18. 噂話
マレスティナ某所。
人気の少ないその通りには、辺りに住む住人たちのちょっとした生活雑貨を扱う店がある。
いつもは所狭しと雑貨の積まれた表の店しか開けられていないが、今ばかりは特別と言わんばかりに違った。いつも店主が陣取っている店の奥にその姿はなく、ただぽっかりと、さらに奥へ続く道が開けられていた。
店の表の入り口は閉じられており、扉には目隠しのカーテンがされている。お蔭で、往来から中の様子を知れる事はない。
ただ知る者だけが、この時間帯に入る事が出来た。
「わざわざ集まってもらって悪いね」
その奥にある店主が営む隠れ酒場にいた男二人は、声の主に釣られて、それまでの談笑を自然と止めた。
どこか緊張が走るその空間の対面にやってきて座り、ゆったりと足を組んだのは、他でもないルーザだ。
「無理を言って来てもらったけど、誰かにここに来るって話したりしたかい?」
念のためと尋ねると、対面にいた一人は肩を竦め、一人はいやと、ゆるく首を振っていた。
一人は名をベトムと言った。
大柄な髭面のその男は、見た目の厳つさに反して気さくな男だ。笑うと子女には逃げられてしまうが、沢山の仲間たちからは慕われている。
もう一人はマグニット。ベトムと比べるとまだ若く、一見すると空賊というよりも商船の担い手のように見える。気難しい顔をして丸眼鏡を押し上げていたら尚更だ。
それでも間違いなく、彼も一つの空賊を率いる頭目に違いない。
「今日来てもらったのはね、二人に北に行った時の話を聞きたかったんだ」
「おいおい、たったそれだけの事に、お前の尋問受けるって言うのか?」
ベトムは不服そうに尋ねるが、ルーザは可笑しそうに笑っただけだった。
「尋問とは酷いな。話を聞くだけだって。別に、そんな警戒しなくても良くないかい?」
「お前が個人的に呼び出すなんて、大概ロクな事が起こりやしない。てめえの噂くらい、十分解ってやってるんだろ」
「あんまりじゃないか。僕らの仲はそんなにも薄情だった?」
「てめえの胸に聞いてみろってんだ。悪名高きテオドルーザさんよ。用件は何だよ、さっさとしてくれ」
これだけ屈強な男も噂を信じている所があるのか。そう思うとあまりにも可愛らしく思えてついくすくすと笑ってしまった。
「ルーザ、ふざけてやるのも大概にしなさい」
「ごめんって、マニエスト」
余りにも揶揄うから、店主も見かねたのだろう。カウンターから窘めると、ルーザも観念して姿勢を正した。
「知ってるだろう? 帝国の噂くらいは。実際出入りして見てきた、君達の印象が聞きたいんだ」
「印象って言われてもな……」
眉を顰めたベトムはどこか困った様子でちらりと隣を伺っていた。マグニットが、仕方なさそうに溜め息を零しながら眼鏡を押し上げていた。
「行方を眩ませた黒姫と白姫の事で、出入りが酷く警戒されていました。交易で荷物を運びに来たに過ぎないと伝えても、我々は発着所から出される事もなく、荷物だけ下してそれでおしまい。こちらの物資の補給もままならない内に追い出される有様でしたよ。近場の街で給油が出来なかったら、今頃墜落してたところです」
「俺のところも同じさ」
印象も何も、解らないのが正直なところだ、と。事もなさげに肩を竦められて、ルーザも眉を顰める事しか出来ない。
「それじゃあ、今は帝国の、街や住民の様子も知る事は出来ないって事かい?」
「少なくともよそ者の私達には、少しの情報も与えたくないって空気はよく伝わっていましたよ。内側から外に出す事を酷く恐れている、と言いますか。島の事であなた方が気にかけているのは知っていますが、我々にまでぴりついた空気されると、正直しんどいですね」
「ははっ、僕はそのつもりないんだけど。そう感じさせてしまっているなら、それは悪いね?」
