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scene4-1 生命は朽ちる

天子の浄済を待つのにはもう疲れた


『ある受難者の言葉』

_

 ●●1


 乙女たちは漆黒の衣装を身に纏うと、ナージェを見送ってから出立した。

 パルギッタもまた同じような黒の衣装で、髪もふつう結いあげるところだが、こちらは本人の希望で下したままだ。その代わり揃いの大きな髪留めで、行動の邪魔にならないように押さえてある。

 五人が乗り込むと馬車は出発した。

 今度の目的地はまた旧五番区にあるが、前回の中流貴族屋敷とはほとんど反対の方角にある。しかし詳しい場所は乙女たちも把握していない。情報はいつも聖堂と議会のところで止まり、必要最低限のことしか方女には届かないのだ。

 場所は方女らが知らずとも、御者が間違いなく届けてくれるので問題ない、と議会では考えられているらしい。実際のところ乙女たちのほとんどは五番区のことをよく知らないので、こちらもあまり聞く必要はないと思っている。

 さて、馬車に小一時間ほど揺られたのち、乙女らは目的の場所とされる地点に降りた。

 住宅地のようである。ずらりと廃屋が整然と並んでいる光景には圧倒されるものがあるが、どれもひとつひとつはさして大きくはない。

 ここが五番区であったことも鑑みると、恐らくは下流貴族の住居なのであろう。建築様式の古さ、技巧の稚拙さが、住まいに趣向を凝らす余裕のなかった暮らしぶりを感じさせる。今では商人でさえ、もっと壮麗な邸宅を構えるものだというのに。

 乙女らは当たりを見まわした。冒涜者の気配はない。


「御者、ほんとうにここなのですか?」


 カルセーヌが御者に問うと、彼──いや、布で顔を隠しているので性別は定かではないが──は手にしていた地図を確認するような仕草をした。

 討伐の際に使う黒い馬車では、聖堂で特別に指名された御者が送られてくるのだが、彼らは基本的には口をきかない。乙女に対して口を開くことは、天子に口を開くことに通ずるからだという。

 御者はしばらく悩んでから、すっと遠くを指差した。

 カルセーヌもそちらに眼を遣って彼の言わんとすることを理解する。そこには屋敷が建っていたようだが、風雨のためか打ち崩されて見る影はなく、面した通路をも半ば塞いでしまっている。どうやら目的地はその先で、馬車が入ることはできない、と言いたいらしい。


「わかりました。歩いて行きましょう」

「パルギッタさま、この先は足許が悪うございます。お気をつけください」


 乙女らとパルギッタは徒歩でそこへ向かう。衣服の裾を瓦礫にひっかけないようにと気を遣いながら、崩れた建物の脇を抜けてその先へ。

 そこはもう住宅地の端になっていて、ぽつりと建物がひとつあるだけだった。古い屋敷だ。やはり装飾は過小なほどで、質素でわびしい佇まいをしている。

 窓辺にちらちらと光るのは冒涜者(ケオニ)の眼光だろう。ここがその場所のようだ。

 門扉に小さく彫られている雀とかたばみの家紋を眺めつつ、乙女らはそこでいつものように四方に分かれた。


「イリュニエール、天子さまを頼みます」

「はい」


 今日もパルギッタはイリュニエールに同行する。もはやこれは定例である。

 パルギッタの浄済を見ることになると思うと心もはやるだろう、と乙女たちは少し羨ましそうではあったが、その特権を西方守護の乙女に託す。

 だが、乙女の表情は決して明るくはない。

 もちろん生来の性格からして、こういう場面ではしゃぐ娘ではないことを乙女らも理解しているので、それについて深く尋ねることはなかった。それにしても、と……これはソファイアだったろうか、それにしても静かすぎるわ、とぼやいたのは。



 ●●2


 なんとなく、予想はしていた。ここで待っていれば、また会える。

 予想したままに待ち続けていた。会いたかったからだ。もう一度彼女に機会をもらいたかった。

 この餓えた心を癒してくれることを。

 この餓えた身体を滅ぼしてくれることを。

 そんなことができるのは、この世界には彼女しかいない。いや、たとえ彼女以外で可能な人間がいたとしても、求めたくはない。彼女に終わらせてもらいたい。

 今の自分は欲望の塊だ。欲しがる感情しか、もうこの身体には残されていないのだ。

 だから、待つ。いつまでも。


「あんたじゃない」


 かつて身分のない少年だったケオニは、眼の前にいる乙女に向かって呟いた。

 彼が待っていたのは黒髪の可憐な乙女なのであって、今対峙している、燃えるような緋色の巻き毛の乙女ではない。しかし乙女は不可解だわと吐くように言って、彼に手にした刃を向ける。

