12. 集約
来たまでにあった水場までの道を閉じ、坑道を抜けて出ると、弱い月明かりに照らされた飛空挺の輪郭が闇夜の向こうに見えた。エスタが物陰に隠すように停めていた二翼飛行機の側には人影があり、仁王立つ背中になんとなく互いに見合わせた。
「リシュリオ」
セリオスが呼びかけると、振り返った姿に怯んだ。おっかなぁ……と、言葉にせず呟いていたのは無意識だった。
「さあて、お二人さん。俺に言いたい事はあるか?」
リシュリオは唇の端でにやっと獰猛に笑っているが、一切目は笑っていないのが解る。薄闇の中でも射抜くような視線に睨まれては、やはり自分も叱られるのかとセリオスは肩を縮めた。薄々そうだろうなって思っていただけに、諦めもつく。
どのように言ったものか迷ったセリオスよりも先に、エスタは彼の元まで真っ直ぐ進んだ。
「リシュリオさん、セリオスは悪くないわ」
責めないであげてと続けたエスタに、リシュリオは頭が痛いと言わんばかりに眉間を揉んだ。
「どういう事なのか説明してもらえるのかな、お嬢さん? 俺は、君をちゃんと送り届けるって言っただろ?」
「ええ。でも飛空挺だと目立つかと思って。勝手な事をしてごめんなさい。それから、勝手に飛び出した私をセリオスは止めようとしただけで、彼は悪くないわ」
「へえ」 適当にも聞こえる相槌の後、リシュリオはセリオスを見やった。「って、お嬢は言っているけど、女の子に庇われるだけの情けない男に成り下がらないよな、セリ?」
差し向けられて、セリオスは肩を竦めた。
「僕が引き留めようとしたのは確かだけど、何も考えずに飛ぼうとしてる二翼飛行機に乗り込んだのは事実だよ。何かおかしいなってその前に気がついていたのに、その時点で報告もしないで、勝手に行動してごめん」
「全くだ。俺もルーザも、どれほど肝が冷えたか解ってんのか?」
「本当にごめん」
「言葉だけの謝罪はいらねえ」
「そんな事言われても……」
ばっさりと言い捨てられて、セリオスは眉を落とした。
「僕に今出来るのは、今後同じ事はしないよってあくまで言う事だけだよ。何かあったら必ず報告する」
「そうしろ」
そんでもって、と。リシュリオは溜め息と共に前髪をかき上げると、どうしたものかと言わんばかりの目線をエスタに向けていた。
「頑なに俺らの名前を呼ぼうとしなかったお嬢が、一体どういう心境の変化だ?」
「誑し込まれたの、セリオスに」
「ぶっ?! ちょ、エスタ!」
さらりととんでもない事を言われて、セリオスは堪らず隣を見た。何か間違っていたかと言わんばかりに表情がそこにあり、憮然としてしまう。
リシュリオはただ、片眉を吊り上げただけに留めた。
「申し遅れました」 エスタは慌てるセリオスに構わず片足を後ろに引いて軽く膝を曲げ礼を取った。
「私はメルエット・エスタ。貴方が言っていたみたいに帝国と敵対している今、言及を避けたかった無礼を許して頂けると嬉しいわ」
難しい表情でそれを受けたリシュリオは、しばし動きがなかった。やがて深く付いた溜め息は、何よりも重く聞こえた。
「このタイミングでそれを言ってくるのかよ」
「悪かったわ。だからセリオスに誑し込まれたって言ってるじゃない」
僕のせいにするなってという訴えは、二人に届いているにも関わらずに黙殺される。
エスタは真っ直ぐにリシュリオを伺った。
「そしてリシュリオさん、リーダーである貴方に折り入ってお願いがあるの」
「引き受けるかはさておき、聞くだけ聞いてあげるよ。どうせ話を聞くまで逃がさないつもりだろ?」
「話が早くて助かるわ。あのね、私も貴方たちと一緒に連れて行って欲しいの」
リシュリオは腕を組んだ。
「それは行きたい場所があるからか?」
「いいえ、目的地はもうないわ。ただ、一つの場所に留まらない環境に居たいの。こんなにも叱ってくれた貴方たちなら、私は信じることが出来る」
「安易に信じるなんて言っていいのか? 俺は利益をとって、君を帝国に引き渡すかもしれないよ」
挑戦的な物言いに、エスタは苦笑することなく肩を竦めて告げた。
「そうかもしれないわ。でも、その心配はないって、私の直感が告げてるの。私は私を信じているに過ぎないわ」
自信を持った言葉に、リシュリオは呆れた様子で溜め息をついた。隣のセリオスの表情に、既にそういう話をしていたのかと理解してしまったからかもしれない。
