23. 曇天
セリオスが室内に戻ると、視界の隅に映った姿に驚いた。
「わ、エスタそこで聞いていたの?!」
入り口から死角になっている場所に居たその姿は、何か考え込んでいるのか、こちらに気が付いた様子はない。
「エスタ?」
目の前で緩やかに手を振ると、不意に真剣な眼差しが返ってくる。
「セリオス。もしかしたら私、アズネロさんの向かった場所というか、使った逃げ道が解ったかもしれないわ」
「え」
「でも、すごい間違いもしている……と思う」
少しだけ自信がなさそうな様子は、不安に瞳を揺らしていた。
「もし今までの考えが間違っているのであれば……私、この街では外に出ないでおくわ。嫌な予感がするの」
「ええと……」
一瞬どういう事か、セリオスは首を傾げていた。
「要は降りたくないって事でしょ? 街の人も出歩かない方がいいって言いっていたし……よく解んないけど、うん、いいんじゃない? 取りあえず荷物を下さないとだから、僕はルーザのところに行ってくる。エスタは窓に気を付けて待ってて」
「大丈夫。役立たずみたいに、じっとはしてたくないから……。私が入れ替わりで呼んでくるから、先行ってて」
「うん、解った。お願いするよ」
気にならないと言えば嘘になるが、先に待たせている方を済ませるべきだろう。そう思って急いで駆けて行くエスタを見送った。
セリオスが外に戻ると、店主と思わしき若い男とリシュリオが話し合っていた。沢山の酒にジャガイモと、特産物について熱心に肩っている。
入り口からその様子を見ていると、間もなく後ろからルーザに肩を叩かれた。
「セリ、悪いけど手伝ってくれる?」
「うん」
招かれるままについて行き、格納庫とは別の降り口から下に行く。
「そこ開けてくれる?」
「うん」
「開けたら下にあるスロープ引っ張り出しておいて」
「解った」
灯りを付けたそこは保存室だ。狭い保存室には棚と扉が二つあり、片や冷暗室となっていて食べ物は主にそこに入れられている。もう片方は外への直通となっており、中から開ける事しか出来ないものの、大口の荷物はいつもここから入れていた。
セリオスが扉を押し開けると、外の明るさに一瞬目が眩んだ。眩しさに目をしょぼつかせながら、冷暗室の中を物色するルーザの元に戻る。
「これ持てる?」
「大丈夫」
「重いから気を付けて」
果物の籠をどうにか受け取って外に出ると、リシュリオの話している姿に目を留めた。ふとエスタの言っていた事が気になって、何気なく振り返った。後続のルーザはルーザで、台車に乗ったままの密閉された箱を下そうとしていて怪訝な顔をされる。
「どうかした?」
「あ、ううん」
今いう事でもないと気を取り直して、運ぶことに集中する。
その時だ。空によく聞くエンジンの音が聞こえた気がした。どこだろうとセリオスが見上げると、後ろで同じように見上げていたルーザが鬱陶しそうに舌打ちしていた。
同じ方角に目を向けると、曇天の合間に大型の飛空挺を見かけてどきりとする。
「セリ、台車は後でハッチからいれておいて。僕はここを閉めて、いつでも飛べるようにしとくから」
不意に言われた言葉に、胸騒ぎが増した気がした。
「え、あ、うん。あれって……」
「あの飛空挺はゼルベジャンだ。友好的だって旗は上げてるけど……街が荒れるかもしれない。リオも気が付いていると思うから、早めに撤退出来るようにしよう」
彼らが絡んできていい事は起こらない。はっきりとそう告げられて、先程のエスタの言葉に緊張感が増した。
「伝えればいい?」
「ううん、セリはなるべく早くリオにこれを引き渡して、すぐに戻って来て。言わなくてもあれは解るから」
「解った」
神妙に頷いて籠を台車に乗せると、台車にゆっくり力をかけた。
塩と魚の詰められたそれは、セリオスが予測していたよりも遥かに重く、台車に乗せてもなお、押した感覚は重たかった。
