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13. 繁雑

 

 輝きの異なる星々の光が、弱いものから消えていく。水平線は朝もやによって、空との境界を曖昧にしていた。

 燃えるような朝焼けは、群青の空を薄墨で溶かし、やがて紫に、赤に朱色に染め上げる。

 あれほど優しい光を落としていた月明かりは鳴りを潜めて、夜明けの時を迎えていた。


 太陽がすっかり登り、遠くの空から照らし始めた頃、その飛行挺はすでに動き出していた。

 綿をちぎったような低い雲は、潮風に流されてのんびりと過ぎていく。飛空挺が飛ぶ遥か天井には薄い雲がわずかに有るばかりで、本日はきっと良い天気になるだろう。


 セリオスはそんな流れていく景色を、暫しぼんやりと眺めていた。

 よく眠れたかと言うと、よく解らない。昨日は寝床に横になると早々に寝落ちたような気もするし、ともあれば不意に襲う頭痛に悩まされて、何度か目を覚ましていたような気もする。


 浮空島に降りた時は、地上と比べてほとんど行動に変わりはないと聞かされていた。しかし飛空挺の中だとやはり、体調が変わってくる。念のために薬を飲んでおいたおかげか、少なくともそれ以上悪化する事はなさそうだった。

 振り返ると、昨日は長い一日だった。


 宛がわれた小さな部屋を見回して、自分は工房を出ていたのだと、また改めて思う。

 壁に備え付けの寝所と小さな作業デスク、簡易なクローゼットに、景色が十分堪能出来る窓が一つ。簡易的な小さな洗面台までついていて、文句がある筈もない。

 自分の自由に使えるテリトリーとして、これほどスペースを与えられると思っていなかったセリオスとしては、手狭だろうが有りがたかった。


 もしかしたら昔は、リシュリオやルーザ以外にも乗組員が居たのだろうか。部屋の数だけ何気なく思う。

「わ……」

 窓の外を何気なく伺って、見えた景色に驚いた。

 真っ先に目を引いたのは、悠々と浮かぶ大きな島だ。その回りを、数えきれない程の無数の島々が浮いている。

 その間を飛空挺や翼が飛び交い、まだ早朝だというのに、とても賑わっているのが解る。


 次第に窓いっぱいに広がる光景に夢中になっていると、不意に扉がノックされた。

「セリ起きてるか?」

「あ、うん。直ぐ行く!」

 扉向こうから聞こえたリシュリオの声にハッとして、慌ててさっと顔を洗い、身支度を整えた。クローゼットを通りかかった時に鏡に写った自分の姿に、慌ててどうにか寝癖だけ撫で付ける。


 廊下に飛び出ると、広場に向かう背中が振り返り苦笑した。

「おはよう、セリ。そんな慌てなくて大丈夫だぞ」

「おはようっ。寝坊してごめん!」

「ははっ。時間決めてなかったし、気にすんなって」

 追い付いたセリオスの頭をぐしゃぐしゃと撫でると、リシュリオは操縦室を軽く示した。結局、雑に撫でられたせいで寝癖は寝癖のままになってしまっただろう。

「操縦室のテーブルにバスケット置いてあるから、軽食だけど食べておきな。もう間もなく着くから、ついたらイムと一緒にルーザの指示に従ってくれ」

「うん、解った」

「俺はちょっと上の展望台にいるから、また後でな」

 そう言うが早いが、広場の一画の壁に直接設けられた梯子を軽やかに登っていってしまった。


 セリオスが言われた通りに操縦室に向かうと、既にエスタの姿もあった。セリオスを見た途端にくすっと笑う。

「おはよう、寝坊助(ねぼすけ)さん? 寝癖くらいは直した方がいいと思うわ」

「おはよ。直したのにリシュリオにやられたんだよ……」

 エスタに笑われて、セリオスがつい不貞腐れてしまったのも仕方ない。

 二人の会話に、大体の察しがついてしまったのだろう。ルーザは振り返ることなく声に笑みを滲ませた。

「あははっ、リオが悪いね。それより、そこにあるのはセリの分だから食べな」

「あ、うん。ありがとう!」

「誘導の二翼飛行機(カイト)が来たって連絡がリオから入ったら、間もなく着陸する。そしたらイムは念のため隣に、セリは座席に居てくれ」

「ええ」

「解った」

 セリオスはテーブルのバスケットを取ると、景色がよく見える席へと陣取った。包みをめくると、燻製の塊をスライスしたらしいハムとチーズ、茹でた卵のサンドイッチ数切れと水筒が入れられている。

