28. 哀歌
温室の外れに設けられた休憩所で一同がのんびりと待っていると、濃紺色のジュストコールに身を包んだ男性が間もなく颯爽と現れた。
オールバックにしてきっちりと編み込まれた鈍色の髪を背中に流し、端正な顔つきを惜しみなく晒している。
「お待たせして申し訳ありません、マダム。それから皆さま?」
落ち着いた声色は、先程の痴態をまるで感じさせない。どこからどう聞いても男性の声に、エスタだけでなく、セリオスもまた驚いた。
恭しく礼を取って頭を下げた姿を、フォルビアは冷めた目を向けて、ふうと大袈裟に溜め息をついていた。ゆるく首を振ったのは、呆れが大きいようだ。
「お前さん、そちらで来たのかい? てっきり女の方で来るのだと思っていたよ」
「話し合いならば、私の方がよろしいかと思いまして」
にこりと口元に笑みを浮かべ、アーレンデュラはわずかに目を細めていた。それが彼なりの反抗心なのだろうと、老婆の様子から想像するに容易い。
アーレンデュラは空いている席に、ゆるりと腰かけた。
「それで、何の話でしたっけ」
にこりと笑った姿は、白々しく一同を見回した。
「この期に及んでまだ悪あがきするんかい?」
「はは、冗談ですよ」
帝国絡みの話でしたね、と。目をわずかに細めて睨んだ老婆に、アーレンデュラは軽く両手を上げて煙に撒くつもりはないと示した。
「とはいえ、こちらも信用商売事ですから、依頼主の情報を守る義務があります。お答え出来る事は限られてますよ」
それで良ければ話をどうぞ。長い足を優雅に組んだ姿を、エスタは真っ直ぐに見つめて告げた。
「それでも、確認したい事があるの。アズネロ・フロリウスって技師を逃がしているわよね?」
「流石に、直接的過ぎてお答えしかねますね」
ぴくりと片眉を吊った表情の変化を、エスタはじっと見つめた。やがて、嫌そうに唇を歪める。
「じゃあ、別の質問にするわ。あなた最近、東の連山の近くにある街に行っているわよね?」
尋ねると、今度は唇の端をつり上げてにやっと笑われた。その表情に、エスタも確信してしまう。
「そうですね。それがどうかされましたか」
いっそわざとらしいアーレンデュラの問いかけに、エスタは煩わしそうに眉間を揉んで、リシュリオもまた苦笑していた。
恐らく、直接的な質問は全て答えない代わりなのだろう。エスタは自然と溜め息をついていた。
セリオスとフォルビアはただ、事の成り行きを見守る。
「観光目的かしら?」
「まあ観光と言えば、観光ですね。仕事を終えてふらりと遊覧したくなりまして」
「ふうん? 帝国あたりの地域に、見どころのある場所なんてそんなにあったかしら」
「おや、帝国出身のお嬢さんの方がその辺りは詳しいのでは?」
意外そうにわずかに目を開いたアーレンデュラに、エスタは鼻白んで小さく肩を竦めた。
「生憎、興味がまるでなかったから知らないわ。近場なら尚更、いつでも行けると思うとね」
「そうでしたか。例えば、そうですねえ、観光に向いているかは解りませんが、旧技術開発研究所なんてどうでしょう」
「っ……場所を知っているの?!」
思いがけなかった場所に、身を乗り出したエスタだけでなく周りもより注目した。
「おやおや、帝国随一の負の遺産に興味がお有りで? 後で地図を描いて差し上げますから、そちらの地図を返して頂けます?」
すっと差し出した手から、エスタは自然と距離を取るように身体を起こして首を振った。
「まだよ。地図を描いてもらえるのはとてもありがたいけれども、まだ話は終わってないの。話が終わったら、それからこれは返すわ」
「やれやれ、欲張りなお嬢さんだ」
「何とでも言ってもらって構わない。例えばだけど」
エスタは畳みかけるように尋ねた。
「旧技術開発研究所に近い街ってどこになるのかしら」
「集落や規模の小さい町ならば、各地に点々とありますよ。質問が大まかすぎて、お答えするのが難しいですね」
ひょいと肩を竦めた彼に、エスタも首を振る。
「集落や町じゃないわ。もっと大きな街よ。人がある程度出入りがあって、飛空挺とか船とか何でもいいんだけど、移動手段の多く来る場所ってどこの街?」
「……そうですねえ」
アーレンデュラは腕を組むと、わざとらしく悩ましそうに空へと視線を向けていた。
「帝国を含まないとなりますと、クコルという街でしょうか。ここからまた北北東に進んでいくとアレイット名物の河の上流に入るのですが、高山の街でしてね。下手な浮空島と同じくらいの高度にある街だそうですよ」
飛空挺が休息がてらに多く立ち寄りますと、にこやかに告げた。
「時期がいいとお花畑が近くの山間で見られるそうですよ」
観光には丁度良いでしょうね。あくまで雑談の一環として話すアーレンデュラに、エスタは頷いた。
