愚者の末路
王国を崩壊させたある王子の話。
人間の無理解の第三王子視点。
※人を貶める、侮蔑する、尊厳を踏みにじる、処刑されるなどの直接的及び間接的な描写があります。
「何も理解していなかった。それがこの結末か…」
目の前に広がる灰色の土地。
聞こえてくる暴動と騒乱の音。
永遠に続くと思っていた栄華は僅かな間に消え去った。
自分が立っていた場所は、力は、容易く失くなるものだったようだ。
何も知らないまま、本物の力を持つ者たちの怒りを買い、崩壊の一端を引き起こし、そして今幕を下ろそうとしている。
物心ついた頃には優秀な長兄が次期国王として認識されていた。
次兄は国王の座には興味がなく、己の力を示すために剣や戦術などを修め、その分野では長兄をも上回り次期将軍と目されている。
子供らしく単純だった幼児期は、自分も兄達と同じ年頃になればそのくらいの能力を得られ、皆から称賛される王族となると考えていた。
決して凡人ではないものの、兄達を基準にすると優秀とは言い難い。
そんな評価が下される頃には、優秀な兄達への嫉妬に焦がれるようになっていた。
王である父が自分を見ず兄達ばかり褒め称えるのが許せなかった。
そして同じ年頃の子供が自分を敬うのが心地よかった。
「殿下は優秀でいらっしゃいますから」
「私どもなど足下にも及びませんね」
「流石王家の血を引く方でいらっしゃいます」
同年代ではない兄とでなければ、自分は誰よりも強く王者であれるのだと知った。
同じ条件下ならば、きっと誰よりも優秀なのだ。
だから王家に認められた最高位の貴族、エンヴァレンス公爵家にいる子供たちは王家の子供より優秀だと聞いたとき、ひどく不快だったものだ。
しかし、公爵家の兄姉は確かにほんの少ししか歳が変わらないのに、長兄よりも遥かに優秀で人格者だった。
王家のお茶会などで姿を見せれば長兄や次兄と変わらないほどの人が挨拶に向かう。王家に次ぐ公爵家だから当たり前かと思っていたが、よく見ればその周囲でわざとらしく煽てるような者はなく、本心で慕っていると分かる者達ばかりだ。伝統のある高位貴族から直近で爵位を与えられた新興の貴族まで、様々な人が集う。
末娘はそれほど人を集めてはいなかったが、それでも感嘆されるほど優秀で気品に溢れていた。
なにより兄姉を上回る魔力を既にその身に宿しているという。
なんと憎らしいことか。
何代かにひとりは王家から嫁や婿が入るため準王族と変わらぬ濃さの王の血を引き、稀に先祖に愛された者は王族を越える魔力や才能を持つ一族。
エンヴァレンス公爵家の末娘との婚約が囁かれたのはそうした我慢ならぬ状況に周囲の大人に当たり散らしていた頃だ。
何があったかは覚えていないが、王の執務室の近くを通った際に王と側近達が話していたのを聞いてしまった。
国王の妃として取り込むには影響力が強すぎるエンヴァレンス公爵家。
しかし平民を取り込む際に使う王家の伴侶としては些か角が立ちすぎる。
忌々しいことにエンヴァレンス公爵家は王家の伴侶を撤廃しろといい続けている者達だ。その上平民にもとても人気がある。
ならば凡庸な第三王子の妃として、王家に人質として迎え入れればいい。
膨大な魔力が子供まで引き継がれるのであれば儲けもの、子供の王位継承権は常に低位にし飼い殺し、女が産まれれば孕み腹として次代の国王に宛がえばいい。
当時はそれほど意味を理解していた訳ではない。それでもエンヴァレンス公爵家の足枷として第三王子を使おうという意図は理解できた。
身を焦がす程の憎悪。父王も長兄も次兄もエンヴァレンス公爵家も、全てが許せなかった。
どれ程努力しようとも個人を見ることはなく能力がないと謗りを受ける。
母である王妃は何かを言うこともなかったが、全てに関して無関心で欠片も気にしてくれることはなかった。
引き合わされたエンヴァレンス公爵家の末娘に大人達に見えないところで苛立ちをぶつけ嗜虐心を満たし、僅かばかり心の均衡を保った。
「不気味な女」
「兄姉の残りかす」
「魔力だけが取り柄の人形」
