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冷たい方程式:兄と弟

作者: 銅大

 トムに残された時間は、三分だった。


 中立化装置の蓋が開く。漏れ出た空間の歪みが、かげろうとなって周囲に広がる。

 機関室の分厚い隔壁が歪み、軋み、ずれて隙間が開く。気密があれば減圧警報が鳴るところだが、機関室の空気は抜いてある。空気がないので音は伝わらないが、振動は構造材を通して広がり、作業用強化外骨格の中にいるトムの額に浮かぶ汗を揺らした。


 トムは振動があったことすら気づいていない。かれの全神経は、精密作業用マニピュレーターに集中している。この三分が勝負だ。トムと仲間たちが時間制限内に作業を終えることができなければ、故郷の星の七千万の人々が死ぬ。


 慣性中立化装置の奥に、黒い円筒形があった。長さは三十センチほど。重さは──重さは、今はゼロだ。中立化装置によって、容器の慣性質量はゼロを保持されている。

 トムは円筒形を引き出し、ミサイル先端の空洞部分へ浮かべる。隙間は〇・一ミリ。円筒のどこも、外部に触れていてはならない。


 慎重に。的確に。迅速に。


 光学センサーで隙間の存在を確認する。続いて、力場で円筒を現在位置に固定するためのフィールド発生装置をミサイルの弾頭に設置する。

 作業が完了した。弾頭の蓋を閉じる。真空用接着剤で蓋を固定した。

 時間を確認する。一分ジャスト。残り二分。


「船長、トムだ。弾頭のセットを完了した」


「了解」


 張り詰めていた精神がわずかに弛緩し、昔の記憶が泡のように浮かぶ。


 ──そういや、ガキの頃にも爺さんの軌道納屋で小惑星破砕炸薬アステロイドクラッカー集めて爆弾を作ったっけか。


 祖父が彗星を掘って作った軌道納屋はバラバラに砕け、数日にわたってきれいな流星雨を降らせた。星中が大騒ぎになった。

 父親に怒られ、母親に泣かれた。幼い弟だけは目を輝かせて流星雨を見ていた。


「トム、弾頭を抱えて体を竜骨に固定しろ。船をバラすぞ」


 船長からの通信がはいる。トムは作業用強化外骨格の予備腕を伸ばして竜骨を掴んだ。

 竜骨を伝わって長い振動警報が三回。

 衝撃が走る。宇宙船の竜骨に取り付けられたブロックが外側から切り離される。


 壁が消えた。星空が見える。


 宇宙船のすぐそばに、ブースターを束ねたミサイルが浮かんでいた。


「トム、弾頭を」


「おう」


 トムは弾頭を持ってバラバラになった宇宙船の外に出る。

 大型ブースターを何本も束ね、箍にはめて作った急造のミサイルだ。大急ぎで組み立てたばかりだということが、箍やその周囲の赤外線反応でわかる。


 弾頭をミサイルの先端に設置する。二分五秒。残り五十五秒。


「ブースター第一段、第二段、噴射開始」


 ミサイルが動き始める。ブースターを束ねたことで重量が増えている。推力に比して動きは鈍い。目視ではわからない。作業用強化外骨格のレーダーのドップラー反応で、わずかに遠ざかっているのがわかる。