よくもあんな涼しい顔で、それでいて傾斜も物ともせずにルーザは支えていたものだと感心せずにはいられない。ここに来てまで己の“努力しても平均程度”の非力具合を感じるとは思わなくて、人知れず肩を落としたのは仕方がない。
セリオスが内心で落ち込んでいる後ろで、ルーザはスロープを戻すと扉を閉めていた。その間も、エンジンの音は近づいて来る。
可能な限りセリオスが急ぐと、最初の男性も物珍しそうに空を見上げていた。
「おや、あの飛空挺は……」
「知っているんですか?」
リシュリオが何気なく尋ねていると、首肯が返って来た。
「そうだね。最近この街に立ち寄ってくれる飛空挺の一つだよ。彼らは……ゼルベジャンと言ったか。すまないが、私はあちらの出迎えに行ってくるから、失礼するよ」
男性の歓迎的な様子から、何度と面識があるのだろうと容易に知れた。
リシュリオは至って穏やかに笑顔を浮かべる。
「ええ。対応ありがとうございました。少し荷物を整理したいので時間を頂きたいのですが、飛び立つ時は、改めて声をかけた方がいいですか?」
「いや何、特に気を使わなくても構わんよ。あちらさんの飛空挺の発着と被らなければ、好きに飛んでくれ」
「ええ、その時はまた信号でも上げてから飛びます。ありがとうございます」
男性との会話を切り上げて、直ぐに店主と野やり取りに戻る。その様子を、セリオスは漸く間近で伺えた。
ただ、店主とリシュリオが果物を確認する声も、魚の箱の中身と鮮度の話をしている間も、セリオスの耳に内容はあまり入ってこなかった。ただ漠然と、二人が産地や代金の話をしているなあと、耳から耳へと抜けていくばかりだ。
それも、仕方ない。ゼルベジャンの飛空挺から目を離す事が出来なかったせいだ。
その飛空挺は圧倒的に大きい。少なくとも二回り、三回りは大きいと言っても過言ではないだろう。小回りや速さにはリシュリオの飛空挺に劣るかもしれないが、収容人数や可能積載量は圧倒的に彼の飛空挺に軍配が上がるだろう。
否、もしかしたら、ゼルベジャンの飛空挺の方が速いかもしれない。飛空挺の規模が大きくなればなるほど、それを飛ばすために必要な動力は必然的に大きく、力強くなくてはならない。
広さを持てるという事は、純粋にその分エンジンや反重力装置を搭載する空間を持てるという事だ。速度を競ったら、もしかしたらあの大きな飛空挺の方が速いかもしれないのだ。
ふるり、と。セリオスは無意識のうちに震えていた。
それが恐怖から来ているものなのか、緊張から来ているものなのかは解らない。何について震えたのか解らない事が、セリオスには何よりも怖く思えた。
同じ発着所の広場に堂々と着地したその飛空挺の上方には、テラスがあった。そこから飛び降りる人影があって、この発着所の管理人の男性と何やら親しそうに話している。
あれは、と。記憶に新しい姿を見間違えていなければ、あの夜に自分を誰かと間違えていた糸目の男――――アルフェリオではないだろうかと思う。
楽しそうに話す様子は、如何に彼がこの地の者と関係を築いているかが伺えた気がした。
そんな姿を遠目に眺めながら、セリオスにはエスタの事が気がかりになって仕方ない。早く戻ってこいとルーザに言われていた事も忘れて、呆然と遠くを伺ってしまっていた。
そして、ぼんやりと眺めていた代償だろうか。先程アルフェリオが飛び降りたテラスに、見知った姿を見つけてドキリとした。
「……本当だったんだ」
出来れば悪い冗談であって欲しかった。かつての同僚、ノルトの姿を飛空挺に見つけてしまっては、疑う事も出来ない。
もしかしたら、昨日の邂逅は気のせいだったのかもしれない。そんな淡い期待は、期待でしかなかった。袂は別れてしまっていたのだ。
それも、遠目にも彼がこちらを睨んでいるのかもしれないと思うと、気持ちは一層沈んだ。
は、と。セリオスが溜め息をこぼしてしまっていたのも無意識だった。未だに自分は彼の事を引きずっているのか、 と。昨日散々慰められただろうに、情けなく思えて仕方ない。
