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17. 変動

 

 砂糖と果物を煮詰めて作られた飴はどれも艶やかな輝きを放ち、エスタは嬉しそうに一つ口に入れた。

「美味しい」

「そりゃよかった」

 先程までの不機嫌さも鳴りを潜め、セリオスもホッとした。

 セリオスはついでと、いくつか可愛らしい包み紙に包まれたものを店主に頼んで買い込む。

「何? セリオスも甘いもの好きなの?」

「僕って言うより、君のだよイム。さっきの箱貸して」

「私?」

 首を傾げつつ差し出された小箱に、セリオスは飴を出来るだけ沢山押し込んだ。

「ほら、また何か腹が立ったら、これでも食べて?」

 返された小箱を受け取ったエスタは、しばらくそれを見つめた後、恨めしそうにこちらを目線だけで捉えて来た。

「これも賄賂?」

「ううん」

「……餌付け?」

「そう」

 端的に頷くと、さらにじとりと見られた。

「せめて否定してよ」

「その通りだったから、ごめん」

「……それがなかったら、ご機嫌取りの及第点だったわ」

「難しいね」

 拗ねた様子で頬を膨らませた姿に、セリオスはただ苦笑した。

「でもほら、美味しいもの食べたら少しは気も紛れるでしょう?」

「そうね」

 不本意だと言わんばかりの表情だったエスタも、ようやく仕方がなさそうに肩を竦めた。

「戻れそう?」

「そうね」

 セリオスはほっとしつつ、行こうかと元来た方を見た。


 その時ふと、視界の端に知った姿を見かけた気がして、セリオスは慌てて振り返った。

「どうかした?」

「いや……」

 気のせいだろうか。そんな訳はない。往来を行く人々の顔を伺って、遠くにやはりその姿を見た。

 居てもたっても居られなくて、気が付くと雑踏目がけて走り出していた。


「ちょっと、セリオス!」


 エスタの声は聞こえていた。だが、それどころではなかった。

「君は戻ってて、イム。ちょっと行ってくるから、ごめん!」

 それっきり、見つけた姿から目を離したくなくて、ただひたすら見かけた姿を追った。

 人込みを分けて、市場を抜けた。後ろがまだ「待って」 と声をかけながら追って来ているのには気が付いていたが、待っている余裕もなかった。

 向かっているのは飛空挺の発着所だろうか。雑踏よりも、他所の飛空挺のエンジン音や出入りする乗組員たちの指示する声の方が目立つようになって、漸くその背中がはっきりと捉えられた。