 それでも。

 いくら小さくとも、加速は積み重なる。速度が上がっていく。


「行け!」


 ミサイル班の誰かの声が聞こえた。


「行け!」


 別の声。


「行けえ!」


 トムも叫んだ。

 声を乗せた電波の反射がミサイルを押したかのように、ミサイルの動きが速くなる。

 次の瞬間、ミサイルの姿は星空の中に消えていた。


「ブースター第一段、第二段、噴射終了。分離。第三段、第四段、噴射」


 作業用外骨格のフェイスプレート部分に表示された情報画面に、ミサイルの状態と位置、速度が表示される。外側のブースターを分離したことで、加速はさらに上がっている。

 ブースターのうち、二割が本来の推力を出していない。しかし、このくらいの不具合は計算の内だ。余裕を持って組み立ててある。


「所定の軌道速度に到達。弾頭を分離」


 残り秒数は一秒を切っている。


「爆散」


 弾頭からのテレメーターがパッ、と一斉に途絶えた。


「……」


 トムはフェイスプレートの情報画面を消して、ミサイルが飛び去った方角を見た。


「うまくいったのか?」

「何も見えないな」


 ザワザワと通信で雑談がかわされる。

 船長の声がのった通信が届く。


「総員、聞け。重力天文台が重力波の変動をキャッチした。爆散球の形成を確認。これまでのところ、作戦は順調だ」


 歓声があがった。皆が両手をあげて万歳して、その反動でくるくると回転している。


「それとトム、ブリッジにきてくれ」


「了解」


 トムは推進剤を噴射して、竜骨がむき出しになった宇宙船へ向かう。宇宙船の船尾側には機関部が、船首側にはブリッジが残っている。他の船体ブロックは、分離時の慣性に従い、等速運動でゆるゆると周囲に広がっている。


 骨組みだけとなった宇宙船の向こうに、白い惑星が浮かんでいた。トムの故郷の〈イクウェイ〉だ。地表の八割が氷に閉ざされているが、生態系調整済みの一級植民惑星である。今の地球人の技術では数千年かかる生態系調整は、かつてこのあたりの宙域を支配した太古帝国の正の遺産だ。


 トムは低緯度地帯にある緑色の斑点の一つに目を向けた。地熱が生み出すホットスポットには、母親がいる。母は空を見上げ、トムの無事を祈っているはずだ。


 宇宙船のエアロックにたどり着いた。作業用強化外骨格をエアロックの外側に係留して、簡易宇宙服だけでエアロックに入る。ヘルメットを外す。乾いた船内の空気に、くしゃみを連発する。


 くしゃみをしながらエアロックを出ると、もうそこはブリッジだ。船長が難しい顔をして情報画面をにらみ、観測データをチェックしていた。

 トムは船長の邪魔にならないよう、新しい情報画面を開いて状況を確認した。


 惑星上にある重力天文台のデータに、重力の大きな変動がある。トムがミサイルの弾頭に詰めた超重物質が、慣性質量を取り戻したのだ。

 中立化が解除される直前に爆散し、長さ十センチの針の群れになった超重物質は、その一本一本が百万トンの慣性質量を持つ。そうなればもう、どれだけブースターを束ねようが、加速できるものではない。

 機関部から取り出して、中立化が解除されるまでの三分間が、超重物質に十分な軌道速度を与える、唯一の機会だった。


 問題は、爆散球が目標との衝突軌道にあるかどうか。

 トムは、標的の軌道を確認した。


 〈破壊者グラスター〉の軌道に変化はない。〈イクウェイ〉に向かっている。

 このままいけば一時間後に、爆散球と〈破壊者〉の軌道は交差する。

 〈破壊者〉が軌道を変更しても、逃げられない。〈破壊者〉は内部に三個のマイクロブラックホールを抱えている。その膨大な質量ゆえに動きは鈍重だ。

 〈破壊者〉が接近する爆散球の存在をつかんでから、どの方角に全力で加速しても、広がり続ける爆散球の針の網にぶつかる。


「……よし」


 検算していた船長が安堵のため息をつく。


「最低でも七本の針が突き刺さる。秒速十キロメートルで、百万トンの針に貫かれる。磁力帯を壊せば〈破壊者〉はマイクロブラックホールに飲み込まれる」


「重力ビームで迎撃される可能性は?」


「ない。あの〈破壊者〉の重力ビーム砲が壊れていることは観測班が確認した。破壊の状態からして、惑星防衛コルベットの粒子ビームだ。不意打ちであっさり沈められたかと思ったが、なんとか一矢報いてたと……ああ、すまんな」