「美味しそう」

「それは良かった」

 それらを有り難く頂きながら窓の外に目を向けると、自室の窓から見たときとは比べ物にならないくらいに浮空島群は目前だった。


「食べながら聞いて欲しいんだけど」


 ルーザは前を向いたまま口を開いた。

「着いたら二人は僕と一緒に動いてもらうよ。人も多いから、はぐれ無いように気を付けて」

「うん」

「それから籠の中に食べ物と一緒にいれてあると思うけど、首飾りは身に着けておいて。ウチの乗組員だって印だから、万一はぐれたり、何かあったりしたら、それなりに役に立つと思うよ」

 必ず身につけておいてと言われて、セリオスは中をあさってそれを手に取った。背中合わせの二羽の鳥が山ぶどうをくわえて飛ぶ姿をあしらったリングに、紐が通されている。一つだけついている欠片のような色硝子は、辛うじて青い事が解った。

「それ、絶対無くさないようにね。無くすとすごく高くつくよ」

「う、うん……」

 果たして、それがいくら位なのか、それとも金銭の問題ではないのか、セリオスには解らなかった。


 出来れば無くす可能性のあるものを持ちたくないという気持ちが本音であるが、渋々それを首にかけた。大した重さがある訳でもないのに落ち着かない。リングを服の一番下に入れて、漸くほっと息をつけた。

 流石のルーザも、それ以上セリオスを脅すつもりはないようだ。


 気を紛わすように、セリオスは改めてサンドイッチを手に取った。初めて見る場所に、一体どんな土地柄が待っているのだろうと思い馳せる。

 手にしたそれをそっとかじり、おいしいと、誰かに言う訳でもなく呟く。空を飛ぼうが、食べ物の味が大きく変わらないのは有りがたい。

 用意されていた軽食をあっという間に平らげた頃に、間もなくリシュリオからの無線が入った。誘導するように飛空挺の前を飛ぶ二翼飛行機(カイト)の姿に、いよいよだと気も逸る。

 ルーザにとって飛び慣れた空だからだろうか。滑らかに陸に降り立った飛空挺は、着陸の衝撃を感じさせなかった。


 操縦の手伝いとして座っていたエスタの肩の力が抜けたところで、ルーザは初めて二人をぐるりと伺った。

「さ、行こうか」

 端的な言葉にセリオスとエスタもただ頷いて、誘われるままについて行った。

 エスタは早速、キャスケットを深く被ると、その中に白髪を隠していた。表情を解りにくくした傍目には、服装も相まって少年に見えなくもない。


 連れ立って広場に向かうと、外への出入り口は既に開けられていた。その出先には、誘導を務めた二翼飛行機(カイト)の操縦士と話していたリシュリオがいた。

「――ああ、今回も滞在は数日の予定だよ」

「もっとゆっくりしてくださっていいんですよ? アデレードさん達ってば、いっつもすぐ出てっちゃうんですもん。たまには土産話でも聞かせてくださいよ!」

「ははは! まー、そのうちな。俺らはここに居ないくらいでいいんだよ。どうせ長居してもほら、ろくな事ねえしな。さ、仕事戻りな」

「チェッ。はあい」

 何処か残念そうにする操縦士は、後続に気が付くと目礼して去っていった。

 リシュリオは一行を外へと手招いてから、後続を待たずに外に出ていった。

「のんびりしていけって?」

 それに続いて扉から顔を出したルーザは苦笑しながら尋ねた。それにはひょいと肩を竦めて応えられる。

「なあに、いつも通りだよ。気にする必要もねえ。それよりも……おーい、誰か伝令頼まれてくれ」

 リシュリオはポケットから銅貨三枚を取って、高く上げた。発着所で忙しなく行き来する人々に混ざって、邪魔にならないところに立っていた、年端もいかない子供が一人寄って来る。

