22. 交易
飛空挺は順調に航路を辿った。
窓いっぱいに海と空の二色の青が広がっていたのは先程までで、いつ頃か下方では大地が広がっていた。
平野部はうっすらと緑がかっていて、時折整えられた往来が細い筋となって大地にミミズのような線を描いている。山岳に差し掛かると植物の青さから岩肌の青さへと色味が変わり、遠くに行くほど灰色に色褪せていった。
その頃には空には雲が多く浮かび、気が付けば天井の筋のような雲だけでなく、綿を広げたような雲が段々と高度を下げて来た。
恐らく風が強いのだろう。流れる雲と共に、時折微かに飛空艇は揺れていた。
「荒れそうだな」
そろそろ目的の街が見えて来るだろうと、操縦席で遠くを見ていたリシュリオは、誰に言う訳でもなく呟いていた。
「雲の中で吹雪いてないだけマシだろうね」
同じく大して意識はしていなかったのだろう。後ろの席でくつろいでいたルーザも、何気なく返した。その言葉に、セリオスだけが驚く。
「吹雪く? 雲の中で雪が降るの?」
「うん、時期に関係なく山岳地方では時々あるよ。視界は悪いし山のお蔭で気流は読めないしで、操縦士泣かせだけどね」
「そうなんだ」
リシュリオも? と何気なく伺うと、ルーザに鼻で笑われる。
「リオは寧ろ、喜んで遊ぶよね。墜落しないのが不思議だよ」
「はは、そんな事ないさ」
その内嫌でも体感するよ、と。ルーザは呆れた様子でぼやいた。苦言を申したところで意味がないと、諦めきっているらしい。
よく考えたら、出発の時に既にその鱗片は見られているのだ。その内と言わずとも、いつだって軽業のような飛行を披露される可能性はあるのだと誰もが理解した。
窓の外に視線をくれたルーザに、リシュリオは振り返る事無くただ苦笑する。
「そう言うなって。ほら、目的地が見えたぞ」
遠くの方に視線を投げていたリシュリオは、速度と高度を緩やかに落とした。
「エスタ、信号凧の切り替えがそこだ。上げてくれ」
「ええ」
黙々と計器や周囲を伺っていたエスタは、言われた通りにぱちりとスイッチを切り替えて、側面の窓を伺った。
凧は二つ。遠目から見ても天候が悪くても、はっきりと見えるように派手な色合いの凧が意味しているのは、立ち寄りを知らせるものだ。マレスティナのような発着所や集翼所のない街では、大概街の外れや外の開けた土地に着地させることが多い。
「反応あるかな」
リシュリオは心持ち楽しそうに呟いた。
飛空挺を歓迎するかどうかは街によって様々だ。発着所の場所を知らせてくる地もあれば、閉鎖的で全く反応のない場所もある。
帝国の干渉を受けている可能性がある以上、もしかしたら歓迎はされないかもしれない。山間部の辺鄙の地なら、そもそも外部の者は受け入れ難いかもしれない。
ただどちらにしても、降りないという選択肢はなかった。
「リシュリオ、あそこ」
同じように窓の外を伺い、初めて見る景色に胸を躍らせていたセリオスは、街の外れに上がった旗に目を留めた。同じように遠目にもよく見えるその旗が示すのは、歓迎とこちらに向かえの意。ほっとしつつ、よしと声をかけた。
「それじゃ、着陸しよう」
「了解」
舵を切ってそちらに向かう。次第に窓の数まで大きくはっきり見えてきた街並みは、少しばかり寒々しい赤茶けたレンガの家々が並んでいる。積もってはいないものの、細かい雪がちらりちらりと降り始め、曇天が低く立ち込め始めていた。
「うわ、本当に吹雪く前だったかもしれないな」
特別手間取る事もなく、間もなく飛空挺はエンジンまでもが停められた。緩やかに着地した窓から、リシュリオは空を見上げて苦笑してしまう。
「出る時の方が荒れそうだね」
「ま、様子見てみないとだな、それは」
他愛もない話をしながら降りる準備をしていると、街から信号を上げたと思われる人物が見えたので、操縦室からも手を振って応えた。
「ちょっと行ってくる」
「よろしく」
「僕も見たい」
代表してあいさつに行こうとしたリシュリオの後を、セリオスも追った。その足取りは軽やかで、初めて見る場所に興味津々なのだと、誰が見ても解る。
ルーザが仕方なさそうに笑い、エスタが呆れた様子で肩を竦めていたのは、セリオスはついに気が付かなかった。
「うーっ……冷たい」
扉を開けたリシュリオの後ろで、セリオスはぼやいた。
