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scene3-3 天子の系譜


 世界を憎む人間はいくらでもいる。

 世界を愛してやまない人間は、実はあまりいない。


_

 ●●1


「歴史学に浅い僕と違ってきみならすぐにわかるだろうけど、ウリュデ山のハネア・キイ遺跡に「ハネア壁文」という古代人の遺した文字があるらしい」


 ロシュテンの話によれば、こうだった。 

 その壁文というのはまだ研究段階にあるもので、もちろん文章の内容はおろか文字や言語系統の種類さえ判らず、いつ頃に彫られたのかも曖昧だという話だ。遺跡自体の年代から考えて、多くの研究者は当時の山岳民族の生活痕と見るのが主流なのだと、その本にはあった。そう、そのときロシュテンはパルギッタと本を読んでいたのだ。

 それを見たパルギッタは、彼女は挿絵しか眼に入っていないようだったが、これは恋文だと言ったらしい。それも思い出深いようすで。


「何を言っているのか僕自身にもよくわからないんだ。でも、それはほんとうだと思う。つまり天子さまはその文字を読むことができたんだと──わかるかい? 僕の言っている意味がわかるか?」

「つまりそれは実際に恋文だと?」

「そう、そしてパルギッタさまは、それを見て笑っていた。それを見て『懐かしい』と言ったんだ」


 そこまで言うとロシュテンは大きく息を吐いた。


「ああカイゼル、遺跡の年代は、ほぼアルエネルの降臨と一致しているよな? ユフレヒカとアルエネルはこの時期ウリュデ山で出逢ったともされて……」

「おい……何が言いたいんだ? ロッソらしくもない」

「忘れたのか! 二羽の鳥、トーエとケチェスはユフレヒカの眷属なんだ」


 珍しく興奮してまくし立てる親友にカイゼルは気圧された。確かに大抵の歴史書では、ウリュデ山には小規模な山岳民族が住んでいたということになっていて、その遺跡をハネア・キイと呼んでいるのは、そこに残された唯一の解読可能な文字──しかしその意味まではわからなかった──がそれであったからだ。その文字が使用された年代をおおよそ遺跡の年代とみて考えるから、アルエネル降臨と時期が重なるという意見は決して間違いではない。

 なるほど考古学が盛んな現在、もっとも研究が遅れているのが天子降臨で名高いウリュデ山にあるハネア遺跡なのは、いかにもおかしい。

 ほんとうは山岳民族などいなかった、または、ユフレヒカがその一員だった。ロシュテンの言わんとすることはそういうことらしい。だとしたら恋文の主はそのうちの誰かだろう。そして、その恋慕の相手が唯一の部外者であるアルエネルであった可能性は、ないとは言い切れない。


「なぜだろう。僕は、あの壁文はユフレヒカがアルエネルに宛てて書いた恋文だと、そう思える」

「そうなるととんでもない話だな。天子への禁じられた恋だから暗号文にしたってことかい」

「ああ、そうなんだ。僕からきみへの手紙と同じさ。……アルエネルがそれを受け入れたかはわからないけど、少なくとも彼女は、マケロから『ユフレヒカの鳥』だと揶揄されることになった」

「それが終末論の真相だっていうんなら、ほんとうに突飛だな。挙句ほとんど想像じゃないか」

「……信じてくれないかい」

「当たり前だ。……と言いたいところなんだが、どうもそうはいかない。参ったね、そんな馬鹿げた説を訴えてる奇人がこの世にふたりもいるなんて」


 恐ろしいことに、カイゼルはこの説を聞くのは初めてではなかった。今回のロシュテンとの話し合いのために調べ回った、あのアビン博士の研究書に、似たり寄ったりの説がさらに細かい注釈つきで載っていたのだ。

 なんとアビン博士は自らウリュデ山に赴いて実地調査を済ませている。それによれば、遺跡とされている領域には何十もの封印が施されていて、生身では近寄ることすら不可能だったという。それは明らかに山岳民族の生活痕などではない。誰かが意図的にそれを人眼に触れさせないようにしたのだ。

 それから例のごとく狂気的な執拗さでもってアビン博士が調べ出した内容はこうなる。

 まず、ハネア・キイの綴りを並び替えると「満潮(ニウラケー)」。これは来る終末の日を暗示する。

 そしてユフレヒカがアルエネルと出逢ったとされる日から、皎翼崇拝が宗教として確立するまでに要した年月はおおよそ三年、その間彼と天子は全国を歩いて民に皎翼の導きを説いて回ったとされている。だが実際にはほとんど天子ひとりが『突如その地に現れ』て『民に御言葉を残し』て『飛び去』っていったので、ユフレヒカの行動は明らかになっていない。『天説を改めていると彼の名前が驚くほど少ないことに気がついた』とアビン博士は書き残している。