「なに?」

「マダム宛に、シュテルが戻ったって伝えてくれ。成功報酬は同額をマダムから受けとってくれ」

「まいど」

 子供は小さく頷くと、人混みの向こうへと足早に去っていった。物珍しさにそんな子供を見送っていたセリオスは、あんまり見ないのと苦笑していたルーザに肩を叩かれハッとした。

 リシュリオはそんな二人の様子を気にした風もなく、軽く手足を伸ばしてリラックスした様子で告げた。

「じゃ、俺はちょっとそこらに顔を出して来るから、ルーザ、後は頼んだ」

「解ってる」

「セリ、イム。後でな」

 その背中はひらりと後ろ手に振ると、颯爽と人混みの中に入っていく。途中、近くで荷下ろししていた別の飛空挺の乗組員に声をかけ、笑いながら肩を叩いて、どこぞへと向かって行った。

 何をしているのだろうと、セリオスがまた眺めていると、ルーザにくすりと笑みを滲ませた声で誘われた。

「さ、僕らも行こうか」

 飛空挺の出入り口を戸締りして、ルーザはリシュリオと反対の進路を取った。



 発着所は積み荷を積んだり下したりする、他の飛空挺乗りだけで賑わっている訳ではない。先程の子供のようにお使いを請け負う者や、島の玄関口での商売に勤しむ人々で、大変賑わっていた。

 発着所を出た通りは、さらにその賑わいを増して、露店も数多く天幕を広げていた。あまりの人の多さに、セリオスが目を白黒させてしまったのも無理もない。


 ルーザは言わずともがな、エスタも人込みに紛れて歩く術を持っているようで、難なく辺りを見ながら歩いていた。唯一セリオスだけが後れを取って、何度となく人混みに置いていかれそうになっていた。

 間違いなく見かねたのだろう。いつの間にかセリオスは、ルーザによって手を引かれていて複雑な気持ちだった。一層の事、田舎者と言われた方が良かったかもしれない。


 浮空島が、地上の市場と比べてこれほど遜色ない賑わいを見せているとは、セリオス自身全く考えた事がなかった。それはエスタにとっても同じのようで、はぐれる事無くついてきていた彼女は嘆息していた。

「驚いたわね……」

 意外そうにしながら「そう?」 とルーザは笑った。

「帝国にいた君なら、市場も流石にこれくらい賑わってなかった?」

「あまり行ったことないから印象がそもそもないわ。賑わっていたと思うけど……多分、こんなに商人の人達も、外から来る人たちも、生き生きしていなかったと思うわ」

「まあ、そこはお国柄かもね。ここは貿易が盛んだから」

「そうみたいね」

 何てことないとルーザはくすりと笑っていた。エスタも辺りに目を向け、ただ首肯する。賑やかさを、目に焼き付けようとしているみたいだ。


 地上と同じように二階まで程度の建物が軒を連ねた街並みが、奥までずっと続いている。

 ルーザは大通りを真っ直ぐに下って行くと、ほどなくして通りに面した一際大きい建物に入った。看板にはナイフとフォークに酒瓶の印。大衆酒場であることが伺える。


 扉を開くと店は早朝であるにも関わらず、がやがやと賑わっていた。それもそのはずだ。昼夜関係なく飛ぶ飛行挺乗りにとって、土を踏んでいる時が憩いの時間だ。朝だろうが昼だろうが関係ない。

