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scene1-3 白い庭

 愚かさに気づかない者こそが、最も罪深い愚者である。賢しい者はそれを見て笑うであろうか。

 本当に賢い者ならば、確かに憐れむはずもない。


『受難者の言葉』

-


 ●●1



 乙女は空を仰いだ。青鈍色の雲が覇権を求めて争っている。

 背後から声を掛けられて振り向くと、花形をした手編みの白いクロスの上に、女中が茶器を置いたところであった。


「どうです、アッツォレニア産の茶葉ですよ」

「ありがたくいただきますわ」

「茶請けはモンベリーガレットにしましょう。さて、貴女は気に入ってくださるかな?」


 白塗りの屋根の下、テラスには暖かな紅茶の香りが広がっていた。趣味のいい主人のおかげか、それとも庭師の腕がいいのか、庭園は晏天であってもこざっぱりした表情である。貴族の邸宅にしては控えめな色遣いの花が多く、それが足許から品のいい笑顔を咲かせているのであった。

 乙女は歩み、これもやはり白塗りの椅子に腰掛けた。


「で、カルセーヌ。本題に入りますが、パルギッタ様の様子を聞かせてください」


 彼は微笑んでいた。けれど瞳は笑ってなどいなかった。

 カルセーヌは一呼吸おいてから、爛漫でいらっしゃいます、と答えた。


「お寂しいようなご様子はおくびにも出されませんから。それからイリュニエールの報告によれば、お背中に掻き傷のようなものが幾つか、ひとの掌ほどのものがあったそうですわ」

「となると……、やはり断翼されたのでしょうか。光の庭園にいらっしゃる以前のご記憶を失われたのも、断翼の衝撃で」

「ええ。そうかもしれません」


 ぱたり、と頭上で小さな音がした。とうとう降りだしたらしい雨が、屋根を叩いた音だった。

 雨は次第に間隔を狭め、屋根の上と雨垂れとが連なるように細かな拍を打つ。それは音階を持たない。ただ、自由を渇望するかのように、幾つも水滴が舞っていた。

 そこへ室内に戻っていた女中が慌ただしい様子で駆けてきた。彼女は家主の名を呼びそして、青ざめた顔で手紙めいた紙切れを手渡す。その紙切れには日時と場所が記してあり、右下の隅に羽根を表した印がある他は、差出人を示すようなものは見られなかった。


「とうとう来ましたか」

「三人に伝えてまいりますわ。お紅茶、ごちそうさまでした」

「馬車をお貸ししましょう」


 二人は席を立ち、卓の片付けを女中に任せて室内へ戻っていった。あとから馬のいななきが高く伸びた。渋るような蹄の音が、次第に小さくなってゆく。

 広がる庭は、まるで海底に没したかのような、色濃い世界と変わっていた。



 ●●2



 少女の柔らかな手には純白の羽根筆が握られていた。先から滴る墨で紙が汚れてゆくが、全くそれには構わないらしく、少女はぼんやりと手本の文字を見つめていた。活版を少し大きくして印刷したような、綺麗に整った文字である。


「パル様、今は字を書く時間であって眺める時間ではありませんよ」

「んー」


 退屈そうに少女は唸る。


「まあまあ、そう急かしたらいけませんよ」

「ミコラさんは甘やかしすぎです。パル様はいずれ天子となられるお方、御歳十六で読み書きがおできにならないのでは話になりません」

「十六ったって光の庭園にいらしたのですよ? お身体はまだ八つかそこらじゃありませんか。それにお心のほうはもっと幼くいらっしゃるように思いますわ」

「それは、……私も同感ですが」

「わたくしもそう思うわ。だってほら、わたくし達が八つの頃はもう方器(メメル)片手に訓練漬けの毎日だったじゃない?」


 乙女達は頷きあう。

 黒髪の波打つ乙女──“可憐なる”と謳われるミコラなどは、ソファイアの言う『訓練』を受けた時点では僅か六歳であった。不思議なことに方女四名は年齢も嗜好もばらばらで、彼女らの共通点と呼べるものと言えば、全員が高貴な家の生まれであるということだけである。無論、各々の家位には上下があったが。


「そういえば、カルセーヌさんはいつお帰りになりますの?」

「さあねえ……だってニルヴァー伯のお屋敷でしょ。しかもあの若伯爵は次期法帝の最有力候補らしくってよ」

「ニルヴァー伯が何かあるのですか? しかも、とは」

「あら知らないの? ビオスネルク伯が内々に二人の婚約を進めてるって話」


 情報通のソファイアが好きそうな話題である。概して他の乙女も楽しげな表情でそれを聞いていた。

 カイゼル=リュゴ・ニルヴァーはまだ二十の半ば、それで若伯爵と呼ばれている。今をときめく為政者の卵である。もちろん他の若い有力者の例に漏れず、数多の家の令嬢たちが、競って彼に想いを寄せているのであった。

 対する方女の頭、乙女達にとっては『我らが』のカルセーヌ=ビオスネルクはニルヴァーの同僚ビオスネルク伯の正統な後継者である。言ってみればこれ以上ないくらいにぴったりの組み合わせだ。

 当の二人は家の関係上、幼い頃から交流があるため幼馴染みとも言えるだろう。


「でもそのように堂々と噂されては、内々に進んでいるとは言えませんね」

「これくらいなら大丈夫でしょうよ。それより貴女達には浮いた話のひとつくらいなくって?」

「まさか。とんとご無沙汰しておりますわ」


 そう言ってミコラは笑ったが、年頃の、それも貴族の娘の基準からすれば、そんなはずはないのである。加えて彼女は線が細く、愛らしい顔立ちをしている。これで放っておかれるほど彼女達の歩いて渡る貴族社会は愚鈍ではない。浮いた話のひとつもあったほうが自然というものだ。

 その隣でイリュニエールは、些か興味なげに紅茶をすすっていた。彼女とて決して容貌は悪くない──というか、地味な印象を与える銀縁の眼鏡さえなければ、必ず若者達の眼を惹き付けるに違いないのだが。それに彼女は衣装も控えめすぎるきらいがあるので、もっと明るい色を纏えば雰囲気も随分と違って見えるだろう。

 正反対なのはソファイアで、ただでさえ目立つ紅毛が渦巻いている上に、彼女は好んで艶やかな色を着るのである。それでいて人付き合いは派手すぎない。


「……あ、ルシーが帰ってきたよ!」


 突然、それまで黙って羽根筆を弄くり回していたパルギッタがぱっと顔を上げた。ルシーというのはカルセーヌのことである。パルギッタには乙女たちの名前が長すぎるらしく、イリュニエールならイーリ、ソファイアならソフィーというように勝手に短くして呼んでいるのだ。

 そしてイリュニエールがカップを置いたのとほぼ同時、階下で扉を開く音がした。



→next scene.

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