 結論から言うと、ユフレヒカは天子によって山の守護者に封じられ、聖人として並べられるまでは山を降りることさえ許されていなかった、というのが真相である。天説の中にそう仄めかしている隠し文章があったらしい。

 天説の著者であるマケロについては、『ユフレヒカ以上に記録が残っていない人物とすれば、聖イスタートなる男しか該当しない。私の調査では彼の文献は天説を除いたすべてに何者かによって抹消された形跡が認められた。天説だけは、聖イスタートを名乗る人物が同じく聖人の席に並んでいる聖スフミに託していたから、消されずに済んだのであろう。これもまたマケロが聖イスタート自身だったことを示しているのではないだろうか』。

 聖女スフミは川に関する聖人だ。彼女によって隠され続けていた天説は、その死後に大聖堂へと寄贈されて初めて世に知られたたという。そしてそのときすでにあのユフレヒカも死んだあとだった。まるでロシュテンの説を裏付けるかのようだが、彼はアルエネルの崩御に殉じたという説もある。


「そっくり同じというわけじゃないが、かなり近いことは確かだろう」


 件のアビン博士の研究書をロシュテンに見せながら、カイゼルは疲れた声音でそう言った。ロシュテンは食い入るように研究書を隅々まで読んでいる。


「『ユフレヒカの末裔が現在は貴族として暮らしている』……『私が思うに、「日付を間違えて種を蒔く牧師」は彼だろう』……『ユフレヒカもまた、誤って種を蒔こうとしたことがあり、それで天子はあまりの愚かさに怒って彼を山へ閉じ込めたのだという』……」

「僕はね、衝撃の事実を惜しげもなく書き並べてくれるところが彼の魅力だと思ったよ」

「……『ユフレヒカの妻は天子に愛され、彼女は守護方女の始祖となった』……『それ以来なにかにつけて天子の傍回りには女性が侍るようになった』……」


 あまりのことに真面目にやっていられなくなったカイゼルが茶々を入れるが、ロシュテンはそれに反応するでもなく、そして読み進めていくうちにみるみる顔を蒼ざめさせた。親友のようすがおかしいことに気づいたカイゼルは研究書を覗きこんでみたが、そこには先ほどロシュテンがしたのとよく似た主張が書き連ねてあるだけだ。ロシュテンにとってはさして驚くべき内容ではないはずだろう。

 しかし、青年はそれについては何も言わない。このままでは埒が明かないとカイゼルはすばやく切り出した。


「ロッソ、本題に入ろうか」

「本題……ああ、アルエネルが生きているという話か」

「当然そこまでぶっとんだ意見はアビン博士もしていないからね。だいたいだ、資料に囲まれて必死で調べ回ってたアビン博士が何年もかけて手にした説に、どうしてきみはここ数日だけで行きつけるんだい? まるで天子のことがよくわかってるようだね」

「そうかもしれないね、よくお会いしてるもの……いや、それより今はアルエネルの件だろう」


 ほんの一瞬ロシュテンがひどく歪んだ笑みを浮かべたのを、カイゼルは見逃さなかった。焦燥のような、あるいは絶望のような、相反する感情を滲ませた笑みだった。けれどもそれを問いただす前にロシュテンが語りだしてしまい、ついに尋ねることはできなかった。

 ──どうしたんだロッソ、ぼくは今日のきみが恐ろしく思える……。


「あの壁文を読むことができたのがユフレヒカとアルエネルだけだったとすると、アルエネルはパルギッタさまの中に生きているんだと、僕はそう思うんだ。パルギッタさまはアルエネルでありユエラウェッラであり、そしてシェルジットさまでもあるんだ。天子は究極的には死なないんだよ」

「おいおい、ついていけないよ……それならもう一羽の鳥は何なんだ? ゼノヴァピアかニナイラジアとでもいう気か?」


 狼狽を隠さずカイゼルは呻く。今日のロシュテンはほんとうにどうかしている。敬愛していた父親の死に際し、どこかが壊れてしまったのではないかとさえ思えた。今の彼には決定的に普段の冷静さや余裕が欠けている。

 だがそれなら親友である自分が、逃げずに対処せねばらない。カイゼルは拳にぐっと力を込めた。

 けれども、それに対するロシュテンの返答は、これまでとは打って変わって悲壮感に充ちたものだった。


「……カイゼル。残念だけど、牧師はすでに種を蒔き終えてしまった後だったんじゃないかな」


 彼はそのとき涙を流していた。父卿の葬儀でも疲労のほかは何ひとつ気取らせなかったロシュテンが、まるで幼い時分のように、鳶色の双眸から一筋ずつ透明なものを零している。カイゼルはただ息を呑んでそれを見つめるしかできなかった。手から力が抜けていく。

