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村上君の恋愛的事件簿ー男と女の事実論ー

作者: ムラカワアオイ

俺は何者なのだ。どこへやら。答えはどこだ。どこにある。鏡を見たら分かるかな。思い立ったら、すぐ実行。そうだ、見てみよう。鏡を睨むと空豆を連想した。ひとまず、今日の俺を、ここで振り返るとしよう。銀行の受付嬢、女子大生、自動車整備工場女性社長。三人の女性と性行為を営んでしまう。俺、あきらかに女の敵だな。だけど、そういう事実はきちんと自分の口から三人に伝えた。だけど、三人は文句の一つも言わなかった。「私は貴方で欲求不満を解決しているのよ。私だって女よ。セックスしたい時もあるの」「勝手に好きでいさせて」ありがとよ。光栄です。そういう意味では女の味方なのかな。それとも女の玩具なのかな。どっちなんだよ、誰に聞いてんだよ。しっかりしろ、はっきりしろよ、湯船にあひるの玩具なんて浮かべて遊んでる場合じゃないぜ。この自問自答シャンプー野郎が。しかし、こんな大馬鹿者の俺も夜な夜な考える。将来の事だ。彼女の事だ。好きで、好きで、たまらない彼女の事だ。彼女は俺の性生活に、「楽しければ、それはそれでいいんじゃないの」と、さりげなく、あっけない口調で俺に言う。その台詞を悪い方へと考えてしまう鏡の中の俺。彼女は理想なのだ。彼女は俺にとって特別な存在。自動車整備工場を営む彼女。愛車のタイヤがパンクした時に面倒を見てもらった。すぐさま好きになり夢中で口説いた。彼女の産まれ持った、愛くるしい顔つき、その目つきは完全に俺を魅了する。彼女の名前は美保といった。

俺は二十七歳。少々の御満悦気分なのである。正月、一人、神社へと行った。引いたおみくじは、記念すべき二十七歳で、二十七番大吉。俺は二十七が大好きだ。これといって理由はないのであるが二十七という響きが好きなのだ。二十七は格好良い。二十七は素晴らしい。二十七は魅力的。俺はとにかく格好いい。馬鹿言ってんじゃないよ。どこがだよ。やはり、俺は間抜けな野郎で、自分に酔っているだけのただのナルシストだ。やっぱり、俺は格好悪い。意味もなく空を見上げると同時にトイレに行きたくなった。

村上京乃。こりゃ、れっきとした俺の名前。「今日の天気は晴れのちくもりのちのち雨でしょう」などと、小学校では、よく、いじめられたっけな。不思議な事に高校へ通うようになると名前を格好いいと誉められるようになった。少年少女って何時の時代も本当によく分からない。こんな俺自身が時代を語ること自体、まったくもって、おかしなことだ。  

美保は昔話をしない。年は一つ年下の二十六歳。俺はよく喋る、そして、よく眠る。彼女は自営業の身。一日、四時間しか眠らない。彼女の工場は年中無休。俺の仕事は映画館の清掃係。掃除をしていると必ず、陰毛と思われる毛が落ちており、それを見る度、男女それぞれに性器があり、人間は営みを続け、歴史というものが、今、ここにある。と俺はそっと穏やかに微笑み途方に暮れるだけである。

 美保という女、俺の事を愛してはくれない。占い雑誌における二人の相性は九十八パーセントとまさに完璧に近く、観覧車がやたらとでかい遊園地の手相ハウスでも、同じような意見が出る。

「二人は結婚し、幸せな家庭を築き、生涯の良きパートナーとなるでしょう」

しかし、こんな話を聞いて喜ぶのは結局、俺だけ。彼女は笑顔の一つも作らない。二人の性的関係は、所謂、愛や恋へと発展しない。愛なんて言葉が欲求不満である俺の頭に浮かぶ。それほど俺は彼女へ自動的に執着してしまう。

嗚呼、ついてない、煙草がきれた。表に出なきゃ。今日は月が出てないな。ぶらぶら、歩いていると三毛猫が俺の後ろを付いてきた。何故だか、三毛猫が俺に向かって突進してきた。そして、俺の顔をなめては、走り去っていった。三毛猫君。君も淋しいんだろう。君の気持ちは痛いほどよく分かるよ。さりげない今宵。

「いらっしゃいませ」「わかば、一つ」「はい、かしこまりました」コンビニ店員は何時もこんな俺にも笑顔で接してくれる。それに、コンビニ店員はお弁当も温めてくれる。優しい愛のボランティアだ。しまった。ジッポのオイルが切れた。再び、店内へと戻らなければいけない、この恥ずかしさ。ジッポのオイルを購入すると年が幾つか分からぬ女性店員さんは自然に笑って、「サービスです。内緒にしておいてくださいね」百円ライターを二つ手渡してくれた。ジッポオタクは信号待ちで迷った。ジッポにするか、百円サービスライターにするか。さっきの店員さん、良い人そうだったな。信号、変わる。青になる。やはり、俺は店員さんの温もりがする百円ライターで火を点けるのであった。


「ごめん。もう、会えない」

「なんでなんだよ」

「会えないものは会えないの。ごめん」

「ちゃんと、会って話そう。悪いところは治すから」

「もう、疲れたの。悪いけど、もう、電話しないで。ごめんなさい」

美保である。やはり、来るべき時が来た。もう、もう、もう、どうでもよくなった。こんな時は最後の手段。第三の女、女子大生を呼び幾度も出精。彼女の名前は小百合。俺のことが心底、好きらしい。彼女のパパは大金持ちで、

