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scene2-4 生きる場所


彼女を苦しめたのは誰だ。



.

 ●●1


 彼らは常に一体であり二心であるという。天地、明暗、善悪、慈愛と懲罰、ほか諸々のことがらを為すに於いて彼らは一体に二心をわかつ。列なるその痛みは彼らの分かち合うところである。彼らほどに互いを熟知するものはないだろう。

 彼らは──彼女らは陰と陽であり(あかつき)(ひぐれ)である。彼女らは総ての創始とともにあり、終焉を待つ。


「星盗人よ、汝安んずるなかれ。かの怒りは天を引き裂いて汝を破滅せしめんとすなり。」

「星盗人よ、汝畏れるべし。かの苦しみは地を砕いて汝が属いっさいを(たや)さんとすなり。」


 彼女は呟く。泣きたいのを堪えるように。


非時(ときじく)の実は地獄の花より苦きこと」

「おのれの過ちを憶えるがいい」


 彼女は囁く。怒りをぶつける場所がわからないとでもいうように。


「わたしは、」

「わたしは汝を許しはすまい」

「わたしは、」

「わたしは汝が同胞さえ諸共に打ち滅ぼしてやろうぞ」

「わたしは、」

「わたしはどうする?」

「われわれは、」


 彼女は嗤い、彼女は嘆き、彼女は憤り、彼女は慄く。そうして彼女は自閉する。どこにも行き場のない感情を殺すために。

 憎しみだけが顔をあげて彼女に刃を握らせる。悲しみがそっと彼女の喉を絞めつける。そして名付けないでおいた『それ』がゆっくりと身を起こし、彼女の背中を優しく抱いて、さあ、と彼女を促した。『それ』曰く、この世界はもはや失敗したも同然、一度は滅ぶべきという……。そうしてまた新しい種を蒔いて育て直せばよいのだ。憂うことはない、おまえなら必ず正しいものが創れるだろう。

 『それ』は甘い声で囁く。間違えたのはおまえではないよ、と。

 彼女は頷き、静かな歩調で歩き出す。身の裡側を渦巻くすべての感情を殺すために。彼女は彼女と入れ替わってもう一度この暗い大地に支配を降ろす。創り直す。


「星盗人よ、わたしは汝を忘れはせぬぞ」

「汝の行いを忘れはせぬぞ」

「おのが罪犯を忘れはせぬぞ」


 もしも彼女が泣けたなら、誰かにすがることができたのなら、この未熟な庭を壊さなくてもよかったのだろうか。それは誰にもわからない。捨てた涙は大海となって今も大地を抱いている。その揺籃(ゆりかご)が何を育むかはわからない。

 ただ彼女の白い指に小さな土色の水が、呼ばれるその日を待ちながら、濁った瞳を地平に向けて静かに渦巻いていた。



 ●●2


 パルギッタの機嫌は最高潮に達していた。というのもお気に入りのロシュテンが遊びに来てくれたからである。

 実際にはロシュテンはカルセーヌと貴族議会の次の議題について相談をするためにきたのだが、パルギッタにとってはそんなもの毛の先ほども関係ないのだ。そんなわけでロシュテンはさんざんパルギッタに付き合わされて、午前中いっぱいはとても議会の話をするどころではなかったが、昼過ぎになってパルギッタが昼寝をしたのでようやく解放されたのだった。もっとも、くたびれた襟元を直しつつもロシュテンは楽しそうであった。

 イリュニエールが少し悔しげだったとかそうでないとか。なお、彼女はパルギッタの私室で昼寝の付き添いを志願した(立候補しなくても任命されたに違いないが)。


「で、ニルヴァー伯の提案はもうお聞きになられましたか?」

「いいえ。このところお忙しいのか、ひと月ほどなんの連絡もないのですよ」

「そうでしたか。うーん……僕からお話ししても問題はないでしょうけど、貴女に何も伝わっていないというのは妙ですね」

「それではパルギッタさまのことを?」

「はい」


 乙女らに緊張が走る。天子のことで何か議論があるのなら、方女頭のカルセーヌに知らせがないというのはおかしいではないか。それが偶然ならいいが、果たしてそれを敢えて隠しだてしようとしたのであれば、こちらにとって都合の悪いことなのかもしれない──そんな考えが各々の脳裏をかすめる。

 ロシュテンは少し考えてから、大したことではありませんが、と切り出した。

 ──パルギッタさまの生活の場を大聖堂の天宮(ティダ)に移して修道女に世話をさせるのはどうだろう。方女の宮も新しく併設する。お守りするにはこれがもっとも安全ではないだろうか? 方女以外は神職がなければ内宮への参内が不可能、天子におかれましては静かな場所で安全に成人していただき、一刻も早く正式に皎翼へ即位されたい。