いつまでもうじうじとしているのも気分が悪くて、セリオスは首を振った。その背中に、不意に誰かの手が触れて、身体はびくりとしてしまった。
「それじゃあ、また立ち寄った際はどうぞよろしくお願いします」
「ああ! こちらこそまいど!」
セリオスが見上げると、こちらはこちらでにこやかに最後の商談を済ませたリシュリオがあった。
店主の持って来ていた荷車と台車の品物を交換するように詰め替えて、書類を交わしていたのは一体いつの間の事だっただろう。店主を途中まで見送っていたリシュリオの視線が、にわかにセリオスを捉えていた。
「セリ、すぐにそれを飛空挺に持ってっておいて。あいつらが降りてくるまで、俺が時間を稼ぐから」
その表情は、店主に向けていた友好的なものには違いない。だと言うのに、真っ直ぐ捉えた目は真剣だった。それだけ、リシュリオにとっても彼らがここに現れたのは、歓迎出来る状況ではないと捉えているのだろう。
段々と分厚い雲が増して暗くなってきた空が、不安を掻き立てるのかもしれない。
「……うん、解った」
セリオスは神妙に頷くと、新しい荷物で重たくなった台車を急いで押した。やはり、重い。
技士として工具を扱うときに不自由を感じたことはない。ただ、重みに対しては鍛えようが何しようが、いつまで経っても力がつかない事が悔しくて仕方ない。
セリオスが四苦八苦しているその間に、リシュリオは操縦室に下から手を振った。格納庫の入り口を開けさせて、彼は彼で作業に取りかかる。その姿を見て、成すべき事は成さなくてはと。セリオスの気持ちばかりが妙に焦る。
不意に飛空挺の入り口に、帽子を目深く被ったエスタの姿が見えて苦笑した。見るからに怪しいそれは、エスタにとって最大限の譲歩なのだろう。下手に外部に姿を見られたくない思いと、もたつく自分を見兼ねて手を貸さずにはいられないという葛藤が、目に見えた気がした。
「もう、何をもたついてるの」
「ごめん……いや、ありがとう」
お礼を言ったものの、上に積まれていた酒の瓶の箱を一つ、軽々とエスタに持っていかれて何だか切ない。自分の腕に何が足りないのだと、思わず凝視してしまったのは仕方なかった。
そのわずかな間がいけなかったのだろうか。
「セリオス?」
不意に呼ばれて思わず顔を上げた声は、聞き覚えのないものだった。
「っ……!」
その事実に気がつくよりも先に振り返ると、途端、心臓が握られたかと思うほどに身が縮んで息が詰まった。
細い糸目が、更に弧を描く。嬉しそうにふふと笑みを深くしていた。
「やあ、セリオス。会えて嬉しいよ」
「な、ん…………」
何故、自分の名前を知ってるのだ。そんな疑問が喉をつっかえ、意味もなく口を開いては閉じてしまう。
こうして話すことが、まるで悪いことのように思えて仕方ない。助けを求めて視線をさ迷わせるが、死角になっているリシュリオが気がついている様子はない。
その視線に、相手の方がよく気がついた。
「ああ、ごめんねぇー? 驚かせたかな。そういえば、自己紹介したコトなかったものねー」
軽薄な調子でことりと首を傾げた拍子に、五色の組み紐が襟足で揺れている。現実逃避するように、気がつくと、組み紐にと気を移してしまっていた。
まるでそれを見透かしたかのように、ヒヤリとした手が頬に触れて、また身体を竦めてしまう。目が合ったのは、気のせいではない。
「覚えておいて? リーステン・ネブロ・アルフェリオ。ゼルベジャンを旗印にして、空の統治を目指してるよ」
薄く開いた漆黒の瞳に射竦められて、目が離せない。口の中が急速に渇いて仕方がなかった。
「っ……僕は貴方に、名乗る名前はありません」
「別にー? 知っているからいらないよぉ、セリオス。セリオス・フロリウス。アズネロ・フロリウスの息子として活躍してた、愛弟子君?」
「人違いじゃ、ないですか」
「ノルトがわざわざ嘘をついてるって? 間違いなく君はセリオスだろう?」