「今の仕事を辞めて、うちの会社で事務の仕事をしないかね」

こんな俺を気に入ってくれていて。だけど、俺はお掃除屋さんを続けてしまうのである。

小百合は、毎日、俺が住むアパートへと足を運ぶ。しかし、煮え切らない、はっきりしない、性的意識不明な俺はやはり美保をずるずると引きずる、もっぱら根性の無い恥ずかしい男なのである。小百合は可愛いが、なんでも買ってくれるが、色々と精神的にも支えてくれるのではあるが、俺が抱く理想の女性像を含んではいない。しかし、こんな自分を純粋な男であると褒め称える術を小百合から学んでしまった。きっと美保には、もう、会えないのであろう。小百合を横に美保を想い欠伸する。

小百合が妊娠した。驚きはしなかった。彼女のパパは汗をやたらとかきながら献身的に言うのだ。

「子供を育てる費用は僕が全部、持つから、是非、パパになってくれないか」

パパか。二十七歳。父親適齢期なのかもしれない。風呂場の鏡で自分の瞳が腐っている事を確認。俺と小百合の分身がよちよち歩き出す。それは、それで、いいことなのかもしれないが俺は受話器をとる。よし、村上京乃。堂々と言ってやれ。

「俺は、まだ、父親になりたくはないんです。すみません。ごめんなさい。俺は史上最低最悪の男です。さようなら。俺は酷い男であります。どんどん恨んでください。さようなら」

俺は車に乗り、一人、旅に出た。仕事を辞めたのである。恋愛を辞めたのである。なにもかも辞めたのである。


倉敷か。気が付けば岡山。ここでアルバイトを探しているとビジネスホテルなのだか観光ホテルなのだか中途半端な出で立ちのホテルに辿り着いた。岡山マーチングホテル。駐車場の管理人。半年間のアルバイト。七階のスイートルームを占領。嗚呼、こんな俺がホテル暮しか。理想の生活。生きる大馬鹿者は冷蔵庫を開け、しめしめ飲み放題のアルコールを頂戴するのであった。

朝五時半に起きる。紺色の作業着に身を包み狭い箱の中で夕刻まで整理券を配る。この箱の中、唯一の娯楽はテレビ。サングラスをかけ、髪型はリーゼント。地方限定タレントがテレビの中で言うのだ。テーマは、「この国は腐ってる」何故かしら、真剣に見入ってしまう。政治が腐っている。どうたら、こうたら。タレントが腐っている。どうたら、こうたら。子供が腐っている。どうたら、こうたら。「お前が腐ってんだよ」テレビを指差す俺は独り言を吐きテレビの電源を切った。

美保は今頃、何をしているのだろうか。こんな情報がテレビから流れるわけないか。しかし、今日は全く客が来ない。こんな、アルバイト二日目。良し。明日は岡山城へ行こう。気分転換。弁当に入っている餃子を箸で砕き、ご飯にまぶして食った。なんだか美味いな。貧乏料理の才能開花。

岡山城が黒い。後楽園は明るい。年老いた人々が多いなか、赤い髪をツンツンに立てた少年を中心とする若者五人組が颯爽と現れた。妙。彼等を観察していると、ワゴン車からギターやドラムなどの楽器を取り出し、演奏を始めた。横には警備員。五分ほど経過すると、彼等の周りには更なる若者が殺到し、テレビカメラが五台。後楽園でライブを観るなんて。ゆったりとした休日が欲しかったのに。俺はホテルへと戻った。部屋のラジオからも彼等の音が聞こえる。咄嗟に俺はこの部屋を音の無い空間にしてしまう。俺はもう、おっさんなのか。美保はパンクロックが好きだった。きっと、今でも好きだろう。おい、戯け。村上。新天地でも、お前は、色々とずるずると過去を引きずるのか。こんな俺は人を愛せなくなってしまった。

微熱。俺は病人だ。やたらと咳き込み、国立病院へと自転車を飛ばした。待合室で待つ事、約二時間。インフルエンザを患ってしまったのである。案内された点滴室には、病を患う人、十五人。かたわらのテレビではニュース番組が始まる。

「インフルエンザ日本AB型と呼ばれる、特殊なインフルエンザが流行っております。最悪の場合、死に至るケースも…」

気分が悪い。俺は死んでしまうのかと思った矢先、医師と看護婦が横に来た。どうやら、俺は死に至らないらしい。病名はインフルエンザ日本B型。薬を貰い、一週間の安静と毎日の注射を怠らないようにと念を押され、再び自転車に跨った。

俺は誰かに呪われているのではないのか。インフルエンザの次は怪我だった。屋上で更なる気分転換をはかっていたところ、こけた。こけた矢先に、割れたままのビール瓶があり俺の顔はそれに突進。血まみれになった。とりあえず、裏口を使い、タオルで顔中を覆いホテルの隣の町医者へと走った。五針を縫う。俺の顔に泥を塗ったのは結局、この俺であり、俺自身が被害者であり、俺自身が加害者である。ぐるぐると、包帯を巻かれたまま、ホテルへと帰る。社長は、「三日、休め」さり気なく言う。俺は、「すみません」としか言えず情けない。

情けない男に、また、度重なる不幸が訪れる。警察から電話があった。親父が窃盗で捕まったというのだ。フロントに事情を説明し、金の無い俺は近くの中古車買い取りセンターへ至急出向き車を売った。愛車が他人の物になるなんて。想像した事もなかった。新幹線に乗る。顔中の包帯をじろじろと見る人々。馬鹿の親はやはり馬鹿。傷が痛い。胸が痛い。喉が渇く。どうなってんだよ、村上一家。

東京に到着。トラウマの多い横須賀線の中で美保を思い出すこと。これは俺にとって自然な事である。もし、同じ車両に乗っているとしたら埒があかない。出来るだけ傷を隠し続けた男は横須賀警察署にやっとの思いで辿り着く。罰金刑きっかり二十万円也。俺の財布は空になってしまった。更に親父の財布も空。犯人は笑顔であった。