せめてリシュリオがいたら彼らの警戒も少しは違っていただろうか。そんな詮無い事を思い、内心で苦笑する。
それでいて、そんな彼らの反応を逐一楽しんでいる自分がいて、つくづく救えないものだと思わずにはいられない。
「それよりもテオドルーザ。こちらこそ、聞かせてもらいたいですね」
マグニットはついと眼鏡をずりあげた。
「何だろう?」
「島を守る為に熱心になるのは結構ですが、そう言うそちらこそ、何か有益な情報でも掴んだんじゃないのですか? 何か知ったのなら、それこそ共有してもらいたいものです。それで我々が出来る事もあるのですから」
問われてくすりと自分の笑みが深まったのが、ルーザにも解った。
「有益な情報、ね。例えばそれがあったとして、あんたに扱いきれない話を知ってどうにか出来るんだ? 所詮、商船崩れの正直者の坊ちゃんに、悪党の真似事が出来るって?」
「ルーザ」
何をどう言うと彼が嫌な顔をするだろうか。そんな事を考えながら表面上はにこやかにしていたら、静かな声に窘められた。
「……解ってるって、マニエスト」
考えていた事がまるで読まれていたような気がして、溜め息をついた。
今、これから目の前の姿が嫌がりそうな顔が見られそうだったのに。そう思いつつ思わず、カウンターの向こうにある姿を恨めしげに見てしまう。
対面にいた表情は引きつっていたが、マニエストは呆れた様子でじとりとルーザを見据えていた。
「全く、悪ガキが。すぐそうやって悪さするな?」
「じーさん、勘弁してよ。ちょっと、出来る事と出来ない事を確かめようとしただけだろう?」
「お前のそれは性質が悪いと自覚しなさい」
「はーいはい、すみませんね」
観念したと軽く両手を上げたルーザは、改めて足を組みなおした。
マニエストには全く敵わないよと、ぼやいた言葉は誰にでも聞こえた事だろう。その為にここを貸しているんだと即座に言われては、苦笑せざるを得なかった。
「さて」
ふざけた様子もなく正面の二人を伺うと、彼らも自然とルーザの真剣さが伝わったのだろう。今までとは違う緊張感に、何となく表情を引き締めていた。
「僕らが知った話は、帝国が追っているのは白姫や黒姫だけじゃない。ある技術者の事も追っているって話だよ」
「技術者?」
沈黙したマグニットに代わり、ベトムが首を傾げていた。
「アズネロ・フロリウス。元帝国所属で、随一の腕を奮っていた技術者だよ」
「でもそいつは、追うも何も、確か帝国の所属を離れていた筈だろう? 関係なくないか」
「そうだね。でもね、どうも帝国に呼び出されていたみたいだよ。僕らが掴んだ情報はこれさ」
それがどうしたと未だに首を傾げている正面の二人に、ルーザは肩を竦めた。
「優れた頭脳を持つ黒姫と、優秀な技師のフロリウス。この二人がそろわないと作り出せないようなものを、帝国は作ろうとしている。逆に言えば、この二人に匹敵する情報や技術がそろってしまえば、恐ろしい事が起こる。幸い、どちらも今はまだ帝国に渡っていないって話だけれどね」
それも時間の問題だろう。首を振ったルーザに、ベトムは髭を撫でつけた。
「恐ろしいって言ったって、所詮、一大国の兵器事情程度だろう? 我々が気を張るほどのものかね?」
「兵器程度って言ってのける君の神経を尊敬するよ」
未だに事情を掴めずにいるベトムに、ルーザは心底溜め息をついた。
「……これは人伝に聞いた話で、まだ裏が取れてない内容だ。確かな話ではないから吹聴しないで欲しいけれどね? 黒姫とフロリウス、二人がそろう事で、浮空島を落とす技術が生まれてしまうかもしれないって話だよ」
「はあ?! 浮空島を、落とす?! 地上にって事か?!」
ベトムは初めて慌てた様子で身を乗り出した。
うんざりと、ルーザは片目を瞑る。ここまで言わないと事の重要性が解らないのかと言わんばかりだ。