飛び出た名前に息を飲む。
解りやすいねぇ、と。くすくすと笑った姿に、誤魔化しは無意味だった。
セリオスは自分でも顔から血の気が引いているのが解った気がした。それを隠したくて、首を振る。
「っ……何故! 僕が、師の息子だなんて……知ってるんですか。誰かに――――ノルトにさえも、話した事ないのに」
「そんなに怯えなくてもいーよ。ノルトは知らないよ。ただ情報なんて、どこにでも転がってるモンだからね?」
当たり前の事で、何を言うのだろう。そう言わんばかりにされては、セリオスも自分の感覚の方が間違っているのだろうかという気になってくる。
そんな筈はない。真っ直ぐ睨むと、低く告げた。
「ノルトに、一体何をしたんですか」
「何って?」
「僕の知ってるノルトは……向上心に溢れてて、面倒見が良くて、気さくで。あんなノルトは、知らない! 貴方達が、ノルトに何かしたんでしょう!」
セリオスの言葉に、目の前の姿はきょとんと眉を釣った。だが途端に、笑みを深くしていた。
「キミが知らなかっただけ、じゃない?」
「っ?!」
咄嗟の事に、動くことが出来なかった。息の仕方も忘れてしまったか、喉が締め付けられたような気がした。
威圧されたのだろうか。食われるような恐怖感に、ぞっとした。その先を語られれば、信じていたものを一つ失いそうな、そんな嫌な予感がした。
その、時だ。
「おい! 何してやがる、てめぇ!」
戦慄した空気を吹き飛ばすかのように、飛んできたリシュリオの怒号にセリオスはハッとした。
「…………と、ジャマが入ってしまったなぁ」
残念そうにアルフェリオは肩を竦めると、最後にとセリオスの耳元に顔を寄せた。
「事実は君の考えてるよりもう少し複雑だけれど、本当の事を知りたいのなら、一度こちらにおいで? 君が知らないことを知れるのも、活躍出来る場所に連れていってあげられるのも、そちらじゃあない」
いつでも歓迎してあげる。にこりと笑った目の前の姿は、次の時には身を翻して後ろに跳んだ。刹那、掴みかかっていたリシュリオが間を割る。
その背中に庇われて、漸くセリオスはほっと息をつけた気がした。
「チッ。大人しく殴られろよ、アルフェリオ」
「あっはは! 何を言ってるの、リシュリオさん? 痛いからイヤだよぉ?」
からからと笑った姿に、リシュリオは苛立ちを隠せない様子で吐き捨てる。
「何でてめえ、いつもみたいに取り巻き侍らして来ねぇんだよ。こんな時だけ単独でさっさと来やがって」
「あっはは! 個人的な引き抜きのお誘いに、身内ツレ歩く必要ないでしょー? お陰で君を抜いて、彼とお話出来たし?」
アルフェリオがそうだろ? と、セリオスに呼び掛けると、リシュリオもわずかにこちらに目をくれた。その視線に、セリオスはまた身を固くする。
「どうしても、俺に喧嘩を売りたいらしいな?」
セリオスの様子に、リシュリオは正面を睨んだ。至って飄々としていたアルフェリオも、引き時だと肩を竦める。
「仕方ないねぇ。狭量なリシュリオさんに免じて、今日は大人しく引き下がるよー」
「狭量で結構だ。お前の軽薄さよりはマシだ」
「ふふ、セリオス? リシュリオさんの度量に飽きたら、いつでもおいでー?」
またね、と。ひらりと手を振ると、颯爽と去っていく。
その背中を呆然と見送ってしまっていたら、不意にぽんと頭に手が落ちてきた。ハッとしてその手の主を見上げると、心配そうなリシュリオが居た。
「大丈夫か? 気がつくの遅くなって悪かった」
「…………ううん。僕の方こそ、もたついて、油断してごめん」
「お前は悪くないよ」
肩を落としたセリオスに、リシュリオは苦笑した。
突拍子もなく絡んで来たあれが悪い。そう告げられても、セリオスの気持ちは浮かばなかった。
「さ、行こう。またあいつが来ても面倒だしな」
「うん……」
小さく頷いてなお、胸がきりっと締め上げられ、嫌な風に早鐘を打っている気がした。




