10. 廃坑
ライトに照らされた廃坑の入り口は、恐らくかつては往来が多かったのだろう。天井にほど近いところは荒く削りだされたままになっており、床は大勢が踏みならした事で滑らかになっている。
坑道の中央にはレールが通されていたのだろう。朽ちたレールと枕木が残されているのがよくわかる。
入り口にほど近くにあった広場には、いくつもトロッコと思わしき残骸が打ち捨てられていた。かつてこの地が栄えていたのは間違いないだろう。
奥に続く坑道はどこかに繋がっているのだろう。そのお蔭で、坑道内の空気に淀みはない。坑道内の空気は冷え切っていて、肌に触れるとじっとりと湿る。
ひょうひょうと坑道を鳴らす風と、二人分の足音だけが響いていた。
「こんなところに何があるんだ……?」
前方を照らすセリオスが思わず呟くが、横を歩く少女は答えない。ただ真っ直ぐに、前を見据えている。
話す気のない様子に、セリオスは肩を竦めた。先程まで暗闇に怯えていたと言うのに、徹底した姿にどこか残念にも思う。
いくつかの分岐を過ぎて、ただ黙々と殺風景な坑道を歩くのも面白くない。何か目新しいものは無いだろうかと、セリオスが辺りを伺っていると隣が動いた。
「こっち」
照らせと言うのでそれに従う。彼女が示したのは、本道から逸れた細く天井の低い場所だった。一見すると掘りそこないにも見えなくないが、覗き込むと奥がある事が解る。比較的小柄なセリオスでも、一度は膝をつかないとくぐる事は困難そうだ。
少女に続いてそこをくぐると、そこには開けた空間があった。それだけでない。目の前には重厚な造りの扉が立ちはだかり、先を閉ざしてしまっている。一見すると、金庫のようにも見えなくなかった。
「この中に用があるの?」
「そう」
少女は扉の脇に向かった。恐らく開閉装置だろう。壁にはめ込まれたカバーを開けて、一瞬手を留めた。時間にして数秒後、かちっと小さく解錠の音を立てた後に、壁の向こうから機械の動く音がする。
ほっとした様子で彼女が肩を落としていたのは気のせいではない。
「驚いた。廃れているのに、まだ動くんだね」
セリオスが感心して呟くと、少女はくすっと笑っていた。
「ここは特別よ。この島が栄えていた時に、唯一の水源を守る為に造られた場所だから。誤算だったのが、水より資源の方が先に尽きてしまった事よ」
「それも仕方ないんじゃない? 無限の資源なんてどこにもないさ」
「そう、それだけの事。でも当時は、誰も資源が尽きる事なんて気にしてなかったのよ」
ちょっと考えればカンタンに解るはずな事なのに、可笑しな話よね。皮肉っぽく笑った彼女に、セリオスは肩を竦めただけに留めた。
唯一の水源を守る為という事もあり、その後のいくつかの扉があった。その都度少女が機械仕掛けになっている扉の開閉操作を行うが、毎回怪訝な顔をする。
どうせ尋ねたところで返答はないだろう。そう思っていたセリオスも、ついに手を止めたままになった少女に思うところがあった。
「どうしたの」
仕方なしにセリオスが声をかければ、沈黙が返って来る。かと思えば、溜め息を零した。
「何でもない……って、言いたいとこだけど。変なの」
「何が?」
「さっきから、誰かが出入りしているのか、無理やりここの装置を動かしたみたいな形跡があるの。それだけでも……あまり良い予感はしていなかったのだけど。ここに来てこれじゃ、私の手には負えない……」
再三の溜め息は、途方に暮れているようだった。あと少しなのに、と。固く閉じられた扉を睨みつけては、壁の一枚くらい掘るべきだろうかとぼやく始末だった。
流石のセリオスも、呆れてしまう。
「機械なんだろ? 貸してみなよ」
セリオスは少女を押しやると、目の前の装置に向き合った。
少なくともセリオスが普段いじっている二翼飛行機や二輪車の類とは造りが違う。だからと言って、無理やり押しこまれ、噛み合わせの狂った歯車の位置が解らない程でもなかった。
