6 落ちこぼれと悪役令嬢ポジの彼女
寮の前でリエーと別れたあと、私は四階にある自分の部屋へ向かっていた。リエーの言葉にもショックだったけど、たくさんの友だちに囲まれたリエーを見る方が辛かった。私なんていらないのかな、なんて気が滅入ってしまう。
「はぁ、やっぱり私が出来損ないだから……」
友だち出来ないのかな。という言葉は飲み込まれた。階段の先に、腕組みをした金の髪の乙女が立っていたから。こくりと唾液を飲み込む。どうしてこんなところにいらっしゃるのだろう。アリストロシュ様の部屋は五階のはずなのに。
「アリストロシュ様……?」
いや、どうしてなんてそんなのは嘘。相手は私。要件は……私の落ちこぼれの理由だって分かってる。
アリストロシュ様は冷ややかな目で私を見下ろすと、はっきりと口にされた。
「自分が落ちこぼれだという自覚があるのならば、早くやめなさい。周りの生徒や先生方の、ひいてはあなたの負担になるわ」
その言葉はきっと正しい。他の子から見たら私はズルして学年を上げているのだ。アリストロシュ様もそのことを言っているんだろう。ちょうどアリストロシュ様の後ろにある、明り取りの窓から光が差し込んで、なんとなく逆らえないシチュエーションになった。
その「なんとなく」の居づらさの中心で、私は反論した。
「……っ、でも。ここまでやってきたんです。私だって自分の気持ちがあってこの場所に立っている。だから、簡単にはやめられない……!」
ああ、ヒロインっぽいシチュエーションだな、なんて頭の片隅で考えていた。物語の女主人公が言いそうな台詞。 アリストロシュ様はそんな私に息を吐いた。同い年だというのにアリストロシュ様からにじみ出るその雰囲気は、さすが高位貴族と言うべきなのだろか。ため息のつき方だけで、私の肩はびくりと震えた。
「あなたはどうして聖奏団に入ろうとするのかしら」
「それは、幼い頃からの……夢で……」
アリストロシュ様の右手の人差し指が、規則正しいリズムを刻んで叩かれる。そしてひときわ強く叩いたところで、アリストロシュ様は私に無慈悲に告げた。
「それは逃げの間違いではなくて?」
鈍器で頭を殴られたような衝撃が私を襲う。
「ち、ちがう!」
気づいた時には勢いで否定していた。居心地が悪いのは何故だろう。まるで見透かされているようだからだろうか。それともアリストロシュ様の目が捕食者のように私を潰そとしているからだろうか。そのどちらもかもしれない。
理由がどうであれ、今の私はがくがくと震えていた。
「にげ、なんて……そんなこと」
「絶対にないって言いきれるのかしら?」
言えない。私の頭には真っ先にその言葉があがった。
「愛人の子どもだから家に居場所がないのかしら」
「ちがう!! お義母さまとお母さんはとっても仲が良かったもの!」
また勢いで否定した。でも、これは本当の事だ。お義母さまとお母さんがとっても仲が良かったから、私はこうして曲がることなく生きてこれた。それだけは汚させない。二人の母は私の誇りだ。ようやく点と点が繋がったその芯は数秒後にほろりと崩れた。
「それならばフルー男爵と折り合いが悪いのかしら」
「っ、ちが……!」
私が一瞬遅れて否定したのを、アリストロシュ様は肯定と受け取ったらしい。父とは今は折り合いが悪いだけで、本当は仲がいいのに。そんなことないはずなのに。
「……否定ばかり、嘘ばかりね」
「わたし、は……」
「カモミさん。あなたは確かに愛人の子ではないのかもしれない。我が国では第二夫人を迎えることは許されているし、フルー男爵夫人があなたのお母様を第二夫人として認めたということも知っています。ですが、それがなんですか?」
「どういうこと……?」
「いくらあなた達の家族が仲が良くても、あなた方の家族のあり方は他人と違っているし、世間から見ればあなたは愛人の子で、男爵は妻以外の女に手を出した男。お母様は浮気相手ですし、夫人は二人目を受け入れた頭の中がかわいらしい方と認識されるのよ」
それは紛れもない事実だった。いくら私たち家族が普通だといっても、他人から見ればそれは普通ではない。それはわかっているつもりだった。
