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3 落ちこぼれは家族を想う

過去編です。ちょっと長いです。

「〜〜っ!! つかれたぁ……!」


 背中を伸ばすように両腕をあげると、思っていたよりも体が固くなっていた。窓から差し込む日差しは、もう薄暗い。

 それでも、閉館時間までは時間がある。私は立ち上がって別の本を借りに行くことにした。


 読み終わった本を持ち、教材を仕舞いに行く。今まで勉強してきて原理を理解しても、私はフルートに神聖力を込めることは出来なかった。それがどうしてなのかも分からない。そもそもフルートをはじめたのも、憧れのお義母さまがフルートを使用していたから、なんていう単純な動機だ。フルートでなくても聖奏団に入れるならなんでも良かった。けれど、どれを試してもダメだったから……こうしてフルートを使っている。それだけのこと。


「きっとお義母さまなら……うまくやれたのかな」


 私には二人の母がいる。私を産んだお母さんとお父様の正妻のお義母さま。フルートを演奏していたのはお義母さまだ。


 お母さんはフルー男爵家で働くメイドで、お父様が半分強姦するように襲ったらしい。たった一回、されど一回とはよく言ったもので、その一回でお母さんは私を身ごもった。

 お父様はどちらかと言えば愚鈍な人で、お母さんを追い出すことも出来ず、お義母さまに言うことも出来なかった。一人、怯えていた。そういった面では私はお母さんに似たのかな、なんていうのは自明の理だ。だって、お母さんは行為をした次の日にお義母さまの部屋で頭を差し出したのだから。


「大変申し訳ありませんでした。拒むことも出来ず、赤子を産むかもしれぬこの体を如何様にもなさってください」


 問題だったのは、お義母さまが子供を身ごもっていなかったことだ。正妻よりも先に愛人でもないお母さんが子供を産むなんて、常識ではありえない。きっとそう考えて頭を差し出したお母さんの前でお義母さまが言った言葉も、覚えている。


「あのクソ狸をわたくしの目の前に連れてきなさい!!」

「「「イエス、マム!!」」」


 それはそれはひどい怒りようだったらしい。ぽかんと呆気に取られるお母さんを自ら抱えてベッドに運ぶと、引きずられてきたお父様に向かって近くにあった扇子を投げつけたのだ。風を斬る音とともに、お父様のお腹にクリーンヒット。やるね、お義母さま。


「ふぎゅうっ!?」

「なに鳴いていらっしゃるのかしらクソ狸。話を聞いたところ同意もなかったとか? あらあら……わたくしの夫はもしや犯罪者でして? 貴方がなさったことは強姦と言いますのよ? ご、う、か、ん。お分かりかしら?」

「ま、まってくれリーシェ!」

「待つ? 貴方もしかして言語不鮮明という病気かしら? 貴方がなさったことは犯罪よ? 陛下に直訴してもよろしいのですよ? それとも……何か待ってもらえるようなことしているかしら?」


 お義母さまはある辺境伯の十六番目の娘。苛烈だと有名な一家の一人であるお義母さまは、その血統を色濃く受け継いでいて、なかなかに我が強かった。強いていえば暴君。そんなお義母さまは……そう、たいそう口が悪いのだ。平民であるお母さんよりも、ずっとずっと。そんなお義母さまに気の弱いお父様が逆らえるわけがない。


「あらあらあらあらあら、もしかして……許してもらえるだなんて思っていますの? ねえ、あなた。わたくし、今とーっても怒っているんですの」

「おちつけ! 落ち着いてくれリーシェ!!」

「なにか、言うことがあるのではなくて?」


 冷気を漂わせながら何かを後ろに控えさせているお母さんに、お父様が謝罪してこの件が終わったそうです。


「誠に申し訳ございませんでした反省のしようもなく酒を飲んで起こした一夜の過ちですがリーシェのことを好きという気持ちは変わらな──ぷぐぅらっ!?」

「言い訳なんざ聞いてないんですのよ。このピーーでピーーーーなハゲ狸が。ピーーをピーーーされてピーーーーーーになってしまえばいいのですわ。もし宜しければわたくしが直々に……去勢して差し上げましてよ?」


