4 落ちこぼれは彼のフルネームを知る
「サルスパレイ。サルスパレイ・レ・ヴクリィエだ。この指は何本に見える?」
私を抱えながら右手で人差し指と中指を立てる。二本だ。わかる、けど。声が出ない。何度かぱくぱくと息を吸ったり吐いたりしてから私はようやく声を出した。
「にほん……」
「よし、正常だな。水は飲めるか」
差し出された水筒を手で取ろうとするけれど、上手く掴めない。指先が震えている。そんな私を見かねて、サルスパレイ君は水筒を自分で持ち直すと私の口にあてがった。
「ゆっくりでいい。一口だけでもいい」
きゅ、と何かをつかみながら私は一口に満たない水で喉を湿した。
「けほっ、こほっ……っ、ごめ、なさい」
「気にするな。よくあるのか?」
「そんなには、ないかな。本当に時々で」
「そうか」
君は私の手を引いて立ち上がると、一歩下がった。未婚の令嬢とあまりに近くにいるのはよくないということだろう。
「えっ、とはじめまして……だよね。カモミって言います。カモミ・デ・フルー。聖奏校のフルートクラスです。助けてくれてありがとう」
「気にするな。さっきも言ったが俺はサルスパレイ・レ・ヴクリィエだ。クラスは剣。よろしく」
「うん、よろしく。サルスパレイ君」
「レイでいい。それより、なにか探しものか?」
サルスパレイ君──レイ君は私より頭一つ分高い位置から私に声をかけてきた。顔立ちが整っていて、直視するとなんだか照れくさい。それに、レイ君はどうも私に大して自然体すぎる。なんでだろう。
「うん。神聖力基礎の本を探してるの。ただあまり難しすぎると分からなくて……悩んでるんだ」
本棚に目を向ける。ぎっしりと詰まった本の、およそ半分以上は読んだような気がする。三年かけても読み切れないのだ。ひとまず基礎から読み進めているものの、これでは足りない。もしかしてもっと難しい本を読むべきだったかと、こんなギリギリになってから後悔している。
「そうか。学力はどのくらいだ?」
「学力は……前回の座学テストでは満点だったよ」
「満点? それなら勉強する必要なんてないんじゃないのか?」
ああ、そうか。疑問の結び目がするりとほどける。レイ君は私を知らないのだ。フルートクラスの落ちこぼれのことを。神聖力を込められない私を。だからこんなにも、自然でいられるのだ。
「なんか……初めての感じだな」
心がずきりと痛む。初めからずっと吹けてなくて、ほかの子が吹けるようになってからは焦りだして、気づいたら落ちこぼれの印象が根付いていたから。こうして面と向かって知らないと言われるのは、なんだか恥ずかしい。
「なにがだ?」
「いや、なんでもない」
まっすぐ聞いてくるレイ君に、私は笑って答える。
「わたしね、落ちこぼれなの。実技がダメダメでね。神聖力が扱えなくて、フルートに神聖力を込められないの。神聖力に対する理解が足りないのかなって勉強しても出来なくて……」
「……そうか」
「ごめんね、なんか。こんなこと言って。大丈夫、きっとなんとかなるよ」
レイ君て、「そうか」ばっかりだなぁ。なんて考えてしまう。そんなこと考える時じゃないのに。しっかりしなきゃ。誰も私を助けてくれないんだから。私が一人で立てる人じゃないと、誰も手を差し伸べてくれないんだから。
「あとは一人で──」
「これがおすすめだ」
「えっ、わわっ!?」
渡された一冊の本に、どんどんと乗せられる他の本。貸出可能限界の十冊分の重みが、私の手のひらの中にあった。無表情のまま私を見下ろして、レイ君は言う。
「理解を深めるのも大切だが、実践も必要だ。三冊は神聖力の捉え方。三冊は神聖力基礎。残り四冊は座学教科書の補足だ。以外と知られていないものだが、役に立つ。順番に読むといい」
「ありがとう……。え、でもなんで」
「俺も昔は下手くそだった」
レイ君自身も二冊ほど本を取る。パラパラとめくる姿を見ながら、ああかっこいいなぁなんて。私の二人目の友達は、一人目と同じくらい優しい。
