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scene4-7 南十字星

天子信仰が始まる前の古い神話を知っているかね。

他言は止してくれ。こんなものを研究していることが世に知れたら、私は翼に反する者だと思われてしまいかねない。

まあ、それで、本題だが。


古来、神は複面だったと言われている。慈悲深い神も、ときには恐ろしい祟り神になるのだとね。

そしてそのたびに世界は滅び、また新たに編み直されてきたという。


ちなみにこの話は、昔私が山々を旅していたときに出逢った、ある隠者から聞いたものだ。


(とある歴史学者の話 ある年の大地の月5日目の昼下がりのこと)

 ●●1


 そして事件は唐突に起こった。

 乙女は偶然にも、それが現れたところを窓辺で見ていた。暗い灰色の屋根に、銀色の滴飾りと赤い紐のついた、派手ではないが洒落た趣の馬車を。

 見慣れない来客だなとは思ったけれど、このあと起きるできごとについては全く予感していなかった。

 ただ、屋敷の前に停車した馬車から同じように暗灰色の外套を被った人影がぞろぞろと出てきて、さすがにそれは不気味であった。方女屋敷を尋ねる者の風体とは思えなかったからだ。天子の眼に触れるかもしれないというのに、最低限の礼さえ欠いている。

 もしやまた天子を崇める集団か。

 当然の不安を抱いた乙女は一旦自室に戻り、壁にかけてあった己の方器を手に取った。そして足早に玄関を目指す。ひとまず彼らを屋敷のなかに侵入させてはいけない。

 よくよく考えたら一般人が馬車を使うはずもないのだということは、このとき乙女の頭にはなかった。


「ミコラ? どうしたんです、そんなものを持ち出して」


 廊下ですれ違いざま、乙女の妙な行動に気がついたカルセーヌが声をかけてきた。ミコラは静かに、いま方女屋敷の前に怪しげな集団がいるのを見た、と説明した。また一般の過激派かもしれないと思ったことも含めて。

 納得できる回答にカルセーヌは頷いて立ち上がる。それからまずパルギッタと彼女に傍仕えるイリュニエール、そしてソファイアを探したが、ふたりとも近くの居間などにはいなかった。

 そういえば最近、乙女たちは誰もかれも自室にこもりがちだ。


「私はパルギッタさまにお伝えします。戻るまで対処を」

「はい」


 ミコラのしっかりとした返事に少しの安堵を覚えたカルセーヌは踵を返す。

 乙女はこのところずっと塞ぎこんでいた。一時など悄然として食事もろくに摂らず、ほとんど口もきけなかったほどだ。

 今は職務のために無理をしているかもしれないが、それでも方女頭として……むしろ姉代わりとしてカルセーヌは、乙女のかすかな回復を喜んだ。

 さて、肝心のパルギッタはイリュニエールの部屋にいる。イリュニエールにはそのまま護衛をさせて、ソファイアだけ連れて戻ろう。

 そう考えたカルセーヌの耳に、次の瞬間、信じられないほど大きな音が響いた。


「──何ごとです!?」


 慌てて振り向くと、何ということだろうか、観音開きの扉が両側とも極限まで開いていた。いつもは片方しか使わないため内側から留めてあったのにも関わらず、つまり留め具が外れるほどの力と勢いで扉を開いたということになる。

 それだけで玄関の風景は尋常ならざるものとなっていた。中央では間近で見た開閉の衝撃に驚いたのだろうか、ミコラが尻もちを突いている。

 黒髪の乙女の前に立ちはだかるのは怪しげな暗色の衣装に身を包んだ者たちだ。身体の大きさからして男ばかり、少なくとも十人はいる。異様な光景だった。

 ミコラは最初驚いて固まっていたが、すぐにその場を飛びのいた。普段着では討伐衣装のようにはいかないものの、落としてしまっていた方器を素早く広い、構える。

 できることならカルセーヌもすぐ駆けつけたかったが、いま乙女の手に金の槍はなかった。


「何者だ! 天子の坐す御邸と知っての狼藉か!」


 だからカルセーヌにできるのは、方女頭として、彼らに厳しい声を投げかけることだけだった。

 騒ぎを聞きつけたのだろう、残りの乙女たちが顔を出す。パルギッタもイリュニエールの背後から事態を窺っている。ただごとではないことは明らかなので、イリュニエールは天子を隠そうと背後に腕を回した。

 侵入者たちは答えない。ただ威圧感を放ってミコラの前に佇んでいる。


「イリュニエール、そのまま天子をお護りしなさい。ソファイアは私とイリュニエールの分まで方器を!」


 続いてカルセーヌがそう言うと、イリュニエールからは返事があったが、ソファイアは何も答えなかった。動いた気配もない。

 奇妙に思ったカルセーヌが振り返ったところ、乙女はしっかりそこに立っている。

 聞こえなかったのか? いや、そんなはずはない。

 ソファイア、とカルセーヌがもう一度声を張り上げようとしたところで、乙女は紅蓮の髪を掻きあげながら口を開いた。


「心配要らなくてよ、方女頭(メルク)。彼らは我々の敵ではございませんわ」

「……、どういうことです」

「よくご覧くださいまし。彼らの衣装には見覚えのある紋章がございますでしょう?