「わたくしはそれを知っていて、あなたが逃げていると言わずしてどう言えと?」
言い返す言葉もない。きゅっと唇を噛んで私は俯いた。
「……アリストロシュ様に何がわかるって言うんですか」
「何もわからないわ。強いて言うなら、あなたに信念がない事がわかるくらいね」
「信念?」
「あなたがここにいる確固たる理由は何? 自分の指針となるものは。決して揺るがない心のあり方はあるのかしら。わたくしにはそれがないように見えますわ。現に、わたくしの質問に答えられていないでしょう?」
アリストロシュ様は私を馬鹿にしている訳ではない。そう分かっているからこそ、私には何も言えなかった。忠告は純粋だからこそ強く刺さる。
「わた、わたし、は……っ」
「カモミ・デ・フルー。今のあなたは夢という言葉にすがり、現実から逃げているだけだわ」
「……逃げている、だけ」
「もう一度言います。わたくしはあなたにティトル聖奏高等学校からの自主退学を勧めるわ。それと、あまりわたくしの婚約者に近寄らないでちょうだい。今レイはとても大事な時期なの。くだらない噂でその心を乱すなど言語道断だわ」
アリストロシュ様はそう口にすると髪を翻して上階へと向かった。かくいう私は階段を上りきり部屋に入ると、その場にずるりと座り込んだ。
バタン。
扉が閉まる音とともに、私は外の世界から隔離される。だけど、息苦しさは消えない。この苦しさは物理的なものではなくて、精神的なものなのだと、わかっている。
夢だとか逃げだとか。そんな言葉が私の頭の中を回っていた。頬が上から下へと水に濡れる。次には、私は言葉を零していた。
「逃げとか言われても、知らないし……。逃げでもいいじゃん別に。だって、結果がどうあれもう卒業を迎えるんだし。なんでアリストロシュ様に言われなくちゃいけないの? 私だって、わたしだって夢を見たっていいじゃない。アリストロシュ様だって実家から少しでも逃げるために聖奏団に入るんじゃないの? たしかに私は出来損ないだけど、だけど……夢を見たって、いいじゃない」
悔しい。苦しい。辛い。私だって涙くらい人並みに流すんだよ。手に込めた力で、爪が肌に刺さる。
「向いてないことくらい知ってるよぉ……っ! 神聖力すら扱えない落ちこぼれが、入団できないことだって……っ。だけど、だからこそ、私は最後まで諦めたくないのに。決定的な結果を貰うまでは頑張りたいって……。そう思うことは、そんなに悪いことなの、っ?」
次から次へと目から零れていく。肌から服へと伝り、縮めている体へと落ちていく。
「わかんないっ、わかんないよぉ……!」
私は声を押し殺してひとしきり泣いた。誰かが扉の外へ来たような気もしたけれど、無視した。多分、夕食の時間になっても降りてこないからだと思う。私はその場に横になった。
「ぐすっ……目がいたい」
きっと赤くなっている。寝返りをうとうとして、忘れていた背中の重みに気がついた。なんだっけと思いつつ鞄の中を開けると、図書室で借りてきた本がずらりと並んでいる。
「これ……」
レイ君が進めてくれた本だ。
「頑張れよ」
レイ君はたしかに私にそう言った。そうだ。あの時私は、無理だと言ったレイ君に自分の気持ちを口にしたはずだ。
「だって、夢だから……。諦めたら、そこに私の未来はないじゃない……」
私はあの夕焼けの図書室の言葉を繰り返す。そうだ。そう、私は自分の意思で決めたはずだ。
たとえ偽物でも落ちこぼれでも正気の沙汰でなくともおままごとでも。私は──。
「私は、絶対諦めない。諦めたくない……っ」
顔を上げる。今度は迷わないし惑わされない。たとえどこの誰に私のことを笑われても、私が決めたことをほかの誰に曲げさせはしない。
私は両の頬を叩く。赤く腫れるだろうことを知らせる痛みを私は感じている。痛みを感じられるのだから、私はまだ前へ向かって歩ける。
「大丈夫。大丈夫だ私。前を向いて背筋を伸ばして。私はいつだって私にしかなれないんだから──!!」
そうと決まれば勉強だ。
私は鞄を持って立ち上がると、質素な部屋にある机に向かう。そのまま食事を食べることも忘れて深夜一時に設定した就寝時間のタイマーが鳴るまで勉強を続けた。