「京乃、すまないな」

「あんたね、植木鉢泥棒だなんてね、馬鹿かよ」

「なんだ、馬鹿野郎。その口の利き方は、俺はお前の親だぞ。父親だぞ」

「はいはい。分かったから。なんで俺が呼ばれなくちゃならないの。お袋は」

「逃げた」

「え、嘘」

「ほんと」

村上家と女性の相性は悪い。いっその事、ホモセクシャルになろうかしら。と真剣に悩んだ時期もあった。それに友人にゲイがいて、仲良くさせてもらっていたし、彼が抱く恋愛上の相談役にもなった。

今、なにをするべきか。岡山の社長に事情を説明し、下北沢に下北沢マーチングホテルがあるから、そこで働いてくれと頼りにされた。しかし、参った。親子が一円も持ち合わせていないのは恥ずかしながら事実なのだ。仕事先まで歩いて行ける距離でもなく、ましてやヒッチハイクなんて夢物語。

「すみません。下北沢まで送って行っていただけませんか。一生一度の最大のお願いです。お願いします」

恥ずかしさによる満面赤面。人が良さそうな中年警察官に頭を下げたところ、彼は我々親子に同情してくれ、パトカーに乗り、下北沢を目指したのであった。

目的地に到着したのは午前二時。運転手である警察官との会話が弾むわけはない。

「本当にすみませんでした」

「まあ、息子さんがご立派な事ですし、しっかりサポートしてやって下さい」

溜め息がご立派な警察官は俺を見て、一瞬、笑い、帰って行った。それでもって親子はフロントに話をつけ、ここの社長に挨拶を済ませ、五階の部屋へと案内された。

「どうしてこんな事をしたの」

「もう、どうでもよくなって」

「だから、常識を知れよ。あんた一人のせいで俺にまで迷惑が掛かるの。それくらいは分かるでしょう」

「すまない。お前に会いたくてな」

「その気持ちは分からないでもないけどさ、他の手段は幾らでもあるでしょう」

「だって、お前の家に行ったらさ、誰もいなくて。それにお前、携帯電話も持ってないだろう」

「そりゃ、俺の勝手だろうが。で、お袋は何所へ行ったの」

「関西」

「なんで、関西だって分かるの。関西だって色々あるでしょう、大阪だとか京都だとか」

「探偵屋さんに頼んだんだ。ちゃんとお金も払ったし」

「何処の探偵」

「分かんない」

「分かんないじゃ、困るの。お金って幾ら払ったの」

「十五万」

「親父さ、それ、ぼったくりっていうの。だいたい、本物の探偵だったら、ちゃんと探してくれるよ」

本当に俺の人生、二十七年目は嫌なことばかりである。去年の今頃は確かに有頂天だった。天狗であった。三人同時進行の性的関係に夢中だった。俺は堕ちて行くばっかりだ。本当に死のうかな。だけど、死んでなにが分かる。もし、神様がいたら、閻魔大王がいたら、この臆病な俺に対して、即刻、地獄行きを言い渡す事だろう。だけど、地獄でも、まっ、いいか。いや、良くない。高校三年の隣の席の田端家君が口癖のようによく言っていた言葉が素敵なメモリーだ。

「なあ、村上。俺達は頑張って生きていこうぜ。なぁ。俺、天国に行ったことがあるんだよ。お前には話すけど。きれいな、とてもきれいな女性達が俺を迎えてくれたんだぜ。そう落ち込むなよ。なあ。心配するなって。な。お前も天国にきっと行けるよ。待っていてもなにも始まらないぜ。さあ、頑張ろうぜ」

そうか、そうなのか。ありがとう、田端家君。田端家君は高校を卒業すると同時に実家の米屋を継ぎ五つ子のパパになった。

さて、仕事、仕事。下北沢か。おしゃれな街イン下北沢。キャッチボールの街イン下北沢。俺は良いピッチングスタッフだ。素敵なキャッチングスタッフを探そう。即刻、社長に呼ばれる。

「大変だったな」

「いえいえ、お世話になります」

「ところで、村上君。このホテルの噂を知ってるかな」

「いえ、全く、知りません」

げっ。また災難かよ。噂。自殺者でもいたのかな。よくある話だ。しかし、俺はこの手の話には強い。

「このホテルに泊まると、恋愛運が悪くなるって、ある週刊誌が書きたてたんだ」

「はぁ」

「それで、君にここのマスコットキャラクターになってもらって『いい男が働いているマーチングホテル』ってCMでいきたいわけよ」

え、この俺にCMのオファー。俺、小さな頃からカメラが嫌いだった。プリクラも撮った事がない。マスコットキャラクターだなんて。仕事を引き受けたのは、「よそより半額」を歌い文句にしている広告代理店。何か嫌な予感。しかし、職がない男は、ボスの命令に従うしかない。

「頑張ります」

「期待してるよ」

テレビか。十五秒間、俺の顔がアップになり、ラジオ等で活躍中の女性タレントがナレーションを担当するそうだ。少し格好良いかも。

社長と親子はパスタを食って一杯やった。親父は確かに嬉しそう。食が進むのは、とても良いことだ。しかしだ。大きな一つの弱点。俺の顔には、まだ糸があり、それを抜糸しなければならない。いきなり親父が俺の頬をいじった。するすると糸が抜け、親父は俺に言った。

「お前がいない間に、何でも出来る男になったんだよ」

しかし、それは大嘘であった。適度ではなく単に糸を抜いただけ。右頬がひどく腫れ、痛みはピークに達した。それを見た親父は救急車を呼び、社長は俺の右手を握り、「大丈夫だからな。もう少しの我慢だ」意識はもうろうとする。やがて、救急隊の手により担架へ。彼等が注射を施してくれると痛みは一気に消えた。正気に戻り、「もう大丈夫です」と告げると「いや、まだ駄目です」と白衣の人々は俺をベッドへと寝かせてくれた。夜間救急センターへ到着すると看護婦さんが丁寧に、完全に、抜糸をしてくれ、その上、顔に注射を幾度も施し、かたや、膿を抜いてくれる。繰り返されるこの日本の医学。鏡を見ると普段の俺がいた。俺の顔ってやっぱり憎らしい。そして看護婦は喜ぶのだ。