「いや、いいんだ。オヤジが無駄死にしたんじゃないと知れてうれしいよ」


 トムの父親は、〈イクウェイ〉が保有する唯一の戦闘艦の艦長だった。古い惑星防衛コルベットは、星系に侵入してきた〈破壊者〉との最初の遭遇戦で破壊された。それが一週間前のことだ。


「これでオヤジと、弟の仇がうてる」


「弟……エドワード君だったか。航宙実習だったな」


 〈イクウェイ〉の子供は、十五才になれば実習船に乗って航宙実習に出る。


「ああ。弟が乗った実習船が連絡を断ってすぐに、オヤジのコルベットが出動した。このあたりで〈脳喰らい〉(ブレインイーター)が出没してるって警報があったからな」


 〈破壊者〉と〈脳喰らい〉はいずれも太古帝国の負の遺産だ。どちらも元は太古帝国に仕えた機械知性だ。太古帝国が滅びた後、崩壊を生き延びた機械知性は奇形的な進化を遂げた。

 〈破壊者〉は、太古帝国の領域を守り、侵入者を滅ぼすことを自分たちの存在理由としている。地球文明は、かつての太古帝国の領域に含まれているから〈破壊者〉にとっては問答無用で滅ぼす対象だ。


「相手が〈脳喰らい〉なら、捕らえた実習船の子供たちをすぐには殺さない。オヤジは、逃げられる前に追いついて取り戻そうとしたんだろうよ」


「う、うむ。〈脳喰らい〉なら殺しはしないな……殺しは、だが」


 トムの弟が乗っていたので、船長は言葉を濁した。

 〈脳喰らい〉は、太古帝国に代わり、自分たちが奉仕する知的生物を求めている。地球人は〈脳喰らい〉にとって格好の“ご主人さま”だ。


 〈脳喰らい〉は奉仕の手始めに、地球人の脳を摘出して培養液に漬ける。そうやって簡単に死なないようにしてから、何百年もご奉仕を続けるのだ。〈脳喰らい〉同士で奉仕する脳を奪い合うこともある。


「わかってるよ、船長。〈脳喰らい〉に取り出された脳髄は、サイボーグにすらなれない。取り戻しても、安楽死させるしかない。それでも、何百年も〈脳喰らい〉の玩具にされるよりはマシだからな」


 だが、惑星防衛コルベットを待っていたのは〈破壊者〉だった。〈破壊者〉は〈脳喰らい〉に偽装して罠にかけたのだ。

 惑星防衛コルベットが沈められる直前に打ち出した通信カプセルの情報を頼りに、トムたちは〈破壊者〉を沈められるミサイルを作り、発射した。


 民生品を組み合わせた手作りミサイルだ。軍が持つ亜光速ミサイルのような加速性能はない。誘導能力にも限界がある。それを補うのが、超重物質による質量由来の運動エネルギーと、投網のように広がる爆散球だ。


 船長は、情報画面にミサイルの爆散球と〈破壊者〉の交差軌道を表示させた。カウントダウンが右上に表示される。残り五十分だ。


「あの〈破壊者〉はもう死んでいる。今死んでないだけで、確実に死ぬ」


 軌道要素を組み合わせた冷厳たる方程式が〈破壊者〉の死を確定していた。


 ブリッジにシグナルが鳴り、通信が届いたことを知らせた。


 発信元の情報をみて、船長が目をむいた。無言でトムを見る。

 トムも発信元を確認し、青ざめる。

 その通信波は〈破壊者〉の現在位置の方角から届いていた。

 通信パケットには、消息を断った実習船の登録番号が付随していた。

 船長は唇を開き、閉じ、そして開く。かすれた声でコンピュータに指示を出す。


「返信はするな。通信を切断後、内容をスキャンしろ」


 〈破壊者〉や〈脳喰らい〉は、しばしば欺瞞行動をとる。彼らは狂ったコンピュータだが、目的が狂っているだけで知性は残っている。スキャンの結果、通信にウィルスは発見されず、音や画像に催眠暗示は仕込まれていなかった。