「例えば君を乗せたとして、君に何が出来るって? 生憎、お客さんを乗せて飛ぶ遊覧飛行はしていないんだ」
だからただ乗るだけはもう引き受けない。きっぱりと断りを入れられるよりも先に、エスタはリシュリオの後ろを見上げた。
「ねえリシュリオさん。この飛空挺だけど、本来操縦士は、最低三人は必要よね?」
「…………そうだな」
「乗組員は貴方とルーザさん、それからセリオスの三人。セリオスには知識が有るみたいだけど経験はない。すぐに操縦を握る事は出来ないわ。でも私なら、飛空挺の操縦や心得があるから、即戦力になれるわ。勝手するのが心配だって言うなら、貴方かルーザさんのどちらかが、見張りにでもついていてくれればいい。どうかしら」
エスタの挑戦的な物言いに、リシュリオは暫く無言で見合った。やがて折れるように、右手で頭を抱えたリシュリオは、深く溜め息をついて項垂れた。
「もう、解ったよ。仕方がねぇから、受け入れてやる」
不承不承ながら唸った姿に、エスタは不安そうに訊ねる。
「ホントにいいの?」
「ただし、いくつか君には約束を守ってもらうよ」
「何かしら」
「君に守って貰うのは三つ。一つ、あくまで仲間として歓迎する。故に仕事は受け持ってもらうし、賃金も払う」
「何かと思ったら……真面目なの?」
「煩い。けじめは必要だろ」
腕を組んだリシュリオは、それ以上の無駄口は許さないと言わんばかりに続けた。
「二つ、俺の飛空挺に乗り続ける限り、白姫を名乗るな。俺はリスクを避けたい」
「それは勿論。……なら、イムって呼んで」
「了解。ついでに人の目がある場所では、出来れば髪か目か隠してくれ。君は容姿も目を引くし、例えばアルフェリオに見つかったら守りきれない可能性もある」
「悪かったわね、目立つ白で」
むっと唇を尖らせたエスタに、リシュリオは視線を反らした。
「いや……そうじゃなくて。野郎の中に見目の良い女の子がいるなって注視されて、結果君だって解ったら困るだろ」
エスタは数度瞬きするが、驚きのあまりに動けなかった。
「……まさか、貴方からそんな事言われるとは夢にも思ってもなかったわ。リシュリオさん」
思わずエスタが零すと、相手がむすっとしたのが解った。
「からかうな。三つ、団体行動をしてもらうからな。今回みたいな勝手は特に許さない」
「肝に命じておくわ」
神妙に頷いたエスタに、リシュリオは漸く肩の力を抜いた。
「良いだろう、歓迎しよう。イム」
それじゃあ最初の仕事だと、早速踵を返し手伝えと指示したのは、二翼飛行機の格納だった。反重力装置を起動し、格納庫まで牽引してはそう時間もかからない。人手が三つあれば尚更だ。
あっという間に終えて二人がリシュリオに招かれたのは、ルーザの待つ操縦室だった。
「ルーザ戻った」
疲れた様子で告げたリシュリオを、コーヒー片手にのんびりしていたルーザが振り返った。
「お帰り、思ってたより説教早かったね」
「まあな。それよか、お嬢はそうだった」
「それは……本人が吐いたの?」
「ああ」
後ろを目線で示したリシュリオに釣られて、ルーザは後続に目を向けた。
「ルーザさん、すみませんでした」
リシュリオには説教を受けたとはいえ、改めてエスタがルーザに頭を下げた。そんな姿にルーザはただ苦笑する。
「別に気にしてないよ。君の事情を考えたら仕方ない事だし、何よりリオが叱った後だろ? なら、僕から言うことは何もないよ」
「……ありがとうございます」
あっけらかんと告げられて、エスタはほっと息をついた。何か言われるかもしれないと覚悟をしていても、やはり何度と叱られたくはないものだ。
「そんじゃ、今後の話をさせてもらおうか」
リシュリオは皆を適当に座らせると、操縦席によりかかって仕切った。
「当初の予定より大分北に来ちまったが、一度俺らの拠点まで戻るつもりだ。戻って依頼を片づけて、何かしらまた依頼を請け負ってどこぞの空に飛ぶ。生憎のんびりしていられる程、俺らも暇じゃねえ。食い扶持は稼がないといけないからな。ま、ついでに拠点でなら、帝国の情報なりアズネロ親方の噂なりは聞けるだろうから、そこは楽しみにしてな」
「拠点ってどこまで行くの?」
「ここからだと南東だな。浮空島群マレスティナって聞いた事あるか? どこの国にも属していない非干渉地帯の海に浮かぶ場所さ」
「へえ」
そんな所があるのかと、ただ漠然と頷いたセリオスに対して、エスタは考えるよう口元に手を当てていた。