「今日、私、初のオペなんです。村上さんとご一緒出来て本当に嬉しかったです。私、これからもこの道、一筋に、一途に、一生懸命に、精進します」

「が、頑張ってください」

出てきた俺を囲んだ社長と親父は、「凄いもんだね」「やっぱりプロはプロだねぇ」帰りのタクシーの中でも顔をじろじろ見られ、「やっぱりプロはプロだねぇ」の繰り返し。しかし、こんな俺は聞いてしまった、見てしまったのだ。早朝六時、ホテルの従業員休憩室には女達の声。

「村上君って、良い感じの顔だよね。それに優しそう。私、好きだわ」

「私、あんなのいや。ちゃらちゃらしてて。それにさ、頼り無さそう」

なんやて。俺は踏ん張って、彼女達がいる部屋のふすまを開けた。みかんをほじくる女二人は俺を見て、飛び跳ねそうだった。俺は自分の事をちゃらちゃらしていると言った女を選び、キスをした。なにやってんだ。俺は。立派なセクシャルハラスメントじゃないか。逮捕されるぞ。おい。

「ごめんなさい。私…」

もう片方の女にもキスをしてしまう。女達を尻目に、

「おやすみなさい」

それだけしか言えない大馬鹿者はふすまを大きな音を立て、閉めた。酒や、酒や。やってられるかいな。日本酒をラッパ飲みしていると、部屋のチャイムが鳴って、俺のことが好きだと言った女が一人、みかんを持って、嬉しそうにやって来た。

「みかん、食べるか」

「ああ、みかんは大好きだよ」

この女の顔、まさに俺の好みである。しかし、親父が床で寝てやがる。全ては揃わないが性行為。

「名前、なんていうの」

「黒梅」

「嘘だろ」

「だって、村上君だって、変な名前じゃん」

「だって、これは本名だから、仕方ないだろ」

「小梅」

「これ、ありそうだけど、嘘っぽいな。そろそろ素直になりなさい」

「私の名前は京子。京子お嬢様です。ねえ、ねえ、村上君と結婚したら、面白いわね。村上京子と村上京乃」

 女は免許証を財布から取り出し、俺に見せつけた。驚くことしか出来なかった。彼女の名前は村上京子。もう、笑うしかない。いや、笑えなかった。彼女は自称、もてない女で不幸自慢を始め、俺は一睡も出来なかった。ただ、この部屋には、みかんの甘酸っぱい香りが漂うのであった。


広告代理店のお仕事は胡散臭い。されど、この俺のほうがもっと胡散臭い。そして、さらに胡散臭いのは親父。広告代理店の皆様にお手製名刺をにこにこと嬉しそうに手渡し、

「どうも、村上京乃の父です。息子がお世話になります」

ああ、恥ずかしい。黄色いポロシャツで髭面が似合っていないディレクターなのだかプロデューサーなのだかの男が、社長と俺に近づき、

「男と女のキスシーンを撮影したら、どうだ、どうなんだ。素人の男一人がアップだなんてくだらない。それぐらいはわかるだろう。美形の女を呼べ。こっちも仕事でやってんだ。どうなんだよ、社長。CMをなめるなよ」

社長は、京子を呼び出した。小心者のこの俺は赤面。京子とキスシーンを実行。撮影はわずか、十分で終わった。俺達の設定ははれて結婚式を迎えたカップル。二人の衣装は結婚式を意識した、モーニングとウエディングドレス。しかし、事は起きた。完成したCMを観た俺達は驚いた。CGなのである。合成なのである。俺、京子、全裸。でも、京子は嬉しそうであった。

「なんで、あんたは、喜んでんの」

「だって、本当の私の体は、あんなにきれいじゃないもの」

「普通だったらさ、はめられた。騙されたって。思うものじゃないの」

「だけど、私も京乃君もきれいじゃない」

 そう言われてみれば、そうだな。このCMは三流アダルトビデオでもなければ、エロ映画のワンシーンでもない。アートと呼べるだろう。しかし、アートのことなんて俺には全くわからないものだから、ただ、アートと勝手に位置付けているだけであって自分の裸体には、結局、なにも言えない。


何故だろう。俺は京子と二人、教会で神父の前にいた。俺達は夫婦になったのだ。顔も良い、性相性も良い。なんなら、二人、式でもあげて、不幸者同士、一緒になって、暮してみてはどうなのか。そしたら幸せ来るかもよ。そうしよう。愛の意味を確かめ合えば、どうなんだ。良い選択だ。俺は彼女に、「村上京子にならないか」とプロポーズ。彼女はすんなりとオーケーするのであった。


結婚してから半年が経過した。親父はカツラを被り、ロングヘアーになった。本当に血筋は恐い。親父と俺はそっくりだ。一方、息子の俺ときたら髪の毛が、危なくなってきたのだ。抜け毛、多し。京子は日に日に、美しくなっていく。そんなことより悩みが先だ。頭皮を無料で検査した。「単なる精神的なものです」と係りの女に嫌みったらしく言われ、結局、世の中、金かよ。金なのかよ。俺は有料コースには用が無い。その翌朝から十円はげは順調に治っていった。


社長が逃げた。逃げてしまった。どうしよう。京子は言った。

「乗っ取れ」

こんな俺は社長になってしまったのだ。京子は段々と服やアクセサリーに金をかけるようになり、なんと、俺が以前、手離した愛車を探しだし、買い戻したのだ。社長は俺だ。経営者は京子。社長になった俺はその昔、