「そうだよ。いいから座って。……別にそれが帝国のただの夢物語であるなら構わないし、僕らの活動が意味のないただの取り越し苦労なら、それでも構わないんだよ。騒ぎは無いに越したことはない。でもね、万が一それが実現する可能性があるならば、情報は集めておかないといけないし、出来得る手は打たないといけない」
このマレスティナにとって死活問題なんだよ、解るだろう? そう告げて初めて、マグニットは頷いた。
「なるほど」
気難しそうな表情はそのままに、だが、彼なりに状況を理解した様だった。
「漸く合点がいきました。それは確かに、放っておくべきではないですね。マレスティナは私たちにとっても貴重な市場。協力を惜しむ理由がありません」
マグニットはテーブルの上で指を組むと、改まった様子で告げた。
「ならばこれは貴方の耳に入れておいて損はないでしょうね」
「何か心当たりでも?」
「まあ、心当たりと言いますか。知っているかもしれませんが、空の自治隊を冠するゼルベジャンは帝国に加担しているようです。フロリウスの事だとは言いませんでしたが、人の輸送について、ウチの団員がゼルベジャンの者に報告していたそうですから」
「え、何? ゼルベジャンに情報流す様なネズミを、君のところは居るままにしてるの?」
「生憎、貴方のところのように門を狭めているよりも、ある程度の風通しを良くして置いた方が目立ちにくくて良い場合もあるんですよ」
一応、運営に困らないほどに内状は把握しておりますので。当然の様にそう言われては、別段責めることでもない。そもそも他の飛空挺の内部事情に、ルーザもそれほど興味がなかった。
「まあ、奴らが帝国につくのは想定通りだね。彼らの規模はそれなりに面倒だけども」
ベトムは思い出したように顎を擦っていた。
「そう言えばアルフェリオといや、この島に今来ているよな?」
「あれ、そうなんだ?」
ルーザが振り返ると、店主のマニエストは首肯していた。それを見て、ルーザは無意識のうちに微かに眉を顰めていた。
昨日リシュリオと接触したアルフェリオが、わざわざ自分たちの拠点であるこの地に来るなんて、何か裏があるとしか思えない。まさかと考えずにはいられないが、今は掘り下げても居られなかった。
ベトムはルーザに構わず腕を組んでいた。
「ああじゃあ、あのお嬢さんもこれ絡みだったのかもしれんなあ」
何か思い出した様子の彼に、ルーザは尋ねた。
「どういう事だい?」
「荷卸しを終えて自由時間に解散した時にな、声をかけられたんだ。悪漢に襲われた時に助けてくれた人に、お礼をしたくて探しているって言われてな。どこかの飛空挺乗りだと思うけれど、どこの誰なのか解らないって言うんだ」
「ふうん、どういう人を探しているって?」
「ああ、腰まである稲穂のような色合いの髪の、長身の男だって言っていた。そうだな……、これくらいっつってたから……確かお前さんくらいの身長だって言ってたか。顔つきはよく覚えてないって言われたが……少なくともそんな目立つ髪の男は居ないって伝えたんだ。そしたらあっさり去って行ったが……こうして考えると、ありゃフロリウスを探っていたのかもなあ」
アズネロ・フロリウスが稲穂色の長髪だと言うのはよく聞く話だ。作業に集中したいが為に、切る時間すらも惜しんでいると言っていたのは、一体いつの頃の話だっただろうか。
「どこか見た事あるお嬢さんだと思っていたが……今思えばありゃ、アルフェリオの側近の女だったな。町娘風にしていつもと違う雰囲気だったから、気が付かなかった」
以前会ったかなんて言うと仲間たちに軟派かと揶揄われるから、その時は下手な事言えなかったがとぼやいたベトムは仕方がない。
「まあ、向こうも尋ね人について、僕らの縄張りだろうがなんだろうが、積極的に情報を嗅ぎまわっているって事はよく解った。どれくらい尋ね人たちが熱心に探されているのかも、ね」
