26. 邂逅
「それで、何の用だったかね」
セリオスが大きな帽子と膨らんだボディバックを邪魔そうに手にして戻り、一同がソファにそれぞれ収まると、フォルビア修道院長は気だるそうに口火を切った。
「アーレンデュラよ。会いたいの」
すかさず前に身を乗り出して告げたエスタに、老婆は片眉を吊り上げる。
「アレンに? あの子の件でなく?」
「ええ、それはまた後で。今はある人の事で、アーレンデュラに聞きたい事があるの」
途端にフォルビアは目を細めた。「…………詳しく話しな」
「詳しくって言われても、大した話じゃないわ。私の目的、知ってるでしょ? その為に必要な人材を、アーレンデュラが逃がしてる筈なのよ」
確信持ってエスタが告げると、フォルビアは呆れたように軽く宙を見ていた。
「やれやれ、なんの根拠があるって言うんだい。また思い込みか何かかい?」
「思い込みって何よ」
不遜な態度で眉を顰めたエスタに、老婆はにやりと笑っていた。
「おや、お得意だろう? 前にあんたが大騒ぎしてた時の――――」
「―――あ、待って! それなし! それはなし! 待って!」
話始めたフォルビアに、エスタは慌てて立ち上がった。余りの慌て様にセリオスは驚き、リシュリオは面白そうに唇の端をつり上げる。
そしてフォルビアもまたやれやれと肩を竦めた。解ったから座りなと言われて、エスタもしぶしぶながら腰を下ろす。
「ま、おふざけはこれくらいにしておこうかね。一体誰を探しているのかくらいは聞かせてくれるんだろうね?」
尋ねたフォルビアに、あまり気は進まないけど仕方がないと言った様子でエスタは肩を竦めていた。
「アズネロ・フロリウスって技師よ」
「フロリウス……帝国所属の鬼才か。あんたも探してるって事は、帝国とあの子絡みかい?」
「そう。その人に帝国に行かれると困るの。出来る事なら彼に会って、現状を伝えて、帝国に協力しないで欲しいって伝えたいの」
「ふん……なるほどね」
老婆は考え込むように、一度目を伏せた。やがて、真っすぐに見据える。
「あんたがあの子をもう巻き込みたくない気持ちは、今のを聞いてもよーく解るよ。でも、だからと言って、あんたが一人で抱える問題でもないだろう」
あんたが自ら動いて件の技師に釘刺す必要はあるかい? そう尋ねられて、エスタも表情を硬くした。
「私がやらなかったら、一体誰が、帝国の暴挙を止めるって言うの。あの子の考えたもので、誰かを傷つけて欲しくないのよ」
「個人が敵対するには大きな相手だ。ウチの機関に託せば、あんたはそれで自由になれるだろう? 少しばかり隠れてもらわないといけないが、自分が気を付けないといけないって、常に気を張り巡らせるよりかは息がしやすいとは思わないのかい?」
最もと言えなくはない言葉に、エスタはわずかに視線を泳がせ逡巡した。だが、本当に一瞬の事で緩やかに首を振る。
「それは十分なくらいに解ってるわ。引き受けてくれようとする申し出も嬉しい。でもね。解っているけど、はいそうですか、お願いしますって軽々しく渡せるものじゃないわ」
私は何においてもこれ以上、私の大切な人が知った時に傷ついて欲しくない。
真っ直ぐに老婆を見てきっぱりと告げた姿に、言われた方は心外そうに肩を竦めていた。
「つまりは、今度はこちらが悪用しないか心配だって言いたいのかい?」
「残念だけど、ええ、そうよ。帝国内部の事なら、知ってるところがある分まだ予測が立てられなくない。手が出せるかどうかは別として、ね。けど、見えないところでそちらで流用されていたら、私にはもう、完全に手も足も出せなくなってしまう。そんな事はないと思いたいけど、万が一があった時、『私が信じていた私』を信じられなくなってしまうわ」
