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18話『遺跡』

 中央海歴802年9月25日午前6時ちょうど。まだ薄暗い瑠璃色るりいろの空がその青い影を地上に降ろしているころ。まるで基地自体が廃墟になったかのように人気のないアテーナイ飛行場に、一つのエンジンの駆動音が寂しく響く。

 紺色の光を端正で滑らかなガラスの風防に反射させながら、機首のライトを点けた一機の双発機が誘導路を滑走路へと進んでいた。

 見送る地上の作業員の姿も数えられるほどで、爆音を響かせながらもひっそりと進むその佇まいは、朝の青い景色も相まって、どこか寒々しく見える。

 その機体は淡々と砂浜側の滑走路端へと進み、そこで止まった。しばらくの間、遠く響く二つのエンジンの駆動音と、風と潮が寝息のように鳴る音だけが早朝のアテーナイ飛行場を支配していた。

 あの機体のエンジン音が一際大きくなる。同時に、機体がのっそりと、優雅に動き始めた。

 徐々に加速し、そしてやがて脇を飛ぶ渡り鳥よりも速く、そして遥かな勢いで引き離していく。

 その尾が地を離れた。ふわりと、風に吹き上げられた紙のように浮き上がる。やがて、もはや何者にも追えないほどに加速したあの機体は、数人の人間と渡り鳥のみに見送られながら、ひっそりと北方の空へ消えていった。

 タイプゼロが行った。もうあの機体に会う機会はなくなるだろう。こちらには、こちらの任務がある。

 私はしばらく、まだまだ青黒い北の空の先をぼうっと眺めていた。


 × × ×


 中央海歴802年8月24日、午前8時50分ほど。燦々と夏の陽光が降り注ぎ、アスファルトが跳ね返し、まるで白く輝いているかのように見える。

 アテーナイ飛行場の誘導路は、各国の戦闘飛行隊の戦闘機たちで渋滞していた。バリバリとレシプロエンジンが上げる唸りが、鼓膜を破らんばかりにやかましく鳴り響いている。

 ガルガンドーラ王立海軍艦隊航空隊第843飛行隊は、誘導路の渋滞の中にいた。

 リュークが左を向くと、滑走路を駆け抜けていくUly1戦闘機の姿が目に映った。その機体が視界から消えてすぐに、次の機体が通り過ぎていく。

 これから、843飛行隊は、ここに集まっている全ての航空機は前線に新たにできた基地へと散り散りに向かいにいく。先日の大空戦の記憶と興奮も新しいが、これからは新たな任務が待っている。

 しかしそれよりも、リュークは地上にわだかまっている熱気に辟易としていた。陽の光を全身に受けているアスファルトが、その熱でさえも反射して、リュークにまとわりついてくる。革でできているフライトジャケットの中はあっという間に耐え難いほどに熱くなり、汗で蒸れるせいでとてつもない不快さがリュークを襲う。

 リュークは暑さに耐えかねて、キャノピーを開け放っていた。そうすると時折、海風が入ってきて不快さを少しは晴らしてくれるのだが、逆にエンジンが駆動する音がガタガタバリバリとうるさく、別種の不快感がリュークに襲いかかってくる。

 早く空に上がりたい、それだけがこの場にいる全てのパイロットが一つに抱いた思いだった。

 やがて、リュークの前に待つ機体の列が段々と減っていく。そして、ついにリュークが滑走路に機体を進める時が来た。

 滑走路の端に着いたリュークが左を向くと、メイナードの機体がすぐそばにあった。メイナードはリュークの視線に気づくと、コックピットの中で手を上げて合図をしてきた。

 リュークはそれに合図を返し、前を向く。そして操縦桿をしっかりと握り、スロットルを握る左手をゆっくりと押し込む。やがて機体が加速しだし、開いたキャノピーから心地よい風が吹き込んでくる。

 やがてふわりと機尾が浮き上がった。しばらく滑走してから、操縦桿を引く。機首が浮き上がり、風防正面に広がっていた木々の海はあっという間に眼下へと消え去り、代わりに鮮烈な青色が一気に広がる。

