14. 役割
店の入り口から少し逸れて待っていたら、間もなく店の扉は開けられた。店の制服に身を包んだ姿は水色の長いお下げを揺らして、ゆるりとルーザを捉えていた。
「お久しぶりです、テオドルーザさん」
その声に抑揚は無く、真っすぐに見上げる視線に感情も伺えない。一層の事、何か見えないふりでもしているかのようだ。
ルーザはそれを気にした様子もなく、笑顔を向けた。
「こんにちは、マリア君。忙しいところありがとう」
「いえ。マダムに任されては仕方がありませんから」
表情を変えることなく、マリアと呼ばれた少女は浅く礼をした。
「マリアと申します。僭越ながらご案内務めさせて頂きます、どうぞお見知りおきを」
「堅苦しいのは止そう? セリオスとイムだ。後で僕が居ない時に、マリア君は二人についていてあげて」
「承知致しました」
最初に行っておきたい場所があるんだ。そう言って、ルーザは三人を引き連れて大通りをさらに下り、人気のない通りに入っていった。
間もなく、狭いから外で待ってていいよと告げて小さな建物へと向かって行く。
「ここは?」
入る直前に思わず尋ねたセリオスに、ルーザはわざとらしく肩を竦めた。
「生活雑貨を扱いながら、物流の依頼を一時的に預かってくれる場所かな、一応」
「一応?」
「本業はマレスティナの情報収集だから。ここを出入りしてる同業者の中では割と有名だよ」
「ふうん?」
解ったような、解らないような。セリオスが曖昧に首を傾げている横でエスタはそういう場所は何処にでもあると首肯していた。そんな彼らを冷めた目が後ろから見守る。
ルーザは三者三様の反応を受け流して、戸を開いた。
「じーさん、ただいま。頼まれてた荷物は言われた通り、ベリジンの市場に卸しておいたよ」
声をかけて入って行くと、小さな店の最奥で初老の男は顔を上げた。
ベリジンという街の名に、セリオスが思わずまじまじと背中を伺っていたのは余談だ。自分の街に来ていたのは配達だったのかと今更知る。
「……おお、今回は思っていた以上に早かったな。おかえりルーザ」
狭い店内の両サイドの棚には、品物が所狭しと並んでいる。中には商品の上に商品が並べられていて、衝撃を与えれば、たちどころに店の中が崩れた商品で埋まるのではないかと思われる危うさがあった。
通路は一人がやっと通れる程度で、足の踏み場も正直怪しい。
後続がそんな店内に大勢で入る事を自然と躊躇い覗くだけに留める中、慣れた様子でルーザは肩を竦めながら中ほどまで進んでいた。
「リオがほとんど寄り道しなかったからね。僕も驚いているくらいだよ」
「ははっ、それはそれは行幸。いつもそうしてくれると助かるわい」
「どうかなあ。リオにとって飛ぶことは息をすることに等しいから、いつもは難しいだろうね。飛ぶことやめたら死ぬかも」
「はっはっは! そいつはいい!」
冗談めいて告げた言葉がお気に召したのだろう。豪快に笑った店主であるマニエストは、目元の涙を拭うと切り替えるように顎をさすった。
「それにしても珍しい。お前さんのお客さんかね? 随分と可愛らしいな」
「いや、あっちが新人二人。顔見せに連れて来たよ。次の仕事は後で受けに来るけど、二人が慣れるまでしばらくは大人しい仕事回してくれる?」
「はっはっは! そうか、大人しい仕事な! ああ、見繕っておこう」
それほど笑う事でもないだろう、と。ルーザは肩を竦めて受け流した。
「それと一つ別口で確認だけど、アベル爺さんはいつものボロ街にいるのかな」
「ボロ街のアベルならそうだろうな。あれの戯言もこなしたのか?」
「あはは、さあ? ありがと」
用は事足りたと言わんばかりに笑ったルーザは、後続に出るように促した。
「じゃあ、またあとで来るからよろしく」
「おう」
店を出る前にルーザは振り返ると、手を上げて応えた店主に頷き返した。
「それじゃ、一旦ここで解散ね。マリア君、イムに衣服の店を紹介してくれるかな。動きやすいものを見繕ってくれると助かる」
「承知致しました」
「イム、朝に話した通りだ。買い出ししておいて」
「ええ」
端的に返って来た答えに満足した様子で頷くと、ルーザはセリオスに目を向けた。
「セリも欲しいものがあるなら、同じくマリア君に案内してもらうと良いよ。彼女はこのあたりに詳しいから。用がないなら君もさっきのマダムの店か、緑のヒナドリ亭って店がさっきの大通りにあるから、そこで待っていて」
