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24. 動線

 

 始めは遠くの空が、低く唸っていた。

 暗い雲はどんどんと低くなり、時折どこか遠くで閃光がちらついた。空一面は暗いというのに、辺りは妙に明るく感じる。

 まるでカーテンが一帯を走ったかのように、雨が南方から北へと向かっていく。きっと、雨雲が風に運ばれて来たのだろう。


 そんな雨雲に追い立てられて逃げるように、小さな飛空挺は辺鄙な街を飛び立った。

「随分降って来たね」

「ルーザ。本格的に雷が来る前に雲を抜けようか」

「そうだね」

 ルーザは雨の薄いベールに包まれていく下方を伺いつつ、操縦席で呟いた。時折光の漏れる雲に視線を流す。エスタは熱心に地図を眺め、その隣でリシュリオもまた彼女の様子を眺めていた。

 セリオスは呆然と窓の外を眺め、白んで来た世界に思い馳せる。


 高度を取るほど風が強い。大きく揺れる雲の中を飛空挺は躊躇い無く抜けると、途端に外から差し込む光が眩しかった。

 嵐は足元に過ぎ去って、時折暗雲の間が光っているだけだ。ごろごろと言う音が、まだそこに嵐はあるのだと教えてくれる。

「あのね、さっき、山岳の街の所有している定期便に乗っていた人がって、話があったでしょう?」

「そうだね」

 思い切った様に口火を切ったエスタに、リシュリオが同意した。

「あれで私達、この地に向かって来た訳だけど……多分周りにそう思わせる事が親方さん――――いえ、逃走を手引きした人の狙いだったと思うわ」

「手引きした人? 心当たりがあるんだ?」

「ええ。多分だけど、私もアジェイを逃がすためにお願いした人だと思うわ。飛空挺で見かけたって人が、親方さんに似せていたんだわ。最初から親方さんは東に来てないのよ」

 一呼吸を置いて、エスタは続けた。

「よく考えれば解った事だわ。同じように親方さんを探している帝国が、噂の立った場所を探さない筈ないもの。ゼルベジャンが確認に来るのもおかしくないわ」

「成る程ね。行き先って解る?」

「親方さんの場所までは解らないけれど、逃がし屋の人なら……接触出来ると思うの。親方さんの場所は流石に教えてくれはしないと思うけれど……」

「まあ、それもそうだね」

 リシュリオの同意に、エスタも苦笑した。やがて表情を引き締めると、帝国から西の方へと街を辿る。

「ここ。河川の小国アレイット。ここが拠点よ」

「アレイット、か……」

 そこは、大陸と大陸の境界線のような場所にほど近い小国だ。大きな河は辿ると浮空島群マレスティナの浮かぶ海へと注いでいる。


 国と言うにはいささか規模は小さいものの、豊かな水源に恵まれており、食べ物も豊かと聞く。そして飛空挺の行き来も盛んだ。工業的にも、帝国程ではないにしても盛んに取り組まれている。


 リシュリオはそれを聞いて、悩ましそうに腕を組んだ。同じくルーザも同意する。

「少しばかり面倒だね」

「ああ。入国管理があそこは厳しいからな。外堀までなら俺らも行けるけれど……その先に関しては、俺らは無力だな」

 難しい顔で告げられて、エスタは瞬きした。

「え? きちんと身元が解ればあそこは問題ない筈よ?」

 リシュリオは頷きながら苦笑した。

「身元は、な。それ以前に俺らは空賊として、割と名前が知られているから……中心街までは同行出来ないだろうな。治安を乱す可能性のある空賊なんて、国民の為にも街の中枢には入れられないって言われるんだ」

「まあ、その点セリ達は平気だろうね。その逃がし屋が、外街に居てくれれば話は簡単なんだけれども」

 肩を竦めたルーザに、リシュリオも同意する。そのままリシュリオは訊ねた。

「身元を確認されるって事は、エスタは大丈夫なのか? 白姫って気がつかれて、騒ぎにならない?」

「私は平気。あそこの国は通行手形貰ってるし、イムの名前でも身分証あるもの」

「それって偽装?」

「正真正銘の本物よ。色々あったのよ」

 エスタは苦く笑うと、何か思い出した様子で肩でふっと笑っていた。何があったかと尋ねるリシュリオに、大した話じゃないからと首を振る。

 リシュリオは首を伸ばして計器を一通り眺めて変化がないことを確かめると、もう一度地図に目を向けた。

「まあ、どちらにしてもこのまま真っ直ぐ西に進路を変えては、何処で見てるか解らない帝国やあいつらに、行き先を教えるようなもんだ。一先ずは雲と共に風任せに北上してしまおう」

