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21. 飛空

 

 浮空島郡マレスティナの朝は早い。それどころか、昼夜問わず飛空挺の出入りのある、マレスティナ最大を誇る一の島は、眠らない街とも言われる程だ。


 早朝、日中、夕暮れ、夜半と。常に忙しくする店が無いにしても、入れ換わり立ち代わり、何処かの店が必ず開いていると言っても過言ではない。そのお陰とも言うべきか、無人の浮空島も数ある中でもマレスティナは静寂とは程遠い浮空島だ。

 セリオスが操舵室に向かうと、座席で地図を手に話すリシュリオとエスタの姿が既にあった。

「おはよう」

「おはようセリ。よく寝れたか?」

「うん、浮空島に居るときは割りと調子いいし、ぐっすり寝れる」

「はは! そいつは良かった。上空出ると二翼飛行機(カイト)なんかは気圧下がるしな……まあ、暫くは大丈夫だろ」

 良かったと。具合が悪くならないと解るだけでも、セリオスにしてみると随分気が楽だった。


 不意に後ろを振り返ったエスタには、唇の動きだけで寝坊助と言われたのに気がついた。悪戯っぽく笑った姿は元気そうで、揶揄われた事は不本意ながらもどこかほっとした自分が居た。

 ただ、それを知られるのは癪で、煩いとぼやく。

「あれ、ルーザは?」

「朝食を買いに行ってくれてるよ。戻ったら出発だ」

「解った。僕に出来る事ある?」

 首を傾げるセリオスを、リシュリオは手招いた。

「説明するから、一応セリも航路を把握しておいてくれ。今はなんとなくでいい。エンジンの様子見てもらう事が多くなるとは思うけど、折角飛空挺の造りとか仕組みとかを知ってるんだ。操縦も追々出来て損はないだろ?」

「うん、やりたい」

「なら一先ずは、最低限の地図が読めないとな。観測は……まあ追々だな」

 にっと笑ったリシュリオは、寄って来たセリオスにも見えるように作業台に地図を開いた。


 空を行き来する者が使う地図の大半は、緯度経度の目安になる線が書いてある以外に白紙で有る事が多い。主要都市や観測されたことのある島などは地図の真ん中に、高度も含めて色分けされて記されている。

 しかし、折りたたまれたままになっている外側に行くほど未踏の地が多く、飛空挺を扱う者たちが自らの足を運んで計測したものを書き込んで、初めて地図は広がる。地図は、宝にも等しい情報源だ。


 リシュリオの持つ地図も例外ではない。浮空島群マレスティナを中心に書き込みが多く、それ以外にも各地を訪れている形跡が残されている。手書きの場所でさえも丁寧に高度を分ける色が塗られているのは、リシュリオの几帳面さを表しているかのようだ。

 中にはメモ書きを留めてある場所もあり、それが外部から仕入れた情報だという事を表している事に気が付くのは容易かった。そのメモ書きは、北方向に多くあった。

「一応昨日のうちに、皆に頼み込んで出来るだけの北側の情報をもらったんだけどな。おおよその参考にしかならないから、距離感は変わって来ると思ってくれ。所詮体感でしか測ってないしな」

「うん」

「マレスティナはここで……ここより南方は一日飛んでも海ばっかだ。多少浮空島があるくらいかな。マレスティナから東の方に行けば別の大陸があるって話だ。ここから北西方向に大陸が広がってて、セリのいた街はこの辺り、帝国はこれだな」

 一つずつ指さされる場所を目で追いながらセリオスは頷き、リシュリオは続ける。

「俺らが向かうのは北東方向で、大陸に差し掛かった東の方は連山がずっと続いているんだ。この辺りは気流が乱れるから、もしかしたら街に降りるのに、手こずるかもしれない。あんまり観測に出かける奴も居ないから、情報も少ないんだ。そうなったら長期戦になるから、そこは覚悟しておいてくれ」

「解った。こっちの白紙の場所って、リシュリオ達は行ってみたりしたことないの?」

「うーん、そうだな。多少は行った事あるけれど、飛空挺でぶっ通しで一日二日飛ばないといけないような所までは、流石に行った事ないな」

「なんか意外」

「ははっ! まあな。飛空挺が停められるような場所がないと、俺らみたいな少人数でやってるといずれ限界があるし、有事に対処しきれない可能性があるからさ。そこはあんま無茶しない事にしてる」

