも話しにくい」
「……親方、もしかして工房の時と同じノリで怒鳴ったの……?」
まさかと表情を曇らせたセリオスを一瞥したアズネロは、特に気にした様子もなく微かに肩を竦めただけだった。セリオスは気の毒そうな目をエスタやリシュリオに向けて、申し訳なさそうに眉を落とすばかりだ。
「親方がごめん。この人本当に口が悪くて」
「ええと、いや……セリ。多分そう言う話じゃないくらい、君に関係ある事で心配していたよ」
せめてこんな時は、自分が親方の代わりに謝らなくては。そんな思いからセリオスは謝罪するが、リシュリオは苦笑した。
「僕?」
セリオスは不思議そうに首を傾げて隣を見上げるが、アズネロは一瞥をくれただけだった。
再びじろりとリシュリオを睨みつけたのは、余計な事を喋らせない為に他ならないだろう。リシュリオの背中で、エスタは青褪めて身震いしていた。その場を容易く支配する様は、暴君と言っても過言ではない。
アズネロは思案した様子で一度目を伏せた。やがて、話になりそうなルーザに目を向けた。
「帝国の実験施設の跡地に行ったそうだな」
ルーザは周りの様子に不思議そうにしつつ、頷いた。
「ええ、そうですね」
「…………何を見た」
訊ねられて、ルーザは片眉を吊った。
「何、と言われましても……。僕が見たのは草原くらいですよ。飛空挺で留守番してましたから」
ルーザはリシュリオを伺って、隣に話を振っていいものか確かめた。
目が合ったリシュリオは、どこか気まずそうにしていた。やがて、腹を括って小さく息を吐いていた。
「生憎、何も。伸び放題の草原と、昔そこに建物があったんだと解る程度の痕跡があったくらいです」
「お前は?」
「え、僕?」
アズネロがセリオスに目を向けたところで、本命で聞きたかったのはそこなのだと、セリオスを除く誰もが嫌でも気が付く。
尋ねられたセリオス自身は、まさかこちらに言われるとは思っても居なかった様だった。きょとんとして、一人不思議そうにしていた。
「いつの間にか寝てたから……あれ、でも草原は見たんだっけ?」
うーんと額に手を当てたセリオスは、未だに熱を持っている頭に、困った様子でいた。
「あんまよく覚えてないよ……。熱があったのは知っての通りだからさ」
「そうか」
表情を変える事無く同意したアズネロに、セリオスだけが釈然としなかった。
セリオスは周りを伺ってみるものの、自分が納得出来るだけの説明をしてくれなさそうだった。それを理解すると、さっさと疑問を放棄して小さく肩を竦める。
やがて、話を変える様に隣を見上げた。
「そう言えば親方、どうしてここが解ったの? 目を覚ましたら居るなんて、思ってもみなかったけど」
「ああ。……使えない逃がし屋から、お前らに情報を流したと言われた」
「え、いつの間に?」
驚いたのは、何もセリオスだけではなかった。おおよその時間をアーレンデュラと共に地図を眺めていたリシュリオも、そんな素振りは無かったのにと驚いた。
「大方、お前らの到着を知った時に、もう動いていたんだろうな」
これから伝える事になるとあったと言われ、着替えに行った時には既にアーレンデュラも動いていたのだと理解した。その手際の良さに、リシュリオも舌を巻く。
「ただの変人じゃなかったんだ……」
思わず呟いたセリオスに、今まで息を呑んでいたエスタもまた、同じ思いだと声もなく小さく頷いていた。
じっとそんな様子を伺っていたアズネロは、逡巡した様子で目を伏せたかと思うと、すぐに真っ直ぐにセリオスを見た。
「セリオス、お前これからどうするつもりだ」
「どうって?」
唐突に聞かれた意味を理解しかねて、セリオスは首を傾げた。
安心感がそうさせるのだろうか。その仕草は随分と幼く見せる。
「お前、俺の事を追っかけて、それでどうするつもりだったんだ」
「あ」
そうだったと、漸く気が付いたと言わんばかりに声を上げた。アズネロを見上げ、リシュリオやルーザ、そしてエスタを伺い、セリオスは手元に目を落とした。黙ったセリオスを、周りはただ静かに見守る。
「親方を探し出すってのは、確かに最初の目的だよ」
悩んだ様子を見せて、やがてセリオスは真っ直ぐにアズネロを見上げた。
「ただ今ね。目的を達成した今、少し、僕も欲が出たんだと思う」
「言ってみろ」
「親方を探したくて便乗したようなものだったけど、リシュリオたちと空を飛ぶとね、色んな新しいものが見られて楽しいんだ。心配をかけてしまったのは謝るよ、ごめん」
「ああ」
「たださ、親方の技術をいっぱい盗んで、技師として一人前になりたい想いは、ずっとずっと昔からあるよ。けど、それ以上に今は、色んなものを、景色を見てみたいって思ってる」
リシュリオ達と共にもう少し世界を見たい。そう告げると、アズネロは口元を引き結んだ。真面目くさった様子に、セリオスも自然と背筋が伸びる。
固唾を飲んでアズネロを伺っていたのは、何もセリオスだけではなかった。一行がアズネロの動きを見守る中、当人は呆れ切った様子で溜め息をついた。
「正直言えば、お前をここに置いておくのは危険だと思っている」
「空賊だから?」
「ハッ、ちげえよ。そこのお嬢さん絡みだ」
「エスタの? ああ……まあ、そりゃエスタは、親方も関わっていた事だから、不安要素なんだろうけども」