「表示しろ」


 船長はわずかにためらった後で、命じた。

 情報画面が浮かぶ。催眠避けでわざと粗くした画面と声。


「……エド」


 それでも、顔が、声が、緊張した時に耳たぶを引っ張る仕草が示している。

 弟だ。エドだ。十五年ずっと一緒に暮らしてきた家族だ。生きていたのだ。脳髄にもならず、マイクロブラックホールに放り込まれて灼かれもせず、生きていた。


「エドだ! 船長! エドだ! 生きてたんだ!」


 船長が手を上げてトムの声を遮った。

 緊張した声で、エドワードはあらかじめ用意していたであろう文章──カメラで見えない側に、情報画面を持った誰かが立っているようだ──を読み上げた。


『ぼくはエドワード・プラッド。実習船〈オータム〉の実習生です。ここは小惑星の外観をした〈破壊者〉の中です。ぼくを含め、二十八人の実習生がいます』


 エドワードら実習生三十人、教師と船員十四人が乗る実習船〈オータム〉は、遭難船のビーコンに引き寄せられ、漂流する小惑星に着陸した。その小惑星が〈破壊者〉だとも知らずに。実習船は乗り込んできた〈破壊者〉の端末ロボに制圧され、教師と乗員は、一番若い女教師一人をのぞいて全員が殺された。大人たちが時間を稼いでいる間に、女教師と実習生はキャンプ道具と一緒に実習船を脱出して小惑星──〈破壊者〉の中に隠れた。


 〈破壊者〉は過去の戦いで大きな損傷を受けていた。実習船を破壊せずに拿捕したのも、機材を回収して修理に使うためだ。エドワードたちは、損傷区画に潜み、チャンスをうかがった。その間に事故で二人の実習生が命を落とした。そして、幸運にも助けられて〈破壊者〉の中枢区画を爆破することに成功した。

 被害も、出た。


『設置した爆薬が、爆発しなかったんです。マリ先生が戻って……それで……』


 エドワードがボロボロと涙をこぼした。マイクロブラックホールエンジンの微小重力に引っ張られ、涙はゆっくりと頬をつたい、細いおとがいに表面張力が大きな水滴を作る。

 画面の外から一人の実習生がふわっ、と入ってきた。エドワードの背をさすり、自分がかわろうかと声をかける。

 エドワードは、涙をぐい、と拭って顔をあげた。


『ありがとう。ベン。大丈夫──空気と水は、あと二十日間もちます。食料は十日分しか残っていません。自力ではここから移動できませんので、救助をお願いします』


 エドワードはしっかりとした口調で通信を終えた。白いノイズとなった情報画面を前に、トムの頭の中で、エドワードの並べた数字がぐるぐると回る。

 空気と水は二十日間。

 食料は十日間。

 意味のない数字だ。飢えも渇きも、酸欠も心配はない。

 エドワードと子供たちの残り時間は、五十分に満たないのだから。


 本当か? 本当にそうか?

 トムが思いつかないだけで、何か助かる方法があるのではないか。


「船長!」


 トムのすがるような声に、船長は蒼白な顔で首を左右にふった。


「だめだ。脱出方法はない。たとえ実習船が無事でも、間に合わない」


「なら、せめて遮蔽のある場所に移動すれば、あるいは……」


「そんなものはない。超重物質が秒速十キロメートルで衝突するんだぞ。どんな遮蔽があろうが確実に貫通し、触れたあらゆる物質を蒸発させ、プラズマと放射線を撒き散らす。直撃を受けずとも近くにいるだけで致死量の放射線を浴びる! えいくそ! なんでそんなムチャな破壊力をもたせたかって? 機関部のマイクロブラックホールを囲む磁力帯を破壊し、確実に仕留めるためだ!」