 方女頭たるカルセーヌさんならご存知でしょうけど、それは天宮兵(ティダト)のものですわ。つまり我々と同じく天子をお護りする立場の方々……」


 そうですわね、とソファイアが念押しのように尋ねると、黒服のひとりが重々しく答えた。

 いかにも、と。

 けれどもそれで怒気を収めるカルセーヌではなかった。たしかにソファイアの言うとおり黒服には羽と剣を象った印が刺繍されていて、それが天宮兵、すなわち天宮において衛兵を務める者たちの証だということは、カルセーヌも知っている。

 しかし、天宮は先日閉鎖された。そんなことはこの場の誰もが百も承知だ。その際天宮兵たちの処遇がどうなったかは知らないが、そもそも長年使われていなかった天宮に、それほど多くの兵が配属されていたとは考えにくい。

 この黒服たちは全員ほんとうに天宮兵だったのか。

 仮にそうだとして、なぜ方女屋敷に現れる必要があったのだろうか。それも方女の出迎えを待たず、呼び鈴も鳴らさず、扉を壊しそうなほど荒々しく開くというのはいかがなものか。

 何より──彼らは誰ひとりとして素顔を晒さず、その頭部には奇妙な鉄製の面のようなものを被っていた。

 幾らなんでも不気味であるし、天子の前に出る姿としては無礼だ。討伐における御者のような特殊な立場(彼らの場合は存在しないものとして振る舞うため、顔を出さず口も聞かないものとされている)ならともかく、方女ほど傍寄ることはないにしろ天子を護る立場なら顔を出すのが決まりである。

 とにかく天宮兵たちの容姿と言動はすべて、この場の状況をまっとうに説明できるものではなかった。

 したがって、カルセーヌは険しい表情を変えることなく、次の言葉を口にすることになる。ソファイアがどういうつもりなのかは知らないが、いまは侵入者たちへの対処が先だ。


「天宮兵、おまえたちには方女屋敷に立ち入る許可はありません。どんな理由があるにしろ出て行きなさい。

 いま天宮に関する事柄はすべて議会に管理されています。議会からの通達がない限り、この屋敷の領内に入ることは私が許しません」


 なお、それはまごうことなき事実である。天宮の閉鎖と同時にそれまで管理を任されていた天宮庁も解体されたので、天宮に絡んだ利権や付属する組織団体などは、すべて貴族議会によってその後の動向が決められた。

 天宮兵についても何かしらの議論があったかもしれないが、あいにくカルセーヌの耳にはまだ届いていない。

 とにかくカルセーヌの宣言は当然のことだった。まかり間違ってもこんな乱暴で下品な者たちを天子のまわりでうろつかせるわけにはいかない。たとえ議会からそういう旨の申請があっても撥ね退けてやるつもりだった。

 だが、先ほど答えた黒服の男──どうも彼らの長か代表であるらしい──がいきなり高笑いを始めたので、カルセーヌはぎょっとした。


「はははは! 滑稽な! 方女頭は何も知らぬようだ」


 しかも彼は笑いながら懐に手をやった。それに倣ったように他の黒服たちも同じ動きをする。

 嫌な予感にカルセーヌが身構えると、ちょうどイリュニエールが駆け寄ってきて、金の槍を手渡した。急いでそれを受け取る。間に合った、と心の隅で誰かが呟いた。

 乙女はソファイアにも紅の鎖鎌を渡していたが、断られていた。


「教えて差し上げようぞ。我ら天宮兵団は独立した組織であり、天宮はもとより天宮庁とも、もはや何の繋がりもない。同時に議会は我々に対して何の権限も持たない」

「……なんですって?」

「そして我々は方女の命令も受けぬ。それどころか……」


 がちり、と金属が擦れあうような音がした。カルセーヌは一瞬感じた眩暈に抗いながら、どうにか天宮兵たちの動向を見定めようとする。

 彼らはいったい何をしている?