 エスタが少しだけ表情を曇らせる。

「帝国に近づいて大丈夫かしら」

「下手に露骨に避けるよりはいいんじゃないか? あんまりこっちが意識して態度に出すと、向こうも勘ぐって来る。それに風に乗った方が移動も早いし、遠回りしても今日中にはつけるさ」

「ええ、解ったわ」

 神妙に頷いたエスタに満足した様子で頷いたリシュリオは、窓際でぼんやりとした様子のセリオスにも目を向けた。

「セリもそれでいいな?」

「っえ?! あ、うん……!」

 あからさまに座席の上で飛び上がり、今までまるで聞いてなかったと言わんばかりのセリオスに、エスタの方が呆れてしまう。

「なーにー? セリオス。あんた私に散々偉そうな事言っておいて、自分はちゃっかりくよくよしてる訳?」

「なっ、くよくよなんてしてない!」

 挑発的に笑われて、セリオスもむっとする。セリオスの表情に、エスタは仕方がなさそうに肩を落として、責める様子を和らげた。

「じゃあ、何の事でそんな気の抜けた顔をしてるのよ」

「だってそれは……」

 口を開きかけて、セリオスは躊躇った。勧誘されたと言う話から切り出して、あちらに付く事を迷っているのだと思われたらどうしようと怖さが急に出たせいだ。

 気が付くと、視線が手元に落ちていた。

「だって……ノルトが、本当に行ってしまったんだなって思って」

「あんたまだその事気にしてたの?」

 バカじゃない? と。エスタは深く溜め息を零し、呆れていると言わんばかりに額に手を添えていた。

「ショックだったのって、あんたの元お友達が帝国に付いた事? 違うでしょ。あんたの知らない一面があったから、裏切られたみたいに勝手に思ってるだけじゃないの」

「……辛辣過ぎない?」

「そう思うのは、心当たりがあるからでしょ」

 はっと見下して鼻で笑ったエスタは、こちらにやって来るとセリオスを見おろしていた。

「元お友達の存在が無くなっただけで気持ちがへこむなんて、あんた世界が狭すぎるんじゃない? セリオス、あんたが私に言ったのよ。ここに居る人を頼っていいって。心の拠り所なんていくらでも作れるんだから、一つが無くなった程度でくよくよしてんじゃないわよ」

「……頭では解ってるけど、気持ちが追い付かなかったんだって」

「時間の無駄。落ち込んでる暇あるなら、どんな話をしたら親方さんの話を聞けるかって質問でも考えたら?」

 元お友達とあんたの師匠、どっちの方が大切なの? そう焚き付けられても、セリオスには咄嗟に応える事が出来なかった。

「それは……」

「じゃあ、言い方を変えるわ。あんた自分より下だって思ってる人に、あんたやあんたの尊敬している師匠について馬鹿にされて悔しくないの? 馬鹿にされた程度でくよくようじうじして、自分が恥ずかしくないの?」

「し、下になんて思って無い! 無いけどそれは……悔しい、けど……喧嘩売ってる?」

「ええ、聞いての通りじゃない。買ってくれないと困るわ? 言う事()()()立派な、口だけおバカさん? 弱虫、へたれ、寝坊助、貧弱」

「ねえ、寝坊助も貧弱も今は関係ないよね?!」

「あら、その辺の自覚はあるんじゃない」

「……エスタ、僕だって流石に、そんなに言われるといじけるよ……」

「だからいじけてないで、せめて怒って、悔しがって、次に何したらいいか考えなさいよ! って、言ってるのよ脳足りん! 負けん気ばっか強い割には、やる事も出来ないなんて、一体なんの役に立つのよ」

 いい加減目障りだから殴るわよ、と。握り拳を視界の内に見せられれば、エスタが本気なのだと気が付いた。だが、少し冷静になったとしても、今更素直になれなくて、視線を反らしてしまっていた。

