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箒星の祈り  作者: 村崎羯諦
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 芽衣と天体観測へと出かけてから一週間。彼女は一度も僕の部屋を訪ねてこなかった。それ自体はそれほど珍しくはなかったが、連絡さえ一切してこないというのは今までにないことだった。知らないうちに彼女を怒らせてしまっていたのかもしれない。僕はそう思い、仕事が休みの日に芽衣がいる病院へと行ってみることにした。

 車を走らせ、病院の駐車場に駐車する。病院の正面玄関から中に入り、玄関の左手にある受付へとまっすぐに向かう。薄いピンク色のナース服を着た若い女性がにこりと微笑み、形式に沿った挨拶をしてくれた。ご用件はなんですかという彼女の質問に対し、僕は新留芽衣との面会をしたいのだと告げる。彼女はもう一度微笑を浮かべた後、少々お待ちくださいと言ってから席を立ちあがった。そのまま後ろの資料棚へと歩いて行き、そこにある僕の左腕と同じくらいの厚みがある青のファイルを取り出す。そのファイルをパラパラとめくりながら元の席へと戻ってきた。受付嬢は慣れた手つきでページをめくり、不意にあるページで手を止める。そして、少しだけ眉をひそめた後で、今度は何も言わないまま席を立ちあがり、もう一度資料棚へと歩み寄っていった。そして、今度は違う色をしたファイルを僕に背中を向けたままパラパラとめくり、何かを確認し終えてから、そのファイルを携えたままこちらへと戻ってくる。しかし、その時の彼女は全世界の不幸をしょい込んだみたいな悲痛の表情を浮かべていた。

「新留芽衣さんですが……一昨日に亡くなられています」

 受付嬢はそこからポツリポツリとファイルに書かれているであろう情報を読み上げ始める。なんでも、一週間ほど前に引いた風邪をこじらせたことが芽衣の直接の死因らしい。僕は天体観測の時に着ていた芽衣の服装を思い返しながら、まるでおとぎ話を聞いているかのように受付嬢の言葉を聞き続けた。彼女は一通りの説明を終えると、深く頭を下げ、お悔やみ申し上げますとかすれるような声でつぶやく。その表情は嘘偽りなく、心の底から芽衣の死を憐れんでくれている表情で、それは命が綿ぼこりのように軽く受け取られかねない時代においてどこか新鮮に感じられた。

「新留さんとはどういった関係だったんですか?」

 受付嬢の質問に、僕は「昔からの知り合いなんです」とだけ告げる。それから僕も彼女がしたのと同じくらいに深く頭を下げ、そのまま黙って病院を出ていった。玄関の自動ドアをくぐる時、一瞬だけ受付の方を振り返ったが、先ほどの受付嬢はすでに新しい訪問者との応対に追われていた。

 芽衣の死を知らされる前と同じように淡々とした足取りで駐車場を横切る。しかし、駐車場にとめてあった車のところまで戻り、車のドアに手をかけようとした瞬間、僕は突然自分のしていることがどうしようもないほどにくだらないもののように感じてしまう。僕はドアから手を離し、車に背を向け、だらしなく寄り掛かる。金属の冷たい感触をコート越しに感じながら、僕は何気なく顔を上げる。今にも落っこちてきそうな曇り空の下に、ぽつぽつと高く大きな建物が立ち並んでいる。その無機質な物体をぼんやりと見つめながら、僕は鼻から長いため息を吐いた。そして、そのため息を吐き終えるのと同時に、今からあの展望台に行ってみよう、そんなくだらないことを唐突に思い立った。

 病院から三十分ほどかけてあの展望台へと目指す。別に助手席に止める人がいるわけではないのだけれど、僕はなんとなくラジオも音楽もかけず、重たい沈黙を身体にまとわせながら道路を駆け抜けた。たどり着いた展望台には暇なドライバーやカップルがポツリポツリといるだけで、駐車場も空いていた。僕は一週間前と同じ場所に車を止め、一人で展望台へと向かう。

 今回はベンチに座らず、代わりに展望台の海へと突き出た端っこに立ってみる。そこには、夜とは全く異なる光景が広がっていた。さらに今日は風が強く、油断していたら吹き飛ばされそうなほどだったが、僕は身を乗り出し、そこからすぐ下の絶壁と海面を覗き込む。先端だけが浮き出た岩を白波が周期的に飲み込み、そしてすぐに吐き出す。その光景は単調なようで、どこか人間を惹きつける魅力を持っていた。僕は黙ってその光景を見つめ続けた。展望台は下の海面から相当高い場所にあり、ここから飛び降りれば確実に死ねるのだろう。もちろん死ぬつもりはさらさらないが、僕はふとそんなことを考えてしまう。

 僕は結局その光景を飽きるまで観察した後、ようやく身体を起こし、屋根の下のベンチに腰掛けた。それから何気なしに上着のポケットに手を突っ込む。するとそこには芽衣から取り上げた煙草とライターがいまだに入れっぱなしになっていた。しばらく考えた後、僕は煙草を一本取り出し、口にくわえてみる。そして、そのままぎこちない手つきでライターで煙草に火をつけた。煙草を片手で持ち、口から煙を吸い込む。生まれて初めての煙草だったが、むせることもなく煙を肺にため込み、口からため息のように煙を吐き出した。灰色の煙は僕の目の前を漂い、瞬きする間に消えてなくなった。きっとそういうものなのだろう。意味もなくそんなことをぼやきながら、もう一口だけ煙を吸い、ぽいっと足元に投げ捨てる。芽衣がやっていたように、足できちんと煙草の火を消し、一人で駐車場へと戻ることにした。空は先ほど見た時と同じような曇天で、たたきつけるような海風が僕の頬をたたいた。それからちなみに、芽衣が持っていた煙草は、煮込んだ革靴に傷んだはちみつをかけたような味がした。まあ、もちろんそんなもの実際に食べたことはないけど。

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