流れでエスタがちらりとリシュリオを伺うと、それまでじっと二人のやり取りを見守っていた姿が組んだ腕を解いた。
「もし解るのであれば、そのクコルの場所も教えて頂けるとありがたいな。おおよそで行くよりも確実だしな」
「それはお願いですか?」
「俺としては、お願いで引き受けて欲しいな。別に脅されたってした方が、あんたの体裁が保たれるなら、いくらでもそうするけどな」
くすりと笑ったリシュリオはどうする? と首を傾げた。
「俺はイムよりも、暴力に訴える事に躊躇いないよ」
「やれやれ、お嬢さんがお嬢さんなら、それを受け入れた先も受け入れた先のようですね。それは遠慮しておきましょう。怪我はないに越した事ないですし、肉体労働は専門外ですから」
アーレンデュラは仕方がなさそうに首を振ると、組んだ足を解いて席を立った。
「東屋で地図の支度をしてまいりますので、少々お時間頂きますよ。それまで自由にしていてください」
「ええ、お願いするわ」
話は終わりです、と。それ以上話すだけ無駄だと言わんばかりに切り上げた姿を、エスタももう引き留めようとはしなかった。
だが、その背中にあっとリシュリオが声を上げる。
「もし迷惑じゃないなら、あんたの作図光景を見てみたいな。あれだけ立派な地図の数々を手掛けた奴の技術に、純粋に興味があるんだけど」
振り返ったアーレンデュラは、驚いた様子で目を見開いていた。やがて、ゆっくりと瞬きして苦笑する。
「はは、職業病ですか」
「そうかもな。あれだけのものを見せられると、何というか、滾るんだよ」
心からの笑みを浮かべたリシュリオに、アーレンデュラも満更では無さそうだった。
「ご期待に添えるかどうか解りませんが、どうぞ?」
「やったね。ありがとう」
ちょっと行ってくると言い残し、喜々として立ち上がったリシュリオを伴って、彼らは再び温室の奥へと向かう。
「やれやれ、なんだい。変人同士、似た者同士かね」
その背中を見送って、フォルビアは溜め息混じりに首を振った。やがて、残された二人に目を向ける。
「ありゃしばらく戻って来ないだろう。あんたたち、ここでのんびりしているかい?」
尋ねられて、真っ先にエスタは首を振った。
「折角だもの、庭園とか図書館とか見に行きたいわ。セリオスは?」
「……僕はどちらでも。あ、でも図書館を見れるなら少し興味あるかも」
「ああ、なら後で誰か迎えに行かせるから好きに見て回りな」
ここで待っているだけ無駄だからと。手を振って追い払うようなフォルビアの仕草に、エスタだけが苦笑した。
「ええ、ありがとう院長。お言葉に甘えるわ」
「何なら、今なら裏の身廊で練習している。時間があるなら見に行ってやりな」
行こうとして、背中に投げかけられた言葉に、エスタは一瞬足を止めた。セリオスが訝しんでエスタの背中と老婆との間を右に左に見ていると、前が再び歩き出す。
「院長が行くなら、その内ね。……セリオス、行きましょ」
「あ。うん」
手招かれて、セリオスも招かれるままに温室の外に出る。横に並んだエスタの表情は、既にいつもと変わらなかった。
まあいいか、と。セリオスは一人わずかに肩を竦めた。
外に出た途端、それまでどこか湿度を持っていた空気が、さっぱりとしたような気がした。
「鳥臭くなってないかしら」
それはエスタも感じたのだろう。上着の裾をぱたぱたと叩き、まとわりつくような空気を振り払おうとしていた。
「平気だよ」
どうせお互い様だから解らない、とは、流石のセリオスも言えなかった。言えば間違いなく容赦ない反撃が来る様が、ありありと目に浮かんだせいだ。
「どこに行こうか」
それを誤魔化そうとして、セリオスはわざとらしく肩を竦めて尋ねた。
エスタはわずかに首を傾げると、微かに眉を落とした。
「フォルビア院長がお勧めしてくれていたし、折角だから、裏の身廊にでも行ってみる?」
「裏って事は、表もあるんだ?」
「私達が入っていた方が表の身廊よ。で、裏の身廊は主に中心街の人達向けに開いている場所なのよ」
表よりも装飾が細かくて圧巻よ。そう言われては、職人心に見たくもなる。
「入っていいんだ? じゃあ、そこで」
「ええ。そしたら……こっちよ」
おおよそ勝手知った場所なのだろう。温室から大体の方角を辿りながら通路を進み、どこかの中庭に出た。
温室に向かう途中に見た中庭によく似ているが、どうやら違うらしい。散策の為の石畳や噴水の装飾、あるいは植木の様子など、細やかなところで少しずつ違いがあった。
ここまで来ると、自然と目的の場所に近づいているのだと知れた。
屋根のついた屋外の通りや一帯の建物の造りそのものは、表と大きく変わらない。しかし繊細な彫刻と流れる水のような文様が、こちらは特に目に付きやすい壁や柱にも丁寧に施されているようだ。