 向かう先は北西。これからは今までと比べて幾分か静かになるだろうが、任務は激しくなるだろう。

 新天地、人が未だ踏み入れたことのない地へと踏み入れる興奮、濃くなる戦いの熱動に、リュークの胸は高鳴っている。


 × × ×


 前線基地への航空部隊の移動が始まって三日。この基地から飛び立つ機体も少なくなってきた。そんな日の夜ともなると、滑走路はもはや独占状態となる。


「…………。」


 とても静かだ。800馬力の小さなエンジンがひっそりと回る音と風、潮騒以外に聞こえるものはない。

 そして底無しに真っ暗だった。滑走路に焚かれるはずの火も消され、珍しく灯火管制が敷かれた基地の建物の窓から漏れる光の一筋もない。

 三日月だけが朧げに照らし出す滑走路の上を、私たちの機体は静かに駆け抜けていく。

 先の大戦で航空兵器の最新鋭を取り揃えた母国も、今や急速に発展する技術に乗り遅れたせいで、私が今乗っている母国の主力戦闘機は他国の機体と比べるといささか前世代的である。

 だが、それでもこの機体は他のやかましい1000馬力級のエンジンよりは静かで、小さな機体は遠くからの視認率を大きく下げてくれる。今夜のように、隠れて行動するには丁度いい機体だった。

 私たちは素早く離陸し、誰にも見送られないままに闇夜へと飛び込んでいった。

 深夜に飛び立って北北東へと2000キロメートル。増槽を付けてもギリギリの距離。およそ六時間をかけて、未だに人類の内でも私たちのような限られた者しかたどり着いたことのない未踏域の深奥にたどり着いた。眼下に鬱蒼と濃く茂る密林の中にぽっかりと空いた長方形の穴が見える。寒々しい青と柔らかなオレンジが混じり合う朝の薄明の中、私たちは陽が昇り切る前にその穴の中へと降り立つ。数分後、穴は緑色の覆いで完全に隠されていた。

 木々の偽装の下に巧妙に隠された掩蔽壕えんぺいごうの中で機体から降りると、頭上の枝葉のせいで薄暗い中をわずかなランタンの灯りを頼りに多くの人間が動き回っていた。


「少尉!」


 薄暗い巨木の下に広がる異様な光景を見回していたら、中肉中背の、どこにでもいるような初老の男に声をかけられた。


「よく来れたな。遠かったろう、さあ、隊の奴らを集めてついて来い」


 男についていくと、木でできた長屋が姿を現した。長屋の屋根は平たく、一階建てであり、徹底して未踏域特有の背の高い木々の隙間に隠れるようにこじんまりと造られていた。

 男は長屋の端の部屋の扉を開き、中へと入った。部屋の中央には広い机があり、その上に大きな地図が広げられていた。地図の上にはたくさんのコマが置いてあり、同じくメモや走り書きでびっしりと満たされている。机と地図の他にも、チョークの書き込みや磁石で貼り付けられた紙で埋め尽くされた持ち運び式の黒板や、種々の通信機器、床や壁を這う無数のケーブルが圧迫感を与えてくる。

 かろうじて十六人の部隊員をこの部屋に詰め込むと、ひじとひじが当たった。


「この基地を見て驚いただろう。上から見た時よりは四倍は規模が大きい」


 男はそう言いながら、部屋の中央にある地図のある地点を棒で指し示した。


「ここが、今俺たちがいる場所だ。この基地に名前は無いが、どうしても呼ぶ時は『基地』とだけ言えばここの連中には通じる。と言っても、ここは最前線のその先にある上に、君たちは作戦が終わるまでここから移動することはないから意味のないことだがな」


 男は説明しながら、今度はこの基地のある場所の周辺を円を描くように示す。


「そして、ここいら一帯の空域は飛行禁止空域に指定される。理由は、アルエット飛行隊その他フランチェ空軍の飛行隊が相次いでこの空域で行方不明になった、そういうところだ。だから、この空域を飛ぼうとする馬鹿はいないだろう。誰だって怪物の跋扈するこの未踏域でそんな危ない空域には突っ込みたくはない」


 男が言うと、部隊員が軽口を挟んだ。


「おお、ついに俺らは亡霊になったわけか」

「員数外なのは元からだろ」


 男は軽く笑って続ける。


「ともかくだ、君たち黄百合部隊の献身のおかげで、この辺り一帯は情報外務局うちらのものだ。で、ここからが本題だが……」


 そう言って、男は机と壁の間の僅かな隙間を移動して地図上の別の地点を指し示す。


「ここ、この基地から北北東500キロメートルほどのところだが、先の未踏域探索で偶然にも空軍のある部隊が機位を失して迷い込んだ先に、遺跡があった」

「遺跡? 現地人のか?」

「ハンデルセンでピラミッドとか言うのを見たことがある。ボロボロで石を積み上げただけのものだったけどな」

「そんな生ぬるいものじゃない。それこそ、ウチがこの広い空域からフランチェ空軍すらも追い出して君たちに差し出している訳がそこにあったわけだ」


 男はそう言うと、地図で指し示している近くに置いてあった写真を手に取り、ユリスたちに手渡した。ユリスたちはその写真を回し見する。不鮮明で白黒の写真には、どこの文化圏とも判別つかない様式の建造物が映っていた。