困った様に眉を落としていたエスタは、息をついて肩を竦めた。
「院長の事を信用していない訳じゃないわ。それははっきり言える。でも状況的にね、それくらい私も慎重にならざるを得ない事なんだもの」
解るでしょ? と。申し訳なさそうにしながら笑ったエスタを、老婆はじっと見つめていた。
フォルビアは不意に、エスタからリシュリオ、セリオスへと目を向けていた。特段気にした素振りもないリシュリオに対して、目が合ってセリオスは思わず背筋を正してしまう。
フォルビアは目を瞑ると、またエスタを見やる。
「なら、これは確認に過ぎないが、ここに連れて来たという事は、お前は彼らを信頼出来ているんだね?」
「そうね。でも院長、勘違いしないで。何度だって言うけど、私は決して貴女の事を信頼してない訳じゃないわ。実際、院長をはじめとして、ここの人達には何度と助けられているもの。だた、あの子の作り出したものに関しては別ってだけ。それは彼らも同じだわ。助けてって相談はしたりするけれども、私はそれについての情報を、誰かに引き渡すつもりは微塵もない。それだけなの」
どうかそれは解って。眉を落として苦笑したエスタは、それだけは譲ることが出来ないの、と。不安そうに呟いた。
老婆もエスタの言い分は理解しているのだろう。ふんと鼻を鳴らしては、つまらなそうな表情でお茶を口に運んでいた。
「だからこそ、自分の手でやるべき事としてアレンに会いたいって?」
「そうね。わがまま言って悪いとも思ってるし、守秘義務で何も教えて貰えないかもしれないとも理解してる。それでも、私の力でやれる事をやりたいの」
「……そうかい」
気難しそうな表情を更に難しそうにして、フォルビアは目を瞑った。
先の事を考えているのか、エスタの訴えを吟味しているのか。どちらにしても、彼女の中でじっくりと推考している事に違いはない。
どれくらいそれが続くと思われただろうか。その時だった。
不意にこんこんと、控えめに叩かれた扉に、傍に控えていた修道士が気が付いた。修道士は伺い立てるようにフォルビアに顔を向け、音を聞きつけゆるりと目を開いたフォルビアもまた、エスタたちに目を向けた。
「……おっと。すまないね、対応してもいいかい?」
「急ぎだったら困るもの。構わないわ」
「悪いね」
フォルビアが席を立ってそちらに向かいながら修道士に頷きかけると、それを受けた姿が扉を開けた。
「失礼します、先生!」
直後、弾んだ声と共にその姿は軽やかな足取りで入って来た。たたっと布越しの足音はくぐもっているものの、声の主の機嫌を現しているかのように軽快だ。
その姿は、途中まで迎えていたフォルビアを見つけると、その腕に飛び込んでいた。長い修道衣の裾が、驚くほどふわりと広がる。
「先生、今ね。皆で歌合わせするところなの。先生も是非お聞きになって?」
ねだるような声色は、どこか妙に聞いたことがあった。セリオスが思わず振り返ると、呆れた様子のフォルビアが、腕から押しやるように立たせて、やって来た少女を諌めていた。
「全く。早く知らせたい気持ちは解ったけどね、貴女ベールはきちんと着けなさいと、何度も教えただろう?」
「あっ……ごめんなさい。さっきお休み頂いたときに、ちょっと暑さに外してしまってて」
「やれやれ、それじゃいつまで経っても一人前にはなれないよ」
「そ、それは困るわ……先生」
はっとして首の後ろに落としたベールに触れた表情は、エスタにとてもよく似ていた。
大きな違いは、褐色肌に真っ黒な髪であることくらいだろうか。瞳すらも吸い込まれるように黒い。また、同じ顔をしてると言うのに、勝ち気なエスタに比べて、どこかおっとりとして見えた。
そんな表情も、フォルビアにベールを直されてすぐに見えなくなった。
「え……」