空気は思っていた以上に冷たくて、何の心構えもしていなかったセリオスだけが、不意を突かれて身を震わせていた。
空気の冷たさにさらされた耳を思わず擦ってしまう。赤くなっているのだろうと、見えなくとも解るほどに熱かった。
そんな様子を見たかったんだと言わんばかりにリシュリオは笑い、特に何かを言う訳でもなく、やってくる姿を見て出迎えていた。
「やあ、こんにちは。誘導ありがとうございます」
「こんにちは。まさか立ち寄る人がいると思っていなくて、驚いたよ」
やって来た中年の男性は、どこか嬉しそうに目元に皺を寄せながら白い息を吐いた。着ている上着は暖かそうで、ここらが少なくとも冷え込むのだとよく解る。
「空賊の方かな?」
「そうです。ただ、僕たちはただの放浪しながら交易しているに過ぎませんから」
略奪に来た訳ではないとリシュリオが改まって目的を告げると、男性は目元の皺をさらに深めて笑っていた。
「ははは! 流石に警戒はしたがね。こんな辺鄙な何もない地にも礼儀を欠かさなかった君らを、私達は歓迎するよ」
「ありがとうございます。入用なもので在庫があればお売りしますし、皆さまの不要なもので売れそうなものがあるなら買い取りたいです」
「構わんよ」
丁寧に告げると、男性は顎に蓄えた髭を擦っていた。
「ここ最近、交易に来てくれる飛空挺が減って、こちらも困っていたくらいだ。ぼちぼち天候も荒れる日が続きそうだったからね、助かるよ。商店の主人でも呼んで来ようか」
「場所を教えて頂ければ出向きますよ」
「なあに、どうせ暇しているだろうからな。少し待っていなさい、連絡しよう」
「ありがとうございます」
閑散とした発着所を戻っていく背中を見送りながら、リシュリオは隣を伺った。
「思っていたより友好的で良かった。初めて見る街の感想はどうだ?」
「うーん……」
セリオスは小首を傾げた。
「リシュリオが僕って言っていると、なんかすごい違和感あるね?」
「お前、それが最初の感想って酷いな。俺だって場に合せた言葉くらい選べるよ」
「そっか。それはごめん。……じゃあ、結構寒いね」
「じゃあってお前なあ……まあいいか。そうだな、マレスティナも上空だから、時期によっては冷え込む事もあるけど、ここらは特に冷え込んでるな」
上着取って来ていいぞと、促している間に男性が手を振りながら戻って来た。
「お待たせして申し訳ないね。店主が来るまで時間がかかるそうだ。売りたいものをまとめたら来るよ。一応、欲しいものを確認したら、保存の出来る果物や魚の類に扱いがあったら、特に欲しいそうだ」
リシュリオは倉庫を思い浮かべながら頷いた。やり取りを、セリオスも寒さを忘れてそっと見守る。
「果物は昨日仕入れたばかりのものが一箱、後でお出しするので見てください。魚は塩漬けしたものでもいいですか? それならいくらかあって、こちらは今朝仕入れたものなので、漬かって間もないですし、まだ乾燥段階にも入ってないです」
「おお、十分だよ。ウチの街で海の魚は滅多に出回るものじゃないしな」
「確か大きな湖が、もう少し山寄りにあるんでしたっけ」
もう少し連山の淵に沿って進んだ先にある、大きな湖を思い出した。山々からの雪解け水の集まるその大きな湖は、とても澄んだ水をしている事で有名だ。
「ああ、この先のな。淡水魚も悪くはないが、酒の肴にはちと物足りなくてね」
海の魚は味が濃くて旨いんだと笑った男性は、既に今日の晩酌の事で浮き足立っていた。
リシュリオは頷いて同意しつつ尋ねた。
「なるほど。折角なのでついでに何か仕入れたいんですけど、この街でよく作られているものとか何かありますか?」
「そうだなあ、ウチの街は酒とジャガイモくらいかね。ここから山岳の中にある街の方なら燃料もあるが、ウチの街は山に入って行くには手前過ぎてね」
「ああ、成る程。燃料を運び出す為の中繋ぎって事ですか。燃料の送り出し先は帝国ですか?」
「大体な。お蔭で街自体は潤っているが、いかんせん土地は痩せている上にこの寒さだ。温かい日の方が少ないせいで作物に関してはこの通り、流れの空賊や行商人を頼る始末さ」
「ははは、でもお蔭で僕たちとしても助かります」
お互いさまにな、と。男性は茶目っ気づいて笑っていた。
リシュリオもそれに合わせて笑いつつ、思い出したように尋ねた。