「これが? 未知の文明の建築様式なら、こういうことにもなるのでは?」


 ユリスが男に聞く。


「一見はなんの変哲もない、異文明の街の遺跡だ。だが、この遺跡は高度に自動化されていたという報告がある。一人でに開くドアに快適な温度に調整された室内、光る窓。上がった報告はどれも我々より発達した文明の存在を示している。この遺跡の調査と、同様の遺跡の捜索が今後の任務になる。だが、この森の中にはそこまで強力な怪物はいないが、遺跡の周りはどうだか分からん。君たちの任務は、調査隊の護衛とこの空域に迷い込んできた機体の迎撃だ」

「飛行禁止空域なんだろ? そりゃ迷い込む奴はいるだろうが、わざわざ墜とす必要があるのか?」


 部隊員の一人が聞くと、男は即座に言い放った。


「駄目だ。同じような遺跡は今後見つかるかもしれないが、それまでは我々が独占する。それは、この国の発展にも、新興帝国を掣肘するためにも絶対となることだ」

「なるほどね」


 その部隊員は肩をすくめる。


「まあ、本音としてはあの大戦で支払ったものが返ってこない現状、その補填をする必要がある。これは戦勝国として当然受け取るパイだ」


 熱弁を振るう男に、部隊の男たちが失笑する。


「戦勝国は何もウチだけじゃないでしょう」


 最年少の部隊員が口の端を上げながら言う。


「政権同士の間でどのような取引がされているかは分からん。だが、こんな真似をただ一国だけでできるわけではないことは確かだ」

「なるほど」


 その最年少の部隊員は肩をすくめた。それを見た男は、ユリス達を一瞥する。


「聞きたいことはもう無いか? よろしい。ああ、自己紹介がまだだったな。エドワール・クールベ、情報外務局作戦局第303基地、つまり今いるここの司令だ」

「ええ、よろしく。ムシュー・クールベ」


 ユリスは、にこやかにエドワールへと手を差し出して握手をした。




 リ・ジョーヌ部隊の面々は、エドワールに案内されて、この基地の中の彼らの宿舎へと移動した。宿舎と言っても、司令室と同じ長屋に軒を連ねる木造の平屋で、木製の二段ベッドと備え付けの棚がきっちりと詰め込まれているだけの狭いものだった。

 この基地でのルールや一日のスケジュールなどをひとしきり説明しきったエドワールが宿舎を去ると、リ・ジョーヌの面々はそれぞれのベッドの隣にある棚に自分の荷物をほどいて入れていった。荷解きも終わると、今日のところはもう仕事もなく、リ・ジョーヌの面々はベッドの上でくつろぎ、話に花を咲かせ始める。


「なあ、さっきのどう思った?」


 誰かが言った。


「何が?」


 ユリスのベッドの上に陣取っている部隊員が聞き返す。


「あのエドワールとかいう奴の話だよ」

「遺跡がなんたらってやつか」


 さらに別の部隊員が割って入ってきた。

 

「いや、その遺跡を誰が管理するべきか、っていうやつ」

「猿芝居、清々しいほどのポジショントークだと思った」


 とあるフランチェのSF作家の冒険小説を読んでいた部隊員が答える。


「だな。あからさますぎる」


 そう言った次の瞬間、部屋のあちこちから忍び笑いが聞こえてくる。


「あの大戦で落ちぶれたこの国が、これだけ広い土地を占有できるわけがない」

「俺たちの『献身』とやらがあってもな」

「ああ、たった一個飛行隊の全滅程度で進入禁止になっていたら、この作戦自体が成り立たねえ。まあ、どこかの誰かさんが手引きして秘密協定でも結んでいるんだろ」


 話す声に笑いが混じり始める。


「と、言ってもだ。今どきこんなことをして意味があるのか? 聞いている感じでは軍事技術は見つかっていないんだろ? なら、民間を通じて、その極めて先進的な技術とやらは流出するんじゃないのか?」