 カイゼルの言葉を淡々と伝えるロシュテンとは対照的に、乙女たちははっきりと不快感を顔に浮かべた。ソファイアが立ちあがり、イリュニエールを呼んできますと震える声で言って、カルセーヌがそれに返答する前に退室した。

 信じられない──呟いたのはカルセーヌである。


「今すぐ天宮に移れですって? ああ、何を考えているの……」

「パルギッタさまを内宮に閉じ込めるなんてとんでもありませんわ」


 青ざめながらミコラは呻く。

 そこへイリュニエールとソファイアが戻ってきた。話を聞かされたらしいイリュニールはくちびるを真一文字に引き結んでいる。


「天子であるパルギッタさまを何だと思ってらっしゃるのやら、何よりなぜ今頃になってその話がこちらに伝わるのです? 開議は明日とお聞きしましたが? なるほど内宮ならば安全は安全でしょうが、パルギッタさまのご性格を少しでも知る者ならあのような薄暗い場所とてもお連れできぬはずです」

「まったくイリュニエールの言うとおりですわ。ニルヴァー伯……現世からパルギッタさまを引き離そうとしているとしか思えません。わたくしは断固反対です……!」


 ソファイアはそう言って肌が青白くなるほど強く拳を握りしめた。

 乙お女らの怒りももっともで、前天子以来まったく人の出入りのない天宮やその内宮は腐敗しきっているとの噂が絶えず、よもや閉鎖もありうると考えられていた場所である。天子のために造られたものだとはいえ、今ではとても天子にそぐわぬ空間なのである。それに内宮の入り組んだ造りはあまり良い環境とはいえないし、ミコラが閉じ込めると表現したのもむべなるかな、政治を託される天子が籠の中の人形では何になろうか。

 パルギッタには光が似合う。湿った薄暗い屋敷ではどんな花も枯れてしまうだろう。

 不興の嵐のなか、ロシュテンはどうしたものかと考えあぐねていた。カイゼルに伝えるべきだろうか。それにしても、彼が方女たちに自分の提案についてまったく伏せていたことはロシュテンにしても非常な疑問だった。反対されるのがわかっていたのならなぜわざわざ自分や他の議員には事細かに伝えてきたのだろう。まず何より天子に関しては直接仕える方女たちの発言力は大きく、筆頭カルセーヌには家位もある。無茶な意見はそもそも不利だ。

 カイゼルが無駄なことに労力を割く人間でないことをロシュテンは了解していた。それゆえなおさら理解らなかった。彼は何の目的があって天宮を話題に持ち出したのだろうか。

 彼と家ぐるみの付き合いがあるカルセーヌもたぶん同じことを考えていて、だから先ほどのような呟きを漏らしたのだろう。


「カルセーヌさん、明日の晩は私たちも議場に連れてください。天子さまに関する重要な議題であれば方女全員に参議する権利が与えられるはずですもの」

「ええ、そのつもりですよ。イリュニエールもソファイアも黙っていられないでしょうし」

「もちろんです」

「いっそパルギッタさまもお連れしましょうか」


 乙女らは興奮して息巻いていた。無理もなかろうが。苦笑いしながらもロシュテンはそのなかに、パルギッタへの方女たちの深い愛情を感じた。彼女たちがパルギッタの元にいて本当に良かった。

 だからこそ、カイゼルに対する疑問が胸を刺す。


「……。今からニルヴァー伯に会いにきます」

「ロシュテンさん?」

「僕にも彼の言動が理解できない。だから直接本人に訊こうと思います」


 方女たちは期待のこもった瞳でロシュテンを見つめる。


「ああ、そうだ。今後あなたがたが冒涜者の掃討に往かれるときに、どうしてもパルギッタさまをお連れできなければ、いつでも僕の屋敷を提供しますから」

「えっ?」

「またソファイアが何か言いましたか」

「私は何も……」

「いえ僕の独断ですよ。父上は女中の教育をかなり熱心にしておいでですから、天子さまがいらしても不自由ないと思いますし、もともとエサティカをお迎えするお役目を頂いている家ですから。僕は貴女がたへの協力は惜しまないつもりです」

「ああなんてこと! 貴方は天のお恵みですのね、ヴォントワースさま!」


 期待以上の言葉に方女は歓喜した。既にわかっていることだがヴォントワース家なら申し分ない好物件であるし、働く女中の格も他とは違う。これでいつでも方女たちは動けるようになるのだ。断る理由がいったいどこにあろうか。

 ロシュテンは自分の提案が受け入れられたことに満足すると立ち上がった。ニルヴァー伯に話を聞かなければならない。どうしてそんな無茶苦茶な案を議会に提出したのか、それをなぜ方女の誰にも話さなかったのか──それも親しい間柄でなお且つパルギッタに近しい重要な役職のカルセーヌにさえ、だ。

