2. 奇縁
セリオスはぐったりとした様子で作業台に項垂れていた。決して軽くない雑嚢があるにも関わらず、先へ先へと腕を引かれたせいもある。
「へえー、思ってたより大きい工房ね」
加えて、しげしげと室内を見回す彼女のこともあった。気がつくと、溜め息をついていた。
散々捕まれていた腕を振り払おうとした、セリオスの努力は虚しかった。可愛らしく見せかけておきながら、掴む力は決して緩むことがなかったせいだ。
華奢に見える少女一人すら、セリオスには振り払えなかった。それだけでなく、匿って欲しいと迫られて、断りきれずに工房まで連れて来てしまった自分の押しの弱さに悲しくなる。
「……それで君は、一体何者で、なんで追われていたって言うの」
諦めて、訪ねてみた。深入りしていいものか悩む反面、気にならないと言えば嘘である。
彼女は不思議そうな顔をして振り返った。
「聞かない方がいいんじゃない?」
赤い瞳をしたたかせて、ひょいと肩を竦ませていた。セリオス自身も解っていた事ではあるが、改めて当人に言われると釈然としない。
「なら、もういいだろう? 勝手に出ていってくれよ」
「私もそうしたいのは山々なんだけど……宛がないもの」
困った様子で視線を反らした少女は、悩ましそうに青い石の小さな耳飾りをいじっていた。
辺りに視線を解りやすくさ迷わせて、すぐに何かに気がついたように、作業台の向こうから身を乗り出した。
「ね! 貴方は技士なんでしょう? 反重力装置はいじれる?」
「え……」
急に何を言い出すのだろう。そんな不安が拭えない。きらきらした目を向けられて、より一層嫌な予感がしてならない。
「あのね、私が乗ってた四翼飛行機の調子が悪くてね。見て貰える人捜しに出たら、最悪な事にあいつらに見つかっちゃって。貴方が直せるなら助かるんだけど!」
「いや……知識はあるけども……」
知識はあれど、実物を触ったことはない。正直に告げると、また不思議そうに首を傾げた。
「あれ? でも奥にあるあれって、一人乗りの二翼飛行機よね?」
貴方が組み立ててるんじゃないの? と、訪ねられて渋面した。
「あれは確かに僕が趣味でいじっていたやつだけど、まだ本格的に反重力装置を搭載した事も、走らせた事もないよ」
親方に見てもらった事すらないしと告げても、少女は引かない。
「知識があるなら十分じゃない。動力炉の構造知ってれば直せると思うの!」
「どこの調子が悪いのか解ってるなら、自分で直しなよ」
「それが出来るなら、こうしてわざわざ頼まないわ。ね、お願い! お金もちゃんと払えるから!」
お願いお願いと、何度も頼み込まれても、セリオスは頷く訳にはいかなかった。頷きたい気持ちをぐっと堪えて、そっぽを向く。
「人の命が関わるのに、知識だけでどうにかなるものじゃないから無理。万一落ちても、僕は責任取りたくない」
「ええー……責任どうこうなんて言わないのに。気にしすぎと思うけどね……」
そしたら貴方の反重力装置を扱う第一号は、一体いつ来るのよ。と、不満そうにぼやかれて、セリオスは唇を結んだ。
少女はセリオスの横顔から何かしら思うところがあったらしい。
「じゃあ、その親方さん紹介して! 居るんでしょ」
これなら問題ないだろうと、彼女は嬉しそうに小首を傾げた。ただそれが、余計にセリオスの表情を苦くする。
「…………居るけど、居ないよ。暫く工房に戻って来ないから」
「戻って来ない?」
どういう事だと言わんばかりの少女に、セリオスは眉間を揉んだ。煩わしさと、話す必要があるのかという苛立ちと、気持ちを誤魔化そうとして肩を竦めた。
「確かにここは工房だけど、僕が勝手に開けているだけで、本当は長いこと閉められているんだ。親方が戻って来ようと思わない限り、大掛かりな仕事は受けられない」
「どうしてそんな……」