「今どきだからこそ、かもしれないぞ。大戦で消耗した北方諸国は経済回復のために国交を閉じ始めているからな。民間の技術交流も少なくなっていくはずだ」


 大学院卒の資格を持っている部隊員が言った。


「そう言えばこの作戦も、大戦からの復興のため、だったか?」

「アホらしいよな。戦争から復興するために戦争を始めているんだ。連中はとりあえず金を回して雇用を生み出せばいいと思っている」

「しかも、これが終わったらここに置き去りだろ? 体の良い人口調整だ。雇用からあぶれた人間は未踏域に消えて、失業率はゼロになる」


 部隊員たちが口の端を上げながら、めいめいに話す。


「そして、化け物どもに食われればそんな連中のことなんか忘れて終わりだ」

「おい、それはさすがに」

「ああ……すまん」

「だが、民主主義で決めたことが人口遺棄とはね」


 ユリスのベッドの上に陣取る部隊員が言う。


「暴力革命と恐怖政治の末に手に入れたものの末路なら当然だろ」


 小説を読んでいた部隊員が、本を閉じながら言った。


「経済復興という目的のために、失業者という自由主義が守るべき連中をこんな辺境に打ち捨てる、か……こういうのをなんと言うんだったかな、アウスリアの政治家が言っていたんだが……」


 大学院卒の部隊員が言うと、別の部隊員が答えた。


「全体主義か?」

「ああ、そうだ。ともかくだ、大戦で消耗しきったエリミネアとユーレインの北方諸国は、内需の減少に合わせて外からの供給を減らして国内産業への消費を高めようとして関税を高め始めている。このままだと、国家同士の輸出入は完全に無くなるだろう。それに、ナショナリズムというものは国家や国民の関心が外に向いているときほど刺激しやすい。人は他者との差を気にする生き物だからな」

「確かに、民族主義、国粋主義なんかは自国だけで発展していこうとする時には使いやすい」


 いつも大学院卒の奴とつるんでいる部隊員が言う。


「全体主義というのは、そういう大義やら、共通の目的とやらのために人民の権利その他もろもろを国家に帰属させるというイデオロギーらしいが、これから閉鎖的な経済になっていけば植民地や資源地帯を持たないような国家は問題の解決の糸口を外に求めるしかない。そうなると、全体主義がそういう国家で蔓延ることになる」

「ま、最悪のところ、また戦争ってわけだ」

「そうとも限らないぞ。この作戦が成功して鉱物資源が手に入るようになれば重工業は回復する。開拓の労働需要だって生まれる」


 この場で最年少の部隊員が言った。


「本気でこの作戦が成功するとでも思ってんのか? 勝利条件すらもないこの無計画が?」


 すかさずに、嘲笑混じりの声が入った。


「成功すれば、な」


 最年少の部隊員は、そう言うと大人しく引き下がった。


「隊長はどう思います?」


 ユリスのベッドの上に陣取っていた部隊員がそう聞くと、この部屋の中のすべての視線がユリスに集まった。ユリスはそれに気づくと、ベッドに横たわらせていた身体を起こす。


「そうだね……」


 そう言って、ユリスは少しの間黙って考えていた。ユリスが口を開いた時、部屋の中の全員がユリスの言うことに耳を澄ましていた。


「何もかも忘れて言えば、そんな都合のいいことは無い。だけど、僕らは職業軍人だ。だから、結論を出すとすれば、なるようにしよう、と言うかな。たとえこの国の形が変わろうともね」


 ユリスが言った瞬間、部屋にいる全員が沸いたように笑った。


「さすがだ、隊長らしい。主義もへったくれもあったもんじゃない」


 笑い転げる部隊員にユリスも苦笑しながら言う。


「まあ、そんなもんだよ」


 × × ×


 未踏域の朝は青い。眼下五千メートルにある濃い緑の海は夜の名残の群青の影を遺し、空も寒々しく紺碧に塗りつぶされている。青白く暗い雲たちは風防のすぐそこを悠々と、まだ眠りの中にいる巨鯨かのように静かに通り過ぎていく。

 じっと目を凝らしていると、やがて、水平線がぼうっとオレンジ色に光りはじめ、だんだんと空が染め上げられ始めた。

 しばらくすると、赤く燃え上がる太陽がのっそりと顔を覗かしてきた。

 ユリスは、人知れぬ大地が青からオレンジへと変わりゆくその様をコックピットの中から眺めていた。

 早朝から昼までの哨戒飛行。他の飛行機など飛んでいるはずもないこの空域を監視する。ユリスにとってはつまらない任務ではあったが、未開の地の空を自由に飛べると思うと悪い気持ちはしなかった。