「じゃあ、殴ってよ」

 思わずぽつと呟くと、躊躇いのない衝撃が右頬に来た。ぱん! っと、乾いた音がして、拳ではなく平手が飛んできたのだと、呆然と見上げた姿に遅れて知った。

「ちょ……と、痛いんだけど」

「痛がってくれなきゃ困るわ」

 何を馬鹿な事を言ってるんだと憮然としたエスタは、はっと息を吐いていた。

「ねえ、あんたのせいで私だって手が痛いんだけど。おバカさんの為に、私は()()痛い思いしないといけない訳?」

 いい加減にしてよ。エスタは低く告げた。

「うじうじしているセリオスなんて、見ててうざいわ。悩むくらいなら吐き出しなさいよ」

 これ以上ぐずつけば、そこらにある物で殴りつけてやろうか。そんな気迫を感じて、セリオスは一瞬息を詰めた。

「うん……」

 やがて、緊張感も何もかも吐き出すように、胸の内を明かした。

「あのさ」

「ええ」

「その、さっきの人がね、僕の名前知ってたんだ」

「元お友達から聞いたんじゃないの」

 何度となく『元』と強調するエスタの嫌味と過去の話だと強調してくれる気遣いに、セリオスも小さく笑ってしまう。

「名前は、そうだろうね。でも、拾われっ子の僕が正式に親方の息子だって――――セリオス・フロリウスだなんて、誰も知らない筈なんだよ」


 それを知っていたあの人は、一体何者なんだろう。ノルトをどうするつもりなんだろう。

 知らないところで出回っている情報が、知らないところで進んでいる事象が、堪らなく怖い。


 ぼつぽつとそう小さく話したセリオスに、静観していたリシュリオが眉を顰めた。

「セリが、アズネロ親方の息子……。拾われたってのは最初に聞いたし、弟子にしては熱心だとは思ってたけど……そういう事か」

「それがなんだって言うの?」

 エスタは解らないと微かに首を傾げた。

 リシュリオは顰め面で腕を組む。

「厄介だろ、その肩書は。アズネロ親方の行方を捜している側にとってみれば、愛弟子ってだけでも親方の代わりに使えそうだって思うのは当然だ。なのにさらに息子として殊更可愛がっていたんだとしたら、他の弟子たちに継承してない技術だって知っているだろうって、思ってもおかしくない。何なら、俺がその立場の人間なら、確実に囮や人質にも使う」

「誰も知らない筈のそれをアルフェリオが知っていたっていうのが、また面倒だね」

 さらりと告げたリシュリオにルーザまでもが同意した事で、エスタも漸く合点がいった様子だった。

 セリオスは緩やかに首を振った。

「親方の事と言い、ノルトの事と言い。僕も知らない事をあの人は知っているのかなって思ったら、その、なんだかとても不安で。でも何が出来るのかとかどうしたらいいのかとか、さっぱり解らなかったんだ」

 ごめん、と。漸く出たセリオスの言葉に、エスタは肩を竦めていた。

「別に。そもそも私に謝る事じゃないわ。それで今出来る事は無いのかから考えられれば、今はそれでいいと思うわ」

「……うん」

「この私にだって、出来ない事がたくさんあるんだから。こうして皆を頼っているでしょう?」

 悔しい事にね、と。不本意そうに唇を尖らせていたエスタは、少なくとも『励まされるような自分』があった事を恥じているのだろう。


 悔しかったから同じことを繰り返さない。そんな彼女の決意を垣間見たような気がして、セリオスは何だか眩しかった。

「エスタのその自信は、時々すごいよね」

 思わず呟くと、冗談じゃないと言わんばかりに睨まれた。

「張り倒すわよ? 私は出来得ることを可能な限りやってるだけ。努力しないでうじついてたセリオスと違うのは当たり前でしょう? 一緒にしないで」

「え、そこまで言わなくてもよくない?」

「そう言いたくなるくらい、ぶつくさしてる人はうざいって話よ」

「ええと、気を付けるよ……」

 辛辣な評価にセリオスは苦笑していた。

「ま、セリもそう気にすんなって。楽観的にばかり言っても難しいだろうけど、あんま悩んでも仕方ない事はあるしな。俺らはやれることをやるだけさ」

 アルフェリオの事は俺らももっと注意を払っておくよ。リシュリオも神妙に頷いたあと、空気を変える様に手を打った。

「さって、堅苦しいのは終わりにしようぜ。行き先も決まった事だし、ひとまずは飯にするか。ルーザ、操縦は頼んだ」

「了解」

「昨日の魚もまだ残ってるし、酒蒸しにでもすっか。手に入ったジャガイモも美味そうだしな。好き嫌いある奴いるか?」

「平気よ」

「セリは」

「……大丈夫。僕も手伝うよ」

 少し気持ちが上向いたお蔭だろうか。何処までも広がっていた黒い雲は少しだけ薄らぎ、雷雲はどこかに流れていた。


 抜けるような空と、東に広がる雪を抱えた連山だけが彼らの進路に広がった。

 

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