『小学生による、小学生が選ぶ、ベストな、より良いベストな、作文賞』

のグランプリを受賞。その書き出しがこれだ。

『駄目息子は、駄目息子を産み、その駄目息子は、更に駄目息子を産み、頑張りますしか言わない大人にはなりたくない。大金持ちになんてなりたくない。僕は、夢持ちになりたい』

今でも、よく憶えている。受賞記念旅行と題してハワイ旅行へと招待されたが、ハワイ行きのチケットを親父は、「金にしろ」と言い、お袋は、「あんたは最低な父親だね」と喧嘩を売って、警察官が家に来るまでの惨事に。家庭は戦場と化し、結局、金のことがよく分からなかった俺、当時小学六年生がチケットを燃やしてしまい、一週間を押し入れの中で過ごした。

京子は次第にマーチングホテルの規模を拡大しようと言い出した。マーチングホテルグループの経営者会議に出席した際にも、ラブホテルにも手を出そう、国際化を目指そう、もっと規模大にしよう、等々。参った。完全に金儲けだけを目指し始めている。俺は彼女の事が段々と恐くなってきた。そして、京子は一億円の借金を背負った。連帯保証人は俺だ。夫婦という現実。中野にラブホテルを建てるとの事。彼女は元気そのものだ。毎日、ウクレレを嬉しそうに演奏。俳句を作りコンテストに投稿。その句が落選した事を知るとコンテストを主催した出版社に朝から晩まで悪質なクレーム電話。更に近所の居酒屋でチンピラをナンパしたというのだ。誘われた彼等の方が彼女をここまで送ってきて、

「彼女、凄く、酔ってるみたいだから大事にしてあげんだよ。あんちゃん」

するどく睨まれ念を押されてしまった。そして彼女は屋上にベッドを運び、

「京乃、愛しているなら私を抱いて」

仕方ないから性行為。わけがわからない行動をとるようになるマダム、京子。


こんな時代。だけど、どんな時代。日本が危ない。世界も危ない。地球も危ない。村上家も危ない。社長になってしまった俺は、この生活が少しずつ嫌になってきた。飽き性、天邪鬼。水を飲んでも全く美味しくない。その理由はこれだ。京子がとあるプロ野球選手と密会したらしい。俺はワイドショーのレポーターから追いかけられ、大きなストレスのあまり言語障害を患ってしまった。まるで言葉を持つ猫だ。死にたい。死んで生まれ変わって、ユナイテッドキングダムはロンドン辺りに生まれ、博学に育ち、母は女優で父は写真家。こんな環境で生きてみたい。廻れ、地球儀。京子は密会を否定。

「だから、一回、食事に行っただけ」

「どうして、これだけで、こんな大事になるの」

「ちょうど、マスコミさんもネタが無かったみたいよ」

「じゃあ、嘘なんだな」

「そう。でたらめ」

二人は、すんなりと、ちゃっかりと、元に戻った。


 ホテルの売り上げは驚異的に良くなり、俺達は金持ちになる一方なのであるが、不幸な男伝説にもの凄い拍車が掛かり始めた。親父と京子が付き合い始めたのである。俺は知らないよ。もう、好きにしろ。馬鹿野郎が。親子は同じ女性を好きになった。しかし、京子は俺の妻だ。

「お父さんのセックスの方が気持ちいいのよ」

「俺達、夫婦だろ。夫の親父と不倫しておいて、そんな、戯言、よく流暢に言えるよな」

「京乃もいいけど、お父さんの指使いが好き」

はあ、はあ、ふう。寝取られ息子、村上京乃。俺は分裂しかけた。気が付けば下北沢駅に立っていた。

 もう、逃げたいな。

 もう、疲れたな。

 もう、どうでもいいな。

 すると、京子がセーラー服を着込み、大袈裟に、ばたばたと走ってきたのだ。俺は病んでいる。彼女は健康そのもの。羨ましいかぎりだ。俺は対人恐怖。セーラー服を着こなす村上京子が恐い。俺はここから離れて毛布をかぶって眠りたいのに。それなのに彼女は迎えに来た。

「京乃、愛してる」

 俺の脳裏は泥まみれなのである。この言葉は嘘なのであろうか。それとも本音なのであろうか。自己嫌悪。俺は誰にも愛されない全てから拒否される人間なのであろうか。その上、俺には友もいない。京子の本音も分からない。でも、愛してると言ってくれた。信じていいのだろうか。プラットホームでキスをする夫婦。


親父はホテルから出て行った。遺書めいたメモがあったが奴は自殺なんてしない。

『京乃と京子さんへ。悪い事をしました。全国一周の旅に出ます。僕の事は忘れて下さい。もし僕が死んだら遺骨を地中海にまいて下さい。それでは、さようなら。父より』

『親父へ。まあ、旅行を楽しんできて下さいね。息子より』

メモの上に更なるメモを残し、社長室へと向かう。車も飽きたな。読書も最近は全くしていない。社長なんてものは楽。書類を確認してハンコを押すだけ。これ、やばそうだなと思われる書類は京子がチェックする。労働時間約二時間。後は寝てるか、テレビを観てるか、このどちらかだ。テレビの電源を切ると同時に電話が鳴る。鬱陶しい。出たくない。誰からなのか、誰からだ。仕方ない。受話器を取った。 「もしもし、マーチングホテル下北沢社長、村上京乃様でございますか」