同意するよりも先に、セリオスはわずかに首を傾げた。
「ルーザの用って?」
「僕は報告があるから」
何てことない様子で告げられて、セリオスはわずかに考えすぐに尋ねた。
「それって一緒に行ってもいい? 買い物は特に思いつかないし。自分がやるかもしれない仕事、出来るだけ沢山、見てればいいだけの時にちゃんと見ておきたいから」
「特に面白い事する訳でもないよ?」
「それでもだよ。ちゃんと見ておきたいんだ。……あ、無理にとは言わないけど」
いつもそうしていたから、つい、と。工房に親方が居た時も勝手にそうしていたものだからとぼやく姿に、ルーザも思うところがあった。
「……まあ、いいか。構わないよ」
ただし、はぐれないでね? そう釘を刺されて、セリオスは緊張した様子で頷いた。意地悪くにやりと笑ったのは、わざとなのだろうとセリオスにも解った。
* * *
エスタは手にしていたいくつかの荷物を隣に置くと、ホッと息をついた。
「案内して頂きありがとう、マリアさん。とても素敵なカフェね」
「いえ、私はマダムに頼まれた事をしただけに過ぎません」
案内を務めている間、始終感情が欠落しているかのように淡々としていたマリアは、初めて微かに笑みを浮かべた。
マリアの案内は的確だった。女性ものの可愛らしいものよりも、動きやすいものがいいと告げたエスタは、当たり前に男物の店に連れていかれると考えていた。小柄な男物でも手に入ればいいと思っていたくらいだ。しかし予想に反して案内された小さな店は、仕立て屋も兼ねた店構えだった。
飛空挺乗りの集まる町だからだろうか。決して男だけで賑わっている訳ではないのだと、働く女性たちの事を考慮したような品揃えで、エスタは盛大に驚かされた。
思いがけない買い物に、エスタも自然と笑みが浮かぶ。
「そういえばマリアさんはとても街に詳しいみたいだけど、ここの暮らしは長いの?」
「そう、ですね。とはいえ五年ほど、でしょうか。マダムに拾って頂いて、こうして時折、楽しみを得ております」
「すてきね」
女の子同士の買い物をした記憶など、エスタには全くない。そもそも買い物を楽しいものだと認識したのは、もしかしたら今日が初めてかもしれない。そう思うと、人知れず苦笑していた。
マリアがお勧めだと言うお茶と焼き菓子を頼んで待つ間、お互い自然と無言になった。エスタもマリアも、元来積極的に話す方でないからかもしれない。
気まずさは互いに感じていない。その為か、沈黙は頼んだものが届けられるまで続いた。
「わ、おいしそう」
暖かな湯気と共に香る紅茶と、ドライフルーツが沢山混ぜ込まれたパウンドケーキにエスタは目を輝かせた。早速一口、丁寧に切り分けて口にしたエスタは、嬉しそうに表情を緩めた。
そんな彼女を、マリアはしばしじっと眺めていた。
「あの」
「はい?」
やがて、何か意を決したようにマリアは口を開いた。
エスタは数度まばたきした後、事のほか真剣な様子に首を傾げる。
「どうかしたかしら?」
「……あの、もし、あの方を信用しているのでしたら、今すぐそれは、お止めになられた方が身のためだと思います」
突然の言葉が理解できなくて、エスタは考える時間を取るように一口紅茶を含んだ。それでも該当する人物が特別に浮かばなくて、口を開く。
「あの方って?」
「テオドルーザさんです」
「どうして?」
選択肢としては確かにそうかと思いつつも、未だにぴんと来なかった。まだリシュリオに気を付けろと言われた方がしっくりくる気がする。
マリアは話そうとして目線を上げ、真っすぐに伺う視線に怯んだように落とした。またおずおずとこちらを伺ってから、正面から言うのは諦めたようだった。
目を伏せたまま、とつとつと話す。
「……あの方は、裏街の気紛れな支配者。普段は好き勝手空を飛んでいるだけで、荒れる裏街を何の統治も改善も行いません。それでいて、気紛れで戻ってきた時には、必ず裏街で好き勝手致します」
それではよく解らないとは、流石のエスタも言えなかった。
「支配者? ええと、好き勝手ってどういうことかしら」
「時に人を消し、時に人を陥れ。あの人が裏街に出入りすると、必ず良くない事が起こります」
唐突な話に、エスタは「そんなまさか」 と思わず苦笑した。