セリオスはそんな姿には構わず、何気なく「遠いの?」 と聞いた。
「まあ、ぼちぼちな。一先ず夜の内に一度この一帯からは離れておいて、適当なところで一度夜明けを待つつもりだ。今日は俺とルーザで回すから、お前らは休んでな。後でバックヤードを軽く案内するよ」
「私は操縦のシフトに踏み込んでもらって平気よ」
それを聞いて、即座にエスタは小さく手を上げた。リシュリオはひょいと肩を竦める。
「夜は寝るもんだぜ、お嬢さん? 徹夜はもう少し年食ってからにしな」
「子ども扱いしないで頂ける?」
むっとしたエスタに、リシュリオはにやりと笑った。
「いや? レディの美容を慮っただけだが? 身長の心配の方が先だったか?」
「……失礼な人ね」
むっとして彼女が不貞腐れたのは言うまでもない。そんな姿にくつくつと肩を震わせて笑ったリシュリオは、ルーザに嘆息されて苦笑した。
一行が解散したのは、間もなくのことだ。
* * *
空模様は安定していて、至って順調に飛空挺は星空を飛んでいく。北の地から離れて行くほど、星は明るさを取り戻しているように錯覚した。
照明を落とした操縦室で緩く操縦桿を握っていたルーザは、戻って来た姿に気が付き顔を上げた。
「彼女は休む事に納得した?」
「ああ、一応な」
「お疲れ」
どっかりと疲れた様子で隣の席に座ったリシュリオに、ルーザは小さく笑って労った。
既に別の事を考えているのだろう。ああ、と端的に答えているものの、リシュリオの意識は漫ろだ。
「それにしても良かったの? ただでさえやる事多いのに、荷物増やして」
「はあ? お前がそれ言うのか?」
リシュリオの様子に構わず尋ねると、呆れた表情が返ってきた。反論どころか受け入れる気満々だったじゃねえかとぼやくリシュリオに、ルーザはひょいと肩を竦めただけだった。
リシュリオは緩く首を振った。
「んなもん言っても仕方ねえだろ。キナ臭い話があちこちで出てくるばっかで、何か手は打てないものかって考えてたとこに転がって来たもん、拾わない手はないだろ」
「それはね」
そこじゃないと言いたいルーザの、言わんといている事が解ったのだろう。リシュリオは面倒くさそうにがしがしと頭をかいて溜め息を零した。
「付け込まれる下手は打たねえよ。けど、情報収集は向こうについたらちょっと頼む。確かベトムかマグニットあたりが北に行ってた筈だ。あいつらのとこにネズミが居ないとも限らないから、それとなく聞いておいてくれ」
「了解。アズネロ親方の方はどうしよう?」
「あー……そっちは一応俺がやっとく。どうせ宛もないし、帰るならあっちこっち顔出ししてくる必要あるからな。三つ四つ、暇してる奴ら居るだろうから、ちょっと飲んでくるわ。そっちも何か聞けそうなら頼む」
「はいはい。慕われてる顔役は大変だね」
「うっせ。好きで慕われてねえよ。お前が立ってくれてもいいんだからな」
「僕は遠慮しとくよ。下手なことしたら、かえって皆を怖がらせるだろうからね」
「ったく……すぐそうやって和解から逃げやがる」
ルーザがくすくすと笑うと、嫌そうな顔がただ返って来た。だがそれも一瞬の事で、思い出したようにああと声を上げた。
「あとイムにいくつか着る物見繕ってやって。流石に昔の奴らの使い古しのお下がりは気の毒だ」
「男物でいいの?」
「動きやすくて白姫ってすぐに解らなけりゃ、なんでもいい」
「セリには?」
「適当」
「……まあ、取りあえず向こうにつく前に、通行証と小遣いくらい渡しておくよ」
言葉通りの適当さに、流石のルーザも苦笑した。
「二人は取りあえず、僕が預かっておけばいいんだろ?」
「ああ。報告と次の依頼の方は頼んだ。情報収集にあいつらのところに行く時は邪魔になるだろうから、いつものところに向かわせてくれればいいさ。流石に、俺らのとこの印ぶら下げててちょっかい出して来る奴はいねえだろ」
「……まあ、絶対はないけど。解った。マダムのとこの狂犬君にでも護衛頼んでおこうかな。イムと年も近いだろうから、もしかしたら話が弾むかもしれないし」
「うわ……想像つかねぇ」
うんざりした様子のリシュリオを、やはりルーザは可笑しそうに笑っていた。やがてふと零す。
「久しぶりに賑やかになるね」
「ああ。ま、いいんじゃねえの」
「そうだね」
静かな夜は、星の巡りと共に更ける。