「はい、村上は僕ですが」

「こちら、VTV営業部の小西といいます。ただいまですね、『日本のミラクル社長を追え』という番組を放送しているのですが、ご存じですよね」

「いや、知りません」

「珍しいですね。今時、この番組を知らないなんて。それでですね、この番組の主旨なのですけれども」

「言われなくても、分かりますよ。要するに、僕のインタビューとホテルの撮影をしたいんでしょ」

「さすがは社長。結論からおっしゃられますと御出演して頂けるんですね」

 強引に電話を切った。俺がミラクル社長だなんて、とばっちりもいいところ。マーチングホテルを運営しているのは京子なのだから、『シリーズ素敵な女の職場の裏事情最前線。これであなたもお金持ち』とかなんとか銘打ってやればいいのにね。社長は辛いよ。だけど一応、京子に相談。

「出なさい」

 彼女は一喝して、俺は枕を抱いた。この二人に恋はあるのだろうか。愛はあるのだろうか。

そろそろだな。そうだな。夜逃げした。従業員達にばれぬように、こそこそ、裏口から出て行った。とりあえず旅だ。その前に金だ。愛車のエンジンルームを開け、ラジエーターの下に隠しておいた、二百万円を取り出す。しかし、問題あり。ホテル暮らしなんて裕福な生活をしてきたものだから、社会に復帰する事が出来るだろうか。どうしよう。でも今の俺には無理。なにをやらしても無理。ともかく俺は首都高をとばし、西へと走った。走りに走った。何とか運転が出来るのが不思議。

この車には美保の香りが残っている。彼女は今頃、どうしている事だろう。彼女をもっと、一途に想っていれば、俺がもっと、しっかりしていれば、こんな事態にはならなかったはずだ。満月か。もう、名古屋か。ガソリンを入れて久々に車の中で眠った。これが俺にとっては至福の時間。久し振りに夢を見た。

   

夢の中の俺はライブハウスでベースを弾いていて、えらく、目立っている。しかし、その後が異変であった。十代後半だと思われる、青いTシャツにジーンズ姿の女の子が俺に嬉しそうに言った。

「あなたと私が出会ったのは運命なのです」

 夢の中の俺は立ち往生。少女は続ける。

「村上さんがブラジルに産まれて、私がイタリアに産まれていたとします。だけど、今日、このライブハウスで出会う事に関しては運命なのです。私が言いたいことは分かりますか」

「あなたが言っていることは、だいたい、分かります。僕等が何所で何時、産まれていようと、この日のこの時間に二人は出会っていた。シチュエーションが大幅に違っていても。という事ですね」

ここで夢から覚めた。夢の中のあの子。可愛かったな。探しに行くか。でも、手段がない。相変わらずついてない。もう、死のうかな。そうだな。車ごと壁に突っ込むか。そうだ、死んだほうがましだ。神経脳味噌が分裂し始めた矢先、俺の右横に停まっている車から夢の中の少女によく似た女が出てきた。いや、完全に彼女は夢の中の女だ。女は空き缶をごみ箱に捨て、走り出して行った。こんな俺は夢の中の女を追いかける事にした。些細で格好の悪い夢を追う。しかし、彼女はとてつもなく速いスピードで走る。追っかけるのは情けない男。時速は180キロメートル。ついにスピードメーターが壊れてしまった。ここはサーキットではない。しまった、サイレン。ここでストップ。覆面パトカーである。二人は検挙されるはめに。しかし、彼女と話すチャンスが出来た。頭の悪い間抜けな作戦。

「あんた、馬鹿」

「そう、馬鹿。それにこの辺、俺、詳しいからさ」

「はあ、それ、意味不明。それに、あんた、私の顔じろじろ見てたの、覚えてる」

「俺、寝てたんじゃないの」

「寝たり、起きたりしてて、すごくうなされてたよ。ね、せっかくの私に会えたんだから、早く、お家に帰りなさい」

「俺、帰れないんだ」

次のパーキングエリアで、二人並んでから揚げを食べる。

「仕事、なにしてんの」

「はい。こういう者ですが」

 彼女に名刺を手渡した。彼女に全てを打ち明けた。京子の事、親父の事、俺のふしだらな生活の事。彼女も男から逃げてきた。岡山マーチングホテルに連絡をとった。京子の事で俺がもう限界に達していている事を話した。社長は岡山へ帰って来いと言ってくれた。

「あのさ、名前、教えてよ」

「秋。平凡でしょ。秋に産まれたから秋」

「透き通るような良い名前だ。秋は秋にふさわしいよ」

「何、言ってんの。あんたって意味不明だね。社長さん」

「いや、幸せにしてあげようと思って」

「はい、はい。岡山ね」

 車に乗って、いざ岡山へ。行け、村上号。続け、秋号。アクセル、アクセル、ブレーキ、クラッチ、アクセル、ブレーキ。ギアチェンジ。行け、もっと、もっと。さよなら、京子。初めまして、秋。から揚げの後の煙草が美味い。灰皿に手をやると、秋の車からアッパービーム。何かあったのか、秋。車を停めて、彼女の元へと歩く。

「あんた、私のこと、好き」

「夢の中の女さ、秋」

「はあ。質問にちゃんと答えてよ」

「大好きさ、秋」

「私、淋しいんだ。あんたのこと、好きになってもいい」

「勿論だよ。今度、ドイツに行くんです。秋さん、一緒に行ってくれませんか」

「はあ、笑えないよ。もういい」

 彼女は俺にキスをした。唇だ。接吻だ。愛のあるキスだ。

前略村上京子様。御蔭さまで、私は、本日、只今より、人を愛せる様になりました。村上京乃。草々。

 