ライトを少女に握らせて照らし、ボディバックに入れっぱなしになっている工具を手探りで握る。手前で何かを叩きつけられたらしい薄い板状のパーツは、適当に叩いてゆがみを正した。
「ずーっと思っていたんだけどさあ」
物のついでに、セリオスはぼやく。
「君って頭よさそうなのに、かなりバカだよね?」
「何を言うのかと思いきや、いきなり何? 失礼ね」
「失礼だろうが、ホントの事だろ」
セリオスが思わず小ばかにして鼻で笑っていたのは無意識だった。見慣れぬ機械に触れて、気分が良くなっていたのかもしれない。
「巻き込むのが嫌だからって遠ざけているつもりんだろうけどさ、実際こうして手を貸されている気分てどうなの?」
「……なんて言われようが、あんたは名前も知らない私に利用されている可哀想な奴なの。通りすがりに利用されただけの人。それ以上になる事はないわ」
悔し混じりの声は、それでも強がって言う。
そういえばかつての工房にも、自分を敵視して突っかかってくる奴が居たなと、セリオスはふと思い出す。
その人は、普段大人しく作業をこなすセリオスを下に見ていた。しかし何も言わずに負けん気を発揮するセリオスに格差を見せつけられて、いつの間にか居なくなっていた。彼女の虚勢はそれに似ているように思えた。
「でもそれって情けなくない? 別に手段を選ばないって言うなら、何も感じてないのかもだけど。プライド高そうな割には、君の言うその可哀想な奴の手をあっちこっちで借りないと、自分の目的地にすらたどり着けないなんてさ――――あ、動いた」
かちっと軽快な音を立てて、扉の仕掛けは動き出した。思っていたよりも簡単に直り、思わず口元も緩む。
「ほら、鍵が開いたよ……っ」
だが振り返ったセリオスは、そこにあった表情にぎょっとした。
「なによ」
こちらを見る事なく、下方へと視線を流している姿はセリオスを決して見ようとしない。否、見ない事で、自分の表情も相手に見えていないと思っているかのようだ。
「えーと……その、ごめん」
「何に謝ってるのよ」
「ちょっと、言い過ぎたって。だから……その、泣かないで」
セリオスが苦虫を噛み潰した思いで言うと、逆光でも涙の浮かんでいると解る赤い瞳に射ぬかれる。
「うるさいわね。そんなの、私が一番理解してるわよ。言われなくたって! でも……仕方ないじゃない。利用して、捨ててかないと。みんなみんーな! より利益が入る方に、媚びへつらっていくんだもの!」
「…………僕も、いや、リシュリオ達もそうだって?」
「解んないじゃない。ここに来るまで、協力してくれるって人達は確かに居たわ。でも皆、手のひらを返してく。アジェイを助けられる私の味方は私しかいないって、嫌って言うほど味わったわ!」
叫んでから、彼女はハッとしていた。
「アジェイ……黒姫を助ける、ね」
それは、自分が白姫メルエット・エスタだと言っているようなものに他ならない。
唇を噛んでそっぽを向いた姿に、セリオスは何度目かの溜め息を溢した。
「じゃあ聞くけどさ、一蓮托生みたいな僕も、君を裏切ったりするのかな」
「する……かも、しれないでしょ。貴方は最悪、アズネロ親方が帝国に下れば関係ないもの」
「僕が親方を売るって? ふざけんな」 それだけは、聞き捨てならなかった。セリオスの声も低くなる。「親方を売るために、僕はわざわざこんなとこまで来たって言うのか? 人のことを馬鹿にしてるのは一体どっちだよ」
立ち上がり、睨み付け、糾弾するような声に、さすがの彼女も押し黙った。
「……今のは、私が悪かったわ」
ぽつっと呟かれた声には、罪悪感が滲んでた。
「でも、そもそも貴方が……貴方の性格が悪すぎるわ。善人ぶってるんだもの」
「ああ……まあ、昔からどちらもよく言われたよ」
親方の弟子だからね、と、特に否定もせずに肩を竦めて言うと、何それと苦く笑われる。
セリオスは片眉を吊り上げて僅かな沈黙すると、これで詫び代わりになるなら良いかと肩を竦めた。