「……遠征に行ってる。古い盟約の為にって」
苦い思いで告げると、呆れた様子で溜め息をつかれた。
「…………盟約、ね。それなら貴方には、徒弟をほっぽりだして平然としている親方さんのところより、もっといいところあるんじゃないの?」
「いいんだよ、僕は。自分の意思でいるんだから」
セリオスはきっぱりと告げると、緩やかに首を振った。
「それに、多分……親方のせいじゃないし。手紙にも、少し工房を留守にするって言ってたし」
「ふうん……」
釈然としないと言わんばかりに、少女は眉を寄せていた。
「でもそれって、貴方が甘やかし過ぎなんじゃないの?」
「甘やかす? どこが。知った風な口利かないでくれる?」
「親方さんの為にここを存続しよう、だなんてさ。貴方がここに留まっていても、何も新しい事が出来ずにいるのが勿体ないなって思ったんだもん。仕方ないじゃない」
そう思うのは間違っているのか、と。少しばかり不貞腐れた少女の様子に、セリオスも空笑いが漏れた。
まさか見知らぬ少女にそこまで言われてしまうとは、少しばかり情けなく思う。同時に以前、そういえば同じことを言っていた人がいたな、と、思い出したせいもある。
「何にしても、僕では力になれないから、諦めて。工房なら紹介出来るから、そっちを当たってよ。地図描くよ」
簡易なメモでも渡そうと、その場を離れたセリオスに、少女はやれやれと言わんばかりに肩を竦めていた。その事にセリオスも気がついてはいたが、特に追求する事もしない。
早いところ余所を頼ってもらおう。そう思って、奥にある作業場の工具の山の中を漁る。
セリオスは紙切れを見つけて引っ張った。これなら書ききれるだろうかと、今度は書くものを探して辺りを伺った。
その最中に、工房の扉のベルは鳴った。
「すみませーん、やってます?」
「あ……」
「はいはーい! いらっしゃいませー!」
セリオスが答えるよりも先に、少女の嬉々とした声が迎えていた。セリオスが焦って振り返ったそこには、まだ若い男が困った表情で覗くようにいた。
どうしましたか? と、表に向けて綺麗に笑う少女の横顔にどきまぎしつつ、セリオスは慌てて工房の表にかけつけた。
「すみません、どのような用件ですか?」
少女を押し退けて尋ねたら、後ろで背中を殴られた。
そこに居た男は、セリオスよりもいくつか年上に見える。弱い日差しに透かされているのか、群青の髪がきらきら輝いて見えた。
すらりと背は高く、それでいてしなやかな体躯をしている。機械いじりが好きそうな顔だなと、セリオスは何処と無く思った。動きやすく油汚れの目立たない黒っぽい格好が、そう見えたのかもしれない。
「実は二輪車が壊されちゃって、パーツを譲って貰えないかなって思って」
「二輪車のパーツ……物にもよりますけど、準備出来るものもあるかもしれません」
「ほんと? 助かるよ!」
壊れた二輪車という言葉に、セリオスは思わず少女に目だけを向けていた。
恐らくセリオスの視線を感じたのだろう。ムッとした様子で、彼女は面白くなさそうに唇をへの字に歪める。
「リオ、やってるって?」
遅れて、彼の背中からもう一人が声をかけた。
「ああ。最後の最後で開いてるとこ見つかって助かったよ。それにしても遅かったじゃないかルーザ」
「随分な言い種じゃないか、リシュリオ。君が放り出した奴らの片付けしてやってたんだ。仕方ないだろう?」
ルーザと呼ばれた男は、呆れた様子で溜め息を溢していた。
彼もまた背は高く、セリオスの頭二つは高いだろう。手足もすらりと長く、セリオスが羨ましく感じたのは余談である。何処と無く猫のような印象の男は、工房内に目を向けて、あっと思わず声を漏らした。
「二輪車ぶっ飛ばし少女」
「え?!」