「ノルト!!」


 中肉中背の、何処にでも居そうなその青年が呼びかけに応えるかのように振り返る。ただ刈り上げた赤髪は、様々な人種が集まる交易の場所でも、見間違える筈がなかった。

 きっと向こうも、こんな場所で会う事があるとは思ってもみなかったのだろう。セリオスを認識した途端に驚いた顔をしていた。

「セリオス? どうしてここに?」

「それはこっちが聞きたいよ!」

 思いのほか息が切れて、膝に手を着き何度となく肩で息をした。

 後ろで駆けていた足音は止まったので、振り返らなくてもエスタが付いてきている事は認識していた。それでも、後続に構ってられなくて、セリオスは目の前の姿を見た。

「ノルトとしか思えない人が、その、ゆ――――違う、勧誘されたって聞いてたけど……まさか本当に、空に出てるなんて思ってなくて」

「ああ、そのことか」

 なんと伝えたものか解らなくて、しどろもどろになりながら話すと、ノルトの方も納得した様子で頷いていた。

「工房の管理を約束した手前悪かったけどさ、その後で急に、やりたい事が出来たんだ」

「やりたい、事? 技師としての腕を極めて、親方になるって目標以外にって事?」

「ああ。そうだな」

「そんな――――」

「なあ、セリオス。あの人……アズネロ親方を越えるには、何が必要だと思う?」

 唐突に話を遮るように問いかけられて、セリオスは戸惑った。過去にノルトが、こちらの話を遮ってまで主張してきた記憶はない。

「何って……」

「俺はさ、あの人に成り代わって役割を担って達成すれば、それは超えた事になるんじゃないかって解ったんだ」

 一つ、二つ。どれくらいの間が空いただろうか。

 言われた言葉の意味が理解できなくて、セリオスは息をするものも忘れていた。

「……ノルト、何を言っているの? あの人って、親方の事?」

「何って? 解んないのか? それ以外に誰が居るんだ? ……ああ、つっても、あの人が大好きなお前には解んねえか」

「待って、ノルト。何か変だよ」

「何が変だって?」

「だって、ノルト。前は親方の工房を出てでも技術を極めて、いつか超えるって言ってたじゃないか! どうして? 親方の事、あの人だなんて他人みたいに言うの? 新しい工房に移った後も、親方の事は一緒に考えようって、言ってくれてたじゃないか。どうして? 成り代わるなんて言うの? それじゃあ親方の位置にノルトが居るだけであって、ノルト自身として超える訳じゃないでしょう?! なのに……なのにっ」

 堰切ったセリオスの言葉は、そこにあった表情に怯んで途切れた。兄の様に慕っていた人の、憎しみの籠ったような表情は知らない。

「どうしてどうしてって、うるせえ奴だな」

「っ……!」

 工房の悪童たちが騒いでいても、仕方がなさそうに窘めていた姿はない。ただ煩わしいと言わんばかりに射竦められて、それ以上口を開く事もままならなかった。


 何で、何が。どうして。

 動揺から、先の事が考えられない。


 ノルトには確かに目標があった。親方になるという野心もあった。切磋琢磨し、いつか互いに工房を開こうという同じ目標もあった。いつかアズネロ親方を越える技術を身に着けようと、袂を別っても成し遂げようと語り合った。

