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scene5-7 星盗人かく語りき

**


『最後の日に何をするかって?

 そうだなあ、美味しい紅茶を飲んで面白い本を読んで……

 それから、いつものように眠りにつくのがいいよ、洗い立てのシーツをひいた真っ白なベッドでね』


 **

 ●●1


 この世の光をすべて集めたような場所だった。地面も草も何もかもが真っ白に輝いて、まるで天子の翼のようだった。

 地上には今も激しい雨が降り注いでいるというのに、ここはずっと静かなままだ。それもそのはず、ここは標高千数百里にもなる険しい山脈に属する峰の頂で、雲よりもずっと高いところにある。そのうえ周辺一帯をぐるりと厳重な呪いの囲いで覆われているのだから、雨粒どころか羽虫一匹紛れ込むこともない。

 ここは、光の庭園、と俗称されている。

 その場所も行きかたも長らく謎とされていたが、天子を失っていた時代の守護方女(メルシエ)たちが十年の歳月をかけてようやく入り口を見出した。なんと彼女らが集う屋敷の地下にそれはあった。

 巨大な寄木細工の形をした封印の向こうに、扉があるのだ。

 そこには翼を失った幼い天子が隠されていた。彼女の母は今でも行方が知れず、恐らく亡くなったのだろうと言われているが、亡骸が見つからないので葬儀は行われていない。

 だがそれも今日までのことかもしれないと、イリュニエール・デュソロウは思った。

 乙女の足元にはたくさんの花が咲いている。場所のためにすべて眩い純白に見えるけれど、もしかしたら赤や青や黄色や桃色などの、色とりどりの花だったかもしれない。ともかくその美しくも小さな花畑は、明らかに横たわる人の形をしていた。

 葉や花びらの間からわずかに青白いものが覗いている。図鑑でしか見たことはないが、人の骨だ。

 その背に翼はないが、彼女は断翼されていたから当然だろう。その際に背中の翼核(サリェ)も取り除かれている。翼核を失った天子は長くは生きられないというが、それは時間のないこの場所でも同じらしい。


「……あなたは、この方を探していらっしゃったのでしょう?」


 イリュニエールは静かに問うた。花畑を挟んで向かいに佇む、一人の青年に。


「そうだと言えるし、そうでないとも言えましょう。シェルジットは確かにエサティカの一人でした。

 ──私の愛するエサティカは、確かに一時は彼女でありました」


 彼は淡々とそう答えた。ロシュテン・ヨエルク=ヴォントワースは、しかし、もうそこにはいなかった。

 そこにいるのはこの世界でももっとも"古い者"のひとり、とうにその天命を全うしたはずでありながらも、子々孫々にその魂を巡らせ続けた呪いの持ち主である。

 初めまして、と彼は続けた。私は山頂の(タルゴーグ・イ)ユフレヒカ、と申します。


「そして、……お久しゅうございます、わが主、ひとつめの文字の(アルフエネール=)皎翼天子(エサティカ)

 ここでもう一度お会いできましたことを心より感謝申し上げます。やはり貴女は私をお見捨てにはならなかった!」


 彼はまるで祝詞でも読み上げるように高らかにそう言って、跪いた。その眼はまっすぐにエサティカの娘に向けられている。その人のことを彼はパルギッタとは呼ばなかった。彼女がパルギッタでないことを、彼は知っていたのだ。

 未だ事情を飲みこめていないイリュニエールは、じっとユフレヒカと名乗る彼を見た。

 その顔は、別人のように歪んでいるが、ロシュテンだ。その身体はロシュテンの身体であり、その腕はかつてイリュニエールの肩に触れたあの腕だ。間違いない。

 乙女に向けられていたいつかの温かな瞳だけは見つけられなくて、泣きたいような気持ちになる。


「ユフレヒカ、というのは聖人の名前だと存じております。どういうことかご説明ください。……どうしてあなたはロシュテン・ヴォントワース様ではなくなってしまわれたのですか。

 あのお優しかったロシュテン様は、どちらにいらっしゃるのです?」


 震える声で尋ねるイリュニエールに、エサティカがそっと視線を送る。


「……そろそろカルセーヌが来るわ。思い出話はそれからね」



 やがて天子の言葉のとおり、光の楽園の中にあって影を持つもの、つまり来訪者たる三人の乙女とカイゼルの姿が見えた。彼らは重い足取りでどうにかイリュニエールたちのところまで辿り着き、そうしてその前方に立つ男の姿をそれぞれ異なるようすで眺めた。一人は訝しげに、また一人は憂いを滲ませて、一人は奇異なものを見るように、そして最後のひとりは怯えながら。

 役者が揃った、と誰かが言った。

 まるで随分前から決められていたことのようだった。もし人の運命を操るものがこの世界にいるとすれば、きっとこれはその誰かの予定したことなのだろう。まさしくそんな名前を冠した書物を遺した男がかつていたが、あるいはその魂も、今この場に姿を変えて佇んでいるのかもしれない。