「そっか。機会があったら行くの?」

「機会があれば、な」

 どちらにせよ、今日明日で行く所ではないから気にするなと言われては、セリオスも好奇心を引っ込めざるを得なかった。

「すごいね。見上げていた空は広いと思ってたけど、世界もとっても広いや」

「面白いよな。言ったけど、見た事無い景色は外にいくらでも広がっているし、空は条件次第でいくらでも表情を変えるから飽きないぜ」

「うん」

 セリもきっと気に入るよ。そう言われて、楽しみにならない訳がなかった。頷き返すと、自然と口角も上がる。昨日感じていた不安も、自然と期待に変わった気がした。


 丁度その時だ。

「お待たせ、今帰った」

「ルーザ、お帰り」

 広場に続く入り口からかかった声に、リシュリオは答えていた。皆が振り返ると、紙袋をいくつか抱えたルーザの姿があった。

「時間かかったな。何かあった?」

「ヴィーオが昨日のお礼にって、要らないもの色々くれたんだ。あっても困らないからって。で、そこをオックスに見つかって途中まで同伴していいかって。断ってるのにしつこかったから脅したら、仕方なく代わりにって貰ったんだよ」

「あー、絶対それ言い訳に使われただろ」

「だろうね。面倒くさかったから、有りがたく施し受けて来た」

「助かるよ。今度戻った時にでも御礼しておく」

「よろしく」

 ルーザが手荷物を備え付けの引き出しに入れて蓋を閉めたところで、気持ちを切り替えるようにリシュリオは柏手を打った。

「そんじゃあ、出発するか! イム、準備に入ってくれ」

「ええ」

「セリはすぐそこの席で見ていてくれ」

「うん」

「ルーザ、上を頼む」

「了解」

 手早く指示を出して、各々がそこに向かう。最後に地図を畳んだリシュリオも、操縦席へと座りベルトを締めた。

「皆ベルトは締めたな? エンジン始動、反重力装置起動」

 リシュリオは確認を兼ねて口にしながら、手元のスイッチをいくつか切り替え、レバーを倒した。機体は小さく振動して、微かな駆動音に唸る。

 丁度ルーザからの連絡が入って来て、飛空挺は集翼所から発着所へと緩やかに滑り出た。先導の二翼飛行機(カイト)が前を飛び、信号凧が風にはためく。


 指示を待つための一瞬の停止、その間にギアを切り替えると、駆動音は加速的に大きくなった。

 間もなく、飛行可能の合図代わりに、先導する二翼飛行機(カイト)が、先だって上空へと舞い上がる。


 リシュリオはエスタに目線を送って合図すると、先導に追従するように加速させ、同時に反重力装置の出力を上げた。

 機体がふわりと浮かぶ感覚と共に、座席に押し付けられる。その体感に、セリオスだけが身構えた。

 視界の端にそれを捉えていたリシュリオが、上機嫌に笑う。


「皆、しっかり掴まってな」


 加速する。ぐんと窓に映る空の色が広がって、薄い雲に向けて飛び立った。

 まるで小さな二翼飛行機(カイト)の様にリシュリオが飛空挺を旋回させると、身体にかかる重みが増す。


 だがそれをあいさつ代わりに飛空挺の主はこなすと、向かい風に飛空挺を立てて高度を上げた。

 きっと、浮空島から見上げた者が居たとしたら。きらきらと太陽光を返す、丸々と太った鳥のようなシルエットが見えていた事だろう。空賊シュテルは飛び立ったのだと、見る者が見れば解っただろう。

 翼の軌道を描くような尾を引く二筋の雲が、彼らの進路を彩っていた。



 薄い雲はまだ空高く、リシュリオの操る飛空挺は、間もなく風にも揺れなくなった。気流に上手く乗れている証拠だ。

 ルーザが展望室から戻ったことで、リシュリオも肩の力を抜いていた。


「全く、リオ。いつもより張り切ったでしょう?」


 開口一番、いつもの三割増しで旋回がきつかったと苦言を申したルーザに、リシュリオは苦笑した。

「そんな事ないさ」

「あるから言ってるんだろ? 君の操縦は大概荒っぽいんだよ。全く、二翼飛行機(カイト)を操縦してる訳じゃないんだよ?」

「はは、悪かったって。勘弁してくれ。それよりほら、ぼちぼち飯にしますか」

 風速計を眺めていたエスタは、座席で伸びをしていたリシュリオを伺った。

「じゃあ私が水管見てるから、リシュリオさん達先に食べて」

「いや、俺は二人が選んでからでいいよ。ルーザが手空きだから水管も気にしなくていい。それに、食べながら運転する位、いつもの事だしな。イムの方こそ、先に食べな。腹へっただろ」

「でも」

「なあ、()()()。俺らに遠慮しなくていいんだよ」

「え……?」

 苦笑交じりに告げた姿を、エスタは驚いた様子で何度か瞬きして固まった。

 その表情が見たかったんだと言わんばかりに、リシュリオはくくっと喉を鳴らして、悪戯っぽく笑いかける。

「お前はさ、黒姫の支えになるようにってずっと言われて来ただろうから、自分がしっかりしないとって思っているかもしれないけどさ。今は、お前だけが気を張って、しっかりする必要はないんだよ」