 ほんとうに馬鹿なことをしたんだ、と、ロシュテンは泣きながらひとりごちた。



 ●○2


 その日、パルギッタは慈善事業の一環で四番区にある孤児院を訪れていた。まだまだパルギッタの見た目が幼いこともあって、孤児院の子どもたちは「天子さま」に親近感を抱けたようで、パルギッタもまた楽しそうに過ごした。

 子どものうちひとりが「天子のお姉さんなのに翼がないの?」などと妙に確信を突いた質問をしたときには流石に乙女たちも動揺したが、パルギッタはそれに対してにこにこと答えた。曰く、お姉さんはまだまだ修行が足らないから、でももう少ししたら立派な白いのが生えるはずです、と。


「翼が生えたらまたここに来ますからね。そのときじっくりご覧なさいな」

「ほんと?! やったー!」


 屈託なく喜ぶ子どもたちを見て、パルギッタは満足そうだった。

 一方で乙女たちは、口からでまかせという可能性もあるパルギッタの言葉に、しかし感銘を受けた。言葉自体によりも彼女の成長ぶりに対する感動だったかもしれない。ほんとうにパルギッタはすくすくと育っていることが感じられる。そしてそこには不思議とよくある寂しさのようなものはなかった。

 その後しばらく人びととの触れ合いを楽しんだ天子は、孤児院から帰宅する途中、きゅうに四番区の教会を回りたいと言い出した。が、こういった突然の発案はパルギッタにはよくあることなので乙女たちも柔軟に応じた。すでに区域を南北に分ける岐路に差し掛かっていたため、とりあえずは北部のふたつの教会だけ訪問することにしたのだ。

 ところが、それが問題だった。

 最初に訪れた教会ではそこの選任牧師を大いに驚かせただけで平穏に終わったが、ふたつめの教会で、天子と乙女たちは武装した集団に取り囲まれたのである。幸い乙女たちは移動するときつねに方器を携帯するようにしていたため、丸腰という事態は避けられた。だが多勢に無勢であることに代わりはない。こちらが天子を除くと四人しかいないのに対し、相手はゆうに二十人近くいたからである。

 問題はそれだけではない。方器には殺傷能力がほとんどないのだ。

 身体が脆くなっているケオニを討伐するために造られたものであり、そもそも本来は儀式用であるため、武器としての実用性があるわけでは決してないのだ。その刃は確かに鋭利だが、人間の皮膚を深く切り裂くことは難しい。それに相手は無防備なケオニと違いしっかりと防具を身につけている。


「何者か! 天子さまの御前に無礼であるぞ!」


 カルセーヌが声を上げると、集団の中からひとり抜きんでて、このように答えた。


「我らは羽根の印(スエリ・テカ)である! 強欲で傲慢な貴族どもから天子をお救いするため立ちあがった!」


 おおお、と雄叫びのようなものが続く。乙女たちは思わず顔をしかめた。

 彼らは恐らく民間の過激な拝翼武装集団なのだろう。貴族たちが天子の威光を利用して世界を牛耳っているという思想は、ときどき平民階級以下で流行ることがある。これまでも何度か天子解放運動のようなものが実施されたことも確かだ。が、こうして武装して直接天子の前に現れたことはあまりなかった。

 どうやら彼らの攻撃対象は他ならぬ乙女たちであるらしい。少し離れたところに止まっている馬車には眼もくれず、一様に乙女たちを睨んでいる。

 パルギッタ自身は状況がよく飲み込めていないのか、とりあえず庇うように前へ出たイリュニエールの背後からそっと拝翼集団たちのようすを覗っていた。が、怯えているというふうでもないようだ。


「愚かな……この状況で戦闘を始めでもしたらパルギッタさまに危害が及びかねないというのに」

「それにしてもどこから情報が漏れたのかしら? わたくしたちがこの教会に来ることを予期していたようだわ」

「ソファイアさん、不気味なことを仰らないでくださいな」


 乙女たちは威嚇の意味も込めて方器を構えた。彼女らもこれまで長く厳しい訓練や、たび重なる戦闘を経験してきたのだ。それこそ相手は脆弱なケオニだが、毎度その対峙する人数はとてつもないものだったし、彼らは強烈な飢えという理由でもって死に物狂いで襲いかかってくることもあったのだ。そんな歴戦を経てきた乙女たちがここで黙ってやられるわけにはいくまい。

 それに、守護方女の最大の任務は、その名称のとおり天子の守護なのだから。



→next scene.

なんかえらく遅くなりました、すみません。

そのわりに展開が急でもう作者も唖然としています……

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