 お義母さまの外面だけしか知らない人は、お義母さまの口から下町でもなかなか言わないような言葉が出てくることに驚くのだ。お母さんも、お義母さまに深窓のご令嬢などというフィルターを通して見ていたために、意図せず引く結果となった。


 その後お義母さまは、お母さんが身ごもった際にはこの国の法に則り、第二夫人として向かえることを発表。被害者として手厚く保護した。

 それから「おんぎゃあ!」と産まれた私が屋敷で働く使用人たちに受け入れられるまでに、時間はかからなかった。お父様という少しだけ憎々しい相手がいたからだったのだろう。それでもお父様は私たち三人を幸せにしたし、私たちもお父様を大切にしていた。愛していた。お父様の命令でそのあと我が家で禁酒令が出るほど、私たちのことを一番に考えてくれた。

 幸せだった。


 そう、幸せだったのだ。


 そこそこ大きくなった八歳の時、お父様が虐げられてはいるけれど平凡な暮らしを送っていた我が家に不幸が訪れた。


「ねえ……ママさま、どうしたの?」


 お義母さまが亡くなった。事故だった。男爵領から辺境伯領へ向かう旅路でのことで、家族四人が乗っている馬車が崖下へ転落。私が八歳になった翌日のことだった。

 その時のことは、よく覚えている。


 お父様に抱きしめられながら地面に落ちて、私以外の三人は気を失っていた。お父様は背中から、お義母さまは頭から、お母さんは足から血を出している。一人だけ、私だけ小さかったからお父様に守られたのだった。

 上から聞こえる悲鳴に、ゆっくりと頭を向けると聞き慣れたメイドの声が響く。


「お嬢様っっ!! ご無事ですか!!」


 頭の上で両手を合わせると、上は大騒ぎだった。私が五体満足で意識があることが、とんでもない奇跡だったから。


「パパ……? 起きて、起きてパパ」


 私の中では、最優先だったのはお父様だ。二人の母に口論で勝てないお父様が一番貧弱に見えたのだ。揺すっても起きないお父様を必死に引き摺って川の端まで寄せると、私は次にお母さんを呼んだ。


「かかさま、かかさま……。足痛いの?」


 血が水の中を漂っていた。殺しても死にそうにないお義母さまより、よく風邪をひくお母さんの方が危ないと思ったから。父の隣に寄せたときだった。


「お嬢様!! ご無事ですかっっ!」


 どこかから騎士たちがやって来て保護された。そこで、私ははじめて「もう大丈夫」と安堵して意識を失った。


 目が覚めるとお父様が私をのぞきこんでいた。あれから三日経っていたと聞いた時、私はびっくりしたけど、安心した。つい口を出た言葉が今でも恨めしい。


「三日でパパがこんなに元気だったら、かかさまもママさまも元気なのよね! 早く会いたいわ!」

「……っ、カモミ」

「どうしたのパパ?」

「ママたちは、ママたちはな……まだ、目を覚まさないんだ」


 その時のお父様の顔を、私は一生忘れないだろう。痩せこけた頬に、クマのある目。無精髭をたくわえて、覇気もなく今にも死にそうな姿を。いつもタプんとしている大きなお腹も、その時ばかりはストンと落ちているように見えた。


「カモミ!! 無事か!!」


 やってきたおじい様にも私は同じことを聞いた。


「元気なのよね? 無事なのよね? ああ、でもかかさまは足から血が出ていたわ。どうしましょう……でも歩けなくなるなんてことはないわよね? ママさまは無事だと思うの。今はまだショックで目が覚めていないだけなのでしょう? ねぇ、パパ。おじい様。そうよね? かかさまとママさまは無事なのよね?」


 あとから聞いた話で知ったことだけど、あの日お父様が目覚めたとき、随分暴れまくったらしい。私が生きていたことを知ってようやく多少収まった程度で、食事も取らずずっとずっと私たちの傍にいてくれたらしい。