 船長がガリガリと髪の毛をかきむしる。


「そうだ。それだけは絶対条件だ。磁力帯を破壊すれば、マイクロブラックホールは制御を失う。すべてが飲み込まれる。だがそれは絶対だ。三基のマイクロブラックホールが作り出す重力放射は、あらゆる物質を透過して惑星中心核を砕く対惑星兵器だ。どうあってもヤツをこれ以上〈イクウェイ〉に近づけるわけにはいかないんだ」


 煩悶する船長の言葉に、トムがはっ、とする。


「……船長。〈破壊者〉がまだ生きてるというのか?」


「その可能性は捨てきれない。ヤツらは狡猾だ。子供たちを使って大人たちに中枢が破壊されたと思わせることができれば、惑星への最接近までの時間を稼げる。ひょっとしたら本当に……いや、ダメだ。それに、本当に手はないんだ。残り……四十分後には、〈破壊者〉は爆散球と触れて、沈む。わたしやきみが何をしても、何もしなくても、子供たちを救うことはできない。まずそれを認めろ」


 トムはかっ、となって右の拳を握りしめた。左手で船長が座る座席についた取っ手を握って体を引き寄せ、右拳を船長の顔に──


 再び通信が入った。トムの拳が泳ぐ。


 船長は今度もスキャンを行い、通信を切ってから情報画面に表示させた。

 頬を紅潮させたエドワードの顔が、通信画面に大映しになる。宇宙服のカメラからの構図だ。背景が流れる。移動しながら通信しているようだ。


『──〈破壊者〉の端末ロボが動きはじめました。一部がぼくたちのいる区画に向かってきています。ですがほとんどは……教授、どっちだ? 中心部? マイクロブラックホールエンジン部? に向かってるようです。専門の方からのアドバイス、お願いします。ぼくらはどうすればいいですか?』


 トムの拳から力が抜ける。

 船長の言う通りなのか。〈破壊者〉は死んだフリをしているだけなのか。このままでは、エドワードたちが殺されて……

 そこまで考えたところで、船長がトムの首を首を掴んで引き寄せ、平手でトムを叩いた。


「しっかりしろ、トム。おそらく……〈破壊者〉は自分が破壊される前に、重力放射で〈イクウェイ〉を攻撃するつもりだ。そいつを止めることはできないが、どこに、どれだけの重力放射があるかを知ることができれば、被害を極限できる」


「この距離で、ヤツらは惑星を破壊できるのか?」


「できんさ。できるならとっくにやってる。だが地殻を揺らして大地震なら起こせる。〈破壊者〉は機械だ。諦めない。絶望もしない。折れる心を持っていない。持てる手段で一人でも多くの人間を殺すための最善手を打つ」


「どうすれば……」


「子供たちは〈破壊者〉の中の端末ロボの動きを感知できるようだ。探らせろ。解析はこちらでやる。今は少しの情報でも貴重だ」


「……おれが?」


「きみがやらないなら、わたしがやる。だから今すぐに決めろ」


 トムは開きかけた右の拳にもう一度、力をこめた。


「通信をつないでくれ、船長。双方向……こちらからの画像はなしで」


「わかった」


 通信はすぐにつながった。タイムラグもない。〈破壊者〉はもうすぐそこなのだ。


『はい、こちらエドワード……発信者トム・プラッド? 兄さん?』


 エドワードが目を輝かせる。トムは声が震えないように、大声をあげた。


「そうだ。おれだよ、エド」


『兄さん! 画像は? 届いてないけど?』


「すまんな。そっちの顔は見えてるが、こっちからは届いてないようだ。いいか、よく聞くんだ、エド……」


 ──逃げろ! 今すぐそこから逃げろ! 兄ちゃんが発射したミサイルが、お前を殺してしまう前に!


