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scene1-6 背反者

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あなたは覚えていらっしゃるだろうか、あの、美しい翼のことを。



 ●●1


 “おまえは、喰えない”

 喩えようもなくおぞましいなりをした、そいつの言葉が未だに頭を離れない。虚ろな瞳と血の臭いが甦る。丸く広がった赤の真中、蹂躙され尽くしずたずたになった母の、身体だったものが転がっていた。

 なぜ自分だけ。どうして自分一人が母や父と同じように喰われなかったのだ。自分のなにが両親とは違うのだ。あまつさえ殺しにこいだなどと、あの異形は一体なにを考えていたのか。

 “そういう決まりだ”


 ──ああ、あの異形。なんであのとき、どこか哀しげに見えたのかしら。




 ●●2


 粘着質な水音がする。異臭はますます強くなり、闇は次第に薄れていった。

 パルギッタはぴたりとイリュニエールにくっついて歩いた。足許にはなにか固いものが余すところなく落ちていて、時折つまづきながら彼女らは進む。中には踏むと大きな音をたてるものがあって、パルギッタがそれに当たるたび、イリュニエールははらはらした。

 真珠色の少女は暗闇にぽっかり浮かんで見えた。彼女の身の裡から、微かだが柔らかな光が溢れているからだ。

 いつになく不安な感を覚え、イリュニエールは立ち止まった。“奴らに気付かれている”ことが、乙女にはわかっていた。どこからともなくねっとりとした視線を感じる。

 手にしている武器──方器(メメル)をゆっくりと胸の高さに持ち上げ、今すぐにでも動ける体勢をとった。それの直後である、けたたましい破壊音を聞いたのは。パルギッタは驚いてイリュニエールにしがみついた。


「大丈夫ですから落ち着いてください。方角は東です。恐らくはミコラさんが……遭遇したのでしょう」

「そうぐう?」

「出会うことです」


 この場合には出会うというより、出会すといったほうが正しいか。


「ほら、……我々も遭遇しました。よくご覧くださいませ」


 イリュニエールの言葉に、パルギッタは絶句する。本能的に、至極単純に、それを見たくないと少女は思った。

 二人の目前には一人の人間が座して食事をしていた。否、そいつを人間と呼ぶのはあまりにも横暴であるだろうし、食事というにはあまりにも下卑た行為にそいつは没頭しているのだった。周囲には鼠やとかげなどの比較的小さな生き物の死骸が、食い散らかした跡なのか(それともそいつなりに食物を並べたつもりなのか)、まさしく無数に散乱している。

 そいつは異形の者だ。朽ちた眼球、鉛色の歯、今にも破れそうに張っている肌は灰色がかった黄土色。髪はまばらに抜け落ち、異常なほど痩せているけれど、腹だけが不自然にぼこりと丸く膨らんでいる。


「生きながらにして死せる者、“冒涜者(ケオニ)”。他にもさまざまな呼び名があります」

「イーリ、」

「永劫の飢餓を負わされて、このような姿に身を落としたのです。……信仰に背いた罰として」


 イリュニエールはそう言って、目前のケオニを見据えた。ケオニのほうは一心不乱に鼠を貪り喰っている。


「このケオニも、放っておけばそのうち鼠では足らなくなり、だんだん大きな獲物を欲するようになります。今は無害ですが、いずれは人間にも危害を加えるでしょう」

「イーリ、ころすの?」

「そう……です、パルギッタ様」


 少女は無垢な瞳を震わせながら、あっさりそう訊いた。イリュニエールは思わずぎくりとして、返答の声も淀んでしまう。

 初めから知っていたのではないかと思ってしまった。そうでなければ、これまでずっと『死からもっとも遠い場所』にいたこの少女が、そのような即物的な発想に至るだろうか。簡単に口にできるようなことではないのだ、それを至極あっさりとパルギッタは言ってのけた。

 やはり、とイリュニエールは思う。天子がいくら幼いなりをしていようと、その本質は既に成熟したそれと変わらないのだ。ミコラやソファイアの思っているほど弱くはない。

 もしかしたらパルギッタは史上もっとも残酷な天子になるかも知れない。


「パルギッタ様、決して眼をお逸らしにならないよう」


 イリュニエールはケオニに近付き、その首筋に刃先を突きつけた。ようやく二人に気付いたケオニは、長い食事の手を止めて乙女を見る。眼は微かに蒼く濁っていて、白っぽい血色の膜に被われており、どうやら(めしい)ているようだった。


「貴様は違う……」


 呟きは闇に融けてゆく。イリュニエールはそのまま鎌を振るった。

 ぼとん、ケオニの首が鈍い音をたてて転がる。悲鳴も抵抗もまったくなかった。ただ、皮の裂ける音と肉のちぎれる音が、屋敷の中で高く響いた。

 一瞬の静寂を挟んだのち、どこからか聞こえてくる濁流のような轟き。それは次第に近付き、やがて生き物の咆哮であることが判る。しかし正確にはそれは生き物ではなく、生きながらに死せる者──ケオニの咆声なのだ。

 二人のいる広間に飛び込んでくるケオニは最早有害であり、食欲を剥き出しにして威嚇する。

 しかしイリュニエールは引かない。彼女には飢えた複数のケオニ達など怖るるに足らぬ敵である。唸る鎌は次々とケオニを引き裂き、突き刺し、息絶えさせてゆく。その切れ味は今世の物とは思えないほどに凄まじく、血脂にも決して鈍ることがなかった。


「貴様も違う、貴様も違う、貴様も、貴様も、貴様もだ!」


 ケオニを一人屠るごとにイリュニエールの殺戮は苛烈さを増していった。彼女を突き動かす憎悪は、“彼”を見付け出すまで止まることはない。

 あの日、両親を喰った者。自分だけを生かし、いつか殺しに来いと言った、あの異形。忘れるはずもない。

 (どこに隠れている)

 待っているぞ、そう言った。

 (私を殺さなかったこと、死ぬほど後悔させてやる……!)

 そうして望みを叶えるように、イリュニエールは方女に選ばれた。

 彼女は思う。あれは予言だったのだろうかと。

 それを確かめるためにも、そして仇を討つためにも、あの異形を探さずにはいられない。イリュニエールの鎌は、その日までは決して主を死なせはしないのだ。

 これで何人目になるだろう──足許に肉塊が増えるにつれ、乙女はその自我を昇華させてゆく。たとえ穢れた者の血を浴びようと、彼女らの戦いは(きよ)く、気高い。屠った屍は灰になって風に消える定めだ。なぜなら、方女は彼らを断罪しているのだから。

 またひとつ首が飛んだ。彼らを死なせる、これが一番簡単な方法である。もう終わりかとイリュニエールは振り切った鎌を下ろした、けれど、彼女は聞いた。


「イーリ、」


 震えて消えそうなパルギッタの声に振り向くと、ケオニが一人、少女と乙女の間に佇んでいた。いつの間に背後へ回られたのだろうとイリュニエールは訝るが、そのケオニは彼女のことなど気に止めてはいなかった。ただ天子の前に畏縮している──ように見える。

 いや。あれは獣が腰を落として狙いを定めているのにも似ている。

 パルギッタは足がすくんで動けないようだった。


「翼を、パルギッタ様、翼を」


 必死に言うと、少女は首を振った。わからないのか、それとも、翼はないという意味か、どちらにしろパルギッタは既に逃げる意思をなくしている。

 イリュニエールは地を蹴った。それから僅かに遅れて、ケオニが肩を揺らして飛び上がった。




 →next scene.

更新が遅れてしまいました。しかしながら、……受験生だったりします。

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