 それがどうして、昨日の今日で変わったのか。

 一体何が変わってしまったのか。


 余りにも解らなくて、目の前の姿が凶悪に嗤った事に気が付かなかった。

「なあ、セリオス。そんなに俺の事が心配だっていうなら、俺の下に来るか?」

「え……?」

「側に居れば解る筈だ。何が正しいのか。お前の持つ技術は確かだからな。一番あの人に近いと言われたお前と俺が組めば、きっとあの人を簡単に越えられる」

「ノルト……」

 どうだと差し出された手を、信じられない思いで見た。

「……嫌だよ」 セリオスは躊躇うことなく、緩く首を振った。

 願わくば、今この瞬間が、ただの夢見が悪いだけであって欲しい。

「やめて」

 リシュリオやルーザを待ちくたびれて、エスタのお喋りを聞きつかれて、微睡んでいる悪夢でいっそあって欲しい。


 しかし、見据える表情は怪訝に眉を吊るノルトの姿が映るばかりで、見ていたくない現実のせいか、こめかみに鈍痛が走った気がした。

「僕は……ノルトと組む事は絶対ない」

 それでも目を反らす訳にいかなくて、詰めた息を懸命に吐く。

「僕は……僕自身が決めた目標を追いかける。他人(ノルト)の目標は僕の目標じゃない。僕が居ないと達成できない目標なんて、そんな程度の低い目標なら、諦めて」

「は、そうかよ。お前にはがっかりだよ、セリオス」

 じゃあな、と。吐き捨てるような言葉を残して、あっさりとノルトはいずれかの飛行挺へと去っていった。


 その背中を見ていたくなくて、それでもそこから動くことが出来なくて、セリオスはずっと石畳を凝視していた。否、石畳すら見えていなかったかもしれない。

 なんで、と。吐き気と共にこみ上げる言葉が、脳裏をがんがんと殴りつけてくるようだ。

 堪らず拳を握りぎゅっと目を瞑っていた。


「セリオス。息を吐いて」


 不意に、その背中に触れた手があった。

 驚きにびくりと身体を強張らせてその手の主を見ると、心配そうに見上げるエスタがそこにいた。

「ッ……」

「息、吐いて」

 言われるままにふと吐息を零す。

 余りにも肩に力が入っていたのか、痛いくらいの身体の強張りが、僅かに軽くなった。

「知っている人が急に変わっていて、悲しいの?」

 尋ねられて、沈黙する。だがそれにはすぐに、ゆるく首を振っていた。

「……違う」 囁くほどの声で、それでいてはっきりと否定した。

「ノルトは元々野心家で努力家だ。親方を越えるって目標は、別にそもそも好きにすればいい」

 一つ、息をついて瞼を閉じる。

 脳裏に写るのは、心底憎いと言わんばかりに睨まれた、先程のノルトの表情だ。初めてそんな顔をされたかもしれない。


 それを忘れないように、目を開いて去った方を見据える。

「変わったのは……多分、やり方だ。ごめん、イム。どうしてなのか理由は解らないけど、きっと、ノルトは帝国に加担する。親方の穴を埋めることで、……君が阻止したかったものを実現する事で、親方を上回ろうとしてる」

「馬鹿ね。別に、セリオスが謝る事じゃないわ」

 呆れたような表情で、エスタは肩を竦めていた。

「さっきの人がどんな人かは、私は知らないわ。だからセリオスが何にそれほど衝撃を受けているのか、寄り添えない」

 きっぱりとした言葉は、エスタらしかった。

「でも解った事はあるわ。いずれにしても、いつかは()()()も動いてしまう。それがきっと、今だったってだけの事よ。そもそも私には、出来るだけやれる事をして、あちら(帝国)の邪魔する事しか出来ないの。現状の私に出来ることは、私達の頼もしいリーダー二人を信じて、次の一手に繋がる情報を待つ。それだけだって事は理解したわ」

「うん……」

 だから今更なのよ。そうあっけらかんと言われて、セリオスも苦笑した。

「そっ、か。……ごめん、ちょっと、色々信じたくなかっただけなんだ」

「仕方ないわよ。仲、良かったんでしょう?」

「……多分ね。そう思いたいだけかもしれないけど」

 今は解らないとは、口にしたくなかった。

「ごめん、付き合わせて。それより戻ろうか」

「そうね。セリオス、手、出して」

「うん?」

 元来た道を戻ろうとしたら、セリオスが手を出すよりも前に、その手に何かを握らされた。

 なんだろうと開くと、可愛らしい包み紙の飴が握らされていた。

「餌付け。元気が出るんでしょう?」

 くすっと笑われて、虚を突かれた。やがて、してやられたなあと苦笑する。

「うん。……そうだね、ちょっと元気出た」

 遠慮なくそれを口に入れると、甘い香りが広がった。

 苦い憂鬱な気持ちが、少しだけ飴に解かされた気がする。

「……なんか、お腹空いたや」

「そうね、リシュリオさんの宴会に乗じてなんか食べさせてもらいましょ。空腹は嫌な事ばっか考えるし」

 道を戻りながらぽつと呟くと、当たり前の様にエスタは言った。

「店にマリアいるよ?」 と、思わずそんな事を指摘すれば、ぷいとそっぽを向かれる。

「そんなの放っておけばいいわ」

「話かけてくるんじゃない?」

「セリオスが相手すれば問題ないわ」

「ええー……。僕に面倒を押し付けないでよ」

「なら今度は、アップルパイが食べたいわ」

「ええ……ご飯食べるのに? 鬱憤を溜める前から僕にたかって来ないでよ」

「チョコレートケーキも捨てがたいわ」

「聞いてる?」

「聞いてない。シロップたっぷりのパンケーキでもいいわ」

「聞いてよ」

 くだらないやり取りは、店についても続いた。

 

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