 この未踏域の奥地、森林の奥深くに隠れるあの基地の者以外の人間がいないこの地でのリ・ジョーヌ部隊の任務は、基本的には毎日の哨戒飛行と、遺跡調査のために飛ぶ輸送機の護衛だった。

 基地に移動してきて一週間、だいぶ基地の内情も分かってきた。基地には考古学者を始めとする学者連中が少数、その他には情報外務局の局員たちが非戦闘員が二、戦闘員が一の割合で、おおよそ三百人程度の人員が配置されていた。

 基地に置いてある航空機は、輸送機が二機、リ・ジョーヌ部隊の戦闘機が十六機、その他にレーダーを搭載した双発複座の夜間戦闘機が四機配備されていた。森の中に作られた基地であるために、重機以外の車両などは無かったが、猛獣相手の火器類は随分と充実している様子だった。密度の濃い森の中にあるため、周りには未踏域特有の巨大生物がおらず、防衛用の装備はそれで十分足りているようだった。

 定期的に物資が輸送機によって運ばれてくること以外には、基地と外部との交流は無かった。

 この基地は前回の未踏域探索の際に工事が始まり、今回の作戦までの間もずっと今基地にいる者たちによって運用され続けており、頭上を密に覆う木々によって昼間でも暗いというのに、その生活に慣れた基地の中の雰囲気は悪くなかった。

 彼らとリ・ジョーヌ部隊では、密林の中での薄暗い生活の経験は年単位で違う。これからあの基地で生活していく中で順応していかなければ、ストレスで身をすりつぶすことになるだろう。

 そのために、楽しみは多くある方が良い。


「ラウル、時間だ。基地に帰っていろ。僕はちょっと寄るところがある」


 暗号化などされていない、平文の無線で言った。どうせこの辺りに人間なんているはずがなかった。

 僚機のパイロットは、こちらの無線に手信号で了解したことを返すと、翼を翻して反転し、地平線の向こうへと消えていった。

 ユリスは地図とコンパスを取り出し、現在位置を割り出す。そして目的地の方位を確認すると、操縦桿をゆるく引き倒して機首をそこに向けた。




 密林の中、ぽっかりと開けた巨大な穴のような平地に一千馬力にも満たない非力なエンジンの小さな駆動音が響く。

 シルエットの小さな低翼単葉単発の機体が、完全に平坦でまっすぐな、長く広い舗装路に降り立つ。

 昼前の陽がガラスの風防を舐める。その機体は舗装路の真ん中ほどで静止した。

 キャノピーが開けてユリスはコックピットから立ち上がると、両手を上げて凝り固まった全身を伸ばし、混じり気の無い純粋な空気を吸い込む。

 機体から降りると、ユリスは離れたところに見える巨大な遺跡の群れへと歩いていった。

 歩いていると、ふと、踏み込むたびにユリスの足元の滑走路の舗装がわずかに沈みこむのに気づいた。どうやら、この舗装は圧力に応じて、筋肉のように弾性を変化させて、衝撃を減少させるものらしい。おかげで、滑走路から一番近くに見える遺跡まではそれなりに距離があったというのに、疲れも感じられず、弾むような足取りでたどり着くことができた。

 その遺跡群は、確かに中央海世界に存在する技術力を超える技術の集合体のようだった。無人だと言うのに稼働する自動ドアを始めとする自動機械があちこちに存在し、廃墟になってからかなり経つであろうにも関わらず、崩壊も少なく、至って綺麗な状態を保っていたようだった。

 まるでさっきまで生きていたかのような遺跡の有様は、世界から唐突に自分以外の人間だけが消えたかのような錯覚を覚えさせる。

 ユリスは、この街から人の気配だけが消えていることに気づいた。街の中の施設や建物はついさっきまで使われていたかのように見え、その中に入ってみれば朽ちてほこりまみれになった調度品が残っていた。食器はこれから食事を始めるかのように並べられ、店頭にはおおよそ使いみちの思いつかないような商品が飾られている。

 略奪もされず、風雨にも耐えてきたこの遺跡は、ゴーストタウンと言うには生気がありすぎた。

 小一時間ほど探索をしたユリスは、滑走路へと戻り、沈みゆく西陽を背にしながら時の止まった廃墟群を後にした。

 コックピットの中でちらと振り返れば、どろどろと水平線の上で溶鉱炉の鉄のように溶けた太陽に、背の高い巨大建造物たちがその身を無表情な影に沈ませていた。

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