 唇を噛む。喉に力を入れて声を絞り出す。


「〈破壊者〉が何をしようとしているか知りたい。そっちでわかることを全部伝えてくれ。端末ロボの動きでも、なんでもいい」


『うん、わかった。えーと、声だけ教授とつなげるよ』


 少女の声に切り替わる。


『教授ではなくてクロエです。〈破壊者〉の端末ロボは、船内の移動に、内部に張り巡らせたワイヤーを伝って行うので、そのワイヤーの振動を解析すれば、だいたいの動きを知ることができます。手持ちの機材では大雑把なことしか言えませんが……』


『教授、要点、要点だけ』


 エドワードが割り込む。


『クロエだってば。えーと、この〈破壊者〉はこれまでの戦闘で予備中枢が大破しており、機能回復はできません。ですが、稼働可能な端末ロボの二割ほどがその予備中枢に集まっています。おそらくは演算機能だけでも利用する目的だと思います。そして、残りの七割が、機関部を囲む磁力帯にとりついています。わたしの予想ですが、〈イクウェイ〉に向けて重力放射するのではないかと』


 クロエの的確な予想に、船長が瞠目する。

 船長が〈破壊者〉の行動を予想できたのは、〈破壊者〉に関する軍のデータベースの支援があったからだ。それがない状態で、しかも、十五才でここまで洞察できるのは天才の領域である。


『そして、残りの一割がぼくらの方に向かってる。そうだね?』


『うん……ニードルガンで武装してる。最初に先生たちが戦った時の……』


 クロエの声が震えている。

 ニードルガンは、磁力で無数の小さな針を打ち出す銃だ。反動が少ないので無重力などでよく用いられる。人間が撃たれれば、撃たれた場所がグズグズに崩れる。腕や足なら一発でもぎ取られる。実習船が襲撃を受けた時に、子供たちがそこで何を見せられたかは、想像に難くない。


『ニードルガンなら、隔壁は射抜けない。障害物を盾にすれば時間は稼げると思うけど……兄さん。どのくらい持ちこたえたらいいかな? この通信にタイムラグがないってことは、すぐ近くまできてるんでしょ?』


 エドワードの声には、兄への満腔の信頼が込められていた。


「もちろんだ」


 ──ああ、すぐ近くだよ。おまえを殺すミサイルは兄ちゃんが発射したんだ。


 船長が気遣わしげな目をトムに向ける。

 トムは歯をむき出しにして、無理矢理に笑みを浮かべた。

 〈破壊者〉と爆散球の交差軌道を映した情報画面で減り続ける数字に目を向ける。


「三十分だ。三十分だけ、持ちこたえろ。できるな?」


『えー……もうちょっと短くならない?』


 家の中でも、めったに聞くことのない、甘えた声。それだけで、弟がどれだけの重圧の中で過ごしてきたかがわかる。

 大人たちを殺され。〈破壊者〉の中に閉じ込められ。仲間たちのリーダーとなって。


「気持ちとしては、兄ちゃんもすぐに駆けつけたいところなんだがな。物理法則は変えられないんだ」


『ちぇっ。でも、三十分後には絶対だからね。約束だよ?』


「わかってるよ。技術的な問題があるから、船長にかわるぞ」


 船長が通信をかわった。クロエと技術的な話をして、データリンクをつなげる。

 トムは胸をおさえた。吐き気がする。だが、宇宙服での作業前には酔いどめを強めに入れるから、いくら吐き気がしても吐くことはできない。


 ──おれは地獄におちる。弟にウソをつき、偽りの希望を与え、そして自らが発射したミサイルで殺すのだ。どんな咎人よりもおれは罪深い。


 カウントダウンが進む。通信回線はつないだままだが、会話は途切れがちになる。

 エドワードたちが苦戦していることは、漏れ聞こえる会話の内容から察せられた。

 エドワードの指揮がいいのか、撃たれたものはいない。しかし、逃げながら怪我をした者はいる。無重力に近い状態では、ちょっとしたことで速度が上がりすぎ、手で何かを掴んで体を止めようとすると慣性で手首を痛めるのだ。


 一方、クロエからのデータリンクで〈破壊者〉の内部の様子や端末ロボの動きはかなりの精度でつかめるようになった。これに、観測班の観測データと軍が持つデータベースとを組み合わせることで、子供たちの居場所も正確に把握できるようになる。