「ああ、そうだ。街の方は入っても大丈夫ですか? 最近、街に入るのに規制があったって、噂でちらほら聞いたんですけれども」
「規制? ――――ああ、恐らく帝国の通達の事だね。そうだなあ……折角来てくれた君たちには申し訳ないけれども、あまり出歩かない方がいいだろうね。理由は詳しくは知らないけれども、帝国からの牽制は確かにあってね。ウチの街は別に属国ではないから気にする必要はないのだけれど、それでもお得意様で有る事に違いないから、全くの無視も出来なくてね」
「関係の悪化を気にする人も要るんですね」
「そうだな。折角荷物持ってきて貰ったのに、歓迎も出来なくて申し訳ないけれども」
「いえ、仕方ないですよ」
ひょいと肩を竦めたリシュリオは、もし知っていたら教えて欲しいのですがと続けた。
「ちなみに、何かきっかけとか時期とか、心当たりはないんですか?」
「うーん……そうだなあ」
悩ましそうに顎を擦っていた男性は、何かあっただろうかと視線を彷徨わせて記憶を探りながら告げた。
「風の噂では、帝国の貴人が通ったからだ、とかなんとか聞いたなあ」
「貴人、ですか?」
「ああ。本当かどうかは知らないけれどもね」
応えた男性も噂を信じていないのだろう。苦笑しながら肩を竦めた。
「後からそうだったのかもしれないって解ったってだけだよ」
「どういう事ですか?」
「何、少し前に来た飛空挺の客の姿がなくなったって騒ぎがあってね。その騒ぎ自体はすぐに収まったから、お騒がせには違いないが気にするほどでもなかったんだ。けど、その数日後に帝国からの通達があってね。もしかしたら、その時の騒ぎの人物が、帝国の貴人か何かだったのかもしれないなって噂が立ったって話さ」
「なるほど」
ちなみに、と。噂話よりも気になる事があると言った様子でリシュリオは尋ねた。
「その時に飛空挺って、街の定期便か何かですか?」
「うん? そうだね。山岳の方が所有しているやつで、ここと湖と帝国あたりとって、燃料や鉱石の出荷ついでに小さい集落なんかも含めてたまに来てくれる奴だよ」
「そうでしたか。じゃあ……ここより先の小さい街なんかは我々みたいなのが尋ねたら驚かせてしまいますよね」
出来れば買い付けなどしてみたかったのですがと話したリシュリオに、男性も申し訳なさそうに眉を落とした。
「そうだなあ……。邪険にはしないにしても、帝国に近ければそれだけ影響も受けているから、あまり歓迎されない事に違いはないだろうね」
「そうですよね……残念ですが、商売は他の地方でもあたってみます」
残念そうに眉を落として笑って肩を竦めたのも束の間、リシュリオは表情を輝かせた。
「あ、そうだ。ここらで綺麗な景色が見られる場所ってあります? 俺、見た事無い景色を見るのすごい好きなんです」
今までで一際生き生きと尋ねたリシュリオに、男性も驚いた様子で目を見開き、やがて破顔した。
「はっは! そうかい。そうだなあ」
男性も思うところがあったのだろう。申し訳なさそうだった様子から一転、朗らかな表情で遠くに目をやっていた。
「私は見れた事がないのだけれどね、湖の中心に近い底にね、昔の小さな集落が沈んでいるって話だよ」
見ているのは、恐らく街の向こうにある湖だろう。
「あの湖が今よりもずっと小さくて、ここに街が出来るずーっとずっと昔に、湖のほとりに住んでいた者の住居だって話だ。今日みたいな天気では見れるかどうか怪しいけれどね。真上を飛べば、これくらいの天気でも見えるそうだよ。とても深いところにあるらしいから、普通であれば見えにくいのだけれどね。ここの水は特に澄んでいるから、水底に沈んでいる建物跡もよく見えるって話だ」
「そんな昔からここらに人が住んでいたんですか?」
「みたいだね。最も、ここの住人の血縁ではない様だから、先住民か移住民族か何かが、たまたまいた時があったんじゃないかって話だよ」
「へえ、面白いですね」
通りがかりに見てみます。ご機嫌な様子で笑ったリシュリオは、遠くからやって来た姿に気が付いた。その視線に、男性も振り返る。
「ああ、やっと来たみたいだね」
「こちらも積み荷を降ろします。すぐに準備しますね。セリオス、ルーザにも声かけて来てくれ」
「うん、解った」
リシュリオの指示に、セリオスも急いで中に戻った。