 部屋を出てゆこうとした彼の眼と、まんまるい碧緑の瞳がぱちりとあった。騒がしいのでパルギッタが起きだしてきたらしい。ロッテもう行くの、と少し寂しげな彼女の言葉にロシュテンは頷いて、かがんで視線の高さを合わせた。寝起きのふわふわした髪が愛らしい。身分云々がなければ撫でてあげたいものだとロシュテンは思った。


「また近いうちにお伺いしますよ」

「うん、……待ってる」


 パルギッタは眼を細めて微笑んだ。



 ●●3



 カイゼル・ニルヴァーはまるであらかじめ知っていたかのような万全の準備でロシュテンの来訪を迎えた。それでもロシュテンの表情がいささか険しいのに気づいて驚いているらしい。味気ない書斎に通されたロシュテンは、すすめられた肘掛椅子に座るやいなや単刀直入に切り出した。


「どういうことだい、ビオスネルク嬢はきみの案についてほとんど聞かされていなかったぞ」

「なんだもう教えたのか。きみは案外せっかちだな」

「はぐらかすのはよしてくれ」


 ここへくるまでの道中、馬車の中で悶々と考えていたせいか、方女たちの怒りが少しばかり移ってしまったらしい。ロシュテンは強めの口調できりきりと返した。

 いらつきの隠せないロシュテンの様子をじっと見ていたカイゼルはくすりと笑った。珍しかったからである。普段かなり温厚なロシュテンは自分から感情を露わにすることがあまりない。友カイゼルの前にあってもそれは変わらないのだが、今日だけはそうもいかないらしいので、それが面白かったのだ。もっとも今のロシュテンにはよくない反応だったかもしれないが。


「楽しそうだな」

「ふふ、僕もたいがいおかしいが、きみも相当おかしいようだと思ってね。何かあったのか? 僕の知るかぎりロッソはそうやすやすと他人に感化されない性質の人間だ。上に立つべき者が意思をころころ変えるようでは話にならないからね」

「……確かに方女たちの怒りは凄まじかったよ、こちらが圧倒されるくらいには。きみだって知ってたんだろう。それくらいは」

「かなり無茶だろう。もちろんあんな案が通るだなんてこれっぽっちも思っちゃいないさ。だがねロッソ、あの案が廃案になった場合を考えたことがあるかい?」

「場合もなにも僕の屋敷を提供することにした」

「うん、良策だ。そうじゃなくで、天宮はどうなる。いい加減どうにかしないとまずいってことになるだろう? ちょっと回りくどいがこれくらいでいいんだ、……彼女の眼に上手く自然に映るようにするには」

「彼女って誰のことだい? カルセーヌ・ビオスネルク?」

「我が未来の妻ではないよ」


 にこり、人好きのする笑顔でカイゼルは答える。


「ときにロッソ。きみ最近ちょくちょくパルギッタさまの元に参じているそうじゃあないか。これはどういうことなんだい?」

「どういうって、何かおかしいかい」

「若い娘しかいないような場所にせっせと通う若い男。巷じゃいろんな噂が飛び交っているのだよ、色恋沙汰に疎いきみには届いていないかも知れないがね。で? 親友にくらい本命を教えてくれたっていいだろう? ソファイアはちと派手だな、きみの趣味には合わなそうだ。イリュニエールは地味すぎるし、まあ家位からいってもミコラあたりなら問題ないと思うけど?」

「カイゼル、そうじゃなくて」

「おっとカルセーヌは僕の妻になる女性(ひと)だからね。もしかして──もし幼い天子様とかいったらそれはもう処分では済まないと……」

「違うったら! ああもう僕はただ、単に貴族としてパルギッタさまになんとかご助力したいだけで、そういう下心は一切ない!」

「……だろうね、つまらん奴だ」

「つまらなくてけっこう。カイゼルと一緒にされちゃ敵わないね」


 わかってておちょくるなよと言いたかったがやめた。昔からふたりはこんな関係だったので、今さらなにか言ってもどうにもならないとロシュテンはよく知っている。幼いころから何かと家の関係で顔を合わせているうちに親しくなったのだ。カイゼルに猫被り癖があることも早々に見抜いた。

 かくいうロシュテンもカイゼルといるときは普段よりずっと饒舌になる。カイゼルの調子に引っ張られてしまうのだ。

 へらへらと屈託なく笑う相手につい本来の目的を忘れそうになったロシュテンだったが、むしろカイゼルのほうで急に表情を変えた。いつになく真面目な顔で、声の調子を落としてもしかしたらと囁く彼は、ロシュテンの肩を自分のほうへ引いた。大きな声では話せそうにないから、と。


「そう、きみは親友なんだよ。誰より信用していると言っていい」

「ありがとう。……それで?」

「その見上げた拝翼精神を思うと心が痛いんだが、せめてぼくの知る限りの事実を教えるよ」


 カイゼルはそう言って立ち上がった。



→next scene.

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