あれって、と。誰に言う訳でもないセリオスの言葉は、発する事すら出来なかった。
「修道士のお嬢さん」
まさかと思って驚いたセリオスの声を遮るように、ぴしゃりとエスタが言ったせいだ。
「悪いけど、今は席を外してくれないかしら。私たち、院長先生と大事なお話をしているの」
エスタは振り返る事すらせず、いっそ冷たいくらいに突き放した声で告げた。
誰にでも解るような、明確な拒絶。その声色に、言われた少女が一番びくりと身体を強張らせていた。
「あ……! えと、ごめんなさい。お客様がいらっしゃっていたなんて……気が付かなくて」
少女は戸惑った様子でこちらに顔を向け、助けを求める様に老婆を見上げた。だが、院長の老婆はわずかに目を細めてその背中に手を添えただけで、助けの言葉は言わない。
少女も自分で、自分の過ちを正さないといけない事は察したのだろう。
「あ、その、もしよろしければ、皆様にも聞いて頂けませんか? お邪魔してしまったお詫びに。聖歌隊の皆も、聞いて頂けるお客様が沢山いる方が喜ぶわ」
精一杯の言葉は、それ以上の打開を見込めそうになかった。
フォルビアは仕方がなさそうに告げた。
「アム、お客様方に無理を言うもんじゃありません。時間があれば私も後で向かうから、今は戻りなさい」
「えと……その、はい。お邪魔してしまい、ごめんなさい」
ベールを被り直して表情をその奥に隠しても、彼女の戸惑った空気はよく伝わって来た。しゅんと肩を落とした様子が雄弁に語っていたせいもある。
ぺこりと一礼して、その姿は急いで部屋を去っていった。やがて、妙にしんとした空気だけが残る。ぴりぴりとした空気を、他でもないエスタが発しているせいもあるかもしれない。
フォルビアはそんな空気を含めて嘆息していた。
「ウチの見習いが悪いね」
「いいえ。見習いなら仕方ないわ」
老婆の声に、エスタは淡々として応えた。
何を聞かれても、どんな事を言われても、今のエスタは請け合う気はないのだろう。背筋をこれでもかとピンと伸ばし、振り返る事を決してしない頑なな様子に、フォルビアだけが仕方なさそうに何度目かの溜め息を零していた。
「それじゃ、こんなところで話し合ってても仕方ないからね。アレンの所にでも案内するよ。ついて来なさい」
「ありがとう、フォルビア院長。とても助かるわ」
院長の老婆は振り返ると、入り口に控えていた修道士に目を向けた。修道士はわずかに頷くと、恭しく扉を開ける。
フォルビアが先導し、そのすぐ後ろを表情を変えないエスタが続いた。
後続にセリオスが続こうとした時、思い出した様にあっとリシュリオは声を上げていた。
「そう言えばセリ。ワンピースが邪魔なら俺が持つよ」
そんな何気ない提案に、緊張していた空気がどこか和らいだ気がした。
「ほんと? すごい助かる!」
リシュリオの提案に、セリオスは改めて嬉しそうに表情を輝かせた。邪魔な大きな帽子を脇に抱えて、いそいそと嵩張った鞄を開け、目的の物をずるりと引っ張り出す。
セリオスのボディバックに押し込まれたワンピースは、案の定しわしわになっていた。リシュリオは持ち主を思ってやってしまったと宙に視線を泳がせて、振り返ったエスタは顔を顰めていた。
「セリオス、あんたいくら嫌だったからって、それ、あんまりにもやる事が杜撰過ぎない?」
「え? あー……ええと、ごめん?」
流石のセリオスも失敗したと、首の後ろをかいた。その姿にまた呆れかえる。
「私に謝ってどうすんのよ。あんた後で、自分でちゃんとルーザさんに謝って、せめてアイロンかけときなさいよ」
「う、うん……」
やっと仕方なさそうにくすりと笑った様は、いつものエスタと変わらなかった。それがまた、セリオスの目には妙にぎこちなく映った。