先にいた姿が、驚いて振り返ったのは言うまでもない。その視線を受けた少女が、びくりと目に見えて身体を強張らせていた。
嫌な予感は既にしていた。あーあ、やらかした、と。早く追い出すべきだったと。セリオスが後悔しても、もう遅い。
どうするつもりなんだろうと、セリオスが彼女の方に目を向けるのと同時に、彼女は頭を下げていた。
「その、ごめんなさい!」
次に頭を上げた少女は、驚いたことに涙ぐんでいた。
「壊したかった訳じゃないの……! 私……よく怖い人達に追いかけられて、どうしても、掴まりたくなくて……!」
震える声で、懸命に話す。不安を誤魔化すように、首元のストールを強く掴んでいた。
「お兄さんの二輪車が、目に留まって、これなら逃げられるかもって……。本当に、ごめんなさい!」
「そう」
二輪車の持ち主の反応は淡白だった。ただ声を荒げる訳でもなく、彼女を真っ直ぐに見ていた。
「なら逃げずに言ってくれれば良かったのに――――って、まあその状況じゃ無理か。それじゃあ教えて。何故、君は追われていた? 許すか許さないかは、その理由によるかな」
「それは…………」
躊躇った様子の少女は、目を伏せると震える声で呟いた。
「私の――――色が、珍しいから」
「色?」
「真っ白。肌も髪も、染めなかったら皆と違う色。それが珍しいからって、よく人売りに狙われるの」
ぱらり、と。自分の襟足を掴んで散らした少女は如何にも可哀想に見えて、セリオスにはどうしてか、彼女の言い分が信じられない気持ちだった。
自分にはあれだけ強気で、聞かない方がいいと言っておいて、あっさりと白状している様に違和感があったからかもしれない。何処と無く、演技臭さを感じたせいだろうか。
ふうん、と。返ってきた声も、そんなものかと言わんばかりだ。
「どう思う? ルーザ」
「さあ、君の好きに判断したら?」
ひょいと肩を竦めたルーザは更に淡白で、自分には全く関係ないと言わんばかりだ。リシュリオはふうと小さく息をついた。
「まあ……色で狙われるのは事実だろうけど。実際珍しいし。――――ねえ、だからこその確認だけどさ。君、工場帝国の白姫、メルエット・エスタじゃないよね?」
確かめるような言葉に、少女は途端に眉を顰めていた。
「……それって、許す許さないかに関係あるの」
「いいや」 対して、リシュリオはくすりと笑っていた。「ただ、だとしたら、面白いなって思ってね。噂は本当だったのかなって」
「噂? なにそれ。私が可愛いからって、噂される程ではないわ。別人でしょ」
少女はむすっとしたまま腕を組むと、視線を流した。
その表情に、先程の悲壮感は既にない。やはり演技だったのかと、セリオスは他人事ながら心の中で突っ込んだ。
「そう、残念だな。気になっていたんだけどな。白姫エスタが、双子の黒姫アジェイの記憶を盗んで逃げたって噂。どこぞの帝国の目論見を阻止する為に、エスタが命懸けで逃げてるって聞いたんだけども」
「何? 貴方たち賞金稼ぎかなんかなの?」
「あはは! まあ、近いものではあるね」
くすくすと笑ったリシュリオは、扉横の壁に寄りかかると隣に目線をくれていた。入り口に未だ立つ、ルーザは肩を竦めて答えていた。
「申し遅れたね。俺達はしがない空賊の飛空挺乗りさ」
「……空賊さんが“しがない”とは、随分なご謙遜ね?」
「はは! 違いないな。俺はシュテルを率いる、リシュリオ・アデレード。お見知りおきを」
にこりと友好的な笑みを浮かべたリシュリオに対して、少女の警戒は解けなかった。その様子に、仕方なさそうに彼は続けた。
「彼の姫たちを囲う帝国は、空の治安を脅かすようなキナ臭い話をよく聞くからな。身体を張ってる白姫だったら、空を愛する一人として、協力したかっただけさ」
違うのなら仕方ないな、と。至極残念そうに首を振った姿を、少女は胡散臭そうに片目を瞑って見ていた。