 私の部屋だけが離されていたのは、少しでも回復を早めてお父様を安心させるためだったとか。

 その次の日、お母さんが目を覚ました。よかった、よかったとそんな声がちらほらと聞こえる。


「かかさまが目を覚ましたんだもの。ママさまも目を覚ますわよね。きっとすぐだわ! おいしいごはんを用意して待っていましょう!!」


 そんな空気を読めない発言のおかげで、お父様がご飯を食べるようになり、かかさまもほっとした顔をする。おじい様も下手くそな笑顔を見せてくれた。

 だけど。


「ママさま……?」


 それから三日経って、お義母さまは息を引き取った。


「うあああああああああ!!!!!」


 実感がなかった。周りの人がお気を確かに、と言っている中で私だけは、物語のようにお父様がキスをすれば目を覚ましてくれると、そう思っていた。

 その次の日も、お父様はお義母さまの傍で泣いていて、そんなお父様に私は近寄れなかった。笑えなかった。悔しかった。苦しかった。もしかしたら死んでしまうかもしれない。起きないかもしれない。そんな想像で埋め尽くされていた私の心ももう限界だった。


「いつまで泣いているんだ!!」


 おじい様がお父様を殴ったのはそれから一週間後だ。抜け殻のようだったお父様が働き出したのはその後だ。私は、()()()()()()()()()()()()のことを考えながら、一人、メイドたちの声を聞いていた。


「これで男の子が生まれなかったら、カモミお嬢様が後継ってことになるのかしら」

「そうじゃない? でも養子を取るかもしれないわね。イクレーシェント様のお兄様かお姉さまからいただくのかしら」

「でもそれならカモミお嬢様はどうなるのよ」

「男爵があの様子だと、養子に入った子供も……ねぇ」


 養子。後継。男児。得るはずだった家の未来は、母の命と共に沈んだのだ。ならば、私がやらなければ。私がしっかりしなくては。心が壊れずにすんだのは、その役目があったからだ。


 そこから私はおじい様に頼んで執事を一人お借りして勉強を始めた。お父様のことをパパと呼ばなくなった。かかさまとママさまのこともお母さんとお義母さまと呼ぶようになった。お父様の代わりに大人にならなければと思ったのだ。家族を守れるように。だけど、それも叶わない。


「おかあさん……?」


 ある日、母は眠るようになくなった。二年後のことだった。事故の後遺症だと診断されて、お義母さまのことを思い出す。葬式で、父はずっと私の手を握ってくれた。


「俺がお前を守るからな。カモミ」


 そんなお父様の制約という好意を、私は拒むことが出来ず、否定できないまま逃げるように学校へと入学した。

 太陽がオレンジ色に輝くなかで、本を仕舞うと埃が舞った。

 お父様は、いま、無事だろうか。心が壊れてやいないだろうか。手が震える。


「こわい、こわいよ……苦しいよ……」


 音のない図書館で、私は思わずしゃがみこむ。これでもし、お父様が死んでしまったら? 私はひとりぼっちになってしまう。

 うまく会話することも出来ないまま私が死んでしまうかもしれない。そんなのは嫌だ。聖奏団に入るとすれば、従軍して、戦争で死ぬかもしれない。だけれど、このままただの令嬢でいると、私とお父様に未来はないのだ。落ちこぼれではいられないのだ。私が家族を、お父様を守るためには。


「だれか、たすけてよぅ……!」


 息があがる。過呼吸だ。ここしばらく、なかったのに。頭ではわかっていても、体が追いつかない。


「はっ、はぅっ……。は、っ」


 意識が消える──。目の前が白くなり、体が横に倒れていく。


「おい、大丈夫か!」


 地面にぶつかることはなく、代わりに、人の温もりが私を包んだ。


「大きく息を吸え。ここでは誰も、お前を害さない」


 息を、吸う。そして、吐く。その単純な動作がスムーズにできるまでに、私はそれなりの時間を使った。


「だ、れ……?」


 オレンジ色に染まる銀の髪。汗をかいた頬につり上がった瞳。彼は、そう。

 少し前にアリストロシュ様といたレイ君だった。

イクレーシェントはカモミの義母の名前です。リーシェは愛称。

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