「大変だったな。疲れただろ。今日はゆっくり、休め。起きたら大事な話しがあるからな」

と社長は溜め息を吐いた。俺と秋はもっぱら、幸せだ。愛を語り合い、抱き合い、朝まではしゃいだ。


「村上。お前、ジェットコースターに乗ったことあるか」

「はい。ありますけど。それがどうしたのでしょうか」

「ま、いいわ」

「お前、下北沢で、噂、聞いたろ」

「あの、恋愛運が悪くなるっていうヤツですか」

「そうだ。お前、向こうの社長、逃げたろ」

「いきなりでびっくりしましたよ」

「その黒幕って、お前の嫁なんだ」

 え、どういうこと。いったい、なにがどうなっているんだ。マダム京子よ。

「お前の嫁な、客とセックスして、金、巻き上げて、やった男を脅迫してたんだ。私と彼女、どっちを選ぶの。お金、出さないと、ちくっちゃうぞ。おまけに下北沢の社長にも手を出したんだ。実はな、社長、ジェットコースターから飛び降りて自殺したんだ」

ええ、まじかよ。渋くて優しかった社長が自殺。京子、お前、なにしてんだよ。なにやってんだよ。取り返しつかねえぞ。

「村上、少し、休め。な。それから、また、ここで働け。いいな」

「は、はい」

 秋と缶コーラを飲む。秋がおもむろにテレビを付けた。その瞬間だった。

『VTSニュース速報 首相 結婚へ お相手は実業家 村上京子さん』

 どうなってんだ。この国。ワイドショーの映像がマーチングホテル下北沢へ切り替わった。首相と京子が取材陣に囲まれる。秋がテレビを消した。

「遊びに行こうよ」

二人は後楽園へ手を繋いでお散歩。俺はもう、ふらふらだ。究極の独り言野郎だ。でも、こんな俺を秋は愛してくれている。後楽園でキスをする二人であった。

「俺さ」

「どうしたの」

「いや、なんでもない」

「大丈夫」

「大丈夫さ、秋」

「よし、私がプレゼントしてあげよう」

 そうだな。なにをおねだりしよう。愛すべき秋は笑顔だ。業務用スーパーへと行った。マルボロ2カートン。そして、二人は業務用スーパーの横にある、携帯電話屋へ。

「ねえ、最近のスマホって、凄いんだ。海外でも話せるんだよ。それに写真も撮れるんだよ。面白いでしょ」

 秋、君は本当に美しい。きれいな、とても、きれいな心の持ち主だ。心から愛しているよ。

プリティスマイルの黒いスーツに赤いネクタイの男の店員さん。はい。はい。はい。はい。とやれ、説明だ、やれ、承諾だと、さわやかに話し続ける店員さん。

「あの、色はどの様になさいますか。今なら、紫、シルバー、赤、青とご用意できますが。どうなされます」

「彼女と同じ色でお願いするよ」

「はい、赤ですね。かしこまりました。お客さま、お手数ですが、三十分ほど、お待ちください」

外の喫煙所で煙草をふかす。今日の天気は日本晴。秋は可愛らしく、穏やかな表情で俺に言うのだな。

「キスしていい」

「うん。そう、思いっきり、接吻を」

「京乃君のキスって気持ちいい」

「俺もだよ。こんなキスは秋が初めてだよ」

「あの、お客様、お電話、ご用意できました。お取り込み中でしたか」

「いや、気にしないでくれたまえ」

「ありがとうございました。またのご来店、お待ちしております」

店員さんは素晴らしい笑顔の持ち主だった。二人おそろいのスマートフォン。幸せを感じた。その時だった。

「あんた、村上だろ」

髪の毛が白い少年が俺に近付き、いきなりでかい声で言った。

「あんた、村上京乃だろ」

「それがどうかしたのかよ」

「あんた、最低の男だな」

「なんだ、てめえ」

「これ、見ろよ。馬鹿社長が」

 男は、スポーツ新聞をポケットから取り出した。

『京子さん 元亭主村上京乃の過去を暴露』

 記事には俺の顔写真。記事を読んでみる。

『最初は優しかったんですけど、段々、暴力を振るうようになって、浮気ばっかりして、それに彼、包茎なんです。それで私も浮気に走ってしまって。凄く淋しかったんです』

「嫁に暴力、振るって、その上、包茎かよ。格好悪いな。村上京乃さんよ」

「てめえはむけてんのかよ」

 男は、ジーンズを脱ぎ、おちんちんを出した。むけている。確かにむけている。

「ほら、ちゃんとした、おちんちんだろ。この馬鹿野郎」

「誰が包茎で誰が包茎じゃないなんて、どうでもいいことでしょう」

 咄嗟。すまない秋。俺は男を殴った。サイレン、鳴った。ポリが来た。

「今から、お前を連行する。いいな」

俺は警官に手錠をはめられ、パトカーに乗ってしまった。このくだらない俺は遂に犯罪者の仲間入り。

「私、京乃君が出てくるまで、待ってる。愛してるわ」

 別れ際、秋は泣いていた。ごめん、秋。刑期を終えたら、婚姻届を提出しよう。


「村上京乃。二十七歳。職業、マーチングホテル下北沢社長。これで間違いないな」

「はい」

「何故、犯行に及んだ」

「いや、ちょっと」

「ここ、何所だと思ってんだ。警察だ。岡山県警だ。いや、ちょっと、とはなんだ。何故、やったかって聞いてんだ」

「あの包茎で口論になりまして」

「は、今、お前なんて言った」

「ですから、包茎、なんです。僕」

「それだけで、殴ったのか」

「はい」

「それにしても、お前さん、有名人だな」

「え、まあ」

「村上京子のインタビューは本当か」

「いえ、でたらめです」

「嘘吐くな。本格的捜査を始めるぞ。お前がでたらめなんだよ」

「だから、でたらめです。信じて下さい。お願いします」

「これからが、楽しみになってきた。何故、俺が刑事をやってるのか知ってるか」

「そんな事、僕に言われたって分かりませんよ」

「お前の不幸が好きだからだ。おい、こいつ、連れてけ」

 ともかく、俺は、警官に連れられ、エレベーターに乗った。これが留置所か。虚しい。せつない。私は貝になるにはまだまだ早過ぎる。小便を済ます。そして、罪人となった俺は、寝た。秋。愛してるよ。この世界の誰よりも。愛している。