「いらっしゃいませ!」

 お仕着せの従業員の青年は、にこやかに彼らを迎え入れた。食事の案内をしようとした青年を、ルーザは手で制して断ると、真っすぐに奥を目指した。


「ご部沙汰してます、マダム」


 カウンターに向かうと、その奥にて帳簿をつけていた女性に声をかけた。

 ふくよかなその中年女性は、大きな眼鏡をずりあげて、こちらに顔を上げておやと声を漏らしていた。

「これはこれは、テオドルーザの(ぼん)じゃないか。全然顔を見せに来ないと思っていたところに急に連絡よこすから、今日は一体何事かと思ったよ」

「坊はそろそろ止して欲しいな、マダム」

 苦笑を滲ませたルーザを、店の主であるマダムは顔色を変える事無く肩を竦めた。

「悪ガキなんざ、いつまで経っても坊で十分さ。裏町のお騒がせ人なら尚更ね。それよか片割れはどうしたんだい? 放蕩者のガキ大将が、ちび二人も連れて来たって事は、そのちび共の斡旋にでも来たんじゃないのかい?」

「あはは、リオはその辺の顔見せに行っているよ。飲むって言ってたからその内来るんじゃないかな。その時は宴会の準備でもしてやって」

「そうかい」

 ある程度言われそうな事を、ルーザは予測していたのだろう。人好きする笑みを崩さずに続けた。

「それにこっちの二人はウチ新人だよ。マレスティナ自体が初めてだから、街の案内にマリア君でも借りようかなって思ってね」

「フン……うちの子たちは、あんたんとこの小間使いでも、お守をする為に居る訳でもないよ」

「手厳しいな」

 困ったように眉を落とすルーザを見て、マダムは鼻を鳴らしていた。

「ならまずはその嘘臭い笑みをお止め」

「全く、マダムには敵わないね」

 反論は得策でないのだろう。ルーザはただ肩を竦めただけに留めた。


 マダムはそれ以上言及する事なく、テーブルの上で指を組んでいた。

「それで、本当は何が欲しいんだい?」

「そんなに警戒しないでくれるかい? 本当に、ちょっと買い物に案内してくれる人がいてくれると助かるんだ。リオに頼まれててね、僕は僕で情報収集に行かないといけないから、連れていけないんだ。その間に街を案内してくれると嬉しいってだけさ」

「そうかい」

 端的に頷かれたものの、マダムの疑うような視線は変わらない。信用無いなとルーザが再三苦笑したのも仕方なかった。


 マダムはルーザの表情を読むのを諦めたのだろう。後ろでじっと息を潜めて立っていたセリオスとエスタを見て、ふっと仕方なさそうに短く嘆息していた。

「いいだろう。リシュリオの坊が頼んでくるならまだしも、テオドルーザの坊が頼って来るなんて珍しい事だ。()()()()貸した子は返しておくれよ?」

「はは、人を危険物みたいに言わないで欲しいな。マダムが余計な事をさせなければいいんだよ」

 ルーザはいつもの様にくすりと笑ったに過ぎないが、マダムは不快そうにわずかに眉を顰めていた。

「それじゃあ僕たちは表で待ってるとするよ。仕事の報告に行かないといけないから、早めに頼むよ」

「……ああ、直ぐに向かわせるとも」

 くるりと踵を返したルーザは、行くよとセリオスとエスタの二人を誘い合わせて入口へと向かって行った。エスタはそれに従い、セリオスはマダムにわずかに目礼して後を追った。


 店を出た途端に、店内とはまた違う賑わいが戻って来た。照明を落とし気味の店内から出たせいか、日差しの登った通りに一瞬目が眩む程だ。

「随分あのマダムと訳在りげね」

 エスタに釣られて、セリオスも振り返った。

 ぽつと呟いたエスタに、耳聡く聞きつけたルーザは片眉をわずかに釣っていた。彼の表情を伺っていなかったら、気が付かない変化だっただろう。

「誤解だよ。昔ちょっと、マダムと確執があっただけかな」

「マダムだけ?」

「……さあね」

 くすくすと笑っていたルーザは、それ以上は何も言おうとしなかった。

 

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