 聖イスタート、筆名はマケロ。彼の『予定』の中に終末説は記されている。


「随分観客が多くなってしまったようです。むろん、この場の全員が私の昔話を聞くために集まったわけではないことは承知しておりますが、よろしければお付き合いくださいませ。

 では初めに、ロシュテン・ヨエルク=レエフ・アッケル・ヴォントワースは死んだ、ということをお伝えしましょう」


 彼はそこで深々と頭を下げ、そして後から加わった四人に向けて、もう一度ユフレヒカとして名乗った。


「私はかつて、天より降臨したもうたアルフエネールの道行きの供でした。天子の言葉を民に広めることが務めであり、未開の者どもが天子に仇なすのであれば、この身を投じても防がなければならぬ。そのため天子は私に絶えることのない魂をくださったのです。

 たとえわが身が朽ちようと、子々孫々に魂が受け継がれることで、私は彼女とともに永遠を生きるのです……」


 彼は語る。その日々がいかに幸福なものであったかを。

 天子の代わりに野蛮な民の鞭を受けたとき、瀕死の傷を天子が奇跡の力で治したことで、民がその存在を認めるようになったこと。コラプという植物の葉を持ち歩き、天子の言葉をひとつとして漏らさず書き記したこと。そうして何百年という永い時を、ふたりが宣教の旅に費やしたこと。

 しかし誰よりも天子の傍にいた彼は、最初に聖人として認められた存在ではなかった。

 河泉の聖女スフミ、洞窟の聖女ペヌル、星読の聖女キリイエ、風沙の聖女ナナヤ、聖農ダーン、漁師の聖人ラザハル兄弟、花杜の巫女ヴルマイア、そして記録がなく何に由来するのかは知られていない聖イスタート、など多くの人物が聖人として聖典にその名を記されている。山岳の聖人ユフレヒカもその中のひとりではあるが、聖典中に名前が現れるのは後半になってからだった。

 しかも彼が始めて登場した文章というのは、ただ一言、天子はユフレヒカにもっとも高い山を任じた、とだけ。ユフレヒカが何者でどうして山の聖人となったのかは、その後も殆ど触れられることはない。

 もっとも高い山という言葉が降臨の地ハネア=キイを指していることから、恐らく彼が初めて天子を見た人間で、あるいは天子信仰布教の先駆けであること、それゆえユフレヒカの地位は高いということは古くから認識されていたことではある。そして特別な存在だからこそ記録されなかったではないかと推察する研究者もいたのだ。

 しかし、現実では、ユフレヒカにとって山ほど疎ましいものはなかった。

 もっとも空に近いハネア=キイの楽園は、もっとも天子から遠い純白の牢獄だったのだ。なぜなら天子はその後もずっと地上に居続けたから。そして山に置き去りにした彼のことを二度と傍に置こうとはしなかったからだ。


「私は天子を愛しすぎたのです」


 ユフレヒカは、しかし微笑んで言った。


「そして私の愛に俗的な感情を伴うものがあることに、アルフエネールは気づいた。それゆえ私をこのような場所に閉じ込めて遠ざけたのです。

 私は何年もここで生き続けました。時が地上の何倍も遅く流れるこの場所で、ただ寿命を全うするだけでも二百か三百かの歳月をかけねばならないのだ、その間に頭も冷えるだろう、……そう思ったのでしょうね、アルフエネール。だが実際には私の想いもまた時ともに停滞して衰えることがなかった!

 手を伸ばしても届かぬ星を見上げながら、呼んでも返らぬ名前を叫びながら、幾千の夜を嘆いたのです。アルフエネール、お解かりになりますか、私が何度天を掻いて何度声を枯らして、海ができるほどの涙を流したのか」


 そういえばこのハネア=キイ山を含むウリュデ山脈にも未だ幾つかの集落が残っているが、その中に伝わる言い回しのひとつに「ユフレヒカが泣くから雨が降る」というものがある。

 旱魃で民が餓えたり、また悪人が世にのさばって人々を苦しめるとき、それを山の上から見下ろして、ユフレヒカが嘆く。そのとき流した涙が雨となって地上に降り注ぐのだという言い伝えだ。ゆえに雨はユフレヒカの施しものとして、近辺の農民の間では農業を司る聖人ダーンに並んでユフレヒカへの信仰も深い。


「私は耐えられなかった。もう一目貴女に、もう一度貴女の声を聴いて、あるいは貴女に御自らの手でこの命を絶たれることを願ったのです。そしてこの地に残された秘術を読み解いて、幸い私には時間だけは有り余るほどにございましたので、その真なるところを知り、封じ込めるのとは逆に、ここから送り出す術を見出したのです。