自分の取り巻きを使い思い付く限りの悪意をぶつけた。ぶつかる、叩く、転ばせるなどささやかながら怪我をさせることもあった。発端は命令だったが、取り巻き達は上位階級の者を虐げることに徐々に楽しみを見出だし、勝手にエスカレートしていった。悪意をぶつけられていた方はといえば、最初は然程反応がなかった。しかし、エンヴァレンス公爵家自体を罵ると面白い程に感情を揺らした。
最終的には近付いてくる者全てに敵意を向け、遠巻きながら慕っていた者達も離れていったようだ。
結果、末娘はエンヴァレンス公爵家に引きこもるようになり婚約は結ばれることなく終わる。
それから数年はそれなりに落ち着いた日々を過ごせた。多少我慢ならないことがあっても、自分があのエンヴァレンスの末娘を蹴落とした、という甘美な思い出に浸ればそれほど苛立つことはなかった。
そうして王族としての知識を得て、王家の伴侶について知った。武勇に優れた男も知識で民を救った女も皆、キラキラと輝く魔道具をつけ王族に跪く。薄汚い平民が崇める英雄は王家の女の寵と男の僻みで汚される。聖女と祭り上げられた女は思考を奪われ平民の前に立つ時以外は人形のように弄ばれる。
王家の慰みになるのであれば、どれ程の才を持つ者でも穢される。
なんと愉悦なことだろう。
父王も長兄や次兄も、母である王妃でさえ残虐な笑みを浮かべながら王家の伴侶を虐げ辱しめた。
どうせならばエンヴァレンス公爵家の者達も穢せたらいいのに。
出来ないことと分かっていても自身を慰めるために夢想していた。
末娘が学園に入る歳になるとエンヴァレンス公爵家は国王に対し、学力等の実力で卒業基準を上回っていれば、学園で学ばずとも卒業同等と認めるよう交渉し始めた。
飛び級すら希な筈なのに何を言っているんだと嘲笑した。虐げられて逃げ出した末娘がそんな実力を示せる筈がないだろうと。
父王は学園としての返答とは別に王家の伴侶となるならば特別に認可する、と持ち掛けたがエンヴァレンス公爵が了承することはなかった。
国王の申し出を退けるなど、不敬極まりない。どうせいずれは王家に取り込まれるのだから早く末娘を献上すればよいものを。
父王が入学祝いの名の元に美しい宝飾品として贈った魔道具を身に付ければ、いずれ自らその身を寄越すだろう。
学園の意向を受け入れたようで入学式には成長した姿を見せエンヴァレンスの末娘。
本来最優秀の生徒が行う宣誓の儀に名前が上がらなかったことにやはり大した実力はないと見下したすぐ後、学園の規則などを説明する担当教師から学園史上初の満点入学者として称賛されていた。
一切顔色を変えることないエンヴァレンスの末娘に、魔道具の効果を疑いつつもまた蹴落としてやると今まで以上の憎悪を向けた。
授業の様子などを聞き集めたが何故か一度も出席しておらず、同じようにエンヴァレンスの末娘を認めない生徒達が集まり糾弾しようとしたが、学園からは正当な権利が行使されている、という返答しか得られなかった。
それでも試験の成績は常に一位であり、たまに学園内で目撃されるのは図書館やその時間帯に授業を持たない教師の準備室等だという。
対抗する生徒達は公爵家の権力で従わせているのか、もしや最近不当な嫌がらせが発生している原因もそうなこでは?と更なる反発を表した。
本来担うべき役職すら務める気がない、と成績上位者や上級生にも睨まれているというのに、ついに一年を過ごすまでエンヴァレンスの末娘は誰にも尻尾を掴ませなかった。
一年の締めくくりとなる学園舞踏会で大勢の目の前で誤魔化しもできないまま、屈辱的な糾弾を受けさせようと計画を立てたのは誰だったか。
もう一度立場を分からせ今度は王家に取り込んでやろうと、豪奢な舞踏会が開始された最中、糾弾のためにそろった皆を引き連れ呑気に他の生徒としゃべるエンヴァレンスの末娘の前に立った。
疑うことなく信じていた未来がそんな簡単に崩れるとは知らずに。
エンヴァレンス公爵家以外に味方はいないだろうと厳しく糾弾したはずだった。ところが殆どの生徒や教師、招かれていた生徒の親といった貴族達が揃ってこちらに敵意を向けてくる。
反論など出来まいと高を括っていたというのに理路整然と状況を示すエンヴァレンスの末娘。
王族に対して不敬ではないか!