「ありがとうね! 頑張ってできるようにするよ!」
「そうか。だがまああと二年はある。卒業までにできるようになればいいだろう」
ん? 二年? 疑問に思った私に背を向けると颯爽と歩いていく彼を引き止めた。つんっ、と制服の袖を掴むと、彼は立ち止まる。
「っ、待って!?」
「お、いっ……!?」
「あの、なにか勘違いしてない?」
「勘違いだと?」
私は片手で本を持ったまま手のひらでどんっと胸を叩く。私のリボンは、赤色。三学年の色。レイ君と同じその色に、彼は目を見開いた。
「ま、さか……?」
「私はフルートクラス三年! レイ君と同学年で今年卒業だよ!!」
「うそだろ」
「嘘じゃない!」
やっぱり勘違いしていたらしい。私にはあと二年ではなくてあと二ヶ月しかないことを、分かってもらえただろうか。
「あと二ヶ月しかないんだぞ……?」
「そ、そうだよ。なんか文句でもあるの!?」
「その状態で、二ヶ月……? 正気の沙汰じゃないぞ」
「分かってるよ。……分かってるんだよ」
「諦めないのか」
「っ、諦めないよ! だって夢だもん!」
確かに、必要に駆られてティトル校に入学したけど、でも。私だって……お義母さまと同じになりたいって夢があるんだよ。
「出来なくて悔しいし苦しいよ。クラスでは針のむしろだし、先生方には迷惑かけっぱなしだし……。でも、諦めたら。諦めたら、私に未来はないじゃない……っ!」
見下ろすレイ君は、あまりにびっくりしているのか、微動だにしない。しかめっ面と驚きと無表情だけなわけないだろうに。
「お前も……」
レイ君の口が開いた。瞳が揺れている。
「俺も、お前のようにこれしかないんだ。もう、これしか……」
その姿は、大きなはずなのに小さく見えて。どこか頼りない……ううん、飛んでいってしまいそうな、そんな儚さを兼ね揃えていた。
「貴族だからって、公爵家だからって楽なわけじゃないんだ。幸せなんて、存在しない」
同じだ。私と。レイ君が今感じたように、私とレイ君は同じなんだ。きっと……きっとレイ君も、家族を亡くしている。あの時感じた引き裂かれるような痛みが今も残っている。夜眠れなくて、一人だと考え込んでしまって、練習に走ってしまう理由が。後悔を懺悔しても、もうその人は戻ってこないのだと。毎日楔を打たれている──。
そういう人は、何も求めていない。欲しいのは同情なんかじゃなくてその人の時間や、声やその人そのものだから。
私はわざとらしく声を上げた。
「この本!」
その声でレイ君も顔を上げる。
「この本、ありがたく読ませてもらうね」
「そうか、頑張れよ」
「うん。絶対受かるから大丈夫。もしかしたら背中を預けることになるかもね」
にかっと笑う。私に出来るのは賑やかし程度だけど、それで前を向けるなら──ぜひ向いてほしいものなのだ。
そこへ男性の声が響いた。
「レーーイ!! どこだーー!」
誰だろう。レイ君を呼んでいるのは。レイ君をみると、レイ君は私をみてコクリとうなづいた。
「友人だ。すぐに静かにしてくる」
階段をおりていくレイ君を上から見下ろしながら、今度こそ私はレイ君と別れた。
「……笑ったら、素敵だろうになぁ」
きっと彼も重いものを抱えている。そう知ってしまったからには、私はそれに触れないように注意していることをバレないようにしながら、決して触れないようにしなければならないのだ。
「人って難儀な生き物だなー」
レイ君を呼びに来た少年が私のことを見ているなんて思いもしないまま、私は自分の鞄のある奥へと戻っていった。
本日も読了感謝です。ちなみにこの二人のテーマは「明るめ猪突猛進」と「くらめ猪突猛進」です。本編終わり次第蛇足をつけようかと思うので、良かったらそちらも見てください。
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