 衣装に合わせた黒い手袋がそれぞれ何かを持っている。同じ形をした、恐らくは金属でできているのだろう、銀色の物体だ。ぼんやりした視界のなかで、かろうじてそれが星を表わす模様を象っているのがわかった。

 彼らは円形に拡がってミコラを取り囲んでいる。

 乙女は再びその場にへたり込んでいた。刀を握り締めたまま、がくがくと震えている。

 妙だ。カルセーヌが眩暈のために眼を逸らしたのは一瞬だったし、そのわずかな間に彼らとミコラが争っていたようには思えない。ただあの不思議な飾りを懐から出しただけのようにしか。

 それで戦い慣れているミコラをあんな状態にできるなんて、何かの呪いでもかけられた品なのだろうか。


「……それどころか。我々の目的は、道に(そむ)いた方女の捕縛と断罪である──」


 冷たい声が聞こえて、カルセーヌははっとした。


「どういうことですか。説明なさい」

「先日、“南十字星(アネクシェリグ)”からの通告が入ったのだよ。方女のひとりに反翼的な思考を持つ者がいる、捕縛して事実を明らかにし、翼下の裁定を、とな。

 ──ミコラ・ダーチェル=フィッケンベレン、貴様のことだ」


 南十字星。聞き慣れない言葉にカルセーヌは瞬きをする。

 その間、ミコラは震えたまま、違います、どうして、などと呟いていた。たしかにわからない。ミコラは優しく強い、方女としてもっとも理想的な乙女だ。パルギッタとの関係も良い。

 その彼女に反翼思想があるとは、カルセーヌには思えなかった。

 ……それに。

 南十字星、という言葉にはひっかかるものがある。とくに、南、の部分だ。

 守護方女という名称は四方を守護する乙女を意味している。北はカルセーヌ、東はミコラ、西はイリュニエール──そして、南は、この場で唯一天宮兵に敵意を示さなかった、ソファイアが守護を受け持っているのだ。

 カルセーヌがゆっくり乙女を振り返ると、ソファイアは、なんとも言えない表情で立っていた。


「ソファイア、……あなたが……?」

「……、ええ」


 そして乙女は、それを認めた。


「クードゥール家は南十字星の一族のひとつですの。天をお護りすることを運命づけられた家系……それなのに、守護方女に選ばれたのはわたくしが初めてなのですけれど。

 天子に害意あるものは排除せよと、……わたくしは、努めを果たしただけですのよ」

「なぜ私に一言の相談もなく、」

「カルセーヌさんは……優しすぎますもの。仲間を売るような真似はできませんでしょ……?

 それに、南十字星であることは、公にしてはならないので」

「……ソファイア!」


 仲間を売るとはなんだ。それなら乙女は、ミコラと引き換えに何かを受け取るというのか。

 いいや、カルセーヌが怒っているのはそのことではない。

 どうして何も言わなかったのだ。ミコラの言動で何か気になることがあったのなら、まず方女頭たる自分に報告するべきだったのに。

 それに南十字星などという集団のことをカルセーヌは知らない。いまや貴族議長であるビオスネルク伯を父に持ち、次期法帝と目されるカイゼルを婚約者とし、自身は方女頭でもあるのに、今まで一度も耳にしたことがない。たったの一度も。

 すなわち、それは、教会に属する正規の組織ではないということだ。天宮なき天宮兵たちと繋がっている点も怪しい。ほんとうにまともな集団なのだろうか。

 ふと、先日のカイゼルとの話を思い出した。

 ──ケオニたちは自然に発生するものではない。どこかに、誰をいつどこでケオニとするか、裁定をする者がいる。あるいは組織的なものかもしれない。……五番区災害は、下級貴族に対する制裁だった可能性がある。

 また眩暈がした。けれども今度は、星の形をした呪具のせいではなかった。

 ケオニたちを閉じ込めた屋敷。そこに残された、天宮紋。

 そしていま、眼の前にいる天宮兵たち。

 人びとをケオニにするかどうか、裁定する組織。……翼下の裁定、という、天宮兵の言葉。


 途端にすべてがいびつな形で繋がって、カルセーヌを嗤った。


「あなたたちが……ケオニを……冒涜者を作っていたの……?」


 方女頭の狼狽に、ついにミコラが悲鳴を上げた。自分のおかれた状況をはっきり理解したのだ。

 このまま連れていかれたら、どうなるのか、ということが。


「いやあああああ! 違います、違う、わたしは、決してわたし、は、違うの、天子さまを憎んだりなんて! 違うのよ!

 ただ、ミケールが可哀想で、……っ、離して、触らないで!」


 泣き叫んで抵抗するミコラを、呪具を手にした天宮兵が組み伏せる。すでに乙女の手に方器はない。体格差のある少女の身体を取り押さえることなど、男たちにすれば簡単な所業だった。

 それでもミコラがあまりに暴れるので、ついにひとりが乙女に馬乗りになる。

 ひどい光景だった。カルセーヌはそれを止めに入ろうとしたが、数人の天宮兵に呪具をつきつけられて動けなくなった。

 こうやって今まで何人の人間が彼らに捕えられていったのだろう。

 (私たちは、こんな思いをしてケオニになった……いや、ケオニにされた人びとを、屠ってきたの?)



 →next scene.

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