たかが公爵家の娘の分際で!
何故魔道具を身につけていて王族に従わない!?
何よりも理解しがたい生き物を見るような目が、憐れみすら宿すその瞳が許せなかった。
「なんなのだ!?王家の伴侶のくせに!私を蔑ろにするのか!?」
そうして寝ていた猛獣達を叩き起こしてしまったのだ。
いや、寝ていたわけでもない。多少不愉快でも民に影響がでないよう、波風を立てないようにと、なんとか理性的な対応を維持していただけのことだった。
エンヴァレンス公爵の王への追求から目まぐるしく変わる状況をただただ眺めていることしか出来なかった。
目の前から消えたエンヴァレンスを始めとする様々な貴族や騎士達。
後に発覚したことだが、王国の大部分を支える人、領地、物、組織などあらゆるものを王国から持ち出して姿を消していた。
どれ程の魔力があっても夢物語とされていた転移を生物・無機物問わずその土地ごと移動させたのだ。
剥き出しの灰色の地は魔力も植物も受け付けず何も生み出せない。
王国の食糧庫とも呼ばれていた農業地帯も、伝統的な評価の高い工芸品を扱う地方も、貴重な鉱石が採れた鉱山も、全てが灰色の地となった。
さらには王宮に身柄を押さえていた王家の伴侶達も魔道具のみを残して消えている。
本来代々王家が魔力を注いでいた防衛の障壁や守護の魔道具はエンヴァレンスの末娘や聖女などの魔力で維持していた。魔力の供給源がなくなれば機能は停止してしまう。
そのことに気付いたのも、民達から糾弾に重ねるように他国が侵略してきたときだった。
そうして、王国に残っていた平民が貴族を襲うようになる。
私達王族は、いや、元王族は、1人残らず捕らえられた上、魔道具によって拘束され、枯渇寸前まで常に魔力を奪われるようになった。
これをエンヴァレンスの末娘などは付けていたのかと驚愕した。食事のために腕を動くことすらままならない。魔力の供給源が失くなるのも困ると判断したのか、監視していた者達に僅かな野菜の浮かぶスープを無理矢理口に流し込まれるようになった。
灰色の地も魔力で回復できないかと搾り取られるが、やはり作物が芽吹くことはなかった。
いよいよを持って王国の存続すら怪しくなった時、民はこの惨状の責任を元王族に求めた。
もしかしたら元凶が取り除かれることでこの天罰のような状況が改善されると僅かな望みを抱いていたのかもしれない。
かつて国の頂きにあった私達が断頭台に立たされる。
国王であった父が、王妃であった母が、王太子であった長兄が、将軍であった次兄が。
最期の時まで言葉を交わすことなく、粗末な服と色褪せた髪や肌を晒し、憔悴しきったような表情を浮かべながら、順番に振り落とされる刃を受けた。
何がいけなかったのか、そう自問自答を繰り返すが、この身に同様のことを受けるまで酷いことを強いていた自覚すらなかった私達は、遅かれ早かれ同じことを起こしていたのだろう。
「ああ、あの王国は人間達にとって見本となったでしょう。自分が最上位などということは有り得ない、誰かの幸せを踏みにじって幸せは手に入らないと」
そんな何者かの独り言は、誰の耳にも届かないまま地図上の王国の名と共に消えた。