文様の溝を埋める様に塗りこめられた、色のついた塗装材が見た事無くて、思わずじっと見つめてしまう。
「すごいや……」
セリオスはわくわくする思いでそれらを眺め、そっと触れた。目で見るよりも細かく触れる文様の凹凸と、滑らかな指触りに舌を巻いた。
一体何を使っているのだろうか。水に強いのか、翼に使えるものなのか。そんな事を考えるだけで時間なんていくらでも潰せそうな気がした。
もしかして何ならエスタは知っていたりしないだろうか。
ふと思い立って顔を上げると、先程まで近くに居た筈の姿は既にそこになかった。
「イム?」
あれ、と思いつつ近くを探すと、すぐ先の扉の近くにその姿を見つけた。
よくよく耳を澄ましていると、ずっと聞こえていた合唱がそこから聞こえていたのだと知る。ああ、と、自然と納得がいきそちらに足を運んだ。何気なくその背中に近づきつつ、奥へとそっと伺った。
オルガンの重厚な音に、空気が震えたような気がした。
身廊はやはり薄暗い。しかし、真っ先に正面にある巨大なステンドグラスが目を惹いて、暗さがそれをより引き立てた。
青を基調として、様々な色が散りばめられた光が内部に降り注ぐ。涼やかな歌声たちにまるで光の色を付けたみたいだ。
やがて目が慣れてくると、ステンドグラスのはるか下方に聖歌隊の姿が見えて来る。
ベールを身に着けたまま歌う彼女たちの姿は、はっきり言ってどこか宗教めいている。だが、ベール越しに歌っていると感じさせないだけの声量が、オルガンの音に負けずに身廊を響かせていた。
どこか訴えかけるような、力強さを感じた気がした。音楽に疎いセリオスでも、びりびりと肺を震わせる空気感に圧倒さてしまった。
やがて不意に、合唱が静まる。一人前に出て来た姿が独唱した。
「あ……」
その声は、つい先程聞いた声に違いない。先程の、見習いだと言われた黒い少女のものだろう。
何気なくエスタを伺おうとした時には、横を何かが通り抜けた。風が、まるで遅れて後を追う。
「エス……っ」
セリオスは声をかけようとして、わずかに見えた横顔に口を噤んだ。酷くゆがめたその表情に、いつもの様子ではないと気がついてしまったせいだ。
エスタは逃げる様にどこかへと向かい、元来た中庭へと向かって行った。その背中を、放っておく事も出来なかったセリオスは緩やかに追っていく。
確かこの辺りに入って行ったと思われる方へと足を運ぶと、すぐ近くの通りから死角になっている植木の影にその姿があった。
やれやれと思いつつ声をかけようとしたら、思いのほか震えた肩に気が付いた。
一体何について泣いているのだと困っていると、建物の広さに負けない、限りなく透明な声がここまで響いて聞こえた。その声に、露骨に身体を強張らせた事で「ああ」 と理解してしまう。
「……やっぱり、彼女がそうなんだ?」
確信をもってそっと訊ねると、俯いた頭がそのまま小さく首肯した。
隠そうとしても、微かにすすった鼻の音に、セリオスは何気なく遠くに視線を向ける。
セリオスはなんと続けたものか解らなくて、逡巡していた。
「やっぱり、忘れられて悲しいんだ?」
「……違うわ。それは、私が選んだ事だもの」
エスタは声を震わせまいと、堪えた様子で告げた。
ただ少し、元気な姿が苦しくて。喜べない自分が最低なだけ。
とても微かに呟いた声は、恐らく聞かせるつもりのない囁きだった。
「……頭で全部解っていても……見ると、急につらいわ」
「そっか」
セリオスは不意に手にしていた帽子の存在を思い出して、俯く頭にそのまま乗せた。少しでもそれが、彼女が見せまいとしているものが見えなければいいと思った。
「僕、どこかに行ってようか。それともここにいる?」
決して表情は見ないように、その頭に目だけを向ける。
「…………一人にして」
涙に震えて小さく呟かれた言葉に、解ったとだけただ返す。
「僕はもう少し中の席にいるよ。気が向いたら声をかけて」
もう一度、小さく頷いた姿を確認して、セリオスはそっと離れた。
その後ろで、隠しきれなかった嗚咽が微かに聞こえた。
○余韻を壊す余談○
「結局、アーレンデュラって男なの? 女なの?」
「はは、お嬢さんのご想像にお任せします」
「院長は知らないの?」
「さあね。それは頑なに性別を隠すから、誰も知らないんじゃないかい」
「はは、性別なんて。成すべき事が出来るなら、なんとも些細な事ですよ」
「じゃあさじゃあさ、あれってついてるの?」
「セリオス、はしたないからやめなさいよ」
「だって、一番解りやすいよね?」
「ああ、着脱可能ですよ」
「?!」
「胸もあります」
「?!」
「大きさは選り取り見取りです」
「ありえないわ……」
「ふふふふふ」