「親方がいた頃の工房ではさ、僕は一番面倒見てもらってた自覚があるよ」
「急に何? それって貴方が一番弟子だからでしょう?」
脈絡を計りかねた少女は、怪訝な顔をしながらも問い返した。
「うん。まあ、自分で言うもんじゃないけど、一番弟子だから。紛れもないよ。それでいて最年少だったから、僕」
当たり前のように告げたセリオスに、彼女はなるほどと頷いた。
「……先輩の方々は面白くなくて、貴方を虐めていたって話かしら」
「うーん……まあ、正直……虐められていたなんて言われ方は好きじゃないし、虐められていたとすら思ってないけど……。それでも、やっかみとか妬みとか、よくわからない絡まれ方は多かったよ。一応、大人しく大人しーく、静かに工房の仕事はしていたけどね。でも――――」
「ええ」
「――――嫌味だけならまだしも、物理的にちょっかい出してくる人も居てね。黙ってやられるのも癪だったから、その時はその場で殴り返したんだ」
少女が眉を顰めていると、何てことないかのようにセリオスは肩を竦めた。
「そしたらその喧嘩現場が丁度親方に見つかってね。めちゃめちゃ怒られたよ。しかも僕に絡んでたその人は謹慎のみ、僕だけ親方自身に三倍は殴られた」
酷いよね、と苦笑したセリオスに、うわあと言葉にならない表情が返ってくる。彼女の様子に構わずに、セリオスはにやっと笑いかけた。
「不貞腐れてた僕に、あの人なんて言ったと思う?」
「喧嘩するなとか、そう言う説教でしょう?」
「残念。もっと最低さ。喧嘩するなら目に見える証拠は残すなってさ」
「…………はい?」
「悪態も嫌味も、全部口で言い返せ。言えないなら黙って、職人としての技術でも磨いていろ。相手にするな。僕の手は物作りの為に使え。雑魚に隙を与えるなってさ。正直親方の言葉とは思えなくて、その時は唖然とした」
多分今の君とおんなじ顔をしていたよ、きっと、と。セリオスがくすくす笑うと、ただ眉をしかめられた。
「その時はさ、なんだよ、僕だけ殴るなんてこんちくしょうって思ったけど……後から解った。親方が本気で叱る人は、僕を始めとして、工房には本当に一握りしかいないって。後はみんな適当な扱いで、そしてそれが解って……正直嬉しかった」
「認められていたから、ね?」
「うん。だからね。悪いけど僕、性格の悪さは親方仕込みで、筋金入りだと自分でも思うよ。大概誤解されるけど、やられっぱなしも負けるのも大嫌いだし」
「…………ええ、そうみたいね」
私の認識がそもそも間違えていたわ。そう苦笑混じりに答えた少女は、不意に笑みを消した。
「セリオス」
「うん?」
初めて呼ばれた名前に、セリオスは目を瞬いた。驚きのあまりまじまじと伺っていると、真っ直ぐな視線が返ってくる。
「お願いがあるの」
「え、うん」
「私はエスタ。理由があって帝国から逃げているの。私が逃げられるように、私を助けて」
一息で告げられて、セリオスは驚きのあまりに咄嗟に返す言葉がなかった。
「ええと、それは……その、今更言うの……? どういう心境の変化?」
「性格の悪いセリオスの事を信頼してるから」
「……それ、理由として最低じゃない……?」
「じゃあ、アズネロ親方を見つけたい貴方となら、一蓮托生で協力出来ると思ったのよ」
「…………最初からそれにして」
しれっと言い直したエスタに、セリオスは脱力した。仕方ないじゃないと、ぷくっと頬を膨らませてそっぽを向いた彼女に、本当に仕方ないと苦笑せざるを得ない。
「ねえ、君が帝国に捕まったらどうなるの。やっぱり、リシュリオ達が言っていたみたいに、黒姫の記憶を盗んだってのは本当なの?」
「そう、ね。…………話すわ、ちゃんと。でもその前に」
ちらと扉に目を向けて、エスタは扉を押し開けた。この中のものが必要だと、そういう事らしい。
「解った」
セリオスも意を得て、閉ざされた先へと向き合った。