「まだ表面上に出ていないだけマシと思うべきでしょうね」
「同感だよ。本当に、取り越し苦労ならいいのにって思うばかりだよ」
「流石にここまで状況がそろっていれば、日和見でもいられない事くらい解ります」
「物分かりが早いと助かるよ」
恐縮です、と。眼鏡を再度ずりあげたマグニットは、試案する様に顎に手を添えていた。恐らく、今後の見立てを計算している事だろう。
「他に何か、今の時点で知っている事を教えてくれると助かるんだけど」
「知っている事を出せと言われてすんなり出るなら、これほど苦労しませんよ」
「まあ、そうだなあ」
苦笑したマグニットに同意するように、ベトムも唸った。
「保身を考えるなら帝国につくのも一理あったんだがな。代償が浮空島かもしれないとなると、慎重にならざるを得んからなあ」
ぽろりとこぼれたベトムの言葉は、恐らく本当に悩んでいるのだろう。隣でマグニットがぎょっとしているのも構わずに、ルーザは笑った。
「なんだ、帝国につくなら話は早い。ちょっと君の飛空挺に爆薬積んであげるから、そのまま突っ込んできてくれる? 大丈夫、それで少し騒ぎにでもなってくれれば十分だからさ」
「……テオドルーザ、頼むから笑顔で言うのやめてくれないか。冗談にしてくれ」
「何を言ってるんだい? わりと本気で言ってるよ、僕は」
「尚悪いわ!」
ベトムはがたんと立ち上がって、テーブルに足をぶつけてでも身を引こうとした。
店主やマグニットの視線は、誰かさんがそう言うと解っていたのだろう。呆れたと言わんばかりに冷めきっている。
それらに取り合った様子もなく、ルーザは肩を竦めた。
「何にしても気を付けてほしいな。フロリウスが目立つ格好のままうろうろしているとは思えないけど、それらしいのが居たら、帝国には渡らないようにして欲しい」
「善処しましょう」
「まあ……注意は払ってみるけどよ、それでどうにかなればいいがなあ」
「現状が最悪なのかどうなのか解らないってところが、また何とも動きにくいところですね」
「そうだね」
いっそ現状が最悪だと解れば、打てる手は何でも打っていたところだろう。しかし今は何もかもが曖昧で、大掛かりに動けばかえってそれが帝国の動きに火をつけてしまいそうな危うさがあった。
あまりこれと言った収穫もなかったなと。ふと考えていたルーザは、目の前の姿がじっとこちらを見ている事に気が付くのが遅れた。
「なに?」
「ええ、いや。その、よろしかったのですか、テオドルーザ」
「何が?」
「もし我々がどちらかでも、貴方と話すまでもなく既に帝国と手を組んでいた後でしたら、貴方が混乱するような情報を流していたのではないですか」
つと眼鏡を上げた姿は真剣だった。ルーザは数度瞬きすると、少し驚いた顔のまま口を開いた。
「まあ、その可能性はなくはないけれどね」
まさか最初に恐れを表にしていた自分を前にして、そんな事が言えるのかと思うと面白かった。
「僕だって鬼畜じゃないからね。リオが受け入れている君たちを、わざわざ疑いたくもないよね。何のために僕がこうして話していると思っているのさ?」
それとも、と。ルーザは思わずくすくすと笑った。
「君らの発言に虚偽は無いって本音が解るまで、指でも一本ずつ折ってあげたほうが良かった?」
心配ならやろうか? と座ったままルーザがひらりと手を差し出すと、目の前の姿は生唾をごくりと飲み下していた。何気なく、テーブルの下に手を下した二人にまた笑う。
「いや……私に被虐趣味はないから遠慮するよ」
「俺もだ。今日の酒が飲めなくなるから勘弁してくれ」
なら言わなきゃいいのに。そう思いつつ、つまらなそうに椅子の手すりに肘をつきながら、言葉にはしなかった。
「ルーザ、揶揄うのはやめなさい」
そしてまた店主に窘められて、ルーザは仕方なさそうに肩を竦めた。