 鎖に繋がれた刀身には、真っ赤な文字で天子の言葉が刻まれている。

 それを見るだけでもケオニの身体は竦み上がり、身体を切り刻まれるような痛みと恐怖を感じる。天子というのはなんと恐ろしい存在なのだろう。ただでさえ苦しかったのに、天子のせいで苦しいのに、さらにまだ苦しめようというのか。

 ケオニはそろりと後ずさる。

 まだ、死にたくない。生きているのは辛いけれど、ここでは、死にたくない。


「あら、逃げるの?」


 好戦的に乙女は笑う。


「眼の前に新鮮な肉がいるというのに、おまえ、逃げようとするの? 不可解だわ……」


 次の瞬間。

 ケオニが咄嗟に飛びずさると、先ほどまで己がいた場所に、乙女の刀がざっくりと突き刺さった。刀は床板に深くその刃を埋めているように見えたが、乙女が鎖を引くと板を壊しながら顔を出した。

 ぎらぎらと輝く、天子の言葉。ケオニは息を呑む。早くこの女から逃げなくてはいけない。

 逃走経路について考えようとしたが、それは乙女の第二刃によって遮られた。


「──」


 びち、と嘘のような音を立ててケオニの左手首が千切れ飛ぶ。思わず呻いた。声にならない声だったが、自分では痛いと言ったつもりだった。

 しかし痛みに縮こまっている時間はない。手を抑えながら走りだす。

 乙女が追いかけてくる。

 あの女には慈悲はないのか、と、ケオニは今さらなことを考えた。昔聞いた話では、天子というのは慈悲と慈愛に溢れた存在で、身分の有無に関わらず民を愛してくれていると聞いた。その傍に仕える守護方女というのも、やはり心優しい貴族の娘が選ばれるのだと。

 だからあの優しいひとが──ミコラ、が選ばれたのだろうと、そう思ったのに。

 これがミコラと同類の人間か。ケオニにはそうは思えない。先日ケオニを前にして刀を下げたあのミコラと同じ人間だなんてことが、同じ守護方女なのだということが、信じられない。


「う、うううぅぉおおあああ」


 わけもわからず叫ぶ。痛くて呂律が回らない。

 この声がどうかミコラに届くようにと、あらん限りの声で叫ぶ。


「お待ちなさいな、すぐに楽にしてあげてよ?」

「ぁああああああ!」


 慈悲を、どうか、慈悲を。願いを込めて叫ぶ。祈りを込めて叫ぶ。

 がくりと身体が揺れて、気がつくと背骨の横に乙女の刃が突き立っていた。頭の中が真っ白になって痛すぎてもう痛くないほどだ。思考が消えそうなほどに鋭く鈍い痛み。

 動けないケオニを、乙女は刀が刺さったまま鎖を手繰り寄せる。

 床の上をずるずると引き摺られながら、ケオニはそれでも、かすれる意識の片隅でまだ祈っていた。

 ──おれの慈悲は、あんただけ。

 そして、最後の最後でようやくその願いは届いたらしい。ケオニにはぱたぱたと駆けてくる足音だけで充分だった。精一杯の力で眼を少しだけ開けて、待ち焦がれた姿を視認する。

 もうほとんど視力は残っていないけれど、彼女の美しい黒だけはわかる。


「ミコラ? あなた、ここはわたくしの持ち場で──」

「あ、ああ、ミケール!」


 傍に駆け寄ってくる、黒を纏った優しいひと。ミケールと呼ばれたそのケオニは、自分の朽ちかけた肌に彼女の白い柔らかな手が触れるのを感じた。

 自分は今、満たされている。そう感じる。空腹や孤独やその他の欲求は、身分のない彼には生れたときからつきまとっていたものだから、人間でもケオニでも大して変わりはない。それよりも彼女を失ったことのほうが、彼女に対する渇望のほうが辛い。彼女に餓えることのほうが、よほど。

 ケオニのミケールは眼を閉じた。このまま死んでしまえたらいい。

 しかし乙女たちは、何か問答しているようだった。


「ひどいです、ソファイア……こんな、こんなふうに屠るなんて、あんまりだわ……」

「何を言っているの、ミコラ」

「やりかたが残虐だと言っているんです!

