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第三章 Fallen Angel 8

 結界に縦横無尽に入った亀裂は、ちょうど茹で卵を割る時にできるヒビに似ていた。

 東大寺とうだいじの悲鳴染みた声が響く。

「彼女は利用されてるだけや」

 愛美まなみを押し戻そうとしていた力が消滅し、結界は音を立てて四散した。手応えを失い愛美の身体が、瑞穂みずほの方に倒れ込む。〈明星あけぼし〉が吸い込まれるように何かを差し貫く。

 肉を断つ、重たい嫌な手応え。

 命が壊れる鈍い音。

 愛美は自分のやったことに今更ながら恐怖を覚え、顔を歪ませて身体を起こした。小刀を抜いた瑞穂の胸から、血が吹き出す。

「あっ・・・ああっ・・・」

 小刀に巻き付いて離れない指を、こじ開けるようにして愛美は〈明星〉を離した。両手が滴った血に濡れて、ぬらぬらと光っている。瑞穂の顔には、息を吸い込んだ時の表情が張りついたままだった。

(私が殺した・・・)

「俺の所為や。すまん愛美ちゃん。俺が迷子になんかなっとった所為で・・・。俺がもっと早くついとったら、こんなことにならんだんや」

(東大寺・・・さん。私が殺したの。私の所為なの)

 東大寺の大きな腕が、愛美を抱き締めている。愛美の耳許で、東大寺は俺の所為だと何度も呟いていた。その時、瑞穂の垂れていた指がピクリと動いた。愛美が東大寺を振り払って、瑞穂の腕を握った。ゴボゴボと、瑞穂の口の端から血が溢れ出す。

「お兄・・・ちゃん」

 瑞穂の目は、愛美を見ていなかった。途切れ途切れに聞こえた声は、幼い子供のようだった。

「まだ息がある。俺が病院まで運ぶから、大丈夫や。愛美ちゃん。まだこのは死んどらん」

 愛美の肩を、東大寺は強く掴んで勇気づけるようにそう言うと、瑞穂の身体を抱き上げようとした。

 その瞬間、空気を震わせた鋭い音に、東大寺は瑞穂の代わりに愛美を抱き上げて、横たわる少女の側を飛ぶように離れた。東大寺と愛美のいた場所に、何本もの棒手裏剣が突き刺さっている。

「妹に触れるな」

 いつの間に現れたのか二十歳前後の若者が、中庭の藤棚の上に立っていた。まだ数本の棒手裏剣を握っていた。愛美が初めて見る、神坂かんざか瑞穂の兄の大和やまとだった。

 愛美の家族を殺したのがその男だったが、愛美は殺してしまいたいとは思わなかった。瑞穂に瀕死の重傷を負わせたことで、愛美は殺人を犯すことがどれ程恐ろしいことか知ったのだった。

 自分の心根の醜さが、露呈されたことに対する恐怖と言い換えてもいい。

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