「村上、移動だ」

 よっこらっせっと。とぼとぼと刑事の背を見て歩く。で、何所、行くの。

「今日からここだ」

「やめて下さいよ。ここ、霊安室じゃないですか」

「前の部屋より広いだろう。これが俺からの愛のメッセージだ」

刑事の野郎。馬鹿野郎。

「すみません。誰かいませんか。小便がしたいんです」

「勝手にしやがれ」

 分かりやしたよ。俺は、壁に向かって、小便をするのであった。するとドアが開いた。

「村上、お客さんだ」

ゆっくりと立ち上がる。すると、美保だ。何故。

「京乃、愛してる」

美保を見て、身体が熱くなり、霊安室でやることをやった。美保が俺を愛してくれるなんて思いもしなかった。

「私、誰だか分かる」

「美保」

「違うよ」

「美保だろう」

「残念。私は、ファーストレデイー、小泉京子よ。旧姓、村上京子。美保さんじゃなくて残念だね。ほら、きれいな顔になったでしょう。昨日の深夜、あなたのために整形したのよ。私。それに私の夫に感謝しなさいよ。美保さんの高校時代の卒業アルバムを探し出してくれたのよ。さすがは、総理大臣でしょ」

「あんたね、いい加減にしろよ。卒業アルバムだ、整形だ。これじゃ、完全に美保にストーカー行為だろうが。俺の事は、もう、ほっといてくれよ」

「じゃ、ここから出られなくていいの。私の権力で、無期懲役にも死刑にもできるのよ」

「京子さん、ここから、出してください。お願いします」

「じゃ、もう一度、新しくなった、私を抱いてくれる」

 また、やる事をやった。そして、俺は出所した。秋にメールをした。秋から、すぐさま、電話があった。

「良かった。京乃君、愛してるよ」

「ああ、俺もだよ」

 空を見上げると、強面の男達が、いきなり俺を猿ぐつわにした。

「お前等、誰だよ」

「怖い人達です」

「そりゃ、分かってんだよ。だから、お前等、何者だって聞いてんだよ」

「京子夫人のSPをやっております」

「じゃあ、なんでこんな事をするんだよ」

「首相の命令でして」

「首相の命令。馬鹿野郎が」

「首相があなたに会いたがっているのです。このまま、首相官邸に行きましょう」

「あんな胡散臭い首相に誰が会うもんか」

「今、なんて言った。こら。お前を殺す事ぐらい簡単だぞ。反省しろ」

「行きます。行きます。はい。行きます。行きます」

 俺は、猿ぐつわをされたまま、新幹線に乗った。首相。この国は腐っています。京子夫人。嗚呼、京子夫人。貴女は誰だ。誰なのだ。俺は悲しみに暮れる富士山を見つめた。


 東京に到着。SPは俺の猿ぐつわを解き、黒いワゴン車に俺を乗せた。首相官邸で立ちくらみ。そして、首相がいた。

「村上君。御苦労様。まあ、かけたまえ」

 首相だ。本物の首相だ。石鹸の良い匂いがする。

「村上君。僕の秘書をやってくれないか」

「はっ」

「だから、僕の秘書をやってほしいんだ」

「僕、政治のことなんて、全然、分かりませんよ」

「それでいいんだ」

「あの、どういう意味でしょうか」

「来週の週刊万歳に僕のコラムが載る。テーマは愛妻だ。しかし、京子は愛妻ではないだろう」

「そうですね。確かに」

「仕事、よろしく願えるかね」

「あの、どのような、お仕事ですか」

「京子の教育係だ」

「あの、京子を教育しても、もう、手遅れじゃないんですか」

「下の方だ。京子は君とのセックスを望んでいる。下の教育をやってくれ。君の彼女の秋さんにも、ここに住んでもらうようにする。だから、頼む。僕の一生一度のお願いだ。よろしく、頼む」

 俺って何の為に生きているんだ。京子の下の教育か。京子は美保にもなってくれた。よし。決意はすぐさまに固まった。

「分かりました。引き受けます」

「ありがとう。村上君。君とは深い関係になれそうだ。この国の未来の為によろしく頼む」

「はい。かしこまりました」

「それと、レンタルビデオ屋に行って、『男はパンパン3』を借りてきてくれたまえ」

「かしこまりました」

「『男はパンパン3』はいいぞ。僕はこれを観て、政治家に憧れたんだ。君も観たまえ」

「かしこまりました」

「秋さんがもうすぐ、ここに来る。車を用意しているから、秋さんと永田町デートを楽しんでくれたまえ」

「かしこまりました」

 俺は、首相官邸前、ヤンキー座りで、秋を待つ。ハイヤーが二台やって来た。そして、秋がハイヤーから舞い降りた。

「秋、村上秋にならないか」

「うん。勿論。それに、秘書って、大変そうだね」

「ま、まあな」

二人は永田町デートを楽しみ、婚姻届を出し、キスをした。

「ねえ。『男はパンパン3』ってどんな映画なの」

「あれ、エロビデオだよ。元カレがよく観てた。どうしたの。急にそんなこと言って」

「ちょっとな」

 秋と二人、レンタルビデオ屋へと行った。エロビデオコーナーにいる夫婦。あった、あった。『男はパンパン3』だ。

「ご返却は一週間でよろしいですか」

「はい」

「ねえ、どうして、こんなもの、借りるの」

「首相が観たいんだってさ」

 夫婦二人は、タクシーを拾い首相官邸へ。


本日の東京は晴天なり。タクシーから見えたもの。それは美保が赤ちゃんをベビーカーに乗せて歩いていた。本物なのか。偽物なのか。どっちやねん。本日の俺もやはり駄目な男である。



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