 彼が何をしたというんですか? もう充分です、こんな姿になるまで苦しんできたのだもの。これ以上、わざわざ痛めつける必要なんて、ないでしょう!?」


 ミコラの声は震えている。泣いているのだろうかと、ミケールは少し心配になる。


「ケオニが何をしたかって、あなた、明白なことだわ。この醜い男はね、皎翼天子であるパルギッタさまを冒涜したからこういう汚らしい姿になったのよ。罪には罰がある。罰のために苦しむのは当然のことじゃないの」

「でも、だからといって、非道な殺しかたをしていいのですか!」

「そうね。あたくしたち方女には、そうする特権があるのだと思うわ。守護方女は誰より天子さまのお傍にいられて、天子さまのお心に背くものを、誰よりも憎むのだから。

 それともミコラ、あなたはそうじゃないのかしら……?」


 ミケールが眼を開けることができたなら、このときソファイアがどんなに冷たい眼をしていたのかがわかっただろう。それを受けたミコラがどんなに蒼ざめたのかも。

 黒髪の乙女は消えそうに小さな声で、そうかもしれません、とだけ、答える。

 それを聞いたソファイアは、そうでしょうとも、と満足そうに笑った。その言葉には、それ以外の価値観など認めないという、言外の抑圧が含まれていた。天子に傍寄って仕える方女にとって、天子は絶対でなければならない。

 ……でも、と、ミコラは続ける。


「それでも……わたしには彼が、そんな罪を犯しただなんて思えません。

 ねえミケール、そうでしょう? 確かにあなたの暮らしは、その、とても豊かだとは言えないものだった。でもそれで天子さまを恨んだりしたの? わたしの知っているあなたは、そうじゃなかった。あなたは賢かった。天子さまを恨むことで貧困は解決しないって、きちんと知っていたもの」


 乙女はミケールを抱き締めている。息も絶え絶えの彼にちゃんと聞こえるように、耳元に口を寄せて話しかける。

 懐かしい声にミケールは心を震わせながら、喉から声を絞り出すようにして答えた。


「……恨んだよ」


 は、とミコラの息を吐く音がする。


「天子は、あんたを連れていってしまった。あんたみたいな、へんなキゾクは、ほかにはいなかったのに……おれを抱き締めてくれるような、へんなキゾクは……ミコラ……あんただけだ」

「ああミケール、やっと名前を呼んでくれたの……」

「おれみたいなのが呼んでいい名前じゃないよな、ごめん……」

「ううん、いいの、わたしはとても嬉しい」


 柔らかな黒髪がミケールの顔に降りかかる。きっとそれはくすぐったくて、気持ちがいいのだろうけれど、今のミケールにはもうわからない。ミコラがこんなにも触れてくれているのに、ミケールの身体はもうその感触どころか痛みすらも感じない。

 けれどもちっとも辛くない。身体を蝕んでいた激しい空腹もどこかへ去った。


「おれは言ってやった。天子を恨んでる……他に何をとられても惜しくはないけど、おれからあんたを……好きなひとを奪ったことだけは許せない、って……そうしたら、このざまだ」


 ミケールの声はどんどんかすれていく。最後のほうなど、離れたところに立っているソファイアには聞こえなかったかもしれない。だが、ミコラにさえ聞いてもらえれば充分だ。

 かつて幼くて、気恥ずかしくて言えなかったことを、今やっと伝えられたのだから。


「辛いの? 無理をしないで……あなたの気持ちは受け取ったから。

 ソファイア、お願いです。ここにパルギッタさまをお連れしてください。ミケールに浄済を」


 そんなもの要らないよ、とミケールは言った。声に出したつもりだったが、もうすっかりだめなようで、ミコラにも届かなかった。

 よかった、死にそうなとき、傍にいてくれる人がいる。ミケールは安堵した。感覚はもうないはずだけれど、そこにミコラがいることだけは感じることができた。

 けれどもミコラのほうでは安らかではなかった。ソファイアの反応を待っていた。

 紅毛の乙女は、返事をしない。その場からも動かない。ただじっと、ケオニを抱き締める守護方女を──その奇妙な光景を見下ろしているだけだ。

 お願いです、とミコラはもう一度より大きな声で、ソファイアの眼を見つめて言った。

 ソファイアはにこりともしないで、こう答えた。


「とんだ茶番だわ」


 そこから先のことをミケールは知らない。彼の魂はもう安らかになってしまったからだ。

 ケオニが死ぬと、その身体は灰になる。ミコラの腕の中で崩れるように朽ち、それは砂や粉よりも軽く、風が吹けばすぐに舞い散ってしまう。そうしていつか、大地に混ざって新しい肉体になり、再び魂を宿すだろう。

 翼の下に生命(いのち)は巡り続けると、聖伝は語る。



→next scene.

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