釈然としないセリオスに、アズネロは出来の悪い返答だと眉間を揉んでいた。
「セリオス。お前にも十分関係ある事だ」
「親方の弟子だから?」
「…………ああ、そうだな」
勿論それもあるが、と続けた。
「お前それだけ危険があると解っているなら、お前の非力さに、自分で自分を守れないのは理解しているだろ」
「……そうだけど」
「その上で危険な場所に居る事を選ぶのかと聞いている」
「危険な事をしているのは、親方だって一緒でしょう?」
「俺はいいんだよ」
「そんなの、僕だけ過保護にされる理由にならないよ!」
僕をいくつだと思ってるの、と。不機嫌を隠そうとせずに告げると、鏡のような不機嫌顔が、より一層眉間の皺を深くしていた。
周りが肝を冷やす想いで見守る中、構った様子なくセリオスは頬を膨らませていた。
「じゃあこっちだって聞きたいよ。親方はこれからどうするつもりだったのさ」
「…………この街で知人を待っている。そいつと合流し次第、やる事をやるだけだ」
遠回しな言い方に、セリオスはむっとしたまま尋ねた。
「やる事ってなんだよ」
「目的は大概そこのお嬢さんと一緒さ。馬鹿な事をする帝国の目論見を潰す」
「なら――――」
「だがな、帝国を潰せばいいって浅はかな考えでしか動けない若造共と、一緒にするんじゃねえ」
吐き捨てるように言われて、青褪めるばかりだったエスタもぴくりと反応を示した。
「……どういう事だと言うの?」
そっと口にしたエスタを、アズネロはただ目を向ける。
「自分の居た施設の事しか知らないお嬢さんは、帝国そのものが無くなればいいって、前に会った時に言っていたな? 生憎、それで済むなら一体を爆破でも何でもすればいいさ。だが、あそこは仮にも何十万という人間が生活している『国』だ。周りに物理的な影響を与えることの出来る施設もある。地図から名前を消せば済むって話じゃねえんだよ」
あんたは城の外を見た事あったかと尋ねられて、エスタは悔しいながら首を振る事しか出来なかった。
当然と言えばその通りだと、今更になって思い知る。自分の事と、双子の姉の事と。それ以外の事になんて、今まで考えた事もなかったと唇を噛む事しか出来ない。
「知人はそもそも中枢の人間でね。頭のすげ替えを行って、帝国の主導を握ろうと動いている。方針が変われば、必然的に色んなリスクも下がる」
それに助力を惜しむつもりはない。淡々と語ったアズネロは、もう一度ベットのセリオスを見下ろした。
「好奇心のままに見聞を広めるのもいいさ。お前らしいからな。ただここから先、お前が見聞を広める為だけにお嬢さんと関わると言うなら、看過できない」
「だからもう、心配されるような年じゃないって言ってるだろ、過保護親父!」
ムッとしたセリオスも、負けじと見返す。
「じゃあ、親方は僕が何したら安心だって言うのさ。工房に何もせずただ引き籠ってろって? それとも親方の目の届く範囲で良い子にしてろって?」
「そうは言ってない」
「じゃあ、ならどうしろって言うんだよ!」
そもそも何も言わずに先に居なくなったのはそっちだろ、と。セリオスが不貞腐れてそっぽを向くと、沈黙が彼らの会話を止めた。
「――――なら」
耐えかねたのは、エスタだった。
「私がここを離れれば問題ないでしょう、アズネロさん。ごめんなさい、貴方が遠ざけていたものを巻き込んでしまって。ここは居心地が良かったから、つい甘えてしまっていたわ」
「それは違うよエスタ」
そもそも私が一人で解決すれば良かった話だもの。悲観的に告げると、すぐにリシュリオが首を振った。
「あーはいはい、そこまで」
各々が主張しあう中で、不意にその場を払拭するように強く手を叩いた音が響いた。
「リオ、君まで一緒になってどうするんだ。いつもならこんなの、君の得意分野だろう?」
呆れた様子でルーザは溜め息をつくと、仕方がなさそうに腰に手を添えていた。
「まずね、皆時間を考えて。今、夜中。それからセリは病み上がり。病人の側で騒ぐのは止めてくれるかな」
「あ……悪い」
ばつが悪そうにリシュリオは眉を落とすと、ルーザはアズネロを見据えた。
「フロリウスさん、待ち人が来るのは今日明日ですか? 時間があるのなら、一先ず今は結論を急かすのは止めてください。さっきも言った通り、セリは病み上がりですし、エスタはずっとろくに休みも取らずに彼の看病していて疲労も溜まってます」
「…………ああ。それもそうだな」
ルーザは悪かったよと低く唸った姿から、今度はへそを曲げていたエスタに目を向けた。
「エスタ、君も。色んな事を聞いて混乱してるんだろうけど、最良を選ぼうと動いていた君らしくもないよ。セリの看病で疲れもあるだろうし、一度休もう? 悲観的になって、良案は得られるかい?」
嗜めるようにルーザが告げると、エスタも自然と視線が落ちた。やがて、ゆるりと首を振る。
「………………いいえ。でも、口で言うほど簡単じゃないわ」
「だとしても、だからこそ尚更だよ。この場は解散しよう。休んでから、考えよう」
ルーザきっぱりと言い切ると、もう一度面々を伺った。
「皆ごはんは? お腹空いてる人はいる? フロリウスさん、宿はもうお決まりですか? 部屋なら空いてるので、良ければ泊まってくださいね」
ルーザはとっととその場を仕切ると、集う面々をセリオスの部屋から解散させたのだった。