 俺もルーザも、セリもいる。言い聞かせるように続けた。

「昨日、お前は言っていただろ。本当なら守られてもいい筈だって。俺もそう思う。お前は、もっと甘えていいんだよ」

「……でも」

「一員として迎えたからには、俺はエスタの抱える問題も、受け止める覚悟があるんだ。マレスティナの事があるのも勿論そうだけどな」

「でも、私」

「俺らじゃ、お前の抱える問題を受け止めるには頼りないか? 歓迎しようって言った俺の覚悟は、信用にまだ足りてないか?」

 リシュリオが真っ直ぐにその表情を伺うと、エスタはただ困り果てたように視線を彷徨わせていた。

 でも、と何度か呟いてから、やがて諦めた様子で首を振る。

「……だって、急にそんな事言われても、どうしたらいいのか解らないんだもの。…………信用は、しているわ。間違いなく、今までの、誰よりも」

 そう微かに呟くものの、戸惑った様子は変わらない。

 恐らく頭では十二分に理解しているのだろう。しかし、長年そうしてきた習慣が抜けきらない。


 仕方がないのだろうかと、リシュリオは苦笑していた。ゆっくりと、時間をかける他にないのだろうか、と。

 その時だ。


「――――ねえエスタ。チョコマフィンとベリーマフィン、どっちがいい?」


 そんな神妙な空気を砕くように、セリオスは紙袋の中を覗き込みながら尋ねた。

「……え?」

「朝ごはん。僕チョコマフィンが食べたいけど、エスタが食べたいなら譲ってもいいよ。甘い方が好きでしょ、君」

 どうする? と。初めて顔を上げたセリオスは首を傾げた。

「べ…………つに……」

 エスタはただ、戸惑った様に口を開きかけて、眉を顰めては口を閉じる。


 その表情は、残っているもので構わないとも、今それを選ばないといけないのだろうかとも、どちらとも決めかねている様子に見えた。

「……セリオス。今……それどころじゃ無くない? 真面目な話してたじゃない」

 散々迷った挙句、エスタは苦言を申した。

 だが、セリオスがそれを気にした様子はない。不思議そうに首を傾げただけだ。

「そう? 朝ごはんの順番如きで、まどろっこしくない? そんな顔くっしゃくしゃに顰めて悩むような、大袈裟な話じゃないでしょ。チョコかベリーかなんて」

「ええ、まあ、そうだけれども」

「リシュリオが食べたらって言ってるんだから、食べればよくない? 譲り合いしてる時間もったいないし、そんな事してたらいつまでもリシュリオが食べられないだろ? ついでに僕は、お腹空いたから早く食べたい。って事では、エスタはダメなの?」

「セリオスは空気を読まな過ぎだわ」

「だから、今ここで空気を読む必要ないって話だろ?」

 呆れたとわざとらしく溜め息をつきながら、セリオスはラッピングされたマフィンの袋をエスタに放りやった。

「ちょっと! 食べ物投げないでよ」

「はいはい。ごめんねー」

 セリオスは適当に受け流すと、自分の分のマフィンを引っ張り出しながら中身の残りを確認した。

「ルーザ、こっちの堅パンは保存用?」

「そうだね。あと串焼きがそっちにあるから、温かいうちに好きなの食べな。余りを適当にリオに与えとけば大丈夫だから、どれを残すかなんて気にしなくていいよ。何か飲む?」

「おいルーザ! 俺を残飯処理係みたいに言うな」

 お茶入れてくるよ。そう告げて操縦室を去ったルーザの背中に、リシュリオはむっとしながら睨みつけていた。

 はあっと深く溜め息を零したリシュリオは、セリオスに目を向ける。

「セリ、何残ってる?」

「あとはホットサンドとゆで卵かな。マフィン半分いる?」

「いや、ホットサンドを貰うよ。むしろお前、それで足りるのか?」

「僕は十分だよ。朝はいつもそんなに食べてなかったから」

「そうか」

 座席の元まで紙袋持ってきたセリオスから受け取ったリシュリオは、念の為と隣に目を向けた。

「エスタは? それでいいのか?」

 呆然と、手元の包みを眺めていたエスタは、微かに手元に力を込めた。


「……これがいいわ」


 その声には、明確な意思が籠っていた。リシュリオは苦笑を浮かべながらも、声に出さない様にあくまで淡々とした調子で尋ねた。

「足りる?」

「ええ」

 わずかに見えたエスタの表情を伺いながら、セリオスはやれやれと首を振ってベリーマフィンを齧った。

 

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