 しかし後の世に造られた人が出入りするための門とは違って、私の作った狭い路では身体を通すことができず、魂だけが地上に舞い戻ることになりました」


 脱獄を果たした魂は彷徨ったすえ、彼の血縁者の末裔に宿った。それがのちに貴族社会の頂上に君臨することとなるヴォントワース家の始まりでもあった。

 ところでユフレヒカが山に封じられていた間に世界はまったく違うものになっていた。僅かだった拝翼者は大陸全土に勢力を広げ、そうでない者を探すほうが困難なほど増えていた。農民と貴族からなる社会はその頂点を王侯から天子へと変え、天子の名はアルフエネールではなくなり、その周りに侍るのはすべて女とされていた。

 ユフレヒカにはその意味がわかった。男の魂は男にしか宿らぬようにできているから、もしユフレヒカが人に紛れて戻ってきても天子に近づけることがないように、女だけを侍官と定めたのだ。

 天子もユフレヒカと同じように肉体を移して魂だけで転生し続けている。だからあの女性(ひと)は何代変わってもアルフエネールのままなのだ。

 ヴォントワース家の男はユフレヒカの命ずるままに聖職者としての徳を積み、財を聖堂に寄進して、少しずつ地位を高めていった。かつて天子の供をした男が再び最高位に昇りつめるのにさほど時間は要さなかった。そうしてついには貴族議会(エオレルマ)の議長の席を殆ど世襲するようになり、恐らく男の身ではもっとも天子に近い立場を得た。

 それでもユフレヒカが満たされることはない。

 それでも星は、なお遠い。


「私は考えた。人々の心が天子から離れたら、最後に残るのが私だけになればどうだろう。

 それで私に肉体を貸した者のひとりを反翼主義者に仕立て上げたこともあります。その男には予め天子をこの上なく崇拝するよう育ててから、彼女が私にしたことを耳打ちするだけでよかった。彼は世でもっとも大きな反翼組織を作り上げて、憎しみの籠もった書物をあちこちにばらまき、人々の不審を煽り立てました。

 けれどこの考えは浅はかだと気づきました。人々が信仰を捨てるにはあまりにも時間がかかりすぎると」


 星を盗むためにはどうすればよいのか、彼はそれだけを考えた。

 そしてある日ついに気がついた。もっとも高い山ですら届かないのだから、掴もうと考えること自体が間違っていたのだと。遥か高みにあるものを得ようとするから得られないのだと。

 ならば、方法はただひとつ。

 ──星のほうが地に落ちてくることがあれば、地上にあるものならば、人間に手に入らぬものはない。

 天子を人間にしてしまえばいい。その翼を捥いでしまえばいいのだ!


「けれども天子を堕落させようという考えは、さすがに恐れ多いものがありました。何人ものヴォントワースはそれを拒絶した。そう……ある一人の"失態者デヘニ"が現れるまでは。

 皆様方もご存知の、ロシュテンの父アッケルのことです。ロシュテン自身は彼のことをユフレヒカとしてもっとも失敗した者だと考えていましたけれどもね」


 むしろアッケル・ネヒガート=ヴォントワースは、ユフレヒカにとっては歴代最も優秀な肉体だった。

 ヴォントワースの大半がそうだが、ユフレヒカの影響で天子を愛してやまない彼は、愛してもいないのに天子シェルジットに仕える侍女を口説き落として伴侶とした。妻リョルネッテルとの間には嫡男ロシュテンが生まれ、一見順風満帆な夫婦生活を送っていた。その内心が燃え滾る嫉妬の炎で焼かれていたことを知るのはユフレヒカただひとり。

 ユフレヒカは彼に囁いたのだ。──天子とて身体は人と同じつくりをしているのだから、ひとりで子を生める手立てがあるはずはない、と。

 古くなった肉体を脱ぎ捨てるための新しい身体は彼女の「娘」。ではその父親は誰なのだ。法帝か、あるいはエサティカ一族の隠れ里という場所にそのための男性が存在するのかは定かではない。確かなのはそれが貴族の長たるヴォントワースではないということだけ。

 誰かがシェルジットを人知れず我がものにしている?

 疑惑の念を抱いたアッケルに天子懐妊の知らせが届く。街じゅうが歓喜乱舞して祝いの杯を掲げる中、アッケルはひとり混乱して邸宅を飛び出した。傍からは慶び天子の許へ馳せ参じるように見えただろう。

 けれど天子に謁見したアッケルがしたのは、彼女を組み敷くことだった。

 なぜかシェルジットは抗わなかった。それができないことを、その理由もユフレヒカは知っていたし、アッケルを止めることもなかった。狂った男は──狂った魂に取りつかれた失態者(デヘニ)は、天子を陵辱した。

 そうしてついに星は落ち、世の理はねじれ、天は裏返り、


 この世で初めての、そして最後の、二羽の鳥(双子のエサティカ)が生まれたのだ。



→next scene.

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