 船長が広げた情報画面に、マッピングされた〈破壊者〉の内部構造と、端末ロボ、子供たちの居場所が表示された。


「まずいな。かなり追い込まれてる。それに、この位置は──」


 船長は〈破壊者〉とミサイルの爆散球を重ね合わせた。超重物質の針の一本が、子供たちのすぐ近くに衝突する。そしてそのまま一直線に機関部の磁力帯を貫き、マイクロブラックホールのシュバルツシルトをかすめて〈破壊者〉を貫通する。


『兄さん、聞こえる? ちょっとヤバい』


 エドワードの切羽詰まった声。

 船長が何か口にする前に、トムが通信を返す。


「こちらでも確認した。敵に挟まれてるな。もう少し下がったところに、上の階層へつながる縦穴がある。それを伝って、表面の小惑星に偽装した岩石部分に出るんだ」


『表面……ってことは、兄さん、すぐ外にいるの?』


「兄ちゃんはいないけど、まあ、代理みたいなものがな。すぐそこに来てる」


『わかった──みんな! 表面に出るぞ! 怪我をした者から先に下がれ! ベン、先導して!』


 分の数字が、ゼロゼロになった。

 秒の数字だけが、減っていく。


「〈破壊者〉の重力放射を確認した! 狙いは赤道緑地帯──いや、衛星軌道か! ステーションに警告! 軌道塔を分離しろ!」


 船長がクロエからもたらされた情報を解析して関係部署に連絡を入れる。


『兄さん、なんか船長さんの声が聞こえたけど、どうかした?』


「ああ。重力放射があったんだ。だけどクロエちゃんのデータのおかげで、被害は極限できそうだ。感謝しないとな」


『母さんは大丈夫?』


「もちろん。お前の帰りを待ってるよ」


『パイを焼いて?』


「そうだ。食べきれないほどのパイを焼いてな」


 ──おれがお前を殺すミサイルを作ったと知ったら、母さんはどれだけ傷つくだろう。おれはもう、母さんに会えない。母さんのパイも、食べられない。


 重力放射が目に見えない津波となって、軌道に到達する。軌道塔が波打ち、千切れる。

 間一髪、分離が間に合ったステーションが重力放射に押されて軌道速度を増し、高い楕円軌道へと遷移する。

 軌道塔はバラバラに砕け、地上へと落下していく。

 破片のほとんどは、大気との断熱圧縮で燃え尽きる。それは壮大な流星雨となって、惑星〈イクウェイ〉に暮らす七千万人全員が見ることになるはずだ。


『表面まで出たよ。もうすぐだね』


「ああ、もうすぐだ」


『兄さん』


「なんだい」


『ありがとう。ごめんね』


「!」


 カウントダウンがゼロになった。

 通信のリンクが途絶えた。

 トムは呆然と白いノイズが映る情報画面を見つめた。


 ──気づいて、いたのか。


 考えてみれば、当然のことだ。

 稼働状態の〈破壊者〉に接近する方法は限られている。

 エドワードが気づかなくとも、クロエが気づくだろう。

 方程式の等号で結ばれた右と左は等しい。

 〈破壊者〉が稼働しているのならば。

 マイクロブラックホールエンジンを破壊せねばならない。

 〈イクウェイ〉の持てるリソースで、それを実現する方法は限られている。


 ──気づいて、それでも……ウソをついたおれを気づかってくれたのか……おお。


 トムは手で顔をおおった。

 船長は悲嘆にくれるトムを見て、何度か言葉をかけようとするも見つからずに押し黙る。

 船長が開いた情報画面に、観測班が飛ばした偵察衛星の画像が映し出されていた。

 〈破壊者〉の形が崩れていく。

 超重物質の弾芯が磁力帯を破壊したことで解放されたマイクロブラックホールが〈破壊者〉を内側から崩し、呑み込んでいるのだ。

 白光一閃。

 輝きが消えた後、そこには漆黒の宇宙が広がるのみであった。

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