「貴女の言葉を聞いた感じだと、もともと治安が良くない場所なんでしょう? 偶々そう見えるのではなくて? いきなりそんな事言われても、にわかには信じられないわ」
「信じて貰えないのも、無理はないとは存じます。しかし、マダムの元で働いていた、かつての仲間もあの人に消された事がありました。それはあの方自身が宣言していた事です。ただ、彼女が生きているのか、死んでいるのかも解りません。少なくとも、このマレスティナに居ないことだけは確かでしょう」
「何があったと言うの?」
「……詳しくは、存じ上げません。以前、今日のように人手を借りた事がありました。その時は、彼女が駆り出されたのですが……。戻って来たのは、無残に刻まれ血にまみれた彼女の美しかった髪と、彼女を襲ったと言う男の耳だけでした。聞けば、彼女は悪漢達に襲われ、攫われてしまったのだとあの方はおっしゃりました。首謀者共は屠ったとの事でしたが……それも本当に片付けていただけたのかどうだか。彼女の首だけが戻って来た訳じゃない事を喜ぶべきなのかもしれませんが……、少なくとも、彼女自身が戻って来る事はありませんでした」
私には、彼女が生きている事を願う事しか出来ません。そう告げた声には、もう仲間は命がないものと知っているかのような諦めが滲んでいた。
エスタは暫し口を閉ざした。
「……いくら管理されてない裏街だからって、治安してる人たちくらい居るんじゃないの?」
そっと尋ねると、ゆるく首肯が返ってくる。
「ええ、居ますよ。しかし彼らもまた、テオドルーザさんを慕ってますので、あの方の抑止力にはなりません」
「…………そんなに恐ろしい人かしら。何か理由があるのかもしれないわ」
「理由があったとしても、人を消していい理由にはなりませんよ」
「そう、ね」
「……私は、お連れの方――――セリオスさんの無事を祈るばかりです」
そっと言われた確信めいた言葉に、エスタは気が付かれないように溜め息を零した。なるほどと、彼女の態度に酷く納得してしまったせいかもしれない。
「ルーザさんがセリオスを害すかもしれないって事?」
エスタが気持ち引いたように尋ねると、初めてマリアは力強く頷いた。
「有りえない話ではありません。現に空賊シュテルは、旗印であるリシュリオさんと、テオドルーザさんの二人しかおりませんでした。いくつかそうなった経緯の噂は聞きましたが、かつてシュテルにはもっと仲間がいたにも関わらず、その仲間をテオドルーザさんが亡き者にして、裏街の何処かに捨てたという話は有名です。もしかしたら、貴女方の存在を、快く思っていないかもしれません」
「ふうん、まあその可能性はあるとして、それでどうして今も当たり前に街を歩けるって言うのよ。いくら属国がないにしても、そこまで無法地帯だとでも言うの?」
「さあ、そこはリシュリオさんの庇護の下、成し得たのではないですか」
小首を傾げたマリアに、エスタは片眉をつり上げた。
「リシュリオさんの庇護の下? 何故そんな事ができるの?」
「あら……お聞きになってないのですか? この地がここまで貿易の浮空島群として栄えたのも、リシュリオさんが空賊たちの仲を繋いで呼び込み、商人を呼び込み、元々空賊崩れの無法者達が多かった街の治安を整えて、発展に貢献したからに他ならないです」
「それって、リシュリオさんがこの街を作ったって事?」
「ええ。事実上、リシュリオさんが街の旗印でもあり、テオドルーザさんが裏街の支配者でもあります。お二人の組む空賊シュテルは、マレスティナにとっても重要な存在なのですよ」
「そう」
「でもだからこそ、下手に近づくと危うい存在でもあると、私は確信しております」
「なるほど」
それで、それを私に告げて、貴女は何がしたいというの。
次第に饒舌になったマリアを伺いながら、エスタはパウンドケーキにフォークを刺した。口にしたケーキは、先程思ったよりも美味しいと感じなかった。
「ねえマリアさん、せっかくだからもっと聞きたいわ。例えばマダムは、ルーザさんをどう思っているのかしら。この地の為には必要だけど、本音を言えば居ない方がいいって事よね?」
わずかに身を乗り出すと、エスタは微笑んでテーブルの上で指を組んだ。
自分が信じた自分の目を疑われるとは、知らないとは言え許しがたい。ならば相応に証明してもらおうと、挑むような心持でエスタは笑みの奥で彼女を見据えた。